第16話私たち④

 秋人の自宅の前で、彼の携帯に電話をかけまくる。鬼電ってやつ。

 でも、秋人が出てくれることはなかった。

 インターホンを押してみようかとも思ったけど、親御さんが出てきたらってことを考えると、できなかった。わたしたちは、不登校の中学生に遊び場を提供しているわけだから、いい印象を持たれていないかもしれない。

 しばらく秋人の家の前でくすぶっていた。でも、そろそろ諦めようか。そう思っていたときだった。

「あ」

 声のした方を見ると、あのときの女の子がひとりで立っていた。クロフィンのお店にいた子だ。制服を着ているから、学校帰りのようだ。

「あのときの人ですよね?」

 女の子の名前は楓ちゃんといった。わたしは自分のことをどう説明しようかと迷った挙句、ご近所さん、と答えておいた。我ながら適当だけど。

「どうして、秋人の家に?」

「たまにきてるんです。加藤くんのお母さんに、様子を聞きに」

「秋人とはどんな関係なの?」

「クラスメートです」

「それだけ?」

「……はい」

「幼馴染とか?」

「加藤くんのこと知ったの中学生になってからなんで、そうではないと思います」

 秋人から付き合っている子がいるなんて話、聞いたことがない。ってことは、楓ちゃんはただのクラスメートでしかない。

 じゃあ、なんで、秋人の家庭訪問なんてしているんだ?

 その疑問が喉まで出かかったけど、思いとどまった。たぶん、秋人のことが好き、とかそういう理由だろう。

「あの、田ノ浦さんたちは、どうして?」

 楓ちゃんが上目遣いに訊いてきた。

 考えてみれば、当然の疑問だ。ご近所さんが秋人の家の前でただつっ立っているだけって、奇妙でしかない。

 不審がられても嫌だから、秋人の会うために、と正直に話す。

「わたしたち、ここから歩いて十分くらいのところでカフェをやってるんだけど。秋人、よくうちに遊びにきてたの。でも、最近こなくなっちゃって。心配になって、ちょっときてみただけ」

 そうですか、と楓ちゃんは納得した様子を見せてくれる。

「じゃあ、わたし呼びましょうか? たぶん、加藤くん出てこないですけど」

「あ、うん、ありがとう」

 楓ちゃんがインターホンを押すというので、適当な言い訳をつけて、わたしたちは玄関口から見えないところに隠れた。しばらくして、彼女の会話の声が聞こえてくる。

 ん?

 意外にも、相手の声の主は幼い。お母さんではないようだ。物陰から首を伸ばして、声の方を覗き見ると、そこには人形みたいに綺麗な女の子の姿があった。

 秋人に妹がいることを思い出した。そこにいるのは、たぶんその妹だ。

 さすが秋人の妹。かわいい。

「こんにちは」

 わたしは考えるより前に、ふたりに姿を見せていた。

「もしかして、秋人の妹さん?」

 声をかけると、女の子はとたんに顔を強張らせた。まだまだ背が低くて、彼女を見下ろすかたちになる。わたしは精一杯の笑顔を見せたけど、女の子の目がだんだんうるうるしてきた。そして、ふとわたしに背中を向けると、そのまま逃げるように家の中へと行ってしまった。

「だめじゃないですか。アイちゃん、人見知りなんですから」

 後ろで、楓ちゃんがくちびるを尖らせていた。その横で太一も責めるよう目線をわたしに送っている。

「ごめんなさい」

 あとで楓ちゃんに訊くと、彼女はやっぱり秋人の妹の愛ちゃんだった。かなりの人見知りで、彼女も打ち解けるのに少し時間がかかったという。

「加藤くん、部屋の中にこもりがちみたいです」

 用が済んだ楓ちゃんは、それだけ教えてくれると、わたしたちの前から去っていった。そんな哀愁すら漂う彼女の後ろ姿を、ぼんやり眺めていた。

 あ。

 これって、秋人の学校の様子を知るチャンスなんじゃないか?

