第28話喪失⑤
「続いてのニュースは……」
一応転職活動中の身であったから、夜ご飯を食べるときは決まってニュースをつけていた。でも、だたぼんやりと流し見しているだけで、内容なんて頭に入ってきていない。ニュースなんていくら見ても、世の中の情勢なんてわからない。
その日の夜ごはんは、前の日に煮込んだシチューだった。おいしくつくれたけど、二日も続けて食べると感動もない。それにたくさんつくり過ぎたから、まだしばらくはそれを消費し続けないといけなかった。
こんな生活がいつまで続くのだろうか。ストレスはなく、世の中から傷つけられることはないけど、刺激もない。時間はあっという間に過ぎる。こうやって情けない自分のまま若さを失っていくのかと思うと、気分が沈んだ。
テレビの画面はコマーシャルに移り、消臭剤の宣伝をしていた。お母さん役のタレントが、男ばかりいる家族の汗臭さにうんざりとしている。でもその消臭剤の霧吹きレバーを引くだけで、すべて解決。車も、ベッドも、カーペットも、野球のユニフォームも、ハーブの匂いなんかに包まれる。たちまち家族は幸せ。
次のコマーシャルは、車両事故の保険のものだった。その次は、がん保険。きたるアクシデントに備えていれば、自分も家族も資産も、安全、安心。
それらのコマーシャルは、世の中にありふれている。だからこそ、そこで繰り広げられている生活は、誰しもに与えられる当たり前のものだと錯覚させられていた。
旦那がいて、子供がいて、マイホームがあって、マイカーを持っていて、病気になっても家族が支えてくれる。
でも、それらを自分に置き換えて考えると、そこに行き着くまでの途方のなさに、心が折れそうになった。家庭を持つことは全人類にとっての幸せでない。多様性の時代だ。そんなことが叫ばれているけど、わたしにはそう主張するための確固たる哲学はない。正直いうと、できればみんなと同じ幸せがほしい。
ついこの前まで二十代前半だったわたしは、いまや中盤にきている。まだ若い。でも、わたしみたいな怠け者にとっては、まだ若いことは安心の材料でなく、気休めでしかないのだろう。エスカレーターに身をまかせるみたいに毎日を生きていても、チャンスが向こうからやってくることはない。そんなことはもうわかっている。就職とか、結婚とか、出産とか、子育てとか、セカンドキャリアとか、老後ののんびりとした生活とか。こんなわたしの生活の延長線上には、そんなイベントはなさそうだ。
「政治をする方には、国民が幸せになるように動いてほしいものですね」
シチューの中のにんじんをスプーンですくっていたわたしは、聞き慣れた声がしてテレビに向いた。
なんの代わり映えもない街頭インタビューのシーン。でも、思わず口に入れていたものを吹き出してしまった。ちょうど飲み込んでしまったものが変なところに入って、咳も止まらなくなった。急いで水を飲む。でも、そうしながらも、テレビから目が離せない。
え。
え! え! え!
「国民が幸せになれば、政治家の方も幸せになると思うんです。だから、自分の利益だけ考える行動はやめてほしいと思います」
「うそ……」
わたしは、ひとりつぶやいた。
テレビの向こうに、太一がいた。
太一がニュース番組のインタビューを受けていた。
太一のインタビューシーンは、すぐに切り替わってしまった。彼が映っていたのは、時間にして十秒もなかったと思う。呆気にとられているうちに、別のニュースがテレビに映し出されていた。
でも、それからしばらく、わたしは目まぐるしく切り替わるテレビの画面をぼんやり眺めていた。目の前に突然現れた光景に、しばらく脳みそが追いつかなかった。思い出したように口に含んだシチューは、もうすっかり冷めきっていた。
あれ、絶対太一だったよね?
