第22話私たち⑩


 秋人救出作戦の話がもちあがったのは、ちょうど桜が満開を迎えたころだった。

「あの中学生、なにかあったみたいじゃん」

 インターンの閉店後。例のごとくわたしの部屋にいた茜が、なんでもない世間話をするように訊いてきた。

「秋人のこと?」

「そう。よくくる中学生の女の子たちいるじゃん? その子たち、あいつの同級生なんでしょ?」

 楓ちゃんと、里穂ちゃんのことだ。ふたりは友達を連れて、よくインターンに遊びにきている。その日もお店に顔を見せていて、昼間、茜はその中学生グループに混じってゲームをしていた。

「なにか聞いたの?」

「いや。でも、理子が知ってるっていってた」

「それは、そうなんだけど……」

「なにがあったの?」

 最初こそごにょごにょいって濁そうとしたけど、問い詰められると、わたしは黙っておくことができなかった。それで、ナイフ事件も含めて、茜に秋人が学校で起こしたことのすべてを話した。

「なにそれ。めっちゃウケるじゃん」

秋人の過去を知った茜の反応は、わたしとは違っていた。

 茜はお腹をおさえて笑っていた。明らかに秋人の行動を面白がっている。

「やばいでしょ。友達にナイフ向けたんだよ」

「でも刺さなかったし、振り回しもしなかった。相当むかついただろうから、もうちょっとバカにしてきたやつらをおどかしてもよかったのにね」

「おどかすって。暴力的なことはだめでしょ」

「もはや暴力に頼るしかなかったんだよ。教師とか、群れて面倒な絡みしてくるやつらなんて、どうせ口でいってもわからないんだから。ナイフでも、チェーンソーでもなんでも振り回して、うるせー好きにさせろって叫んじゃえばよかったんだって」

 茜は一通り笑い終えると、はあ、と疲れたようにため息をついた。その後で、遠い目をして、窓の外を見た。

「懐かしいね」

「ん?」

「中学生だって。わたしたちは、もう十年も前のことになるんだよね」

「……そうだね」

 茜が、自分たちの中学時代を思い出させるようなことをいう。でも、わたしたちの当時は、懐かしんで美化されるようなものではない。

 茜は、十年か、とつぶやく。

「あれから十年経ったんだね、なんてセリフ、まだまだいうことないと思ってた。わたしも理子も、それくらい歳とったってことか。なんか、悲しいな」

 感傷的な茜の言葉に、返事はしなかった。でも、彼女のいうことはよくわかった。

 ここまで歳をとってしまったことが、悲しい。

「ねえ、おぼえてる? わたしが初めて理子ん家いったの。あれ、中学三年のときだよね」

「そんなことあったっけ?」

「忘れたか。まあ、一瞬だったもんね。わたしが遊びに誘って、断られた。それだけ」

「ああ」

 思い出した。でも、それは本当に些細な出来事だった。

 それは三年生に進学したばかり、まだ四月か、五月のことだ。

 わたしが部屋で勉強をしていると、窓にこつん、こつんとなにかが当たる音がした。

わたしの家はアパートの二階にあった。カーテンを開けて外を見下ろすと、茜がいた。彼女が小さな石を投げて、窓にぶつけていた。そのとき茜は、わたしが携帯電話を持っていないことに文句を漏らしていた気がする。

 これから友達と集まるから一緒に行こうと誘われた。そこには高校生もいて、バイクにも乗せてもらえるから楽しいと。時間はすでに夜の八時を過ぎていた。

 不良の夜遊びに付き合えるわけがないと、わたしは当たり前のように断った。茜は、そう、と一言いうと、すぐに去っていった。

 それだけのこと。

 でも、それだけのことを茜はおぼえていた。

「思い出した?」

「窓に石投げてきて、夜遊びに誘われた」

「そうそう。そういえばあのとき、せっかく誘ってやったのに断りやがって、ってひとりで結構怒ってたんだよね。でも普通に考えたら、真面目でおとなしかった理子が、そんな悪さばっかりの誘いにのってくるわけなかったよね」

