第23話私たち11

 星空が見たい。

 行き先なんてなかったけど、わたしのその一言で、目的地が決まった。

スマホでできるだけ都内から近く、星空が綺麗なスポットを検索する。検索欄の一番上に、奥多摩湖、という場所がヒットした。

「住所、東京だよ」

「ナビの目的地に登録したら、到着時間出てくるんじゃない?」

茜の指示に従って、不慣れな操作で、わたしはナビに目的地を入れた。すると、到着まで三時間と表示された。ちょっと遠い。他のナビだともう少し短いかもと思って、スマホの地図アプリで調べた。でも、結果は同じだった。

「帰りもあるし、そんな長い時間の運転、大変だよね」

「余裕」

 わたしは免許を持っていない。だから、運転は茜ひとりに任せることになる。茜の体力を気遣ったけど、彼女からはそんな頼もしい一言が返ってきた。

それで、わたしたちは奥多摩湖に向かうことに決めた。

 車を走らせて十分もすると、秋人の態度から不機嫌な様子は消えていた。見知らぬ道に興味があるのか、ずっと外の景色を眺めている。わたしも茜のスマホにつないで流れるポップスに、身を委ねた。

「腹減った!」

 しばらくおとなしかったから安心していたものの、突然、秋人はそう主張し始めた。時刻は昼過ぎ。午前中に目覚めて食パンを一枚かじったきり、なにもお腹に入れていないらしい。

「我慢できないの?」

「うん」

即答される。

そこのコンビニ入ろうよ、と元気な声が飛んできた。前を見ると、少し先にコンビニの看板が見えた。でも茜の運転する車は、速度を緩めることなく、そこを過ぎ去ってしまった。

 えぇ、と落胆の声が上がる。

「聞いてなかったのかよ」

「聞いてたよ。コンビニ行きたいんでしょ?」

「じゃあ、なんで行かせてくれないんだよ。いま金持ってないけど、それは理子さんたちのせいだし。後でちゃんと払うから」

 またコンビニが現れる。でも、茜はまたしてもスルーした。

「もしかして、これって虐待?」

 わめいていた秋人は、一転、不安げにいう。

「ねえ、茜。コンビニくらい、行かせてあげようよ。わたしもお腹すいたし」

「だめ」

「どうして?」

「駐車場が狭かった」

 どうやら、茜は駐車が苦手みたいだった。車は大通り沿いを走っていて、どのコンビニも、駐車スペースは車三台が停まるほどしかなかった気がする。そんな狭いところに車を停められないと、茜はいった。

 秋人の文句は止まらず、わたしたちは駐車スペースが広いコンビニに入ろうと、しばらくそれを探した。けど、ずっと都内を走っていたせいかなかなか見つからなかった。

「ねえ、腹もう限界。そっちの都合で誘拐したんだから、その辺も責任もてよ」

「もう。わかったよ」

 秋人があまりにうるさいから、次見つけた駐車場つきのコンビニに入ることに決めた。

コンビニ自体はあちこちにあった。だから、すぐにその看板を見つけ、茜は、えいっ、とハンドルを回し、思い切って車を入れた。

駐車スペースは一箇所だけ空いていた。茜は、両隣に車が停めてある状態で駐車をしたことがないらしい。でも、無理やり挑戦してもらう。

「やばい、やばい。ぶつかるよ」

 バックにした途端、秋人が声を上げた。茜の運転スキルは彼女が打ち明けた通りで、案の定、茜は不器用に車を動かした。ドライブとリバースを何度も切り替えて車を動かしたけど、車はなかなか駐車スペースに収まりそうにない。

 もう、諦めるしかないか。と、思ったけど、車道に戻るのも難しいほど、車はおかしな方向を向いている。

 どうするの、これ……。

途方に暮れていると、それを見かねたトラックのおじさんが、わざわざ外に出てきて、誘導してくれた。そのおかげで無事車を停められ、三人そろって頭を下げた。いろんな経験をして運転できるようになるんだ、とおじさんは豪快に笑っていた。

