第29話喪失⑥
わたしたちと太一は大きいビルに囲まれた道をあてもなく歩いた。雨は一時的だったものみたいで、すぐに上がった。雲の間から刺す日差しが濡れたアスファルトに反射して、ずっと眩しかった。
半年ぶりの太一の姿は、以前と変わらなかった。でも、なんとなく緊張した。久しぶりの会話をどう切り出すべきかわからなかった。試しに、変わらないね、というと、中身は成長したんだよ、と笑っていた。
「髪型とか変えないの?」
聞きたいことや、話したいことが山ほどあった。でも、いざ太一を前にすると、そんなどうでもいいことが口から出てきた。
「この髪、似合わない?」
「そんなことないけど。パーマとかも似合うかなと思って」
「髪の毛くるくるにするやつね。理子は似合わなそう」
「うるさいな」
「理子の髪型こそ、前から変わってないよね」
「うん。そういえば、中学生の頃から変わってないかも」
「パーマとか、いいと思うけどね」
「似合わないっていったくせに」
「似合わなくてもいいじゃん。ちょっと新鮮な気持ちになれれば」
初めのほうこそお互い黙り込んでいたけど、だんだんと太一との会話のペースを思い出してきた。彼は姿だけじゃなく、中身の方も以前のままみたいだった。
途中にあったたい焼き屋で、あんことカスタードのたい焼きを買った。歩きながら一口かじりついたけど、中のあんが熱々で、一度立ち止まってしまうほどだった。太一のカスタードも気になっていたので、一口もらった。
「たい焼きが、まぐろ焼きだったらよかったのに」
唇の端にカスタードをつけた太一が、そんなことを口にする。
「なにいってんの」
「だってまぐろだったら、もっと大きかったはずでしょ。これじゃ、ちょっと少ないな」
「でもたい焼きって見た目かわいいけど、まぐろだったらかわいくなさそう」
「ぼくは見た目なんてどうでもいいかな」
「てか、量が少ないなら、二個買えばよかったのに」
「うん。次はそうする」
太一とは、どうでもいい話題でも、つい話が弾んでしまう。あの雲が秋人に似ているとか、雨に砂糖が混じっていたら、いまごろアスファルトがべとべとだとか、くだらないことでも口が止まらない。でも、そんな意味のない言葉のラリーを、永遠としていたかった。
しばらく歩いて、わたしたちは大きな公園にたどり着いた。たくさんの人が散歩をしたり、遊具で遊んでいたり、スポーツをしていた。いたるところにベンチがあったけど、全部埋まっていて、わたしと太一は並んで噴水の淵に腰掛けた。
わたしはこのタイミングだと思って、口を開いた。
「どうして、ここにいるの?」
「ここって?」
「なんていうのかわからないけど。人間の世界」
「ええと……」
太一は恥ずかしそうに頬をかいてから、話をしてくれた。
太一は一度天界へ戻った後に、再び人間界にやってきたみたいだった。天界は、もう太一を人間に生まれ変わらせることを諦めていたらしい。でも、彼はそこに待ったをかけたという。
「人間に生まれ変わりたくないんじゃなかったっけ?」
「そうだったんだけど」
太一は、今度は人間が幸せであることを証明しにきた。
彼は人間に生まれ変わりたいのだそうだ。
「せっかく、人間が不幸だってことを証明できたのにね」
「うん。おかげさまで」
「でも、人間になりたいんだ」
「まあね」
「わたしとずっと一緒にいて、よくそんなこと思えたよね」
「むしろ理子と一緒だったからこそ、ぼくはニンゲンになりたいって思ったのかも」
「わたしって、こんなに情けなくて、不運で、人生に行き詰まってるのに?」
「うん。でも、理子がニンゲンインターンをしていることに気づいたから」
「わたしが、ニンゲンインターン?」
太一は照れたようにわたしから目をそらすと、うん、とつぶやいた。
「理子だけじゃない。茜も、秋人も、七海さんも、大輔さんも。インターンにきたお客さんもみんな。もしかしたら、いまこの公園にいる人、いや、世界中のみんながニンゲンインターンをしているのかもしれない。みんなニンゲンを体験しながら、自分っていうニンゲンについて理解している途中なんだと思う」
わたしの視界に入るだけでも、公園にはいろんな人がいた。小さい子から、お年寄りまで。落ちていた葉っぱを注意深く観察している子供、ベビーカーを押すお母さん、パリッとしたスーツをまとってパソコンを膝に電話をかけているビジネスマン、言葉はなくとも身体はぴったりとくっつけてベンチに座る老夫婦。
みんなニンゲンインターンをしている。
みんな自分を知るためのお試し期間を生きている。
「わたしたちって、どこに向かってるんだろう」
「そんな哲学みたいなことは、わからないよ」
「インターンが終わった先には、なにがあるのかな」
「終わりはない」
はっきりとした口調だった。
「未完成なニンゲンこそ、ニンゲンなんだよ。自分が何者かなんて誰にもわからなくて、だからこそ、みんな生きてる。いろんなことに挑戦して、悩んで、迷って、傷ついて、ときには立ち止まって。その度に、自分が何者なのか少しだけ見えてきて。そんなインターンみたいな期間は、多分死ぬまで続くんだと思う」
それは、まるでわたしのことみたいだった。目標に向かってたくさんのことに挑戦した。でも失敗が続いて、その度に傷ついて、もうふて腐れていた。だけど、それこそ人間であるということらしい。
なんだか、すうっと気持ちが楽になる。
さすが、太一。
彼といると、わたしもこの世界で生きていていいんだと思える。
「わたしもニンゲンインターンの途中ってことか」
「あそこにいるおばあちゃんと比べたら、まだまだ始まったばかりだよね」
太一の視線の先にいるおばあちゃんは、お孫さんだろうか小さな男の子に向かってスマホを向けていた。写真を撮っているのだろうか。もしかしたら、後でそれをSNSに投稿するのかもしれない。
「おばあちゃんも、自分が何者かって、まだわかってないんだね」
そういうと、太一は嬉しそうに微笑んだ。
「だって、いくら歳をとっても、その気次第で何者かに生まれ変われると思うから」
それまで静かだった噴水が、突然大きな音をあげた。それを背にしていたわたしたちは、そろって振り返った。噴水は、大きく、高く、舞っていた。顔にかかる水しぶきが心地よかった。
噴水が落ち着いて、わたしは思い出したように隣に向いた。
太一の姿はもうなかった。
彼はニンゲンインターンへと向かったのだ。人間になって、うんと時間をかけたニンゲンインターンをするために。
太一の座っていた場所に、あるものが置いてあった。それは、人生ゲームのコマだった。
わたしはそれを手に取ると、真ん中のつまみをひねった。アスファルトの上でも、それはよく回った。
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