第19話私たち⑦

 わたしは誕生日パーティのチラシを持ちながら、茜のマンションの前にいた。

 茜のマンションの住所は、強引な感じで太一に教えられていた。その住所をたどってやってきた先は、都内のタワマン。ニートのくせにこんなところに住んでるのかと思ったけど、不思議と嫉妬はなかった。茜は、わたしとは別世界の人間なのだ。

 しばらくマンションの前で、ぼけっと顔を上げながら、立っていた。

 どでかいエントランスに気圧され、なかなか建物の中に入れない。ポストにチラシを突っ込んで帰ってこようと思っていたけど、セキュリティががちがちみたいだし、ポストがある場所にも辿り着けない気がしてくる。

 もうチラシなんて渡さずに、帰っちゃおうか。

 せっかく電車を乗り継いでここまできたのに、諦めがよぎる。

 与えられた仕事は、できれば果たしたかった。太一には世話になりっぱなしだし、彼が望んでいる『人間の不幸』を、わたしは提供しなければいけない。それが、わたしのトラウマをえぐるようなものでも、やっぱりわたしには、それをする義務がある。

 思えば、最近はなんのストレスもなく生きてしまっていて、わたしは不幸とはかけ離れていた。それは、皮肉にも、太一のおかげなのだけど。

「あ」

 うだうだしていると、わたしの前の方でそう声がした。顔を下ろすと、茜がいた。マンションからちょうど出てきたようだ。

「あ」

 彼女を見て、わたしの口からも同じような声が漏れる。

 ここで茜と対面するなんて、まるで想定していなかった展開。完全に意表を突かれ、頭が真っ白になった。彼女を前に、どうしていいのかわからない。

「なにか、用?」

 しばらく黙っていると、茜のほうから声がかかった。

 どうしよう、どうしよう。

「あ、これ。太一が茜に渡せって」

 焦って早口にそういうと、茜の胸に押し付けるようにチラシを渡した。直接渡すなんて絶対嫌だったけど、うまい言い訳が思いつかなかった。

「じゃ」

 そういって、すぐに背中を向ける。そして、走った。

身体が、かっ、と熱くなった。自分の誕生日パーティにだれかを誘うって、こんなに恥ずかしいんだ。それも相手が茜ときているから、恥ずかしいを通り越して、屈辱。茜がチラシの内容を確認する前に、わたしはその場から消えたかった。

 太一、見てる?

 心の中で叫ぶ。これがわたしの不幸だよ。

 しかし、わたしの不幸は、こんなものではなかった。

 マンションの敷地を抜ける直前。地面についたわたし足が、突然消えてしまったような感覚が襲った。目の前の景色が、ふわりと浮かび上がる。どうして、と思ったときには、わたしは地面のアスファルトに、ほっぺをくっつけていた。

