第5話天界からのモラトリアム⑤

「田ノ浦さんの得意なところを見つけていきましょう」

 キャリアアドバイザーの吉野さんとの面談は、いつもわたしの得意なもの探しに行き着いた。わたしはいままでにどんなことを経験し、どんなことができる、どんな人間なのか。吉野さんはそれを、キャリアの棚卸し、といった。

 でも、わたしの棚には、卸すに値するキャリアがなかった。

 得意なことなんてないし、学生生活や前職での誇れるエピソードもない。空っぽの学生時代を過ごし、前の会社では失敗し続けた挙句にドロップアウトした。

 だからわたしは、いつもここで黙り込んでしまう。

「前回の宿題でしたよね? ご自身のアピールポイントを探してくるって」

「すみません。思いつくことがなにもなくて」

「なにもない、なんてことはないはずですよ。田ノ浦さんの過去を振り返ってください。なにか壁にうち当たって、それを乗り越えた経験があるはずです。そういった経験が、田ノ浦さんのアピールになるんです」

「そうですね……」

 わたしの回答待ちの時間が続く。

 でも、本当に、ないものは、ない。

 はあ。

「なかなか、難しいですよね」

 そういってくれつつも、うつむくわたしに吉野さんはいつも困った顔をしていた。表情は変わらず笑顔なのだが、目の奥から、なかなか口を開かないわたしに、戸惑っている様子がうかがえる。

 嘘でもいいからなにいえよ。

 アピールポイント、成功体験なんて、話を盛ったり、でっちあげたりしていいんだよ。

 おそらく本音では、そういいたいのだろう。彼女はとても親切だけど、アピールするポイントがまるでないわたしに、そろそろ呆れているようだ。

「また次回までの宿題にしておきましょうか」

「はい、すいません」

「とりあえず、田ノ浦さんの履歴書を送った企業から、三件面接の依頼がきていますから。これからGoogleカレンダーのほうに入れておきますね。後ほど確認してください」

「はい、ありがとうございます」

「気負うことはありません。実践も練習のつもりで。ファイトです」

 吉野さんは、グーにした両手を胸まで持ち上げ、ファイティングポーズのような姿勢を見せてくれる。

 こうして、アピールポイントという武器を持っていなくても、丸腰でわたしは企業の採用面接へと送り込まれる。

 転職エージェントって、ほんとありがたい。



 キャリア面談からインターンに戻ると、茜がいた。

 憂鬱。

「理子、転職活動ちゃんと始めたみたいじゃん」

「うん」

「応援してるから」

「うん」

 あなた、中学のとき、わたしのこといじめてましたよね?

 茜はそれをなかったことのようにして、接してくる。

 そりゃ、お互い大人になったけど。なんか、もやもやする。茜と再会して気づいたけど、あのときのわたしの傷はまだ癒えていない。それどころか、あのときのわたしの経験が、こんな陰鬱なアイデンティティを形作っている気もする。

 その日は、そこに七海さんもやってきた。

 さすが、コミュ力高い系どうし。茜と七海さんは、すぐに打ち解けた。お互いのSNSのアカウントを伝え合えば、どうやら友達になるらしい。 

 インターンにはバーカウンターみたいなスペースがある。そこで、太一と七海さんと茜に囲まれて、わたしの転職活動について根ほり葉ほり訊かれる。

「理子、いままで、何社の面接受けたの?」

「五社くらい」

「進捗はどんなかんじ?」

「いやあ。いまのところ、全部だめです」

「まあ、そんなもんだよね」

 七海さんが背中をさすってくれる。

「わたし、いままでなんの成功体験もしてこなかったんで。面接でできるアピールポイントがないんです」

「アピールポイント、かあ」

「理子にはいいところがたくさんあると思うんだけど」

 太一がいう。

「どんなところ?」

 訊いたけど、なかなか具体的な言葉が出てこない。

「理子ちゃんって頑張り屋さんだよね」

「あ、昔もそうでした。理子はいろんなことに、がんばってた」

 茜からそういわれると、なんか、むかつく。

「頑張り屋って、面接でつかえる自己アピールになりますか?」

「うーん。ならないと思う」

 七海さんは申し訳なさそうにはにかんでいたけど、そんなことくらいは、わたしでもわかっている。

 しばし、みんな無言になる。

 本当に、わたしには人に誇れる部分がないのだ。

「なんか懐かしいな」

 みんなが黙ってしまったところに、七海さんが口を開いた。

「わたしは転職したことないけど、新卒のときの面接が大変だったの思い出す。企業研究とか、自己分析とかね。世の中の会社について知るのは、なんか大人に近づいてるみたいで楽しかった。けど、自己分析は嫌だったな。自分がどんな人間かなんて自分でもわからないのに、それを短い文にまとめて、短い時間で伝えないといけないんだもんね。しょうがないから、それとなく立派なわたしを作り上げてたけど、後から思い返すと、なんか笑っちゃうくらい嘘ばっかりだった気がする」