「うん。あのときの茜は、別世界の人だと思ってた」

「別世界というか、ほんとバカなことしてた。でも、それがかっこいいとか、イケてるって思ってたんだよなー。中学生のわたしは」

 わたしへのいじめが始まったのが、確か夏休みが明けてまもなくのころ。このときは、まだわたしはクラスメートから嫌がらせを受けていなかった。

 この流れで、わたしが茜にひどいことをされていた話に触れられるのだろうかと思った。その話題はずっと避けてきた。彼女とインターンで再開して、まるで友達に戻ったかのように接していたけど、まだぎくしゃくした空気はある。できればその話はしたくなかったけど、しなければ今後ずっとこのままだと思った。

話をするなら、そのときだった。勢いで、乗り切れる気がした。

でも、茜の口からは、まるっきり別の話が飛び出してきた。

「あの中学生を救おう」

「え? 中学生?」

「秋人」

 茜はニヤリとわたしを見た。

「あいつ、このまま家に引きこもってたら、十年後後悔すると思うんだよね。あのときもうちょっと素直になって、まわりの人とうまく付き合ってたらなって」

 茜はそういうと、お得意のウィンクを見せた。

「どうして、茜がそんなことするの」

「別にいいでしょ。困ってる人がいたら、助ける」

「茜、秋人のこと面白がってるでしょ?」

「そんなことないよ」

 茜は白々しくいうも、ニヤニヤした口元が隠せていない。図星だ。

「でも、救うって、どうやって?」

「とりあえず、外に連れ出して、話を聞いてあげる?」

「秋人、そんなこと望んでるかな」

「まあ、望んでなんかないだろうね。無理やり外に引っ張り出したら、うざいとかいわれて、もしかしたらわたしたちも刃物を向けられるかも」

「じゃあ、そっとしておいた方がいいと思うけど」

「いや、放ってなんかおかない。絶対、あいつのためになるから」

 それからは、茜は勝手に秋人を外に連れ出す計画を考え始めた。ひとりで、ああしようか、こうしようか、とぶつぶつつぶやく。しばらくそんな彼女を眺めていたけど、いつの間にか、わたしも彼女の話に参加をしていた。

「秋人が外に出たところを、頭に布袋をかぶせて車に乗せるとか?」

 わたしがいうと、茜は吹き出した。

「いいね。やっちゃうか」

「それかドラマみたいに、後ろからなんか薬をつけたハンカチで鼻と口を覆うとか」

「クロロホルムってやつだっけ。でも、あれ実際にやっても気絶なんてしないらしいよ。まあ、そもそもどうやって手に入れるんだって話だけど」

「そうだね」

 しばらく、案を出し合っていた。どれも現実的でないものばかりだったけど、そんな時間が楽しかった。茜の色仕掛けで外に誘い出すとか、自宅ごと爆発させてしまうとか、くだらない妄想を膨らませては、ふたりで盛り上がった。

 そうこうしているうちに、夜が明けた。淡い光に包まれ出す外の景色を見て、わたしたちバカみたいだね、といって笑いあった。そうして、なかば投げやりみたいな感じで、妹の愛ちゃんをつかって、秋人を車に誘導するという、ろくでもない案を実行することに決まった。