「ちょっと、待って!」

 そう思って、わたしはとっさに楓ちゃんを引き止める。

「ねえ、よかったら、この後うちのカフェにこない?」

 わたしが声をかけると、楓ちゃんは振り返って、訝しげな顔を見せた。

「もしよかったら、この前の友達も一緒に」



 インターンが休みの火曜日に、お店を開けるのは初めてのことだった。

お店の電気をつけて、楓ちゃんたちを待つ。本当にきてくれるか心配だったけど、ふたりはちゃんと顔を見せてくれた。

 お店に足を踏み入れるふたりは、物珍しそうに店内を見渡していた。たぶんボードゲームカフェは初めてだろう。

 友達は里穂ちゃんといった。わたしの名前とちょっと似ている、と太一はなぜか嬉しそうだった。

 太一はふたりにオレンジジュースを出した。楓ちゃんも里穂ちゃんも、遠慮がちにそれに口をつける。

「せっかくだから、なにかゲームをしよっか」

 太一がそういってゴキブリポーカーをもってきた。

 え、よりによって、それ?

 ゴキブリポーカーのパッケージは、なにやらいやらしい笑みを浮かべているゴキブリのイラストがプリントされていて、あまり品のいい見た目ではない。それに、基本騙し合いが続くゲームだ。もっと可愛いゲームがたくさんあるし、ほぼ初対面の女子中学生とわざわざそれをやらなくてもいいと思う。

 でも、太一がカードを広げると、そろって可愛いという声があがった。ゴキブリ、ねずみ、カエル、コウモリ、クモ、ハエ、カメムシ、サソリといった害虫のイラストがプリントされたカードがテーブルの上に並ぶ。決して可愛くはないと思うけど、中学生の感性はよくわからない。

 ゴキブリポーカーは害虫のカードをプレイヤー同士で押し付け合うルールで、同じ害虫が四枚自分のものになったら負け。いたって、シンプル。

 ゴキブリ! ハエ! サソリ! ねずみ! カメムシ!

 ゲームの性質上、害虫の名前が飛び交う。中学生の女の子たちになにをさせているのかと心配になったけど、彼女はずっと楽しそうだった。すぐにわたしたちのことを、太一さん、理子さん、と呼んでもらえるようになって、打ち解けることができた。

「コーラとか、ジンジャーエールとか、スプライトもあるけど」

 オレンジジュースが空になっている彼女たちに、太一がいった。ふたりは炭酸が苦手みたいで、オレンジジュースをおかわりした。

 初めてのゴキブリポーカーが新鮮だったのか、ゲームが終わっても、ふたりは興奮しているみたいだった。

「ここって中学生もきていいお店なんですか」

 楓ちゃんが訊いてくる。太一が、ぜひ、というと、今度はだれだれも連れてこようと話していた。

「秋人の友達割で半額にしちゃおうか」

 太一がいうと、ふたりは喜んだ。

 普通の料金だったら、中学生のお小遣いではちょっと高いだろうと思う。てか、半額でも高くない?

「三十分、百円とかでいいんじゃない?」

 わたしがいう。

「じゃあ、五十円」

 さすが、太一。太っ腹。

「あのさ」

 わたしは、いまだ、と思い、口を開いた。

「秋人のことなんだけど。あの子がなんで学校に行ってないのか、なにか知ってる?」

 訊くと、ふたりはお互いに顔を見合わせて、しばらく黙り込んでしまった。

 長い間、緊張感のある沈黙の状態が続く。

 やっぱり。

 どうやら、秋人が学校に通わなくなったのには、なにか理由があるみたいだ。

 わたしはなにか話してくれるのを、辛抱強く待った。

「ナイフ事件だよね」

 やがて沈黙に耐えかねたように、里穂ちゃんそうつぶやいた。そして、顔色を確認するみたいに、楓ちゃんの方にちらりと目をやる。

 楓ちゃんは、うん、とつぶやいたきり、おし黙っていた。話をするべきか迷っているようだった。わたしはなおも待っていると、彼女は重い口を開いた。

 秋人のことを話してくれた。



 楓ちゃんは中学校に入学すると、秋人とクラスメートになり、そこでお互いに知り合った。仲良くなったきっかけは、九月にあった自然教室の活動班が一緒だったことで、それから、言葉を交わすようになったという。一緒に勉強をしたり、お気に入りの配信番組の話をしたり。

