第24話喪失①
閉店後のインターン。
太一がひとりでテーブル席について、人生ゲームを広げていた。
「それ、わたしと太一がはじめてやったゲームだね」
「うん」
空返事。太一がひとりのゲームに集中しているみたい。
わたしはお店の掃除をしていた。その間、太一はずっとひとりで人生ゲームをしていた。ルーレットを回して、止まった数字だけコマを動かす。彼はお金や株券、保険カードのやりとりもひとりでしている。
「楽しい?」
あまりに熱心な眼差しでボードと向かい合っているので、ついそう訊ねてしまった。太一はまた、うん、とまた空返事のような声を出した後で、ルーレットを回した。コマを動かして止めると、ラッキー、なんて喜んでいる。
「進みは順調なの?」
訊くと、太一は背もたれに背をあずけて、自嘲するように笑った。
「うん。でも、ひとりでやってもおもしろくないかな」
「楽しそうにやってたくせに」
「そう見えてた? でも、理子とこうやってインターンにいる時間は楽しいよ」
「また、そうやって適当なこという」
「そんなことないよ。生きるって楽しい。この人生ゲームはひとりだけど、本物の人生はひとりじゃないから」
「人生って大げさ。そもそも、人間になりたくないんじゃなかったっけ?」
「動物とか、植物も基本ひとりじゃないでしょ。生き物はみんな、だれかと一緒にいる」
彼はまたゲームに戻っていた。広大なボードにちょこんとコマである青い車がのっている。
「わたしもやる」
掃除を放り出して、わたしは太一の向かいに着いた。ピンク色の車を手に取る。
「最初からやる?」
「いい」
「ぼくはもう半分くらい進んじゃってるけど」
「本物の人生は、ゲームみたいによーいどんで、みんな一斉にスタートしないでしょ」
「でも、ゲームなんだから。それだと不利だよ」
「ゲームじゃない」
わたしはルーレットのつまみをひねった。それはカラカラと音を立てて、わたしの行き先を決める。コマを動かすと、太一から何周も遅れてわたしは職についた。サラリーマン。サラリーマンでも、具体的になんの仕事をするのだろうか、とわたしは気になった。
「ゲームじゃないなら、勝ち負けもないね」
太一がいう。
「うん」
それから順番にルーレットを回して、それぞれの小さな人生を歩んだ。勝ち負けはなくとも、止まったマスでのイベントに一喜一憂する。イベントごとに発生する細かい収支を気にして、保険には可能な限り入る。わたしたちは時間なんて忘れて、懸命にコマを進めた。
太一がルーレットを回す番。彼は一度それを回すと、コマを動かさずに続けてもう一度回した。
「あ、ずるい」
太一は手を止めない。わたしの声なんて無視で、彼はひっきりなしにカラカラ音を立てて、ルーレットのつまみをひねる。
カラカラ、カラカラと、乾いた音が絶え間なく続く。
「怖いよね」
手を動かしながら、太一がいう。
「怖い?」
「いまはこうして、わくわくした気持ちでルーレットを回せるけど。これがゲームじゃなかったら、こうやってルーレットを回せるかなって。回した結果、進んだ先でなにが起こるかわからないし。もしかしたらとても悲しいことが起こるかもしれない。自分が回す番になんて、しばらくならなければいいのにって思うこともあると思う」
太一が回るルーレットを見つめている。わたしは手を伸ばしてそれを止めて、今度はわたしがつまみをひねって回した。回しては、コマを動かし、また回しては、コマを動かす。
太一はふと立ち上がると、自分の手持ちのお金やカード、コマを片付けた。
「掃除、代わりにやっておくよ」
「うん」
途中だったお店の掃除は太一に任せて、わたしはそれからもしばらくひとりの人生ゲームを続けた。
結局その日インターンを出た頃には、明け方近くになっていた。
「前職を退職されてしばらく経っているみたいですが、今はいかがしてお過ごしですか?」
小型の会議室に案内されてお互い向かい合って席に着くと、採用担当の方から最初にそう質問された。それを聞いて、吉野さんのいう通りだ、とわたしは少し感動した。
