第10話生まれ変わるなら私以外……④

「七海さんのいそうな場所、わかる?」

 お店を出て、そうそうに太一がそう訊いてきた。勢いよくお店を飛び出してきたけど、当てはないみたいだった。

「たしか普段はカフェで読書をしてるっていってたっけ?」

「どこのカフェ?」

「さあ」

「じゃあ、この辺のカフェを全部まわってみようか」

 まずはここから、といった太一は近くにあったカフェに入っていってしまった。追うように、わたしも入る。彼は客席を見渡していた。でも、七海さんの姿はない。太一は、ふうっと息を吐くと、次だね、といって颯爽とお店を出て行った。

 わたしはため息をつきながらも、それに続いた。

 時間だけが過ぎていく。

 このあたりのカフェを、手当たり次第に巡った。でも、彼女は見つからない。

 当たり前だ。

 七海さんは、京都にいるのだから。

 でも、わたしはなにもいわず、もう気の済むまでやればいいという思いで、太一に付き合った。

 カフェの客席に目を凝らす太一の目は、真剣だった。日曜日だからか、どこのカフェも満席に近くて、ひとりひとり顔を確認するのに苦労する。まわったお店はすでに十軒を超えていたけど、太一はまだまだ諦める様子はなかった。

 そんな中、会いたくない人と会ってしまったのは、ちょうど駅前のデパートの向かいにあるカフェチェーンのお店から出たときだった。

「あれ、おふたりそろって、日曜日にお出かけ? 仲良いじゃん」

 なんか皮肉っぽい声をかけられる。

 顔も見たくない人が、目の前に立っていた。

 茜だ。

 偶然だね、じゃあばいばい。

ってスルーしたかった。でも太一が、なにしてるの? なんて声をかけてしまったから、そういうわけにもいかなくなった。

 はあ。

「買い物してるの」

「食べ物の買い出し?」

「いや、服とか、化粧品とか」

「そういうの、好きなんだ」

「ま、趣味兼、仕事って感じ」

 茜の肩には、有名ブランドのロゴの入った紙袋が、いくつか提げられていた。どの化粧も、服も、いろんな身体のパーツがくっきりとした茜には、さぞお似合いだろうなと思う。

 本来なら、こんな綺麗な子と友達なんて、喜ばしいことだ。ルックスだけなら、ずっと拝んでいたい。

 でも、茜は悪魔なのだ。

 人間じゃない。

「そっちは?」

 今度は茜のほうから訊かれる。

 あのね、という太一の言葉を遮るようにして、わたしは口を開いた。

「ちょっと、散歩」

 家出した七海さんを探している、なんて答えられない。デリカシーがあるのかないのかわかならい太一が、本当のことを口にしてしまう気がして、わたしから急いで言葉を発した。まあ、当たり障りないだろう。

「じゃあ、暇ってこと?」

「暇?」

「暇だから、散歩なんてしてんでしょ?」

「そういうわけじゃ」

 茜はなにかを企むような顔をしている。なんか、よくない展開になりそう。

「ちょっと、付き合ってほしいところがあるの」

 うっ。

「でも、インターンを人に任せてるし」

「大丈夫。三十分くらいだから」

 助けを求めるように、太一の顔を見た。彼には、七海さんを探すという使命があるのだ。ちゃんと断ってくれるだろう。

「いいよ」

 しかし、太一はそんな返事をする。

 え、なんで? 七海さん探しは?

「じゃ、決まり!」

 茜は手を挙げて、ちょうどきたタクシーを止めた。わたしたちは、行き先を聞く間もなく、それに乗せられる。

 どうして、こうなるの?



 十分ほどタクシーに揺られて、着いた先は、バッティングセンターだった。

「どうしてもやりたくて、ひとりできちゃおうと思ってたんだよね」

 茜は早速、券売機で回数券を買って、わたしと太一にも一枚ずつくれた。三回分のプリペードカード。

 わたし、こんなのやったことないんだけど。

「先、だれやる?」

「じゃあ、ぼくが」

 太一が自信ありげに、即答する。

「やったことあるの?」

「初めて。でも、飛んできた球を、この棒に当てればいいんでしょ?」

 太一は目の前のレーンでバットを振る少年を指差していった。そして、その隣のレーンに入った。プリペードカードを機会に入れると、向こうの方で赤いランプが点灯し、スクリーンに映るピッチャーの投球フォームに合わせボールが飛んでくる。

 キーン、という快音がそろそろ聞こえてきてもいいはずなんだけど……。

 さすがは初めてというだけあって、太一は空振りばかりしていた。本人は楽しそうだけど、球は前に飛ばずに、彼の足元に溜まっていくばかり。わたしも詳しくはないけど、バットも振り方も、なんか違う気がする。ボールを前に跳ね返すってよりは、目の前にある大きな大根を切っているみたい。

 でも茜は、次は当たるよ、なんていって励まし続けている。

 次は、そんな茜の番。

 茜は慣れたようにバットをボールに当てていた。バットの振り方は、前の前の彼氏に教わったという。ちなみに、いまは特定の人はいないらしい。

 特定の人はいない、って、不特定の人はいるってこと?

