第31話ニンゲンインターン②
これから先は、わたしが体験したことではない。
わたしが望む物語。
こうなったらいいな、の世界。
都合のいい妄想とかいわれるかもしれない。将来が思った通りにならないこともわかっている。
でも、そんな未来を思い描くことが、わたしがニンゲンインターンを続けていくための原動力なのだ。
紆余曲折はあった。お店の内装や予算など、考えるべきことが山ほどある上に、届け出ないといけない書類はどんどんたまっていって、途中で何度かくじけてしまいそうにもなった。それでも、わたしと茜はなんとか手を取り合って苦難を乗り超え、お店のオープンまでたどり着いた。
太一のお店があったテナントは、まだ空いていた。だから、わたしは迷うことなく、その場所に出店することに決めた。
空っぽになったインターンに、また戻ってくる。
そこを漂う匂いは、当時と変わらなかった。太一との思い出が染みついている。でも懐かしいと同時に、入学式みたいなわくわくした気持ちがあった。わたしと茜は、早速お店づくりを始めた。
「これを扉に貼ろう」
わたしは雑貨屋の紙袋を逆さまにすると、アルファベットの形をしたマグネットをテーブルに広げた。
お店の内装に関しては、二人の意見が食い違って、何度かいい合いになることがあった。わたしは色とりどりの可愛いインテリアをあちこちに置きたかったけど、茜はモノトーンを基調としたシンプルな空間を目指しているみたいだった。
でも、テーブルに広がったものに目をやると、茜も納得の表情をしていた。
「理子にしては趣味いいじゃん」
「でしょ?」
さっそくふたりでお店の外に出て、扉にマグネットを並べていった。
「あ!」
茜が声をあげる。
「え、なになに?」
「足りないじゃん」
「そんなことないでしょ」
「最後のエヌがない」
Board Game Cafe Inter
「これじゃインターンじゃなくて、インターだけど」
「どこかに落としたんだよ」
わたしは一度お店の中に戻って、足りないマグネットを探した。でも、どこにも落ちていなかった。それが入っていた紙袋の中も確認したけど、空だった。
「ない」
「もともと買い忘れたんじゃないの?」
「お店で一回並べてみたから、そんなことはないと思うんだけど」
「買ったときのレシートは?」
「あ、ある!」
わたしは財布に溜まった紙切れから、なんとか雑貨屋でもらったレシートを見つけた。
「十八枚買ってればいいはず」
茜がいう。ボードゲームカフェ・インターンという英単語から、アルファベットの数を数えたのだろう。それを聞いて、がっくりと肩が落ちた。
「十七枚しか買ってない……」
「あらま」
小さなミスでも、出鼻をくじかれたようで、わたしは落ち込んだ。
「秋人に買ってこさせようよ。あいつ、暇してるでしょ」
「そんなこと頼んだら、絶対文句いうだろうな」
「そうかもね。でも、ぶつぶついいながらも、なんだかんだ頼みを聞いてくれちゃうところが、あいつのいいところじゃん」
確かに、それは茜のいう通りだ。
ボードゲームカフェをつくるにあたって、わたしは秋人にお店のWEBサイトをつくって欲しいと依頼した。彼はすぐに値段交渉に持ち込んできたけど、茜が値切りに値切って結局無料でつくってくれた。
「ま、適当なサイトでいいんでしょ?」
「いや、ちゃんとしたのがいい!」
太一とお店をしていたときにつくってもらったサイトの記憶がまだ鮮明に残っていたので、わたしはそれについて隅々まで伝えた。すると、それよりはるかにグレードアップしたWEBサイトが出来上がった。
「すごい! なんか画像が勝手に切り替わる!」
「あ、それは後輩が実装した機能ね。俺がつくったのは、ここ。ほら、このページを見たらアクセス数がグラフになってるんだよ」
秋人は中学校に通いはじめていた。それだけでなく、彼はコンピューター部を発足させ、そこの部長になっていた。
新生インターンのWEBサイトは、そのコンピューター部の部員全員でつくってくれたみたいだった。始めこそ集めることに苦労していた部員も、発足してから一年近く経ったいまでは十人を超えているらしい。せっかく大きくなった部活でも、秋人はもうすぐ卒業で、部も引退しなくてはいけないから寂しいといっていた。
「秋人、いまから買って、ここに届けてくれるって」
早速、茜は秋人に電話した。
「文句いってた?」
「まあね。でも、あいつの面倒とか、だるいとかって挨拶みたいなもんでしょ」
「それも、そうか」
「あ、でも今度チョコレートケーキおごることになった。それはお店の経費に計上するよ」
「うん。任せる」
法人とか、税金とか、経費とか。そういう難しいことは全て茜に任せている。つくづく彼女がいなければお店なんて開けなかった。
しばらくすると、秋人はNのマグネットとともにやってきた。
「こんなことのために、俺に仕事をさせるって正気?」
「いやあ、待ってました! 助かった!」
わたしは秋人に飛びついて、マグネットを受け取った。
「理子さんも茜さんも俺の扱いが荒いよな」
「ほんと、助かってるよ」
茜が秋人の脇を小突くと、彼は過剰に反応して、それを振り払った。
「なんか余計なアルファベットもあるけど」
秋人が差し出してきた紙袋の中には、Nだけでなく、他にも数枚のアルファベットがあった。
「これがあったほうがかっこいいかと思って」
「勝手にお店の名前変える気?」
「いいじゃん。さ、理子はやく」
茜に急かされて、わたしはマグネットの封を切った。そして、秋人の指示に従って、それを壁につける。
Board Game Cafe Intern reborn
「いい感じじゃん」
茜がいう。
「やっぱリボーンがあったほうがかっこいいじゃん」