吉野さんと初めて採用面接の練習をしたとき、彼女は白紙の履歴書をわたしに見せながら、こういっていた。
「面接はほとんどの場合、まず履歴書に沿って進行していきます。履歴書を見ると、名前、年齢、住所、略歴と続きますよね。履歴書のデータは前もってこちらから先方に送っていますから、面接でもこれと同じものが資料として使われることになります。そうなると最初にポイントになるのが略歴。しかも田ノ浦さんにはブランクがあるので、おそらくここをつっこまれる可能性が高いでしょう」
「ブランク、ってなんですか?」
「前職を退職されてから、いままでのことです」
「なるほど」
つまりわたしに置き換えると、太一に拾われてからインターンの手伝いをしていた期間ということになる。
吉野さんからのアドバイスによると、この空白期間になにをして過ごしていたかが転職においてかなり重要になるらしい。それ次第でその人に長く働く意思があるのかどうかを、判断されるのだそうだ。ただ将来なんて考えずに、ぼんやりと無職期間を過ごしていてはだめ。ちゃんと次のキャリアに備えた勉強をしたり、起業してみたり、世界一周したりと、空白期間は自分の人生において必要な一コマであったことをアピールしないといけない。
だから、わたしはこの質問に対する答えを入念に準備していた。幸いわたしは、ブランクの間、ただぼんやり過ごしていたわけではなかった。話をしようと思えば、いくらでもできた。わたしの空白は、それほど濃密な経験に満ちていた。
でも、いざ本番の面接となると、緊張のあまり頭が真っ白になって、うまく言葉が出てこなかった。
「……知り合いのお店を手伝っています」
「それは、どんなお店を」
「ボードゲームカフェです」
わたしの目の前にいるのは、三十代に差し掛かったかくらいの男性だった。初めて対面したときは、採用担当の久保です、とにこやかに自己紹介してくれたのに、面接が始まるやいなや、途端に表情が険しくなり、わたしはそれに混乱してか緊張が急にこみ上げてきた。
その久保さんの顔が、やや斜めにかたむく。
「それは、どういったお店なんですか?」
どうやら彼はボードゲームカフェを知らないみたいだった。でも、無理もないと思った。わたしだって太一にお店まで連れられる前までは、その存在を知らなかった。
わたしはボードゲームカフェについて話した。お店の形態から、業務内容。そこにはたくさんのボードゲームがあり、たくさんのお客さんがくる。話し始めると言葉が淀みなく出てきた。わたしのブランクは、三十分の面接で収まる内容ではなかった。
でも面接が終わって思い返すと、わたしの話のほとんどは、ただの思い出話だったことに気づいた。しかもそれには、太一と過ごしたとても個人的な思い出も含まれていた。太一が仕事をせずお客さんとゲームばかりしていたとか、太一が女の人から人気だったから、それ目当てのお客さんがたくさんきたとか。吉野さんとした面接の練習ではほとんど太一の話はしなかったのに、本番の面接ではほとんどが彼の話になってしまった。
帰りの電車に乗ると、緊張から解放されてか、どっと疲れが出た。普段なら避ける両隣が男の人に囲まれた空席にも、迷わず腰掛けた。ちょっときつかったけど、次の駅で右側の人が席を立って、電車から降りて行った。空席になった右側のひとつ向こうのシートも空いていたから、ひとつ右にずれようかと悩んでいると、新しい人がわたしの右側に座った。
目を閉じて、ため息をつく。やっと一歩を踏み出せたのだという実感が、じわりと身体を熱くさせた。
わたしは採用面接を受けた。
別に大きな決断をしたというような、大げさなものではなかった。いつもと同じように約束の十五分前にオフィスのあるビルに着き、入り口の前でその建物を見上げた。それからは面接のシミュレーション。時間が近づいても頭が真っ白にならずに、五分前になると、自然と身体が動いて建物の中に入れた。エレベーターに乗ってオフィスのある階までいき、内線で担当の人を呼ぶ。面接でのやり取りは緊張したけど、その他の場面では自分でも驚くほど落ち着いていた。
