第17話私たち⑤
久しぶりにインターンにやってきた茜は、髪の毛を派手な金色に染めていた。ロングだった髪の毛もボブカットになっていて、ずっと真ん中で分けていた前髪は、おでこがすっぽりと隠れるまでおろされていた。
「こんちわ」
すっかり様変わりした茜を前にして、声が出なかった。そんなわたしたちに向かって、彼女は恥ずかしそうにそういった。
思い切ったイメチェン。
「どうしたの、その髪型」
「こういうのもありかなと思ったんだよね」
慣れたようにカウンターに腰掛けた茜は、新しい髪型が気になるのか、しきりに前髪を撫でていた。
秋人が太一とのキスを暴露して以来、茜はインターンに姿を見せていなかった。もうこないだろうと思っていたところに、まるで別人みたいな姿で現れたわけだから、いろいろびっくりだ。
太一は、茜の前に、ストローをさしたジンジャーエールの瓶を置いた。茜がいつも飲んでいたものだ。彼女は黙ってストローに口をつけると、一気に半分ほど吸い上げる。その後で、げっ、と短いげっぷをした。
太一も、最近茜に会っていないといっていた。ほんとのところはどうなんだ? と、正直、疑っていた。でも、久しぶり、とお互いに遠慮がちに目を合わせるふたりを見て、どうやら本当だったらしいことがわかった。
「あの中学生は?」
茜は普段秋人が座っていた席を一瞥して、いう。
「きてないね」
「珍しいじゃん。風邪でもひいたのかな」
「どうだろう」
首をかしげて、わたしはごまかす。
茜の髪の毛を間近にして、改めて、しっかり金色だなあと思う。お世辞にも、品があるとはいえない。ちょっと、一昔前のヤンキーっぽさすらある。こんな人に化粧を進められても、普通ビビって逃げちゃうんじゃないか? 化粧品の販売員の姿を思い浮かべても、そのときの茜みたいに派手な髪をした人は出てこない。でも、わたしの狭い行動範囲にそういう販売員はいないだけで、美容を売りにしているわけだし、そのあたりの身だしなみについては自由なのかもしれないと思った。
「仕事、その髪色でもいいんだ」
答え合わせをするように、わたしは訊いてみる。
「似合う?」
「まあまあ」
「なら、よかった。でも、仕事でこの髪色はだめだよ」
「え?」
「こんな髪じゃ、働けない」
茜は、そういうと、卑屈っぽく笑った。
「お店の雰囲気に合ったカラーならいいけど。残念ながら、うちの会社でここまで派手なのはアウト」
「じゃあ、どうしてそんな髪型」
「仕事やめたから」
茜はあっけからんとそれを口にした。
「え、なんで」
「なに、質問攻め〜?」
茜の意味不明な行動に絶句していると、その姿がおもしろかったのか、彼女は愉快そうにけらけら笑っていた。でも、その時間がしばらく続くと、彼女はやけを起こして笑っているようにも見えた。
「あ、黒ひげ貸りるよ」
茜の笑いが収まると、彼女はおもむろに立ち上がって、ゲームが陳列されている棚のほうまで行った。そして、黒ひげ危機一髪をもって戻ってくる。
樽のまわりに空いた複数の穴にプラスチックの剣を刺す、黒ひげ危機一髪。それは、ボードゲームではないと思っていたけど、お店にあるゲームのラインナップに含まれていた。それに、意外にもお客さんに人気があった。茜はそれをとってくると、カウンターの席に広げて、それからひとり遊んでいた。
その日は土曜日で、お店は常に満席だった。わたしと太一はお客さんの対応で忙しく、茜に構っている余裕はなかった。また、茜と太一のキスのこともあって、ふたりだけで彼女と面と合わせることがなんとなく気まずく、わたしは彼女に近づけないでいた。
「茜、ずっとひとりだけど」
隙を見て、太一にそう耳打ちする。
「そうだね」
「茜、どうしちゃったの? 仕事やめたっていってたし」
「さあ。ぼくも久しぶりに会ったから」
太一は関心のない様子で、またお客さんとのゲームに戻っていった。
派手に髪型を変えてひとりで黒ひげ危機一髪をする茜は、遠目から、なんだか痛々しく見えた。無表情で樽に剣を刺し、黒ひげが飛び出すと、ちょっとびくっとする。 そして、それを拾うと、また同じことの繰り返し。
ときおり樽を飛び出した黒ひげがころころテーブルの席まで転がっていき、茜はそれを他のお客さんに拾ってもらっていた。そのときは表情を取り戻したようにニコッと受け取っていたけど、またもとの場所に戻ると、魂が抜けてしまったような様子で、樽に剣を刺し続けている。
わたしはしばらく、お客さんにカタンのルールを説明することに集中していた。カタンはずっとルールの理解に苦戦していたボードゲームだった。とにかくゲームを始める前に理解しておくことが多い。
わたしもお客さんのいるテーブルに座り込んで、ゲームで使うカードや、開拓地や都市、道路と呼ばれる置物を動かしていた。盗賊の挙動とか、海外貿易といったややこしい説明が続く。
お客さんがやっとルールを理解したような表情をしてくれ、ふうっと息を吐いて立ち上がると、いつの間にか、茜の姿はなくなっていた。バッグもないから、帰ったみたいだ。