わたしは太一が受けていたインタビューの内容を思い出しながら、その断片を検索ワードとしてネットに打ち込んだ。調べると、それは二週間後に控えた選挙のついての話題らしかった。
その選挙についてのインタビューが、半年も前にされたとは考えられない。ニュースで放送されるトピックについてのインタビューなわけだし、放送の前の日か、当日にされたものであるはずだ。
つまり、太一がいまもこの世界にいる。
わたしは活力を取り戻した。水を得た魚って感じだ。びくんと身震いさせると、その場に立ち上がった。
わたしはそのシーンがネットに転がっていないかと思い、いろんなサイトをまわっては、太一が映る動画を探した。動画があるとすれば、それはおそらく違法アップロードされたもので、すぐ削除されてしまうかもしれない。だから時間との戦いでもあった。
でも、夕方のニュース映像をわざわざ切り取った動画などどこにもアップされてなく、テレビに映ったのが確実に太一であると確信を持つことができなかった。
「太一はいる」
わたしは自分の記憶にすがるように、そう声に出していってみた。
あれは絶対太一だった。
間違えない。
そう思うことで、自分を奮い立たせた。
太一がインタビューを受けていたのは、新橋のSL広場だった。
わたしはそれから、毎日のように新橋に通った。ネットカフェでのバイトがない時間のすべてを、太一を見つけることに費やした。バイトが終わるとすぐに新橋駅に行き、駅前にあるSLの前に腰掛けると、広場を過ぎ行く人の顔を注意深く観察した。
あ、太一!
と、思っても、だいたい似た人。てか、よくみると全然似ていない。
一週間が過ぎても、二週間が過ぎても、彼がわたしの目の前に姿を現すことはなかった。
「あの、少しお時間よろしいでしょうか?」
ある日、わたしに声をかけたのは、男女ペアのふたり組だった。女性の方はマイクを持ち、男性の方はなにやら大きなショルダーバッグを肩にかけ、手にはハンディカムがあった。
「……はい」
女性は聞いたことのあるテレビ局の名前を口にした。街頭インタビューらしい。
わたしは流されるがまま、インタビューに答えた。若者の雇用問題について。一応、なにかしらはいったけど、なにをいったのかよく憶えていない。
インタビューの後、わたしは太一について訊ねた。彼の身体的な特徴を伝えて、そんな人をインタビューしなかったか、その人の居場所を知らないかと訊いてみた。でも彼女らがそれを把握しているわけもなく、首を振られるだけだった。
太一を見つける手がかりがない。
だんだんと記憶が曖昧になっていくにつれて、不安になった。テレビで見たのは、太一ではなかったのかもしれない。その後もインタビュー映像を探したけど、見つかる気配すらなかった。それは一瞬の映像だった。だから、そこに映った似た人のことを、わたしが勝手に太一だと勘違いしているだけなのかもしれない。
その日も、SLの前に座った。成果のないまま時間だけが過ぎて、やがて雨が降ってきた。地面に落とされた水滴の跡を見て、出掛ける前に天気予報を見ていなかったことを思い出した。わたしは傘をもっていなかった。だめもとでバックを探ったけど、折りたたみ傘はなかった。
ビルのスクリーンに映された時計を見ると、時間は午後の四時にさしかかろうとしていた。
わたしの記憶にあったインタビュー映像では、辺りは薄暗くなりかけていた。つまり太一は夕方にインタビューを受けたのだ。
もう少ししたら、太一がインタビューを受けた時間になる。
雨脚は強くなり、濡れた髪の毛が頬に張りつくようになった。目の前を歩く人は、みんな傘をさしている。水滴が顎からしたたり落ちた。まだ夕方とはいえない時間だけど、帰ろうかと思った。
目元についた水滴を払って、腰を上げようとした。
そのときだった。
雨粒が頭に当たる感覚がなくなった。上を見ると、視界がビニール傘で覆われていた。
目の前で、わたしに傘をかけてくれている人がいた。
「……太一」
わたしの頭の上に傘をかけていたのは、紛れもなく太一だった。
「風邪ひくよ」
わたしは自分の身体がびしょ濡れであることに構わず、太一に抱きついた。人通りの多い場所だった。そんなことにも構うことなく、彼の身体を強く抱きしめた。
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