終わってみれば、呆気ないものだった。面接を受けるだけのことに、なにをこんなに怖がっていんだと、不思議に思う。
でも、ビルを出ると、いつもよりちょっとだけ景色が違って見える気がした。向かいからやってくる人がおしゃれだったり、ビルの上にある大きい看板がわたしが登録している転職エージェントのものであるのにも気づいた。新宿の喧騒も、よりクリアに耳に入ってくる。ずっと胸にあったつっかえが、すっと取れたようだった。
電車に揺られていると、ビルの隙間から覗く夕日が、度々わたしの顔を照らした。お店が賑わう時間だ。インターンに戻るのが楽しみだった。面接の内容や、わたしの失敗を早く太一に話したい。
お土産でも買って帰ろうかと考えていたのに、駅に着くと、まっすぐインターンに向かっていた。思い出した頃には、もうお店のすぐ近くまできてしまっていた。
しかし、わたしは入り口の前で一度立ち止まることになった。
『Close』
ドアには、そう書かれたプレートが下げられていた。ちょっとした買い物にでも出ているのかなと思いながらも、恐る恐るドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。
「おかえり」
お店に入ると、カウンターの向こうに太一が立っていた。しんと静まり返っていて、お客さんの姿はない。
「……ただいま」
バーカウンターに座る、後ろ姿があった。その人は振り返りわたしと目を合わせると、わずかに頭を下げてきた。真っ黒のスーツに、フェルト生地のハットをかぶっている。このお店では見ないタイプの年配の男性。わたしは彼から目を離さずに、わずかに頭を動かした。
「お店、閉めてるの?」
「うん」
「このかたは?」
そう訊いても、太一は気まずそうに口を閉ざしていた。なんだか訳ありみたいだった。彼がなかなかしゃべろうとしないところを見ていると、ああなるほど、とこの状況がなにを意味しているのかがわかってきた。
とうとう、このときがやってきた。
このスーツのおじいさんは、きっと太一を迎えにきたのだ。
「理子も一緒にやろうよ」
太一がいった。
カウンターテーブルには人生ゲームが広がっていた。すでにお金が散らばっているところを見ると、太一とこのおじいさんとで遊んでいたようだ。
「隣、どうですか?」
おじいさんはちょっとだけしゃがれた声で、わたしにいった。
「これ、ぼくと理子が初めて二人でやったゲームなんです」
太一がおじいさんにいう。
「思い出ってわけだ」
そういって、おじいさんは人の良さそうな笑みを見せた。
おじいさんの隣に座り、彼の顔を間近で目にすると、わずかに白い髭が生えているのがわかった。目元には立派な皺が刻まれている。それは木の年輪のように、人生の歴史を感じさせた。
わたしはピンク色のコマをとると、ふたりのゲームに参加した。
おじいさんの駒を動かしたり、お金を数えたりする手つきがいちいちゆっくりで、彼の番だけ時間がスローに進んでいるみたいだった。でも、ルーレットを回す力だけはやたら強くて、なかなか止まらない。回転するルーレットを嬉しそうに眺めているおじいさんを見ていると、わたしは中学生のときにボランティアで訪れた老人ホームでのことを思い出して、和やかな気持ちになった。
「字が小さくてよく見えんなあ」
おじいさんは目を細めて、コマを止めたマスに顔を近づける。
「携帯電話を失くしたみたいです。二千円払ってください」
「嘘じゃないだろうね。本当はお金をもらえるんじゃないか?」
「まさか」
「君、本当なのか?」
「……はい」
「まったく」
おじいさんはしぶしぶといった動作で、お金を脇に置く。
「老眼鏡が必要ですね」
「そうだなあ。今度こっちにくるときは、頼んでみるか」
