第30話ニンゲンインターン①
突然の電話は、吉野さんからだった。採用面接の結果はWEBサイトのマイページに届くようになっていたから、着信がスマホの画面に表示されたときは、何事だろうかと思った。
「田ノ浦さん、内定出ました!」
どうやら、先日受けた採用面接の最終選考に無事通過したみたいだった。わたしは晴れて内定と呼ばれる就職への切符を手に入れたらしい。それは転職活動を始めて、初めてのことだった。
「あれ、田ノ浦さん?」
内定が出たという企業は、わたしが望んでいたような会社だった。都内の高層ビル群にオフィスがあり、自社で開発製造されている商品の販売戦略を考える仕事。つまり、この内定は、わたしの就職活動の終わりを意味していた。
わたしの転職活動がやっと成功した。その事実にしばらく実感が湧かず、わたしはスマホを耳に当てたきり、黙り込んでいいた。
「あ」
思い出したように返事をすると、間抜けな声がでた。
「どうしました?」
「あ、ありがとうございます!」
電話なのに、わたしは大きく頭を下げた。わたしに内定を出してくれた企業、またここまで付き合ってくれた吉野さんへ対する感謝。電話では伝えられないけど、その感謝の気持ちの分だけ、わたしは大きくお辞儀をした。
「ご希望されていた、都内の商社です。オフィスが東京駅周辺なので、これで田ノ浦さんも丸の内のOLですね」
「は、はい」
もちろんわたしは、丸の内のOLになりたいだなんて、漠然とし過ぎな理想のキャリアプランを吉野さんに話していない。だから、彼女の口からそのワードが出てくると、胸の内を見透かされたのかと思ってドキリとしてしまった。
「詳しいことはメールを差し上げてるんで、確認お願いします」
「はい、わかりました」
「では、またなにかありましたら、ご連絡ください。マイページからでも大丈夫です」
そこで電話を終えようとする吉野さんを制するように、あの、とわたしは声を出した。
「なんでしょう?」
「どうして、わたしは内定をいただけたんでしょうか?」
すぐに吉野さんからの返答がなかった。困惑させてしまっただろうかと、心配になった。でも、やがて彼女の声が聞こえてきた。
「前に勤められていたお仕事の成果をかってもらったみたいです。面接でお話された、ボードゲームカフェでのことですね。WEBサイトをつくって予約システムを導入したり、店舗のSNSだけでなくお客さんにSNSで発信してもらうよう促したり、お客様により長い時間楽しんでもらうためにフリータイムのメニューを導入したり。そうした、活動が評価につながっていました。ぜひ弊社でも、お客さんにより楽しんでもらえるための企画力を発揮していただきたいと、先方の方からおっしゃっていただいています」
「そうですか」
「こちらのフィードバックは、内定通知と合わせてメールに添付してありますので」
「あ、わざわざお話いただいて、ごめんなさい」
「いえ。この内定は、田ノ浦さんの実力です。自信を持ってください!」
最後に吉野さんにそう励まされ、通話は終了した。
わたしの採用された企業は、競争率が高いはずだった。福利厚生がしっかりとしていて、家賃補助まで出る。残業はほとんどない。仮に残業が発生しても、基本給に見込み残業のお金は含まれてなく、勤務時間の超過分は分単位で給料に上乗せされる。三年以内の離職率も低い。ネットでの評判も良く、それらの条件を見る限り、そこは紛れもなくホワイト企業と呼ばれる類の会社だった。
夢に見ていたような会社への就職が決まった。そこでうまくやっていけるのかは心配だけど、それはどの企業から内定をもらっても抱くタイプの不安だ。
希望通りの会社に就職できる。それは、わたしの夢への第一歩だ。インターンでの仕事が評価されて、その夢へのチケットを手に入れられた。だから、これも太一のおかげだった。
わたしは小さく頭を下げた。それは太一に対する気持ちだった。彼への感謝は計り知れない。でも、つい照れて控えめなお辞儀になってしまった。
アルバイト先の店長や、お世話になった人たちは、みんなわたしの就職を喜んでくれた。
