第25話喪失②

「おじいさんは?」

 わたしの涙は引いていた。もうすっかり馴染んだはずのインターンにいるのに、どこか別世界に投げ出されたような不思議な感覚がある。泣き疲れて気だるいせいもあって、なんだかふわふわした。

「戻ったんだよ。天界に」

 おじいさんが立っていた場所を見ながら、太一がいう。彼はもう覚悟を決めたみたいな顔つきをしていた。

「太一もああやって消えちゃうの」

「そうだよ」

「嫌だ」

「ん?」

「太一がいなくなるなんて、そんなの嫌だ」

「そんなこといわれても」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ」

 もうなにも考えたくなかった。わたしの常識では測れない出来事を目の当たりにして、太一がいなくなってしまうことが初めてリアルに感じられた。もう別れないといけない。そんな現実、認めたくなかった。

「なんとかいってよ」

 黙っている太一に、わたしはいった。

「うん」

「うん、じゃなくて」

「今までありがとう」

 そんな言葉を望んでいるのではない。おじいさんが消えたのはドッキリで、実は斬新な仕掛けがあったとか、天界なんて設定は全部嘘で太一は普通のアラサーだったとか、そういうことをいってほしかった。

「わたし、面接受けられたんだよ。面接しないせいで落とされたんじゃない。ちゃんと向こうの会社の人と話をして、その上で不採用になったの」

 本来であれば、太一に褒めてほしかった。ちゃんと逃げないで一歩踏み出せたんだね、なんていってもらえることを期待していた。でも、わたしの小さな一歩なんて、もうどうでもよかった。どうせ、不採用だし。

「面接ね、このお店のこと聞かれて、いっぱい話した。どのゲームが面白いとか、こんなお客さんがいたとか、太一がこういう失敗をしたとか。このボードゲームカフェ・インターンを通して、わたしはいろんな人と出会って、いろんなことを学んだってね。でもインターンの話で三十分の面接が終わっちゃった。きっとそのせいで、わたし落とされたんだよね。向こうはもっと訊きたいことがあっただろうけど、わたしが一方的に口を動かしてたから。こんな自分勝手に話をする人とは一緒に仕事できないな、ってすぐに思ったはずだよ」

 太一に反応がない。だから、わたしは胸の中に溜まった不安や焦りみたいなものを、全部吐き出すように言葉を続けた。

「でも、それにしても、面接したその日にお祈りメールは早すぎると思わない? 落とされるのはわかってたけど、あなたの不採用は少しも迷いませんでしたっていわれた気がして、なんかむかつくし。その辺、気遣ってほしいよね。立派に社会人やってる大人なんだから」

 ほとんど息継ぎなしでしゃべったせいで、息が上がっていた。思い返せば、面接でも同じような呼吸の仕方をしていた気がする。そのときも、多分こうやって、一方的に言葉を浴びせるように話をしたのだ。

「ちょっと、なんで太一が泣くのよ」

 太一を見ると、彼は顔を歪めて涙を流していた。声は上げず、彼の目からこぼれた雫が静かに頬を伝っている。

「そんな顔、一度も見せたことないくせに」

 太一は少しだけ俯いて、目を閉じた。大きな水滴が、彼の目から直接床に落ちる。

「ぼくだって嫌だよ。理子とお別れなんて」

 涙を流す太一を前に、わたしもせき止めていたものがあふれ出した。

 わたしは太一に抱きついた。彼の胸に顔をうずめる。わたしの涙と鼻水が、彼のシャツに染み込んでいくのがわかった。でも、わたしは彼の胸の中で、声を上げながら泣き続けた。涙をこらえる気なんて、もうなかった。

「あのおじいさんに頼んでよ。このまま太一を人間にしてくださいって。優しそうな人だったし、案外その通りにしてくれるよ」

「やっぱり理子はおもしろいことをいうね」

「いってない」

「それが絶対に無理だってわかってるから、こんなに苦しいんじゃん」

 太一の手がわたしの背中に伸びてきた。それから、ぎゅっと抱きしめられる。

「頼んでみないとわからないでしょ。だめもとでもいいから」

「だめもと?」

「ダメで元々って意味」

「ああ。ワンチャンってやつだね。茜から教えてもらった」

「ばか」

 涙で滲んだ視界を、白っぽい優しい光が包み込んだ。恐る恐る目を開くと、太一の身体に光が帯びていた。

「え、待って」

「そろそろかな」

「いっちゃうの?」

「そうみたい」

「嫌だ」

 太一の着ているシャツをぎゅっと握った。わたしを抱きしめる太一の力が、ふっと緩む。

「お別れだね」

「嫌だ。行かないで」

「たまにぼくのことを思い出してくれたら嬉しいな」

 わたしはぎゅっと目をつぶった。それでも、光がだんだんと強くなっていくのがわかる。わたしは、力をこめて彼を抱きしめた。じんわりと温かいけど、ちょっとずつ手応えがなくなっていく。

 太一はわたしの両肩に手をのせると、優しく引き離した。

「じゃあね」

 わたしは、肩で息をしながら、太一が発光する様を眺めていた。光はどんどん強さを増していった。だんだんと、太一の存在感が薄くなっていく。

「ぼく、理子のこと好きだった」

 太一はまっすぐとわたしを見て、そういった。

「どうして、いまさらそんなこというの」

「いまなら、恥ずかしくなかったから」

「わたしもに決まってるじゃん」

「わたしも?」

「わたしも太一のことが好きだったの」

 そういうと、太一はくすっと微笑んだ。

「嬉しい」

 目に刺さるほど、光が強くなった。

「いかないで!」

 わたしは光に飛び込んで、太一の身体に再び抱きつこうとした。しかし、すでに手応えはなかった。わたしの両手はなにも掴まずに、勢い余って前方によろめいた。

 後ろを振り返る。

 太一の姿は、もう、そこにはなかった。

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