「でも、わたしと加藤くんは、特別親しいってわけでもないんです」

 楓ちゃんの方から積極的に話しかけても、秋人はいつも素っ気ない態度。彼女は、困り顔を見せながら、それを嘆いていた。

 楓ちゃんは秋人のことが好きだと、このときすでに口にしていた。隣にいた里穂ちゃんもとくに驚いている様子がなかったから、彼女もそれを知っていたようだ。自分の恋愛感情を隠さない楓ちゃんに、恥ずかしがっている様子はなかった。そんなまっすぐな彼女の態度を見て、わたしはちょっとだけうらやましいと思った。

 秋人の学校での様子は、ごく普通の、ちょっとだけ大人しめな男の子だという。いつも数人の男子とつるんでいて、こそこそアニメやゲームの話をしているような、そんなありふれた中学生の男の子。流行りのオンラインゲームが得意だったみたいで、特定のクラスメートからは『神』と呼ばれていた。

「ジュニアのだれかに似てるっていっている女の子もいたよね」

 里穂ちゃんがいう。

 男性アイドルのファンであるクラスの女の子からも、秋人は目をつけられていたようだ。ちょっと可愛らしいルックスだから、女の子からの人気もあったみたい。

 秋人は部活には入っていない。体育の時間は目立たなかったけど、勉強のほうの成績はかなり優秀。でも、話を聞いていると、優秀過ぎるのが、秋人が不登校になったきっかけみたいだった。

 秋人の素行の変化は、二年生に上がってまもなくして現れた。

「授業中、先生の話を聞かないで、勉強と関係のないパソコンの本を読み始めたんです。それで先生に怒られるようになったんですけど、加藤くん全然反省しないで、今度はパソコンまで学校にもってきてました。担任の先生との言い合いが多くなったのは、そのころからです」

 楓ちゃんは、そんな秋人の姿をずっとヒヤヒヤしながら見ていたみたいだ。彼女の話を聞いていて、わたしだってその気持ちはよくわかった。

 授業中、教科の先生に指名されて発言を求められても、話を聞いていないからわからない。

 グループの話し合いには参加しない。

 体育は見学しがちになって、座学の授業でも、ときどき秋人の席が空席になっているときがある。

 学校にノートパソコンを持ってきて、授業中にそれを広げていたことまでしていた。

 そんな反抗的な態度は、先生の反感をかっていた。

 それでも、秋人の定期テストの点数は悪くなく、むしろ常に学年のトップ10に名を連ねていたらしい。勉強していないのになぜと訊くと、テスト一週間前に約三ヶ月分の教科書の内容をぜんぶ暗記するといっていたみたいだ。すごいとは思うけど、彼らしいといえば彼らしい。

「でも、先生は加藤くんにずっと怒ってました。テストが良ければなにしてもいいわけじゃないって。あからさまに加藤くんを嫌っている先生もいて、加藤くんが授業中になにをしてても注意しないくせに、テストで九十五点もとっても、成績で5段階の2をつけたり」

「秋人なら学校の成績なんて気にしなさそうだけど」

「お母さんがうるさいっていってました」

「秋人も大変だなあ」

 太一が半分笑いながらいった。秋人の状況を楽しんでいるようでもあるし、同情している風でもある。

「みんな加藤くんに呆れてました」

 楓ちゃんは苦い顔をしていった。クラスメートは授業をいちいち中断させ、その度にクラスの雰囲気を悪くする秋人に、みんな迷惑していた。

「でも、加藤のおかげで、スマホもってきても怒れられないっていってる人もいたよね」

 里穂ちゃんがいう。

「ほんの一部だけどね」

「わたしももっていったことある。学校内で写真撮るの流行ったし」

「それが問題になったんだけど」

 楓ちゃんが責めるような口調でいったので、里穂ちゃんはしゅんとしてしまった。

 みんな秋人に呆れていたけど、おもしろがっている人も多かったという。

 秋人の素行が著しく悪いおかげで、学校にスマホをもってきても、そこまでの注意を受けないこともあった。体育倉庫や用具室の中で、スマホをつき合わせてゲームをしている男子の姿をしょっちゅう見たり、女子も学校内で撮った写真をSNSに上げるのが、一時ブームになったりもした。