「田ノ浦さん、ずっとなんかもう人生諦めたって顔で働いてたから、心配してたよ。でも、ちゃんと将来のこと考えてたんだね。いやあ、良かった。というより、安心した」
これは店長からもらった言葉だ。でも、およそこれと変わらないようなことを、他の人からもいわれた。どうやら、ネットカフェで働いていたわたしは、ずっと沈んだ目をしていて、覇気なく働いていたらしい。ちゃんと真面目に仕事をしているつもりだったけど、その頃の心境が態度にだだ漏れしていたのだ。いまさら謝っても仕方ないけど、わたしは恥ずかしさと、申し訳なさから、会う人、会う人に自分の無礼な態度を詫びた。
転職先での勤務開始は、吉野さんから電話があった一ヶ月後だった。それまでに勉強しておいたほうがいいことが山ほどあった。だから、できるだけ早めにアルバイトを辞めたいと店長に申し出ると、快く二つ返事をしてくれて、先々のシフトの調整をしてもらった。他のアルバイトのみんなも協力的で、すでに決まったシフトを積極的に代わってくれた。
ネットカフェで勤務する最後の日。店長や、お世話になった人たちは、みんなわたしの門出に祝いの言葉をくれた。シフトがないのに、わざわざわたしを見送りにお店にきてくれた人もいた。就職できてよかった。辛いことも多いだろうけど、頑張って。またここに遊びにきてね。そんな温かい言葉とともに、ささやかな花束までくれた。わたしはつい涙を流してしまった。
ネットカフェの入った雑居ビルを出ると、途端に気持ちが切り替わった。普段と同じ道を通って帰宅するわたしは、感じたことのない緊張を覚えていた。歩き慣れているはずの道が、普段とはまるで違って見える。
わたしは大きな賭けに踏み出そうとしていた。
賭け。それは、わたしの人生を間違いなく大きく変える賭けだ。
わたしは内定をもらった企業に就職するべきか迷っていた。
それよりもやりたいことがあった。
わたしは自分のボードゲームカフェを開きたい。
わたしは太一と働いていたときのように、またボードゲームカフェで働きたいと思っていた。それも、今度はわたしがオーナーになって、自分の理想のお店をつくりたい。
でも、そんな大それたことをひとりでできるとは思わなかった。頭も運も悪いわたしが思いつきでやっても、また失敗するだけだ。
そこで、頭に浮かんできたのが茜だった。彼女と協力すれば、なんとかできるかもしれない。いままでのわたしは、ひとりで行動してそのなにもかもがうまくいかなかった。片や茜は、人生に手応えがないことに悩むほど、なんでも彼女の都合のいいように物事が進む。だから、彼女を味方にすれば、わたしの理想も実現できるかもしれない。
甘い考えだということはわかっていた。また、茜がそんなわたしの絵空事に協力してもらえるとも思えなかった。だからこそ、賭けをしようと思った。わたしのその選択が正しいのか、間違っているのかを運と茜に任せようと思った。
アルバイトからの帰り道。途中にあるレストランに茜の姿があれば、ひとりでお店に入る。その後ふたりで話せる機会をつくり、自分の計画について話して、協力してもらえないか頼む。もし茜が働いていなければ、もうしばらく彼女と会うこともないだろう。
まるで、人生ゲームだ。なにが起こるかわらない未来に進むため、ルーレットを回す。
そうして、わたしは目的のレストランにたどり着いた。
お店の中を確認する前に、わたしは立ち止まって目を閉じた。深呼吸をしてから、ゆっくりと目を開く。恐る恐る視線を動かすと、ある一点で目が留まった。
茜の姿がそこにあった。
ぞわりとした感覚が、足元から湧き上がってきた。急に怖くなった。どこかに茜の姿がないことを望んでいる自分もいた。それに気づいて、この賭けの勝ち負けがわからなくなった。
レストランに入るのには、勇気がいた。だから、その目の前でぐずぐずしていた。でも、自分の決めたことから逃げたくはない。
わたしはすでにルーレットを回したのだ。
しばらく逡巡した挙句に、一歩前に足を出した。
「ひとりです」
出迎えた茜に、わたしは人差し指を立てながらそういった。
茜は一瞬ためらうように身体を強張らせた。彼女とは、喧嘩別れみたいな別れをしたきり、お互い顔を合わせていなかった。でも、茜はすぐに店員用の笑みを浮かべて、テーブルに案内してくれた。