「おやつはいくらまでですか?」

「お金は無限にあるから、好きなだけいいよ」

「俺、結構食うよ」

「子供は、食べろ、食べろ」

 コンビニに入ると、駐車場での惨事をまるで忘れたかのように、わいわいお菓子とかジュースとか菓子パンとか、カップラーメンをカゴに入れていった。

 車に戻る。茜はエンジンをかけて、れっつごー、なんて声を出して車を出発させる。バックで駐車していたので、出るのはそれほど難しくないみたいだった。

「あっつ!」

 車が車道に出てまもなく、後ろから秋人の声が聞こえてきた。

「ちょっと秋人、こぼさないでよ」

 秋人がコンビニでお湯を入れたカップラーメンを開けたようだ。匂いが車の中を満たす。わたしはすかさず窓を開けた。

「もう、ちょっとこぼれちゃったよ。てか、この揺れでこぼさない方が無理じゃない?」

「カップ麺は向こうに着いたら食べようって話だったのに」

「お湯ないじゃん」

「あ、確かに、それ考えてなかった。外でお湯沸かすってどうするんだろう」

「じゃ、耐熱容器と固形燃料をどっかで買っていこうか」

 茜の提案に、わたしと秋人はそろって、賛成、と手を挙げる。するとすぐにホームセンターが見えて、そこに寄り、必要なものを買った。併設されたスーパーでは、秋人がもう食べてしまったカップラーメンを買い直し、茜は眠気さましのガムと追加のお菓子を買い込んだ。ひっきりなしにお菓子を口に運ぶ茜に、大人はいいよな、と秋人がつぶやく。すると、はやく大人になりな、と茜は得意げにいった。

 車は郊外地を抜けて、まわりの景色が閑散としてきた。日も傾いてきて、車のライトがぽつぽつと灯る。のどかな風景を眺めていると、脳内にこびりついた雑多な考えが浄化されていくようだった。

 ナビに導かれたわたしたちの乗る車は、だんだんと山道に入っていった。すると周りを走る車や人の姿が途端に見えなくなった。あたりもだんだんと暗くなり、なんだか寂しい気持ちになってくる。

「ほんとにこの道であってんの?」

 茜がいう。彼女もまわりの景色に不安がっているみたいだ。

「うーん、わからない。でも、ナビのいう通りには進んでるけどね」

「なら、大丈夫か」

 ナビは神様、と茜がいうと、秋人が鼻で笑うように、ふっと声を漏らした。

「なによ」

「いや、なんでもない」

「文句があるなら、遠慮なくいいなよ」

「いやあ。将来どんな判断もしてくれるAIができたら、人間はこうやってなんでもいうこと聞くんだろうなと思って。よくわからないし不安だけど、AIがいってるんだから正しいかって」

「なんでもは聞かないでしょ」

 わたしが口を挟む。

「自分で判断するより、AIに決めてもらった方が正しいってわかってるのに?」

「そういう未来が嫌なの?」

 茜が訊くと、いや、と秋人が否定した。

「でもさ。歴史を振り返ると、せっかく人間みんなで物事を考えて世の中をつくっていこうって時代になったのに、神様っていうか、だれかのいうことに従う世界に逆戻りするってことだよね。ま、なにが正しいかなんて誰にもわからないんだけど」

 投げ捨てるような口調だった。

「あんた、賢いこというね。そりゃ、中学校なんて行ってらんないわ」

 茜がフロントミラーに目をやりながらいう。

「あ、これは太一さんがいってたことだから、俺の考えじゃないよ。でも聞いたときはなるほどねって思ったから憶えてた」

 辺りはもうすっかり真っ暗になっていた。道を照らす街灯も少なく、ほぼ暗闇の道を、車のライトだけで進む。対向車がこない間はハイビームをつけていたけど、動物でも途中で飛び出してきたらどうしようか、とわたしはヒヤヒヤしていた。

 もう直ぐ目的地です、というアナウンスがナビから流れる。途中いろんなところで車を停めたせいで、予定を一時間もオーバーしていた。

車ひとつ停まっていない真っ暗闇の駐車場に入ると、茜は地面に引かれた線なんて無視して、車を停めた。

「やっと着いたけど、もう八時じゃん。これから帰っても深夜だし、これマジの誘拐だね」

 そういう秋人は楽しそうだった。でも、本当に彼のいう通りで、わたしと茜は現在進行形で、中学生を遅い時間まで連れ回すという、立派な犯罪を犯している。被害届出されたらアウトだろうね、なんて茜がいうけど、いまさらどうしようもない。もともと、楓ちゃんのインターホンで外に出てきた秋人は、スマホを持ってないらしく、家に連絡もできない。