「そういえば、ムラセン、全部加藤のせいっていった」

「ムラセン?」

「村本先生っていう、社会科の、生活指導もしている先生です。わたしも聞いたことあります。みんなの気が緩んでいるのは、全部加藤くんのせいだって。それで、スマホ持ってきた人はそこまで怒られずに、加藤くんばっかり、事あるごとに職員室とか、社会科準備室とかに呼ばれて。頬が赤かったこともあったから、たぶん叩かれたりもしてたんだと思います」

 どうやら、規律を乱す秋人には、それなりに厳しい罰があったようだ。

 てか、叩くってダメなんじゃなかったっけ?

 でも、秋人の態度は直らなかった。

 秋人が取り上げられたパソコンを取り返すために、深夜の職員室に侵入したこともあった。そんな噂が流れ始めたころ、秋人が隣に母親を連れて教頭先生の後ろを歩いていたのを、楓ちゃんは見たらしい。

 その翌日から、秋人は学校にこなくなった。

「それでわたし、担任の先生と一緒に、加藤くんの家に通うようになったんです」

「学校にくるように説得しに?」

「はい」

「先生に頼まれたの?」

「いえ。むしろわたしのほうから先生に提案しました」

「それは、秋人のことが好きだから?」

「はい」

 わたしは楓ちゃんのまっすぐな目を見て、苦笑いが漏れた。彼女の行動力には恐れ入る。そういえばわたしの中学のクラスにもそういう正義感が強い子がいたな、と懐かしさすら感じた。

「でも、効果はなかったわけだ」

 秋人はいまだ不登校を続けている。頑固そうな彼のことだから、家に押しかけるくらいでは、解決はしなかったのだろう。

 しかし、わたしの言葉に、楓ちゃんから、そんなことないです、と返ってきた。

「一ヶ月くらい説得したら、また学校にきてくれるようになったんです。わたしが入ってるバドミントン部の見学に誘ったら、ちゃんとそれにもきてくれたし。授業中だって、変なことしないで、おとなしく座ってました」

「うそ」

「ほんとです。それでいっときは安心したんですけど……」

 楓ちゃんの説得は秋人に届いたようだ。でも、それは長く続かなかった。

 秋人が授業中、突然糸が切れたみたいに立ち上がって叫び声をあげたのは、彼が再び学校に通うようになってまもなく経ったころだった。

「ゼンブムダ!」

 穏やかに進む授業の中、秋人はなんの脈絡もなくそう叫んだ。その声はちょっと裏返って、楓ちゃんは耳がキンとしたという。

 その後、クラスは騒然。先生もしばらくなにが起こったのかわからずに、チョークを持つ手を上げたまま固まっていたらしい。

 でも、当の秋人はひとりすっきりしたような顔をして、腰を下ろした。そのときの椅子を引く音だけが、やけにはっきり聞こえたと、楓ちゃんはいっていた。

 しばらく教室がしんとしていた。そして、授業は何事もなかったかのように、再開されたという。

 でも、その後も何事もなかった、とはいかなかった。

 ゼンブムダ。

 秋人が叫んだその言葉は、その後まるでテレビで流行しているギャグみたいにクラスで使われ始めた。

 授業のない教科の教科書を間違って持ってきてしまったら、ゼンブムダ。

 髪に整髪料をつけていることを指摘され、水で流した男子を見たら、ゼンブムダ。

 ただのあいさつの代わりに、ゼンブムダ。

 クラスメートの中には、秋人に向かって、バカにするようにその言葉を日常的に浴びせる人も出てきた。

 おい、ゼンブムダ。

 もう一回やってよ、ゼンブムダ。

 ボイスメモさせてよ、ゼンブムダ。

 ゼンブムダ。ゼンブムダ、ゼンブムダ……。

 それが秋人のストレスになっていることは、楓ちゃんは自分の身に起こっていることのように感じていたという。そこまでいくともういじめだったけど、秋人をバカにする空気の規模があまりに大きすぎて、彼女はそれをやめさせられなかったと悔やんでいた。

