第13話私たち①

 カウンターの内側には、みるみるうちに綺麗に包装された小さな箱が積み重なっていく。ピンク色のリボンがついた派手なものから、紺にダークグレーのラインが入ったシックなものまで、色とりどり。

 二月十四日。バレンタインデーだった。

 それで、インターンにくる女性のお客さんのほとんどが、太一に包みを渡していた。予約表は、不自然なほど常連の女性客の名前で埋まっていた。だから、嫌な予感はしていたけど、案の定だった。この日、ほとんどのお客さんがゲームをするより、太一にお菓子を届けるためにインターンにやってきた。

プレゼントを受け取るたび、太一はいちいち喜ぶ。そんな彼を前に、女性のお客さんはうっとりしている。呆れた。

 そんなわたしはというものの、太一へのプレゼントを用意していなかった。

 少し前から、なにを渡そうかと考えてはいた。そんな時間は、楽しかった。なにを選んでも、太一は喜んでくれそうだったけど、どうせなら少し驚かせたい。 

 でも、あんなもの――茜とのキスなんて見せられて、どうでもよくなった。ふたりの関係に対してわたしにとやかく文句をいう資格はないけど、勝手にすれば、って感じ。

「ねえ、秋人」

「なに」

 あいかわらずキーボードをかたかたさせながら、空返事みたいな声が返ってくる。

「今日、バレンタインだよ。学校行かなくていいの?」

「興味ないし。あと、うち学校でそういうの渡すの禁止だから」

「このお店も禁止にすればよかった。ここは太一を売りにしているお店じゃないからね」

「でも嬉しそうだよ」

「太一?」

「……にチョコを渡してる女のお客さん」

 わたしは苦笑いとともに、改めて太一に包みを渡す女の人を見やった。中学生の秋人にまで、彼女たちの心理はお見通しなのだ。

「わたしが中学生のときも禁止されてたっけ。バレンタインのチョコレート。まあ、結局そんな校則みんな破ってたけど」

「理子さん、不登校なんじゃなかったっけ?」

「それは三年生のときだけ!」

 思わず声が大きくなってしまった。わたしは太一だけでなく、秋人にも、自分の過去をべらべらしゃべっていた。

「わたしが男子にチョコレートを渡したことなんてなかったんだけどね。そんなことしても、向こうも迷惑だろうなって思って」

「渡したい人はいたんだ」

「まあね。秋人にお菓子を渡したい女の子も、結構いると思うよ」

「そうかな」

「しゃべらなきゃ、モテそうだし」

 そういうと、秋人は鼻で笑うように、ふっと短く息を吐いた。

「一応、去年は二十三個もらったけど」

「え、マジ?」

「うん」

「それって、ひとクラスにいる女の子より多いんじゃ……」

「他クラスのやつからももらったから、そうかな。でも理子さんのいう通り、迷惑でしかんなかったな」

「とかいって、もらった個数はちゃんと憶えてるんだ」

「数字には敏感なんだよ」

 ちょっとバツの悪そうな秋人を見て、つい、にやにやしてしまう。

「でも、そんなにもらって食べきれたの?」

「ちょっとは妹にあげたよ」

「妹、いるんだ」

「うん」

 妹は二つ歳が離れているという。いま小学校六年生で、中学校に進学する準備をしているみたい。お兄ちゃんと一緒に学校に行きたい、といわれたことをにやにやしながら話す秋人は、ちょっと気持ち悪かった。

「じゃあ、今日も妹からはもらえるんだね」

「まあね。昨日、キッチンで母親と作ってたから。つまんだら、怒られたけど」

 妹に加えて、母親という言葉も出てきた。秋人から家族の話を聞くのは初めてだ。不登校で毎日のようにお店にきているし、家族と仲が悪いのかと思っていた。でも、話をしている彼の様子から、そうではなさそうなことがわかる。