 もう、この際、いろんな心配事は忘れよう。

車のドアを開けると、飛び出るように外に出た。長旅だったから、開放感に浸りたかった。でも、信じられないほど外の空気が冷たくて、すぐに車に戻った。

「さっむ!」

 秋人も同じように車に戻って、そう声をあげた。調べるとそのときのそこの気温は3度で、驚いた。季節はすっかり春らしい陽気になっていたけど、山の上だから寒いのだ。

春用の上着でもないよりはマシと、それを着て外に出た。寒い寒いといいながら湖に近づいたけど、明かりがほとんどなく暗すぎて、目の前に本当に巨大な湖があるのかすらわからない。

 しかし、空を見上げると、都心ではまず見られない光景が一面に広がっていた。

 無数の星。とはいえ、降ってくるようとか、砂糖をまぶしたような星空ってわけではない。たぶん、雑誌や旅行パンフレットで見るようなそんな星空は、いろんな条件が重ならないと見られないのだろう。でも、星空なんて見慣れてないわたしからすると、十分感動できる光景がそこにはあった。

「わぁ」

 茜が声を漏らす。

 少しの間、寒いって感覚も忘れて、三人で空を眺めていた。でも、さすがに耐えきれなくなって、逃げるように車の中に戻った。

「カップラーメンどうする?」

 わたしが訊く。

「寒い中であったかいもの食べるのもありかも」

茜の意見に賛成して、駐車場でお湯を沸かしてカップラーメンに注ぐ。その後、再び湖のもとへいった。さっむ、あっつ、と三人でいいながら、ラーメンをすすった。本当に寒かった。でも、同時に温かかった。

「え、そこに捨てていいの?」

秋人がそういうので顔を上げると、茜がカップラーメンの残り汁を湖に捨てていた。

「うん」

「だめだと思うけど。茜さんって、ちょいちょい育ち悪いことするよね」

「秋人って、ちょいちょいまともなこというよね。腹立つ」

「わたしもこれ全部飲むのは無理かも」

 そういって、わたしも茜と同じように、残り汁を湖に流した。秋人は引いていたけど、悪い大人でごめんね、と悪びれもせずいって、秋人の脇をつつく。俺も悪い大人になっちゃうよ、なんて声を上げながら彼は逃げていく。じゃれ合うように、わたしはその後を追った。

「理子、ごめん!」

 突然、茜の声がしてわたしは足を止めた。振り向くと、彼女は柵に手をかけて湖と向かい合っていた。

「ん?」

「わたし、昔、理子にひどいことした! てか、昔のわたし、思い出すと恥ずかしいくらい最低だった!」

 気づけば秋人がわたしの隣にいた。ふたり並んで、湖に向かって叫ぶ茜を見る。そんな彼女から、わたしは目が離せなかった。

「ずっと謝りたかったの。ずっと。だから、またこうして会えたときは、ほんとに嬉しかった!」

 茜の声は暗闇に溶けた。でも、わたしの胸の中では、いつまでもじんわりと響いていた。出し抜けに放たれた彼女の想いに、すうっとわたしの不幸が救われるような心地がした。

 茜はこちらに振り向くと、わたしに飛び込んできた。そして、ぎゅっと抱きしめられた。ぎゅっと、力強く。

「寒いから、車戻ろっか」

 そういうと、わたしの顔のすぐ横で、茜は首を動かした。

 無人の駐車場で、茜は何回か駐車の練習をした。それから、わたしたちは家に帰った。



 秋人がまたインターンに顔を見せるようになった。

「どうも」

 秋人が久しぶりにお店にきたとき、彼はまるで空白の期間なんてなかったかのような自然な感じで、特等席であるカウンターについていた。椅子に腰掛けると、両手の指をパキパキと鳴らして、ぐーんと背筋を伸ばす。その後で、ふっと息を吐いてから、ノートパソコンを広げた。その一連の流れが相変わらずで、わたしはすぐに彼のブランクを忘れてしまうくらいだった。