「わたしがここで働いているの、知ってたの?」
席に座ると、メニューを持ってきた茜が訊いてきた。
「うん」
「いってなかったと思うけど」
「通りから見えてたから」
茜は一面のガラス張りを一瞥すると、苦笑いを漏らした。
「丸見えだもんね」
それからオレンジジュースを注文して、しばらく茜の働く様子を観察していた。
わたしがずっと茜を見ているから、度々目が合った。その度に彼女は苦い顔をした。そんな時間が続いたから、彼女はやりずらそうだった。
「追加の注文ないの?」
茜が声をかけにきた。わたしは、いまだ、と思った。
「あのさ。話があるんだけど」
「わたしに?」
「うん」
わたしは茜を食事に誘った。その提案に、彼女はしばらく意外そうに棒立ちになっていたけど、OKしてくれた。
「じゃあ、この店でいい? もう少しで、シフト終わるから。そうしたら、ここ座るよ」
茜は、わたしの向かいの椅子を手で叩いた。
「うん」
「たぶん、少し割引してくれると思う。ちょっと待ってて」
それから三十分もすると、茜はわたしの目の前に座った。
お腹すいた、といって、茜はメニューを手に取ると、わたしの断りなしにぽんぽん注文した。まもなくすると、ローストビーフとか、フィッシュ&チップスとか、カルボナーラとかこってりしたものがテーブルに並んだ。ビールもグラスでふたつ運ばれてきた。
「ダイエットしてるけど。たまにはいいよね」
そういうと、茜はせわしなく手と口を動かして、食べ物をお腹に運んでいった。その脇から、わたしもちょっとずつそれらをつまんだ。
「理子って、自炊とかするの?」
そう訊いてきた茜の頬には、カルボナーラのクリームがついていた。わたしが自分の頬に指を指してそれを伝えると、彼女はすぐにナプキンでそこを拭った。
「まあね。ずっと、ひとり暮らしだから」
「大学からこっち出てきたんでしょ? だったら、一人暮らし歴はわたしと変わらないよ。でも、わたしは全然してこなかった」
「お金があれば、外食で済むし。別にそれでもいいんじゃない?」
「いま、ここのバイト代だけで生活してるから、常に金欠なんだよね。だから、料理を始めたんだけど、慣れなくて。ほら、ここ。この間包丁で切っちゃったの」
茜は左手の人差し指を見せてきた。確かに、そこには治りかけの傷があった。
「痛かったでしょ」
「うん」
「わたしも最初のころはよくやった。すぐ慣れるんだけどね」
「なら、いいんだけど。でも、食生活改めたおかげで、だらしない体型もすっきりした」
そういって、茜はお腹を撫でた。
茜は、ウェイターとしてのアルバイトを始めると同時に、親からの仕送りを断ち、手頃な家賃のワンルームマンションに引っ越したようだった。ご飯も自分でつくるようになって、毎日の運動も欠かさないらしい。ジムに通うお金はないから、街中をジョギングしているという。そのおかげもあって、ふっくらとしていた体型はすぐに元に戻ったみたいだ。
わたしは茜がそうしようと思ったきっかけを、訊こうとした。でも、やめた。彼女の前向きな行動の理由をわざわざ掘り下げるのは、野暮だろうと思った。
茜もニンゲンインターンをしているのだ。
「で、話って?」
食事が済んで、あらかたのお皿が下げられると、茜が訊いてきた。
「うん」
この瞬間がとうとうやってきたと思った。この後に及んで、わたしは話をするべきかどうか迷っていた。でも、タイミングはいましかなかった。これを逃したら、後悔する。
わたしはバッグに手を入れると、ルーレットを取り出して、テーブルの上に置いた。太一が残していったものだ。
「これって人生ゲームのやつ?」
「うん」
「これが、理子の話と関係あるの?」
「わたし、これを回したの」
わたしはそういいながら、ルーレットのつまみを軽くひねった。レストランのテーブルの上ではそれは回転せず、わずかにテーブルの面をこすっただけだった。
「それで?」
「そうしたら、ボードゲームカフェを開店するってマスに止まった」
「……どういうこと?」
わたしはルーレットを握りしめると、茜に向き直った。
