第8話生まれ変わるなら私以外……②

「わざわざ呼び出してごめんね」

 つい一週間ほど前のこと。七海さんから『会えない?』とメッセージをもらうと、わたしはインターンを抜け出して近所のカフェに向かった。突然の連絡だったけど、ちゃんとインターンにお客さんが少ないタイミングだった。

「忙しかった?」

「いえ、太一と暇してました」

七海さんからの誘いなんてはじめてだった。インターンの中じゃなくて、わざわざ外で会おうというくらいだから、楽しい話はされないだろうと予想していた。なんだか緊迫した様子だな、ということは、彼女のメッセージを映したスマホの画面からも伝わってきていた。

で、その予想は案の定だった。

「わたし、家出しようと思うの」

「家出?」

 なんだか、予想の斜め上をいく展開。思わず訊き返したわたしの声が裏返って、七海さんに笑われた。でも、その笑顔はすぐに消えた。

どうやら冗談じゃないみたいだ。

「旦那さんとなにかあったんですか?」

「これ、といったことはないんだけど」

「じゃあ、どうして」

「試してみたいの」

「試す?」

「わたしがいなくなったら、あの人がどうなるのか」

七海さんは、それを『実験』といっていた。異なる液体どうしを混ぜ合わせて色の変化を確認するみたいに、わたしが家を出て行ったら、旦那がどんな反応を見せるのかを確かめたい。

 七海さんはやはり大輔さんに不満があるみたいだった。話を聞くと、家庭でのストレスがぽんぽん出てきた。

 仕事や付き合いで、大輔さんの帰りがいつも遅い。休日も返上して働いているし、なかなか構ってもらえない。暇で生活に張り合いがないといっても、外に働きに出ることも認めてもらえない。なかなか子供ができないし、そもそも、そのための行為も少ない気がする。

 意外だった。てっきり七海さんは、映画やドラマの中みたいな素敵な夫婦生活を送っているのかと思っていた。

「七海さん、自分で幸せだっていってたから。そんな不満、みじんも感じてないのかと思ってました」

「わたしも、そのはずだったんだけど。何不自由ないし、自分は幸せ者だと思ってた」

「でも、違ってたんですね」

「どちらかというと、いまのわたし。不幸の部類かも」

不幸。とはいえ、七海さんの口から出てくる不満は、よくあるもののように感じた。彼女の挙げた、まるでお手本のような家庭の不満に、結婚すると本当にこうなるのか、と感心すらしてしまうくらいだ。

わたしは七海さんの悩みに対して、親身になることができなかった。

ふーん、って思うくらい。

正直、どうでもいい。

でも、ひとつだけ、話を聞いていて、そもそも疑問に思うことがあった。

「そんな大事な相談の相手、どうしてわたしなんですか?」

どうして、七海さんはわたしに、そんなプライベートな話をしてくるのか。

相談相手なら、他にたくさんいるはずだ。わたしと七海さんは、ただのボードゲームカフェの店員とお客さんの関係。転職の相談にものってもらったり、それなりに親しくはあるけど、それでもこうしてわざわざ外でプライベートな相談をするような仲でもないと思っていた。

「ごめん、迷惑だった?」

「いや、そんなことはないです。ただ、単純に知りたくて」

 できるだけ軽い感じで訊くと、七海さんは、実はね、と理由を話してくれた。

「わたし、こういう家の悩みを相談できる人がいないの。早くに結婚しちゃったし、友達はそれなりにいるけど、まわりに同じような環境の人がいなくて。友達に旦那の不満を話しても、なんだかしらけちゃってね。だから……ごめんね」

 とんでもないです、といって、わたしはコーヒーをすする。

 向かいで七海さんが甘そうなドリンクに口をつけた。唇に生クリームがついたのを、紙ナプキンでふいている。

「理子ちゃんみたいに人がいてよかった。話したら、なんだかすっきりしたし」

「わたしみたいな人、ってどんな人ですか」

「なんだろう。話しやすい人」

「話しやすいだけなら、他にもたくさんいそうですけど」

「そうだけど。でも、理子ちゃんは特別なの。なんていえばいいのかな……」

 言葉を探している七海さんを見て、ああ、なるほど、と思った。

わたしは特別。

でも、決していい意味で『特別』なのではないだろう。

 思い返せば、わたしはお店にくるお客さんからも、同じような相談をされることが度々あった。

自分へのご褒美として十万を超えるバッグを買ってもいいか。

女にだらしないと噂されているイケメンから声をかけられてるけど、せっかくだし付き合うべきか。

人間関係がこじれ始めたサークルをやめるべきか。

会社のうざい上司に、そろそろ文句をいってもいいか。

どのお客さんも、特別親しいわけではない。だから、どの悩みもわたしにとってはどうでもいいもの。そもそも、どうしてわたしなんかに、そんな話をしてくるのだろうと思っていた。

でも、その理由がわかった気がした。少し込み入った相談をするのには、逆にわたしくらいの関係性がちょうどよかったのだろう。適度に距離があり、相談を無下にされても、どうせ親しくない間柄だから傷も負わない。

「いいんじゃないですか?」

 わたしは七海さんに向かってそういった。

「家出?」

 と訊き返してくる七海さんに、わたしはこくりとうなずく。

「でも、なにもいわずに家を出て行くって、なんか卑怯な気もするんだよね」

「七海さんをほったらかしにしている旦那さんもよくないですよ」

「そうかな」

「そうですよ」

 へへっ、と悪巧みする子供みたいな笑みを見せる七海さんに、わたしも同じような表情を返した。

これで共犯だということをお互いに確認するみたいに。

 でも、その日は結論が出ずに彼女と別れた。

そして、大輔さんがインターンに現れたときに、七海さんが本当に家を出て行ったことを知った。

 結局、背中をおして欲しいんだけなんだよな。

わたしにされる相談なんてだいたいそうだ。みんな、わたしの「いいんじゃないですか?」を待っている。

 わたしは、本心では、七海さんが家出をしたほうがいいとは思っていなかった。冷静に考えて、七海さんはちゃんと夫婦で話し合うべきだった。自分を必死に探してくれると信じて、七海さんは家出をしたようだけど、世の中思い通りにいかないこともある。取り返しがつかなくなることもある。

 それでも、わたしが七海さんの家出の後押しをしたのは条件反射のようなものだ。

話を肯定した方が、相手も自分も傷つかず、話が早く終わる。

 そもそも、わたしには、人の悩みに付き合うほどの余裕なんてないのだ。

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