「七海さんはどうやって自分のことを話したんですか?」

「面接で?」

「はい」

 七海さんはちょっとだけそれを思い出そうと腕を組んでいたけど、すぐに

「忘れちゃった」

 と、おどけたように笑った。

「理子ちゃんだって、新卒のときの面接ではそんな話したでしょ。それに、わたしより記憶に新しいはずだし」

「それが、わたしもまったく憶えてないんです」

 七海さんは拍子抜けしたみたいに、目をぱちくりさせていた。

「ま、そんなもんだよね。茜ちゃんの就活はどうだったの?」

「わたしは面接してませんよ」

「え。どういうこと?」

 茜とは口を利きたくないけど、つい反応してしまった。

「会社説明会で、採用担当の人から声かけられて。そのままちょっと話して、内定もらった」

「茜ちゃん、美容関係だっけ?」

「はい、化粧品メーカーです」

「聞いたことある。美容系は顔採用があるって。説明会で内定は、さすがに初めて聞いたけど。さすが、美人さん」

「七海さんには負けますよ〜」

「はー、嫌味〜?」

 ああ、あくまでこの世界は不平等だ。

 もし神様が隣に座ってたら、何時間でも文句が出てくる気がする。

「理子は頑張り屋なんだから、大丈夫だよ」

 太一がそういって、肩をたたいてくれる。

 でも、もうちょっと励まし方なかった? と思う。

 頑張るだけじゃ、どうにもならないんだよ?



 太一が励ましてくれるから、わたしは転職活動を続けていた。

 わたしががんばっている様子を伝えると、彼が喜んでくれるのだ。

「また駄目だった」

 不採用の通知が届くたびに、太一に報告。

「挑戦してるだけで、偉いよ」

「うん、またがんばるね」

「そうだよ。今日は、理子の好きなオムライスをつくったから」

 太一は料理が得意みたいで、いつも本格的なご飯をつくってくれる。オムライスにもビーフシチュー的なものがかけられている。

 でも、わたしは特にオムライスが好きってわけではなかった。まあ好きは好きだけど、太一がほぼ毎日それをつくるから、そろそろ飽きてきた。

前に太一と出かけたときに食べたオムライスがおいしくて、ちょっと大げさに感動してしまった。そんな様子を見た彼は、わたしはオムライスが好きだと勘違いしたのだ。

 でも、太一の優しさは嬉しいから、出されたオムライスをおいしいといいながら食べる。

「転職の面接って、自分をアピールするだけなの?」

 食事を早々に済ませた太一が、訊いてきた。

「そんなことないよ。志望動機とか、今まで打ち込んできたこととか、将来なりたい姿とかも質問される。前の仕事のことも訊かれるかな。そこで力を入れたこととか、やめた理由とか」

「やめたのは、道具のように扱われたからだよね」

 それを聞いて思わず、ふっと笑ってしまった。

「そこまではっきりとはいわないよ」

「どうして?」

「キャリアアドバイザーの人にいわれてるから。なるべくネガティブなことは口にしないようにって」

「吉野さんだっけ?」

「そう」

「でも、採用されたら、その会社でしばらく働くわけだし。ちゃんと自分のことは正直に伝えた方がいいと思うけど」

「その通りだけどね。でも面接だってお店にあるゲームと同じ。ルールがあるの」

 太一は納得のいっていないような表情をしていた。でもそれは、わたしだって同じだ。納得はしていない。でも、そういうものなのだ。

「嫌になっちゃうよね」

「働くのは理子なのに。そのためには、理子じゃない理子をつくらないといけないんだ」

「そういうこと」

 食器を片づけてお風呂からあがると、太一がにやにやしていた。なにか企んでいる顔だった。わたしがわけを訊くと、彼はクローゼットを開き、濃紺のレディーススーツを出してきた。黒いカバーに包まれていた新品だ。

「これ着てみて」

「スーツなんて。どうしたの?」

「いま理子が着ているスーツが、気に入らないみたいだったから。ぼくが格好よさそうなのをみつけてきた。そうすれば、理子の転職もうまくいくかもと思って」

 どうやらそのスーツは、わたしのために用意してくれたものみたいだった。

 太一は、以前わたしが漏らした愚痴を、憶えていてくれていたのだ。

面接がうまくいかないのは、わたしが身につけているスーツのせい。

 そんな、くだらない愚痴を。

 わたしはずっと新卒のときに大型スーパーで買った格安のリクルートスーツを着て、面接に出かけていた。前の職場が私服通勤だったのもあり、わたしが持っているのは大学時代に用意したリクルートスーツ一着。転職活動をしているのに、まだまだスーツ姿が垢抜けない大学生みたいな見た目が嫌だった。でも、わたしの財布には、スーツを新調する余裕なんてなかった。

「ほら」

 わたしは繊細で壊れやすいものにでも触れるみたいに、太一から差し出されたスーツを受け取った。着てみてよ、と急かされて、それに袖を通す。スーツ専門店の人にわたしの私服を渡して選んでもらったらしく、サイズもぴったりだった。姿見に映ったわたしは、ほんのちょっとだけ垢抜けていて、少しでも社会を経験した大人に見えた。

 わたしの後ろで太一が満足そうにうなづいているのが、鏡越しに見えた。

 太一は転職活動用につくられたわたしに、新しいスーツというアイテムを足してくれた。

 嬉しかった。

 でも同時に、彼の優しさに申し訳なくなった。

「どうしたの?」

 太一が心配そうな顔をしていた。改めて鏡に目をやると、わたしはぼたぼたと涙を流していた。明らかに、嬉し泣きではないことがわかる。

「どうしてこんな余計なことするの?」

 太一が悪いわけがない。そんなことはわかっているのに、そんな言葉が漏れてしまう。

「気に入らなかった?」

「スーツなんて意味ないの」

 本当は、ありがとう、と伝えたい。

 でも、涙が止まらない。

「ごめんなさい」

 嗚咽まじりのその言葉は、ちゃんと伝わっているのかわからなかった。

 わたしは面接を受けているふりをしながら、実は、面接なんて受けていなかった。

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