第20話私たち⑧

「ありがとう」

 駅までの道中。黙っていると、そう茜からいわれた。

「ん、なに?」

「聞こえてたでしょ。何度もいわせないでよ」

「ありがとう、って。わたし、そういわれるようなことしたかな」

「誕生日パーティ誘ってくれて、ありがとう、ってこと」

「それは、太一が誘えっていったから」

「まあ、そうなんだけど。理子がうちのマンションにきてくれたとき、正直、嬉しかったんだよね。あの後、友達とご飯行って、ボーリングしてたんだけど。ああ、あのまま理子と一緒にインターンに遊びに行けばよかったって、後悔してた」

「へえ」

 繁華街からひとつ外れた、人通りの少ない道。正面から吹いた風が薄いコートの裾を揺らした。最近暖かくなったせいか、なんだか気持ちがざわつく。

 こうして茜とふたりで歩くなんて、いつぶりだろうかと思った。もしかしたら、小学生のとき以来かもしれない。あのときは、学校帰り、毎日のようにこうして歩いた。どんな話をしていたのかは憶えていないけど、その時間はとても心地よかった気がする。

 茜が仕事をやめた理由はわからない。もしかしたら、わたしがその理由を訊いてくるのを彼女は待っているのだろうか。そのために、茜はふたりきりの時間をつくったのかもしれない。

 でも、意地が邪魔して、わたしは茜に声をかけることができなかった。なにかあったの? と一言、口にするだけでいい。でも、それができない。茜なんかを心配してたまるか、と頑なになっている自分がいる。

 そうしていると、もう駅に到着してしまった。駅の白い蛍光灯の光が眩しい。あちこちに人の姿があるところでは、言葉を交わし合う雰囲気ではなかった。そもそも、静かな道をふたりで歩いていても、ほとんど会話はなかったのだけど。

「ここまできてくれて、ありがとう」

 エスカレーターを上り、改札が見えたところで茜がいった。

「ううん。わたしも話できてよかった」

「じゃあ、また」

「うん」

 茜はわたしに背を向けた。けど、改札の手前で振り返った。

「安心して」

「ん?」

「キス」

 そういうと、茜はいつものいたずらっぽい表情を取り戻して、にやりとした。

「太一くんとわたしのキス、見たんでしょ?」

「あ、それは、その……」

 突然その話をされ、戸惑う。てっきり、それについてはもう闇に葬られたのかと思っていた。

「あれ、未遂だから」

「え、み、みすい?」

「なに、その反応〜」

 茜は取り乱すわたしを茶化すようにいった。

「未遂って、キス、してないってこと?」

「うん」

「ってことは……。え、どういうこと?」

 全然頭が追いつかない。そんなわたしに、茜はへへっと笑みを漏らした。

「理子にいたずらしようと思ったの」

「わたしに、いたずら?」

 ますます、わからない。

「あの日ね、閉店までインターンにいたんだけど。もう出ようかってときに太一くんのスマホが鳴って、理子がもうすぐ帰ってくるっていうから。じゃあ、キスでも見せつけてやろうかって、魔がさしてね。お店の中からエレベーターが止まった音が聞こえるでしょ? だから、おそらく理子が乗ったエレベーターが止まったなって思ったタイミングで、太一くんに迫ったの。もちろん寸前で止めるつもりで」

「じゃあ、わたしが見たのは、キスする振りだったってこと?」

「うん。まあ、寸止めしなくても、太一くんには顔背けられちゃったんだけど」

「ふうん」

 納得した反応を見せたけど、やっぱり頭が追いつかない。実際にはキスをしていないといわれても、まだまだ聞きたいことが山ほどある。

 もたもたしていると、じゃあそういうことだから、と茜は改札の向こうに行ってしまった。

 茜が離れて行く。このまま別れたら、もう彼女とはしばらく会えない気がした。

「どうして!」

 わたしは大きな声を出して、彼女を引き止めた。もともと騒がしい改札口だから、多少声を張り上げてもだれも注目しない。

「どうして、そんなこと?」

 こちらに振り向いた茜は、口を開くのをちょっと迷っているようだった。でも、ちゃんと言葉にしてくれた。

「うらやましかったの!」

 わたしが首をかしげると、茜はくしゃっとした笑顔を見せた。

「理子のことがうらやましかったんだよね。インターンで働いてる理子、なんかキラキラしてたから。それで、あんたから太一くんを取り上げたくなったの」

 それだけいうと、茜は行ってしまった。

 去っていく茜の後ろ姿を、見えなくなるまで眺めていた。彼女の髪の毛は、短くしたせいでぽんぽん弾んでいた。なんだかそれが愛おしく見えた。



 茜が店員として、インターンの一員に加わることになった。

 オレンジ色のエプロンは、すでに何着かお店に常備していたから、茜はすぐに店員の姿をしてデビューすることができた。TOSAKAと書かれたネームプレートは、業者に注文して、一週間もするとお店に届いた。

「様になるねえ」

 エプロン姿の茜に、太一がいう。

「ちょっとダサいけど。それが、逆に可愛いかな」

 お店が忙しくなる土日だけでもインターンを茜に手伝ってもらおうと太一に提案したのは、わたしだった。思いつきで口にしたことだったけど、太一からも、茜からもすぐにいいよといってもらえた。それから、話はトントン拍子に進んで、あっという間に茜のデビューに至る。

 また、一層、インターンがにぎやかになる。

 働き始めると、茜は常連のお客さんとも、すぐに打ち解けた。彼女も、お客さんとしてよくお店にきていたから、すでに顔見知りの人もいた。でも、茜のことをまったく知らなかったお客さんとも、すぐに仲良くなっていた。

茜ちゃんも一緒にゲームやろうよ、と、茜はお客さんから引っ張りだこだった。でも、一緒にテーブルを囲んだ後で、茜は強すぎると、お客さんは嘆いていた。茜にはボードゲームの才能があるらしい。それでも茜のファンは多く、お客さんの要望で、彼女は平日にお店に出ることもあった。

茜が働くようになってから、お客さんの顔ぶれにも少し変化があった。茜には、新規のお客さんをリピーターに変えてしまう力もあったみたいだ。茜のことを『茜ちゃん』が砕けて『ねーちゃん』と呼ぶ若い女性グループや、普通に『姉さん』と呼ぶ少しチャラチャラした大学生の男の人たちが、よくお店にくるようになった。でも、そんな彼女のカリスマ性を見せつけられると、どうしても、中学生の頃の彼女を思い出してしまった。それが、わたしとしてはちょっと複雑だったけど、茜は想像をはるかに超えてうまくやっていた。

茜のおかげでインターンのファンが増えて、予約はさらに取りづらくなった。茜に会うために、大学の授業サボってきましたっていってくる大学生もいた。でも、茜はそんな人たちを容赦なく叱り、突き返した。

「明日、お店休みなんでしょ?」

 とある勤務中、茜からそう声がかかった。

「うん」

「ふたりで遊びにいこうか」

 そのときの茜は、なにかを企んだような、含みのある笑みを浮かべていた。

「突然、どうしたの」

「なに、嫌なの?」

「そんなことないけど」

「じゃあ、十一時に新宿駅集合で。ランチしてからブラブラしよ」

 早口にそういうと、茜はお客さんのテーブルへ向かって行った。

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