カウンターには、茜が遊んでいた黒ひげ危機一髪の箱だけが残されていた。そのパッケージに印刷された黒ひげと目が合うと、しばらくそれから目が離せなかった。
表情を変えるはずのない黒ひげが、なんだか悲しんでいるように見えた。
茜はなにを考えているのだろう。
彼女が仕事をやめたと報告してきてから、わたしはずっとそんなことを考えていた。
なにか嫌なことでもあったのか。やめたくなるほど、苦しいことがあったのだろうか。仕事がうまくこなせないとか、職場の人間関係で悩んでいるとか。
いやいや、まさか。
なんでもうまくやってのける茜に限って、そんなことはないだろう。どうせ、思いつきでやめたんだ。面倒とか、飽きたとか、もっと遊びたいとか、そんな理由で。
茜の実家は地元の土地持ちで、もう生涯お金には困らないらしい。だから、彼女にとっての仕事なんて道楽でしかないのだ。簡単に就職できた会社みたいだったから、やめるのも簡単だったのだろう。
でも、なぜだか、わたしは茜のことを考えてしまう。たぶん、心配している。
嫌いだし、ひどいことをされた相手なのに。
あんなやつのこと忘れちゃえって思うのに、脳みそに彼女の姿がこびりついて、離れない。
「ぼくも、髪の毛の色変えてみよっかな。せっかく、ニンゲンなんだし」
開店前のインターン。隣で太一がそんなことをいいながら、黒々とした髪の毛をつまんでいる。茜のことが頭から離れないのは、彼がその話題を持ち出すからかもしれない。
「勝手にすれば」
「髪の毛ってどうやって染めるの?」
「美容院で注文すればいいよ」
「茜は自分でやったらしいよ」
「そうなんだ」
「うん」
高校生でもあるまいし、この歳になって自分で髪の毛を染めることなんてない。ましてや、お金をもっているのだから、茜は相場の二倍も三倍もするような高い美容院で髪の毛の手入れをしているのかと思っていた。
でも、茜が自分で髪の毛を染めたと聞いて、どこか納得するところがあった。
おしゃれっていうよりは、どこかヤンキーっぽかった茜のあの金色の髪。わたしの印象に強く残っているのは、茜のその髪の毛の色だった。わたしはその髪色を知っていた。
大学生四年のとき。就活の面接で落とされまくっていたときのこと。
わたしはおもむろにドラッグストアで薬剤を買ってくると、自宅のユニットバスで髪の毛の色を抜いた。別に髪を明るくしたかったわけではない。思い返しても、理由ははっきりしない。これ以上ないほど傷ついて、もういろいろどうでもよくなったのかもしれないし、なにかしていないと心を保てなかったのかもしれない。
まわりの同期でも、就活に苦戦している人はまだまだいたと思う。でも、わたしには、その不安を打ち明けたり、慰めてもらったりする友達がいなかった。だから、自傷行為みたいに髪の毛の色を抜くくらいしか、傷ついた気を紛らわせる手段がなかった。
でも、髪色が変わった後、鏡を見て、あ、失敗した、と思った。来週にも企業の面接を控えているし、なにより似合わなかった。なんか、かつらを被っているみたい。ウィッグってよりは、かつらって表現が似合うような、残念な仕上がり。
それで、急いで黒染めの薬品を買いに走って、キシキシいう髪に薬を揉み込んだ。不自然な黒は、日が経つとすぐに茶色になってしまう。だから髪の毛をボロボロにしながらも、黒染めの薬品を重ね、ときには面接の前に黒いスプレーを髪にかけたこともある。
その頃を思い出すと、ユニットバスの狭い空間にこもったツンとする薬品の匂いが、鼻腔によみがえってくる。
「茜は専用の薬を買って、お風呂場でつけたんだって。理子はやったことある?」
「ない」
即答。あるけど、ない。思い出したくもない。
「じゃあ、一緒にやろうよ」
「本気でいってるの? わたし、転職活動中。そんな髪の毛にできるわけないでしょ」
「そっか」
そうはいったものの、わたしは転職に向けての具体的な活動をしていない。それどころか、キャリアアドバイザーになってくれている吉野さんとの面談すら、ここ数ヶ月できていなかった。
「じゃあ、その薬を一緒に買いにいってよ。ぼくじゃ、よくわからないから」
「嫌だ」
「冷たいね」
「てか、どうして太一まで髪色変えるの」
「どうしてって、いわれてもな。少し興味があるから、かな」
違う。わたしは、自分のなかで、太一の言葉を訂正する。
太一は、茜と同じことをすることで、彼女を励まそうとしているのだ。
仕事をやめて、自分の居場所を捨てて、おそらく落ち込んでいる茜のことを。
ぼくも金髪にした、お揃いだね、なんて茜にいって、傷ついた彼女の気持ちを和らげようとしているに違いない。
「やめてよ。髪の毛の色、変えるなんて」
「どうして?」
「太一には、似合わないから」
「そうかなあ」
嘘だ。本当は、金髪の太一も見たい。
ちらっと、彼の顔を見る。
色白の太一には、金髪は似合って、きっと、かっこいいだろう。
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