第12話生まれ変わるなら私以外……⑥
七海さんは、結果的に家に戻ってきて、大輔さんに謝った。
わたしが彼女にそうさせたのだ。
七海さんに電話して、東京に戻ってくるように説得した。
はじめは拒否された。大輔さんからの歩み寄りがあるまで、帰らない、と。
でも、しばらくしたら『そっちに戻る』とメッセージがきた。その翌日には七海さんと大輔さんが夫婦揃ってインターンに顔を見せて、お騒がせしました、と頭を下げにきた。
「理子ちゃんのいう通り。ちゃんと旦那と話し合ってよかった」
「お役に立てたなら、なによりです」
「お役に立ちまくりだよ。ほら、遠慮しないでどんどん注文してね」
そういって、七海さんはお店のメニュー表を渡してきた。でも、まだテーブルにたくさん料理が残っている。
七海さんはお肉ののったお寿司をぱくっと口に入れて、ハイボールに手をつけた。わたしのモスコミュールは舐めるように飲んでいるから、全然減っていない。
わたしは七海さんに、夜ご飯をご馳走になっていた。
おいしい肉バルがあるといって、食事に誘ってくれたのだ。
バル、ってなに?
変なパリピの集会みたいなものに連れていかれるのか?
そんな心配があったけど、そこはお肉をメインに出す普通の居酒屋だった。個室の座席はソファになっていて、赤やオフホワイトのクッションまで置いてある。七海さんはそこを、女子会にうってつけだといっていた。
「大輔さん怒ってました?」
「うん。心配かけるなとはいわれた。まあ、今回はわたしが悪かったからね」
理子ちゃんにも迷惑かけました、と改めて頭を下げられる。
「いえいえ、とんでもないですよ」
とはいいつつも、内心では、ほんと迷惑だったわ、と思う。
ま、お肉がおいしいから、いいけど。
「でも、結果的に全部正解だった。家を出たのも、こうして帰ってきたのも。わたしの気持ちもちゃんと伝えられたし、あっちのこともよくわかった。それに、わたしが働くことも許してもらえたの。まだなにやるかはわからないんだけど」
「なにか、やりたいこととかあるんですか?」
「うーん。お母さんやりたい」
そういう七海さんのにやけた顔から、それが冗談だとすぐにわかって、わたしは笑ってみせた。すると、七海さんも、えへへ、と可愛らしく笑っていた。なにをしたいかは、まだ決まってないみたいだ。
「今度、大輔さんとお店に遊びにきてください」
「うん。そうする」
「赤ちゃんができたら、三人でも。小さい子供でもできるゲームがあるんで」
「それ、いつの話?」
「七海さん次第ですね」
わたしの冗談も通じたのか、そのセリフに七海さんは笑ってくれた。
七海さんはお酒をぐいぐいとお腹に流し込んでいた。ついさっき注文したばかりの梅酒のロックは、目の前で一気飲みしていた。
七海さんが、また家庭の事情を打ち明けたのは、そんなときのことだった。
「赤ちゃん、できないかもしれないの」
ん?
あまりにも自然に発せられたので、最初はそれがなんの問題もないことのように思えた。または、まだ冗談のいい合いが続いているのか。
「どういうことですか?」
「だから、赤ちゃんができないかもなの」
「それ、七海さんの話ですか?」
「うん」
彼女の瞳はあいかわらず、とろんとしていた。でも、七海さんが思いつめたように、口をつぐんでいたから、冗談ではないことがわかった。
グラスが下げられるのと入れ違いで注文した梅酒のロックがテーブルに届くと、七海さんはおどけたように笑みを見せた。
「旦那のほうに問題があるらしくて。わたしに黙って病院で検査を受けたんだって。そうしたら、そういう病気だって、診断を受けたみたいで。あの人なりに、なにかおかしいって感じてたんだろね。あの人がわたしに素っ気なかったのも、それに引け目を感じてたかららしいの」
無精子症。
その病名を、わたしは初めて耳にした。命に関わる病気ではないそうだ。ただ大輔さんは赤ちゃんをつくりづらい身体なのだという。
旦那は、普通の人が持っているものを、ひとつ持っていないだけ。
七海さんはそういっていた。
ひとつ。
とはいうけど……。
七海さんはその話をしながら、一粒の涙を流した。でも、そんな自分の感情を否定するように、さっと涙を拭った。
「三年で子供ができなかったら、わたしたち離婚するの。あの人には治療を頑張ってもらうけど、わたしの三十歳の誕生日がタイムリミット。いますぐ離婚って話になったけど、わたしが拒んだから、それが妥協案ってわけ。まあそれもあの人が一方的に押し付けてきた約束だけど、受け入れた」
ふたりともしばらく黙っていたので、個室になっている壁の向こうの音が、やけににぎやかに聞こえた。みんな笑い声を上げている。そこは女子会にうってつけの場所だった。
テーブルの中心にあった肉の盛り合わせの残りは、もう長い時間空気にさらされていて、口に入れても硬くてなかなか飲み込めないだろうなと思った。
「わたし、だいちゃんのこと大好きなのに」
七海さんが、『だいちゃん』というのを初めて聞いた。
その呼び方から、旦那さんへの愛情が、わたしの胸をえぐるように伝わってきた。
それから、まもなく。
わたしは逃げるように家に帰った。
どうして、七海さんは、あんな話をわたしにしたのか。
怒りすらおぼえていた。わたしが傷ついている彼女にしてあげられることなんて、なにもなかった。慰めの言葉すら浮かばなかった。それが情けなくて、また自分を嫌いになった。
帰りがけ、またご飯に行こうね、と七海さんはいってくれた。ぜひ、と返しておいたけど、間違えなく社交辞令だった。もう七海さんがインターンにくることもないだろうと思っていた。それを、寂しいとは感じなかった。
でも、七海さんは変わらずお店に顔を見せた。大輔さんとふたりでくることも多かったし、ふたりの共通の知人みたいな人を連れてくることもあった。彼女のSNSには夫婦で出かけた旅行の写真がよく載るようになった。誰がどうみても、幸せそうな夫婦だった。
「離婚なんてしないですよね」
またふたりでご飯にいったときに、思い切って訊いてみた。
「わからない」
それが七海さんからの返事だった。
タイムリイットは刻一刻と近づいているようだった。
閉店時間を過ぎたボードゲームカフェのお店で、太一と茜がキスをしていた。
それを見てしまったのは、その日の帰りのことだった。
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