ずっこけた。

 こんなに派手に転んだのは、いつぶりだろうかってくらいに、思いっきり。

「ちょっと大丈夫?」

 顔を上げると、青い空が見えた。そこに茜が現れる。

「うん」

 手を差し出され、その助けをかりて立ち上がった。

「ほっぺ、ちょっと擦りむいてるね」

 頬を触ると、手にうっすらと血がついていた。

 わたし、かっこわる……。

 茜がくれた絆創膏を、その場でつける。

「逃げることないじゃん」

「うん」

「誕生日パーティ、やるんだ」

「太一が、茜も誘えって」

「太一くんが直接誘ってくれればよかったのに」

「ほんとだよ。どうして、わざわざわたしが」

「理子、わたしに会いたくないもんね」

 そんなことを面と向かっていわれても、わたしは口をつぐんでいることしかできない。

 てか、そんな確認、わざわざするなよ。

「予定が空いてたら、いくよ」

 茜はそういうと、ちらしを四つ折りにしてバッグに入れた。そして、急いでいるのか、またね、と手を振って、さっとわたしの横をすり抜けていく。

「予定なんて、どうせないでしょ」

 引き止める理由なんてないのに、自然と言葉が出た。わたしと同じニートのくせに、忙しそうにしている様子が癇にさわった。

 後ろで、茜が足を止めたのがわかる。

「なに、わたしって暇に思われてるの?」

「毎日が日曜日みたいなくせに」

「はあ? なわけないでしょ」

「新しい仕事、もう始めたの?」

「まだだけど」

「じゃあ、暇じゃん」

 会話が途切れたので、様子をうかがうように茜の顔を見る。すると、目があってしまって、とっさにそらした。

「そこまでいうなら、いってあげてもいいかな」

「無理しないでいいけど」

「太一くんにも会いたいし」

「そう。勝手にすれば」

 帰ると、太一に、どうだった? と訊かれた。さあね、とだけ答えておく。

 当日。

 茜はインターンにやってきて、そして人一倍、パーティを楽しんでいた。



 まさに祭りの後の静けさ、って感じ。

 さっきまで賑やかだったインターンに残されたわたしは、テーブルのいすにべったりと倒れ込んだ。身体はまだ火照っている。

「いっぱい人がきたし。大成功だったね」

「うん。頑張って企画してよかった」

 太一と茜はそういい合い、いぇい、といってハイタッチしていた。疲れ切ったわたしとは対照的に、ふたりにはまだエネルギーが残っているようだ。

「ねえ、プレゼントがこんなにいっぱい。なんだろう、開けてみてよ!」

 茜に手を引かれて、状態を起こす。

 ラッピングされた、いろんな大きさの箱がたくさんあって、どれから開けようか迷う。ていうか、こんなにものをもらってどこに置いておこう。もらったときは嬉しかったけど、ふと現実に戻されると、そんな味気ないことを考えてしまう。

「はい理子。これはぼくからのプレゼント」

 後ろにいた太一が、そういって封筒を差し出していた。

「え、いいの?」

「もちろん」

「ありがとう。中身なんだろう」

 感情を隠すように、ぶっきらぼうにいって、それを受け取った。でも正直ほっとしていた。パーティの最中、太一はなにをくれるんだろうと心待ちにしていたけど、なにもないまま、とうとう終わってしまった。わたしを喜ばせても気なんてないんだもんね、と納得していたけど、やっとくれた。無駄にもったいぶりやがって。

 封筒を天井のライトに照らして中身を透かせてみた。けど、影が浮かび上がるだけで、その内容まではわからない。

「夢が入ってるよ。夢が」

 なかなか封を切らないわたしに、太一はそんなことをいった。

 開けてもいいかと訊いてから、封のところにされていたシールを丁寧に剥がす。

 夢、ってことは、もしかしたらディズニーランドのチケットかも。そんな期待が込み上げてきた。二枚入っていて、今度ふたりで行こうとかいわれたら、どうしようか。どうせなら、茜のいないところで渡してくれればいいのに……。

 なんて、わくわくしていたわたしがバカみたいだ。

 封筒の中を覗いて、高まっていた気持ちが一瞬にして消えた。

 それをとりだすと、顔を出したのは、三枚の宝くじだった。

 なにかの間違いであってくれ!

 一度強く目をつぶってから、また開いたけど、それは夢の国チケットではなく、紛れもない、普通の宝くじだった。

「これって当たってるの?」

 絶句するわたしの隣で、茜が訊く。

「昨日買ったからわからない。発表はこれからだと思う」

「まじ? ほんとに夢じゃん」

 茜はお腹から笑い声を上げていたけど、わたしはもう呆れてしまって、怒る気すら湧いてこなかった。

「これはわたしから」

 ため息をついていると、茜は小さい包みをくれた。

「そんな。気遣わなくてよかったのに」

「誕生日パーティなのに、手ぶらでくるってわけにもいかないでしょ」

「じゃあ、ありがたく」

 リボンを解いて、丁寧に包装を剥がす。なにかのブランドのロゴだろうか、シンプルなフォントの横文字が浮かび上がったケースが現れた。それを開けると、中には、シルバーネックレスがあった。

「綺麗」

「でしょ。わたしのお気に入りのブランドなの」

「でも、わたしなんかに似合うかな」

「着けてあげる」

 彼女はネックレスを取って、わたしの後ろにまわった。首元に慣れない金属の感触がして、少しくすぐったい。茜の手が首元から離れると、こっちこっち、と背中をとんとんとされた。そのまま鏡の前に誘導される。

 鏡に映る自分を見て、思わず息をのんだ。

 茜のプレゼントは、わたしをささやかに飾ってくれていた。綺麗なものがわたしを受け入れてくれているようだ。

「いいかんじじゃん」

「うん。ありがとう」

 鏡越しにいうと、茜はにっこりと微笑んだ。

「そういうシンプルなものはわたしより、理子のほうが似合うな」

「そんな、褒めないでよ。恥ずかしいから」

 ネックレスを外そうとする。でも、もうちょっとつけてて、と茜に後ろから抱きつかれた。

「え、ちょっと」

「ねえ、駅まで送っていってよ」

 わたしの耳元に顔を近づけた茜は、急に甘えたような声でいう。

「は?」

「お願い」

「そういうのは、太一に頼めばいいでしょ」

「理子とふたりで歩きたいの」

「意味わかんないんだけど」

「だめ?」

 茜の抱きつく力が、ふと弱まる。

 まあ、いいけど。わたしは鏡に映る、首元の銀色を見つめながら、そうつぶやいた。

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