「わたしもバレンタイン、秋人になにか用意しようと思ったけど。妹にもらえるなら、いらないか。それに迷惑みたいだし」

「理子さんなら、もらってもいいけど」

「じゃあ、来週にでも、一緒に甘いもの食べにいかない?」

「え」

 秋人が手を止めて、こっちに向いた。

「どう?」

「いく」

 ちょろいな。

 わたしが秋人を外に連れ出すのには、ある目的があった。



 目的のお店はサンフランシスコで人気に火がつき、先月日本に初上陸したということで話題になっていた、クロフィンというスイーツを出すカフェだった。わたしはそれをSNSのタイムラインに流れてきて知って、秋人を連れて行ったら喜ぶだろうなと、お気に入りフォルダに保存していた。

 お店はお客さんでいっぱいだった。いくつかのお昼の情報番組でも取り上げられていたらしく、新しい情報に鋭い若い女の人で溢れている。なかには秋人と同じくらいの女の子の姿もあって、秋人はちょっとだけ恥ずかしそうしていた。

「なんでも注文していいよ」

「理子さんって、流行とかに疎いと思ってた」

「まったく。失礼だな」

 秋人はチョコレートまみれのクラフィンとココアを注文した。まだ子供の舌なのかもしれないけど、彼の甘党は筋金入りだ。それなのに彼の肌にはニキビひとつ見当たらない。足跡のない新雪みたいな肌は、いつみても羨ましい。

「理子さん、食べ方きたない」

「う、うるさいな」

 クロフィンはクロワッサンとマフィンがミックスされたスイーツだった。こういうハイブリッドスイーツと呼ばれるものは、アメリカで流行っているらしい。秋人のいう通り流行に敏感でないわたしも、それを初めて食べた。パイ生地にかぶりついたわたしは、パリパリした部分を、ぼろぼろテーブルに落としていた。

「秋人だって、ここにチョコついてるよ」

 わたしはそういって、頬を指す。

「いまふいても、どうせ同じことになるから、後でふく。ねえ、もう一個頼んでいい?」

 おかわりを許可すると、秋人はさらにふたつ、同じものを注文した。わたしは甘ったるくなった口の中に、ホットコーヒーを流し込む。

 そろそろかな。

 美味しそうにクロフィンを食べる秋人を見ながら、わたしは切り出した。

「実はお願いがあるんだけど」

「ん?」

 相変わらず頬にチョコをつける秋人が、口を動かしながらこちらを向いた。

「太一と茜がどういう関係なのか探ってくれない?」

「はあ?」

 秋人はごくんと口の中のものを飲み込むと、眉間にシワを寄せた。

「関係って?」

「だから、その……。付き合ってるのか、どうか」

 わたしは、あのとき、の話をした。

 わたしが太一と茜のキスを見たのは、七海さんとの食事の帰り、もうそろそろ日付が変わろうとしている時間だった。

 そんな時間にお店の電気がついていることは、普段ならない。太一ひとりに仕事を任せていたから、なにかトラブルでもあったのかなと思いお店の中をのぞくと、ふたりがいままさに唇を重ねている光景が目に飛び込んできた。

 わたしはとっさに背中を向けて、扉のかげに身をひそめた。

 マジか!

 マジか、マジか……。

 太一がお店を閉めて戻っててきたのは、十五分くらいが過ぎた後。平然としている彼に、わたしもさきほどのことを問い詰めたい気持ちを抑えて、なにごともなかったかのように振る舞った。

 それ以降、太一の口から、茜についての話題は出てきていない。

 秋人は『キス』という言葉に動揺したのか、開いた口がなかなか閉じられなかった。口をあんぐりと開けている姿が可愛らしかったけど、そんなことを考えている場合じゃなかった。