 そして、それはどうやら成功したみたいだった。


 秋人には愛ちゃんが誘拐されたと嘘をついて、レンタルした車に乗ってもらう。彼が乗った状態で車を出発させてしまえば、もうこっちのものだ。

「なんか張り込みみたい」

 車の助席に座っていたわたしは、そんなことをいった。

隣の運転席には茜がいる。

「これはもう立派な張り込みだよ」

「ホシはまだ出てきませんね」

「なに、刑事ごっこ?」

「こういうときって、あんぱんと牛乳が欲しくなるね」

「なんか昭和の感覚っぽい」

 茜は後ろの席に目を向けた。そこには首を傾げた楓ちゃんがいる。

 わたしたちはレンタカーで借りた軽自動車に乗っていた。車は、秋人の自宅の玄関が見えるところに停めている。

 しばらく外を監視していると、ランドセルを背負った愛ちゃんがやってきた。学校帰りだ。わたしたちはこの時間を待っていた。

楓ちゃんが車から降りると、こっちこっち、と藍ちゃんを手招きする。それを見た愛ちゃんは、顎を軽く引いてから、こちらにやってきた。

「これからの流れはわかってる?」

 後ろのシートで、楓ちゃんがいう。愛ちゃんは緊張した面持ちで頷いた。

「ほんとにうまくいくのかな?」

 つい、わたしは弱気な声を上げてしまう。

「これ以上いい案が思いつかなかったんだから、やるしかないでしょ」

「うん。そうだね」

「じゃあ、わたしたちはシートの下に隠れちゃうから。後はよろしくね」

 茜がフロントミラーに目を向けながら、後ろのふたりにそう声をかける。そして、わたしと茜は外から見られないよう、身をかがめてシートの足元に身を潜めた。

楓ちゃんが深呼吸をひとつして、車から降りて行く。予定では彼女が自宅のインターホンを押して、秋人を呼び出すことになっている。この時間、お母さんが家にいないことは、前もって確認済みだ。

しばらくして、予定通りの声が聞こえてきた。

「あ、愛ちゃんが誘拐されて……。その、あの車の中に、連れて行かれた!」

 楓ちゃんの大きな声は、車の中にも聞こえてきた。無事、秋人を呼び出せたのだろう。そこまでは成功だけど、楓ちゃんの声は芝居がかっていて、だいぶ固い。

でも、まあそうなるよね、とわたしは思った。普通の中学生に演技なんてさせているこっちがどうかしているのだ。へんてこなことをいわれ、たぶん秋人は白けた顔をしているはず。

 でも、こちらへ駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。

「おい、大丈夫か?」

 秋人の声。その後で、窓をコツコツと叩く音もした。どうやら、計画はうまくいっているみたいだった。というか、こんな演出にひっかかるなんて、秋人って意外とアホなのかな。

「出てこれるか?」

「……動けない」

 後部シートに座る愛ちゃんは、緊迫感のある声を出す。外にいる秋人には聞こえていないだろうけど、意外と上手。

 ぼっ、と鈍い音を立てて、後ろのドアが開かれる。鍵はかけていないから、秋人が外から開けたのだ。

「動けるか?」

 愛ちゃんが動かないから、秋人が車の中に入ってきた。

 いまだよ、楓ちゃん!

 心の中でそう叫ぶのと同時に、ガチャっと秋人が開けたドアが閉められる。窓から外を覗かせると、楓ちゃんがドアを閉めてくれたことがわかった。

「愛ちゃん、外出て!」

 運転席に座った茜がそういって、ブウゥーン、とエンジンがかける。

 愛ちゃんが外に出て行くと、後部シートにひとり残された秋人は、状況が飲み込めていないようで、きょとんとしていた。

「いっくよー」

 茜が声を上げると、車が動き出した。

我に返った秋人は、ふと思い出したようにドアを開けようとした。けど、茜が内側からロックをかけるのを忘れていなかった。

「ひぃやっほー」

ハンドルを握る茜が叫んだ。わたしも、いえーぃ、と声をあげる。 

予定通り、すべてがうまくいった。まだ、胸のドキドキが収まらない。

 後ろでは、秋人がまだドアを開けようとガチャガチャやっていた。でも、開かない。やがて秋人は観念して、シートに寄りかかってわたしを睨んできた。

「どういうつもりだよ」

「ごめんね。どうしても秋人と会いたくて」

「こんなの誘拐じゃん」

「だね」

 暴れ出したらどうしようと心配していたけど、意外にも秋人はおとなしくしていた。

 茜の運転する車は当てもなく、ただまっすぐと国道を走った。

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