 気になったけど、それ以上踏み込んではいない。

 わたしのバッティングも、太一と同じような仕上がりだった。

バットは空を切るばかり。初めてだからしょうがないとはいえ、心が折れそうになる。うまくいかないわたしに向かって、太一は笑ってくるし。

てか、なんでこんなことやってるんだろう。

「もっと腰を落として。左手の手の甲にボールを当てるみたいに、バットを振るんだよ」

 茜の声がする。彼女はいつの間にか、少年と入れ替わりで隣のレーンに入っていた。ネット越しに、わたしにアドバイスを送っている。

 余計なお世話なんだけど。

 でも、茜のいう通りにバットを振ると、初めてボールが当たった。いい当たりってわけではないけど、ボールが前に飛んでいく。

 あれ、結構うれしいかも。

 でも、また空振りが続いた。

「さっきの当たりは、まぐれだったかな」

 隣のレーンに回数券を入れたようで、茜もバッティングを始めていた。

「そうみたい」

「そんな弱気じゃ、打てるもんも打てないよ」

 茜はキンッといい音を響かせている。

「太一は?」

「向こうで、アイス食べてる」

「いいな、アイス」

「これ終わったら、わたしたちも食べよっか」

「うん」

 赤いランプが消え、一回分の球数を終えたことを知らせる。やっと終わった。でも、バッティングブースから出て行こうとしたところを、茜に止められた。

「並んでないし、もう一回やりなよ」

「もういいよ」

「まともに打ててないのに?」

「何回やっても、どうせ無理そうだし」

「そうやって、すぐ諦める」

 茜は相変わらず、ボールを前に飛ばしている。

 悔しい、ってわけじゃないけど、わたしはプリペードカードを再び機械に入れた。あと二回分残ってるし、もったいない。

また、赤いランプが点灯して、わたしはバットを握りしめる。

 左手の手の甲を、ボールに当てるイメージ。

 あ、ちょっとかすった。

「わたしももう一回やっちゃお」

 隣の茜も、バッティングを継続した。

 しばらく向かってくるボールに集中した。前には飛ばないけど、ちょっとかする回数が増えてきた。コツをつかめてきているのがわかる。

 次こそは打つぞ。そう思ったときだった。

「就活、できてないんでしょ?」

 バットをぎゅっと握りしめたところに、そんな声が聞こえてきた。茜がいったのだ。

 そのせいで、わたしはバットを振ることができなかった。

 ボールはわたしの前を素通りする。

「太一から聞いたの?」

 振り返って、茜のほうを見る。すると、珍しく彼女は空振りした。恥ずかしいところを見られたからか、茜はおどけたように表情を崩した。

「あ、ほんとにそうなんだ。なんとなくそう思ってただけ」

「どうして?」

「理子、最近ボードゲームのお店にずっといるし。なんか、表情もぼけっとしてるから」

「ぼけっとしてるつもりはないけど」

「つもりがあって、ぼけっとしてる人なんていないっつーの」

 茜は、今度はちゃんとバットにボールを当てた。キン、という音が、鼓膜に響く。

 なんか、めまいがした。ぼけっとしているつもりはなかったけど、心当たりはあった。最近はなにをやるにもやる気が起きず、先のことなんか考えずに過ごしている。やらなきゃいけないことから、逃げている。茜には、そんな情けない自分の姿が映った鏡を、正面から向けられたような気がした。わざわざそんなことをしてくる彼女は、やっぱり嫌だ。

 三球くらいを無駄にしたけど、わたしもバッティングに戻った。

 空振り。

 空振り、空振り。

 せっかくいい感じだったのに、またバットにボールがかすりもしないようになってしまった。

「ずっとこのまま無職でも、いいの?」

「就活するよ、ちゃんと」

「ふーん」

「そのために勉強もしてる。資格とかだって取ろうと思うし」

 そうだ、なにもしていないわけではない。

 どんな資格がなにに役立つのかを、ちゃんと調べるようになったし、プログラミングだってちょっとは学んだ。なんだかんだ文句をいいながらでも、秋人はわたしの勉強に付き合ってくれている。

 就職するための面接は受けられていないけど、決して、現実から逃げているわけではない。

 逃げてはいない。

 てか、せっかくバッティングのコツをつかみかけていたんだから、いまはそんなこと忘れさせてよ。

 茜のせいでまったくバットにボールが当たらなくなった。そうなるとおもしろくなく、バットを振ることすら億劫になってくる。あー、早く終わらないかな。

「茜はいいよね。なんでもうまくいって」

 注意が散漫になって、そんな言葉がわたしの口から漏れ出る。

「どういう意味?」

「努力なんてしなくても、全部自分の思い通り。羨ましい限りだよ」

 投げやりにバットを振る。もうボールに当てる気なんてない。

「理子はさ。どうせ、流されるように生きてきたんでしょ?」

 茜の声に、突然棘のようなものが混じった。

「将来のことなんてなにも考えず、ぼんやりここまで生きてきた」

「それ、わたしのこといってる?」

 また、茜の方に振り返る。

「それ以外誰がいるの」

「わたしはいつでもちゃんと先のことを考えてた」

「でも、いろいろ行き詰まってるじゃん」

「運が悪かったの」

「運のせいにするんだ」

「わたしが全部悪いっていうの?」

 茜はバットを下ろすと、わたしに目をやる。

「ブラック企業とか、奨学金とか、いろいろ文句いってるけどさ。会社に入ったのも、お金を借りたのも、全部自分で決めたことでしょ? いまの選択が将来どうなるのかちゃんと考えなかったから、こんなことになってるんだよ。ちゃんと就職しようとしてないのも、いまは太一くんに頼れるから。彼がいなくなったら、どうするの? 後から文句いっても、遅いんだからね」

 再び構えて、茜はバットを振る。そこから発せられる金属音が、わたしの胸をちくりと刺す。

 わたしもバッディングに戻った。でも、もうボールなんか見れなかった。あてずっぽうに振ったバットは、しっかりボールをとらえて、向こうのネットの方まで飛んでいく。

「お、いいあたり! やるじゃん、理子」

 そこで赤いランプが消灯し、バッティングが終わった。

 その後食べたアイスは、まったく味がしなかった。

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