「ねえ、聞いてる?」

 秋人はぱちぱちとまばたきをする。

「太一さんと茜さんがキスしてたんだろ。だったら、付き合ってるんじゃないの?」

「それをはっきりさせたいの」

「はっきりしてんじゃん」

 まったく子供だな、とわたしはため息をついた。

 キスに至るまでの経緯、経緯。

 そのキスがなにを意味するのかを、はっきりさせたいのだ。

 でも、それは秋人には伝わらず、再度の頼みに、面倒、と一言返ってくると、彼は手元の甘いものに戻ってしまった。

 わたしはふたりのキスを目の当たりにして以来、ひとときも落ち着かなかった。ずっと胸がざわついていて、ふとしたときに過去の太一と茜の様子を思い返しては、あれこれ想像してしまう。

 思えば、太一と茜はもともと怪しかった。

 茜は太一への好意を隠していなかったし、それに対して太一も嫌がっている様子はなかった。嫌なことがあったといってお店にきたら、勤務中でも彼女の話を聞いていたし、誘われればデートにも出かけていた。

 茜のSNSには太一の姿は映らないにしろ、彼の存在をほのめかす写真は頻繁にあげられていた。太一のものと推測できる手の甲や、影、テーブルに並んだ明らかに二人分の食事、だれかがボタンを押さないと撮れない茜のダブルピースの写真が、太一の顔写真はないものの彼の存在を存分に醸していた。

「秋人、お願い! 付き合ってるのかどうかを、訊くだけででいいから」

「自分で訊けよ。太一さんとずっと一緒にいるんだろ」

「だってそうしたら、わたしがふたりの関係を気にしてるみたいじゃん」

「実際、気になってるし」

「そうだけど」

 気になっている、といえば嘘ではない。

 というか、気になっている。

 てか、気になるでしょ。

 でも、秋人は「嫌だ」の一点張り。どうやら、協力は望めないようだった。ま、年頃の男子だし、しょうがないかとも思う。

もう本来の目的は諦めて、目の前のスイーツを楽しむか。そう思ったときだった。

「加藤くん」

 わたしたちに向けられ、幼い声がした。声のした方を見ると、そこには女の子がふたり、並んで立っていた。

「久しぶり」

 胸の前で小さく手を振る彼女に、秋人は返事をしない。

 秋人の同級生だろうか、と思った。片方の子は髪の毛をツインテールに結んでいたけど、それが不自然じゃない程度にはあどけない顔立ちをしている。中学二年生といわれれば、確かにそのくらいの年頃の子だ。

「加藤くんもこういうところくるんだ」

「なんか意外だね」

 女の子が二人そろって、わたしに目をやった。そして、だれ? という顔を秋人に向ける。

「友達?」

 わたしはそう訊いたけど、秋人は立ち上がって伝票を手に取ると、足早にレジに向かって行ってしまった。

 声をかけてきた女の子のことは、完全に無視。

 わたしはコートを取ると、急いで、その後を追った。

 秋人の態度を見て、あの女の子たちは秋人の同級生だと、わたしは確信した。不登校である手前、こんなところで顔を合わせて気まずいのだろう。

 わかる。わかるよ、その気持ち。

 わたしもかつては不登校だったし、近所のスーパーでお母さんと買い物をしているときにクラスメートなんかを見かけると、咄嗟にうつむいて、声なんかかけてくれるなよとヒヤヒヤしたことを憶えている。

 しかし、そんな秋人に追い討ちがかかるようなことが起こった。

「加藤くん、そろそろ学校きなよ! みんな待ってるよ!」

 女の子のひとりが、お店中に響くくらいの、大きな声をあげた。

 まわりの人も、なにごとかとこちらに注目している。

 あちゃー。

 いまのは、秋人には応えただろうな、と思う。

 案の定、それ以降の秋人の様子はおかしかった。

 秋人はレジで伝票を出すと、有無をいわさず、電子マネーでピッとお会計を済ませた。わたしのおごりだよ、という言葉は無視された。

「同級生?」

 帰り道、秋人の機嫌は明らかに悪かった。

 なにを訊ねても、返事がない。

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