「いじめを止めるなんて、普通できないよ」

 楓ちゃんがあまりに落ち込んだ様子を見せるので、わたしはそう声をかけた。でも、彼女はとっさに首を横に振った。

「わたしが止めてれば、あんなことも起こらなかったんです」

 そんな中、『ナイフ事件』は起こったそうだ。

 給食後の休み時間。教室でひとり席に座り小難しそうな本を読んでいる秋人に、クラスメートの男子三人が絡んだ。いつものように、ゼンブムダ、ゼンブムダ、といって下品に笑い声を上げていた。

 そのときだった。

 秋人はスクールバッグに手を突っ込むと、そこから小型のナイフを出して、男子三人に向けた。

「お前らの存在もムダだから、殺してやるよ」

 楓ちゃんもその場に居合わせていたみたいで、その言葉をはっきりと聞いたみたいだ。教室中はパニックになって、女子生徒の悲鳴で溢れかえっていた。でも秋人の表情は、場の空気に似合わず、落ち着いていたという。それが逆に不気味で、秋人は本当にクラスメートをナイフで刺してしまいそうだったと、話をする彼女は顔を歪めていた。

 結局、秋人がナイフを振り回すことはなく、駆けつけた先生に取り押さえられて、どこかへ連れて行かれた。

 それ以来、秋人が教室にやってきたことはないという。



「ねえ、秋人のことはもういいの?」

 太一が訊いてくる。

 秋人が学校で起こした事件について聞いてから、数日が経っていた。

 それから、わたしは秋人の話題をもち出してない。

「うーん」

「秋人に学校に通ってほしかったんじゃないの?」

「そうだけど。知らなかったから」

「なにを?」

「教室でナイフを出したこと」

「それで秋人のこと嫌いになったんだ」

「嫌いにはなってないけど。ちょっと、引いた。刃物はないよね」

「秋人、それくらい、悩んでたってことだよ」

「わかるよ。ムカついてたし、苦しんでたと思う。でもさ、やっていいことと、悪いことがあるというか。人にナイフ向けるって、普通じゃないでしょ」

「普通ってなに?」

「常識ってやつ?」

「それって、ニンゲンの常識でしょ?」

「はあ?」

「秋人はニンゲンが決めた常識のせいで、苦しんでるんだと思う。だから、秋人は悪くない」

 また、ニンゲン。

 ニンゲン、ニンゲン。

「じゃあ、なに、常識が悪いっていうの? 人間が山ほどいるんだから、常識があって普通でしょ。嫌な思いしたくないなら、常識に従うしかないの」

 思わず、声を荒げてしまった。

 太一はなにもいい返してこない。

 リビングにいたわたしは、逃げるように自分の部屋に入った。ベッドにダイブ。枕に顔を押し付けて、あー、と声を上げる。

 常識なんて言葉、よくわたしが大きい声出していえるよなと思う。いろいろ常識から外れた人間なのに。

 冷静になると、また自分が情けなくなった。

 正直、秋人のことはもう諦めていた。もう彼と会うこともないと思う。

 それは、秋人に常識がないからではない。

 ショックだったのだ。

 愛想がなくて、口が悪いときもあるけど、秋人はいいやつだった。根は優しいし、可愛いし。でも、そんな子が、クラスメートにナイフを向けるなんて。

 もしかしたら、インターンにくるときも、いつもナイフをもっていたのかもしれない。そう思うと、ぞっとした。わたしたちも、秋人にナイフを向けられる可能性があったのだ。

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