「茜、お願い! わたし、ボードゲームカフェを開きたいの。それを茜にも協力してほしい!」
「はあ?」
茜はあんぐりと口をあけていた。思った通りの反応だ。突拍子もない話であることはわかっていた。でも、だからこそ、勢いがないといえなかった。
「ひとりでもお店にきやすくて、それに、お客さん同士の交流もさかんにできるボードゲームカフェをつくりたいの。ゲームを楽しみにきた人も、それが目的じゃない人も、いろんな人が集まるお店。みんなでゲームをしながらおしゃべりしたら、世の中にはいろんな人がいて、みんな懸命に生きてるんだってことがわかると思うから。そうしたら、自分はひとりじゃない、明日からまた頑張ろうって前向きになれる。そういう空間をつくりたいの」
かつてのわたしみたいに、不幸なのは自分だけだって思っている人は、少なからずいるはず。だから、わたしはそういう人たちの力になりたい。太一や、茜、秋人、七海さんがわたしの力になったみたいに。
この想いは、公園で太一と別れた後にふと浮かんできた。そのときはただの思いつきだったけど、それからアイデアがどんどん大きくなって、それが頭から離れなくなった。
「急にそんなこといわれても。お金の問題とかあるだろうし」
「開店資金は、太一がくれた宝くじのお金がある」
「それは奨学金を返済するお金でしょ」
「奨学金はちゃんと働いたお金で返す」
「また、変なこといってる」
茜の口調にも熱がこもった。
「理子は正社員としてバリバリ働きたいんでしょ? カフェを開くなんて、そんな安易な考えでその目標から逃げないでよ。諦めなければ、正社員なんてなれるから」
「それは、もうわたしの夢じゃなくなったの」
わたしは、すでに企業から内定をもらっていることを話した。その企業は茜も知っていた。やはり、有名な会社だったみたいだ。その会社のサービスについても彼女は把握していたから、そこへ就職することが、わたしのかつての夢への第一歩だったことも伝わったみたいだった。だからこそ、ボードゲームカフェを開きたいというわたしの新たな夢は、一層強く反対された。
「せっかく内定出たなら、いったんはそこに就職しようよ。それでもボードゲームカフェを開きたいって思いがなくならなければ、そのときまた考えればいい。安定した収入を確保できれば、借金もなくなるし、お店を開く準備期間も十分に確保できる」
茜のいうことは、もっともだと思った。賢い選択というやつだ。
でも、わたしはルーレットを回したのだ。その結果、わたしはボードゲームカフェを開店する。そのタイミングは紛れもなくいま、このときしかない。この機会を逃したら、もうボードゲームカフェを開くなんてマスはない気がした。
わたしはなにをいわれても、茜を説得した。彼女を納得させられるような、頭のいいことはいえなかった。具体的な計画もなかった。ただ、それをやりたいというわたしの気持ちを、時間をかけて何度も繰り返し伝えた。
「そういえば」
どんな言葉にも聞く耳を持たないわたしに呆れたのか、茜はいつしか黙り込んでいた。
そんな彼女が、おもむろに口を開いた。
「あれ? だれに訊かれたんだろう」
「なにかあったの?」
「前の仕事をやめて、しばらく経ったころくらいかな。だれかから訊かれた気がするの。一つだけ望んだものが手に入るなら、なにが欲しいかって」
茜はそれを訊ねた人のことを、どうしても思い出せないみたいだった。
「それで、なんて答えたの?」
茜は一呼吸おいてから、ぽつりといった。
「やりたいこと」
そういった後で、茜はわたしと目を合わせた。
「まさか、それを理子がくれるとは思わなかった」
「わたしが茜の欲しいものを、あげられたってこと?」
茜はルーレットを取ると、テーブルの上でそのつまみをひねった。そして、やる、とつぶやいた。
「やろう。ボードゲームカフェ」
わたしは茜からルーレットを差し出された。彼女の目には光が差していた。
「うん、やろう」
わたしはルーレットを受け取った。
この瞬間、確信した。
わたしと茜のボードゲームカフェは必ず多くの人を幸せにする。
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