ふたりが会話をしている様子は親子、いや、おじいちゃんと孫のようだ。穏やかで、どこか優しい。わたしが間に入る隙は見つからない。
「すまんなあ」
しばらく黙々とゲームを続けていると、おじいさんはため息交じりにそういった。
「なにがですか?」
「お前に無理やりこんなことをさせることになって」
こんなこと。
ニンゲンインターンのことだろうか。
「あなたが謝ることじゃないじゃないですか」
「そうなんだけど。そうすると誰が悪いってわけでもないんだ。巡り合わせの問題だから」
「承知しています」
「だけど、君にとっては結果的によかったんじゃないか。人間としてここにきたおかげで、人間に生まれ変わらずに済むのだから」
ルーレットが止まった。針の止まった数だけ、おじいさんはコマを動かす。
「ちょっと待ってください」
わたしは顔を上げて、隣に座るおじいさんに目をやった。
「人間に生まれ変わらないって、どういうことですか?」
「言葉通りじゃが」
「太一、本当なの?」
太一は感情を押し殺したような表情で、ボードを見つめていた。
「うん」
「このおじいさんが決めたの?」
「わしにそんな権限はない。天界が決めたんじゃよ」
「なんでなんですか。なんで、太一は人間にならないんですか」
「それはお嬢さんもよくわかっているんじゃないか」
テーブルの上に置いていたわたしのスマホが、ピロンッと音を上げた。無視することもできたけど、二人の注意がそれに向いたので、わたしは画面を見た。メールがきたみたいだった。
わたしはおじいさんに、なおも太一のことを問い詰めようとした。でも、見なさい、という一言が返ってきた。メールを確認しろ、といっているのだろう。
メールは転職エージェントからだった。
『……この度は非常に残念ながら、採用を見送らせていただく結果となりました。』
わたしは画面を裏にしてスマホを置いた。その日の面接の結果だった。エージェントを通して、企業から送られてきたのだ。
「理子、なにかあったの?」
「なんでもない」
「でも……」
「なに?」
「泣いてる」
「え?」
自覚はなかったけど、頬をさすると手のひらが濡れた。
「泣いてない」
その言葉はただの強がりで、涙はぼろぼろと頬を伝う。
「ぼくは理子のおかげで、ニンゲンにならずに済むんだよ。そんな顔見せないで、もっと喜んでよ」
「喜べるはずないじゃん」
「どうして」
「落とされたの」
「落とされた?」
ずっ、と鼻をすする。
「今日、面接だったの。その結果がもうメールで届いて。採用を見送るだって。わたしはいらない人間だって、そういわれたの」
涙が止まらなかった。呼吸をするときに、ひっ、と声を上げてしまった。人前でこんなに派手に泣くなんて恥ずかしいと思ったけど、もう自分ではコントロールできない。
「二人にしてもらえますか?」
太一がおじいさんにいう。
「残りの時間は、わずかじゃよ」
「わかっています。最後はこの人とふたりで話がしたいんです」
おじいさんは、む、と鼻を鳴らした。
「わかった。じゃあ、わしは先にいく」
「はい」
「じゃあ、後ほど」
おじいさんはハットをちょっとだけ浮かせて、わたしと太一に一礼した。
すると、目の前にぱあっと淡い光が広がった。思わず目を細める。その光は、おじいさんの身体から発されていたものだった。おじいさんの肌や身につけているものが、すみずみまで発光していた。
まわりにある細かい塵やホコリが光を反射して、いろんな色が視界に散らばる。赤、オレンジ、黄、黄緑、緑、青、紫。その信じられないけど美しい光景に、光に目が慣れると、わたしは見惚れた。
「なにこれ……」
「天界への扉が開いたんだよ」
光が一層強さを増して、わたしはその眩しさに目をつぶった。光が消えた感じがして目を開くと、目の前にいたはずのおじいさんの姿は、もうそこにはなかった。
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