「ちょっと長い気がするけど。まあ、いっか」
ボードゲームカフェ・インターン リボーン。
わたしたちのお店の名前。
「なんか生まれ変わった気分」
わたしは扉に向かっていう。すると、両脇に立つふたりもうなずいた。
それから数日。無事オープンの日を迎えた。
お客さんがまったくこなかったらどうしよう。ずっと抱いていたそんな心配は杞憂に終わった。お店をオープンさせるなり、一組、また一組とお客さんがやってきた。数時間が経つ頃には満席で、静かに息を潜めていた店内は、あっというまににぎやかになった。
おひとり様大歓迎をうたっていたから、ひとりのお客さんもちらほらきてくれた。そういうときは、わたしや茜、ときには秋人がゲームやおしゃべりの相手になり、同じようなお客さんがいたら、グループにしてひとつのテーブルを囲んでゲームをした。そんなことをしているうちに、インターンで知り合った人たちが友達になり、その輪が徐々に広がって、もうインターンにいる人はみんな友達みたいな空間が出来上がっていた。
オープンからまもなくした頃、七海さん夫婦がお店にきてくれた。
「これ開店祝い」
「わあ、ありがとうございます」
茜が遠慮する態度を一切見せず、高級菓子ブランドのロゴが入った紙袋を受け取った。
「お店を開くって聞いたときはびっくりしたけど、まさか本当にここまでつくっちゃうとはね」
「ほんとだよ。二人とも経営者だもんな」
七海さんと大輔さんがそろって感心してくれる。まだまだ見習いです、と謙遜しつつも、わたしは少しだけ誇らしかった。
「俺も、いつかは独立しようかな」
「ちょっと」
七海さんは夢を語ろうとする大輔さんに白い目を向けた。
「これからは安定でしょ」
「冗談だって」
そういって笑う大輔さんの視線がわずかに下に向いたのを、わたしは見逃さなかった。そこには七海さんの膨らんだお腹があった。
「え!」
思わず大きな声を出してしまった。
「お腹大きい! 赤ちゃんいるんですか!」
茜もそれに気づいたみたいだった。ふたりして七海さんに近づいては、腰をかがめて、彼女のお腹を間近にする。目の前にすると、お腹がぽっこりと膨れ上がっているのが、よりはっきりとわかった。
「触っていいですか?」
茜がいう。
「もちろん」
茜は両手で包み込むように、七海さんのお腹に触れた。そして、きゃっと声を出した。
「理子ちゃんも、触ってみて」
「はい」
わたしは優しくお腹に触れた。大きかった。その存在感に、今にもお腹にいる赤ちゃんの心臓の鼓動が、どくんと手のひらから伝わってくるようだった。
「天からの授かりものだよな」
大輔さんがいう。
「ほんとに。この子は、神様がわたしたちにくれたプレゼント」
神様。それは太一のことかもしれない。それとも、この赤ちゃんは……。
「どんな子が生まれてくるんだろう」
「どんな子でも、わたしたちが守っていく」
「それなら、安心して生まれてこれるね」
茜がお腹に向かって微笑んだ。
「男の子ですか? それとも女の子?」
わたしが訊くと、七海さんと大輔さんは二人揃って優しげな表情をした。
「まだ、わからないの」
「名前は決まってるんですか?」
茜が訊く。
「女の子の名前はちょっと迷ってるんだけど。男の子の名前はすぐに決まったの」
七海さんは、ね、と大輔さんに声をかけた。
「不思議だよな。空から降ってきたみたいに、これだ、って名前が浮かんだんだよ。だから、俺はもうこの子は男の子かもなって思ってる」
「へえ、なんか素敵」
茜が黄色い声をあげる。
「その名前は?」
わたしが訊く。
七海さんはちらりと大輔さんの顔を確認すると、えくぼを見せながら口を開いた。
「タイチ」
その瞬間、どっと数組のお客さんがお店にきた。しばらくはあっちのテーブルに、こっちのテーブルにと慌ただしく動きまわっていた。
「忙しそうでよかった」
帰りがけ、七海さんがそう声をかけてくれた。
「お腹の赤ちゃんが、お客さんを連れてきてくれたのかもしれません」
「あら、わたしたちの赤ちゃんにはそんな力があるんだ」
七海さんがお腹をぽんとたたく。
「いつか三人できてくれることも、楽しみにしています」
そういって、二人を送り出した。
そのときだった。
――ぼくも楽しみ。
わたしはふと天を見上げた。
耳をすませる。お店は活気のある声で賑わっている。
でも。
太一の声が聞こえた気がした。はっきりとした声で、それが空耳だったとはどうしても思えなかった。
気づけば、わたしはお店の外に駆け出していた。
エレベーターがなかなかこないので、階段で下まで降りる。通りに出ると、向こうのほうに七海さんと大輔さんの後ろ姿があった。
「ちょっと、待ってください!」
ふたりに向かって、わたしは走った。
「どうしたの?」
「あの……」
わたしは息が切れて、なかなか言葉が出てこなかった。ただ、目線だけは七海さんのお腹から離さなかった。
「お腹、もう一度触らせてもらってもいいですか?」
わざわざそれをするために走ってきたのか、と七海さんも大輔さんも奇妙に感じたと思う。でも、このときのわたしの意識は、七海さんのお腹の中にいる赤ちゃんにしかなかった。
「ぜひ」
七海さんは優しくそういってくれた。
「ありがとうございます」
わたしはアスファルトの上にしゃがみ込むと、片方の手で膨らんだお腹に触れた。そして、一度ゆっくり息を吐くと、もう片方の手のひらもくっつけた。
爽やかな風が、わたしの髪を揺らした。
太一との再会は、もうまもなくしてやってくる。
ニンゲンインターン 濱崎ハル @haruhamasaki
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