でもその日、彼の様子に前とは違っているところがひとつだけあった。そのときの彼はなにやら大きな手提げ袋を手にして、お店にやってきていた。その袋をそっと床に置いては、痛みをとるみたいにそれを持っていた方の腕を動かしていたので、なにやら重いものを運んできたようだった。

 わたしと太一は黙りながらも、その中身を気にしていた。秋人はパソコンを起動させると、その袋に手をかけた。

 中からはテレビが出てきた。

「テレビ見るの?」

 意外なものの登場に、ついわたしは口を開いてしまった。

「あ、これモニター。PCの画面ひとつじゃ不便だから」

 どうやらそのテレビは、パソコンの画面を映すためのものみたいだった。コードを手にして、電源ある? という秋人に、太一は延長コードを差し出す。手提げ袋にはモニター以外にも、キーボードとか、ノートパソコンを載せる台とか、人間工学によってデザインされたという歪な形をしたマウスも出てきた。カウンター席にそれらが置かれると、もう立派な秋人の仕事スペースが完成していた。どうやら、彼はしばらくここに居座る気でいるらしかった。

 秋人がパソコンをカタカタし始めると、太一がコーヒーを入れて、カウンター席に置く。その後で砂糖とミルクもとると、秋人が手のひらを太一に向けた。

「このまま飲んでみよっかな」

「ブラックで?」

「うん」

 秋人がおそるおそるといった動作でカップに口をつけた。でも、顔をしかめると、やっぱ砂糖いる、と漏らした。甘党も相変わらずみたいだ。

 常連のお客さんも、秋人が戻って、いつもの席でパソコンをしているところを見ると落ち着くといっていた。やっとインターンに日常が戻り、お店があるべき姿に返った気がした。

 しかし、わたしが秋人の異変に気付いたのは、彼がインターンに復帰して三日も経たないくらいのことだった。彼は変わらずパソコン仕事をしているのだけど、ふと見ると、たまにお客さんがボードゲームをしているテーブル席を、ぼんやりと眺めているときがあった。

「気になるの?」

 声をかけると、秋人は我に返ったように、びくんと肩を震わせた。

「なにが」

ぶっきらぼうに訊き返してくる。

「お客さんのこと。テーブルの方見てたから」

「いいや、別に」

 秋人はすかさずパソコンの画面に目を戻した。でも、ふとしたときにまた彼を見ると、またテーブル席に向いていた。

 やっぱり、遊びたいんじゃん。

 わたしはカウンター裏にある引き戸を開けると、そこからエプロンをとり、Sサイズのものを探した。インターンのスタッフがつけるオレンジ色のエプロンだ。ストックはもう二着しかなかったけど、そのひとつがSサイズだった。わたしはそれを持ち出すと、秋人に渡した。

「なに、また手伝い?」

「人手は足りてるから、それは大丈夫なんだけど」

「じゃあ、なんで?」

「それつけてれば、お客さんとゲームしやすいでしょ?」

「どういうことだよ」

「秋人、お客さんのゲームに混じりたいのかと思って」

「なんで、俺がそんなこと」

「お客さんのゲームに混じるコツは、三人でゲームをしてるお客さんに、それ四人のほうが面白いんですよ、っていうこと。お客さんが嫌がってない雰囲気だったら、ぼくも一緒に入ってもいいですか、って訊いて混じっちゃえばいいの」

 しかめ面をしていた秋人だったけど、わたしがそういうと、ふっと笑みを漏らした。

「別にそんなことしたくないし」

 といいつつも、秋人はエプロンを突き返してくることはなく、彼のパソコンの脇に置いた。

 ちょっと理子、と太一に呼ばれた。アルコール消毒液がなくなったということで、おつかいを頼まれた。それでわたしは薄手のコートを羽織ると、駅前に向かった。目当てのものはすぐに見つかった。

インターンに戻ると、カウンターに秋人の姿がなくなっていた。帰ったのかと思ったら、彼はテーブル席でお客さんとボードゲームをしていた。わたしが渡したエプロンは、ちゃんと身につけられていた。

「なんだよ」

 わたしはアルコール消毒液の封を切って入り口付近に置くと、しばらく秋人の様子を眺めていた。

 やたら物の多い秋人のお仕事スペースは、無人になると、まるで蝉のぬけがらみたいだった。

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