アメリカ文学 "A Silver Dishの女性たち"

A Silver Dishの女性たち

-ユダヤ教における父子の関係、女性蔑視を背景に-


1、 序論

 Saul Bellow(1915年7月10日-2005年4月5日)は、ピュリッツァー賞、三度もの全米図書賞、そして1976年にはノーベル文学賞を受賞したアメリカ合衆国を代表する小説家・劇作家である。長編小説のみならず、イディッシュ語から英語への翻訳やエッセイ、短編小説の執筆でも活躍を見せ、特にA Silver Dishはアメリカ合衆国またはカナダでその年特に優れた短編に授与されるオー・ヘンリー賞を受賞した。この短編はロシア系ユダヤ人というBellowのアイデンティティを色濃く反映しており、神と民との関係に重ね合わせられるとしてユダヤ教でしばしば重要視される父子の関係を、複数のエピソードを織り交ぜながら色鮮やかに描き出している。

 いっぽうで本作は父子の関係を掘り下げるあまり、またその父Morrisと子Woodyに敵対するようにして女性たちが配されていることもあり、女性がしばしばステレオタイプ的あるいは侮蔑を含んだかたちで描かれているようにも感じられる。そこで、本稿ではユダヤ教において父子関係や女性が持つ意味を参照しながら、A Silver Dishにおける女性の描写を登場人物ごとに分析したい。


2、 ユダヤ教における父子関係と女性たち

 ユダヤ教を信仰する者の間では、古来より神と民との関係になぞらえて父と息子との関係が重要視されてきた。ユダヤ人の父子は次に示すアブラハムとイサクの「主の備え」に関するやり取りに見られるように、父は息子の良き師であり、息子は父に従順に従う弟子という関係にあるとされているのである。


アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。(『創世記』第22章第8-10節)


 アブラハムとイサク、それぞれの心情については当然触れられない。しかしアブラハムは神の命令とあらば愛する子どもをも手にかける姿を見せる師となり、息子イサクは父の願いとあらば死をも受け入れる弟子となったのだと解されてきた。この考えは近現代に至るまで脈々と受け継がれ、ユダヤ系アメリカ文学ではしばしば子ども、特に息子が父親との関係においてアイデンティティを形成する最中でユダヤ教やユダヤ文化に影響を受けるさまが描かれてきたのである。

 いっぽうで旧約聖書に子どもを産み育てる母の存在は描かれても、そうでない女性や娘について描かれることはほとんどない。くわえて他の多くの宗教同様、女性は抑圧されてきたのである。特に改革派、保守派、正統派と分類されるユダヤ教のなかでも特にトーラー(律法)の定める613の戒律を厳格に守るウルトラ・オーソドックス(超正統派)は現在でも女性に多産を求め、避妊を許さず、男性を誘惑するとして髪を剃らせるなど、旧約聖書が女性の自由を認めていなかったことは明らかである。そのような女嫌い、すなわちミソジニーの文化が根強く残っている宗教にあっては、女性蔑視は継承されうるのではないだろうか。

 本章ではユダヤ教における父と子ども、特に父と息子との関係と、ユダヤ教における女性の扱われ方について再確認した。以上を踏まえて、A Silver Dishにおける女性の描かれ方を分析する。


3、 キリスト教信仰に生きる「愚かな」女性たち

 まずWoodyの母と妹たちについて取り上げる。

 家庭のなかで派閥があるとするSelbst家だが、Woodyの母と二人の妹という一派は特に美しく敬虔なクリスチャンでありながら、同時にMorrisと対比させるために現実を知らない愚かな存在として描かれている。また文中では二人の妹を、かわいそうなことにどちらにも機知が足りていなかった(Bellow 4)や「doves(鳩のように可愛らしいという意味の比喩として用いられることが多いが、本作では鳩に似て愚かなという意味で用いられている)」(Bellow 24)、母も少女たちも福祉的な人格になってしまいすっかり個性を失ってしまった(Bellow 42-43)と繰り返し批判的に、あるいは侮蔑的に描き、しかしそれがどのように愚かで、どのように現実を知らず、どのように個を失ってしまったのかは書かれていない。また母親についても、父は現実主義に立脚したいっぽうで母は宗教の力と心気症(医学的には明らかな身体疾患がないにもかかわらず、ささいな不調に対して重篤な病気にかかるのではないかと恐れたり、既に重篤な病気にかかってしまっているという強い思い込みにとらわれる精神疾患)を象徴した (Bellow 42)という一文などから、どこか現実主義者であるMorrisとWoodyとの共犯関係を引き立たせるための対比構造として没個性的に扱われているように感じられた。ユダヤ教で、あるいはユダヤ系アメリカ文学で重要視されてきた父子関係に焦点を当てるあまり、母や娘である彼女たちは一面的にしか描かれなかったのである。

 次にMrs. Skoglundについて取り上げたい。A Silver Dishにまつわる盗みのエピソードを語る上で欠かせないMrs. Skoglundだが、彼女もWoodyの母や妹同様、現実を知らない信仰者の側面が強調されていると言っていいだろう。Morrisの用いるtrustという言葉ほど信用ならないものはないのにそれに気が付いていない、世界の四隅からブラスバンドが警告の音を出していることにも気が付かないというユニークな比喩(Bellow 31)や、金持ちゆえに名利を離れていて事実3分の2は俗世間の人ではなかった(Bellow 32)という表現からも分かるが、最も象徴的なのは次の場面であろう。


“I prayed,” said Mrs. Skoglund.

“I hope it came out well,” said Woody.

“Well, I don’t do anything without guidance, but the answer was yes,(後略)

(Bellow 36)


 すなわち自らの頭で価値判断を行い時には宗教にも逆らいながら生きるMorrisやWoodyとは異なり、Mrs. Skoglundは神に問いと答えを委ねなければ金を貸すことすらも一人では決められない存在として描かれているのである。これは夫や父親に問いと答えを委ねなければ生きられない女性たちの抑圧をも示しているように感じられる。信仰の名のもとで中絶や妊娠をはじめ、様々な側面で自己決定権を奪われつづけてきた女性像の再生産と考えたのである。

 最後にMorrisの愛人Halinaだが、彼女もまたキリスト教者(カトリック教徒)であるにもかかわらずこれまでに挙げた登場人物とは全く異なる形で、すなわち「従順な女性」として描かれた。Halinaはあくまで忠実な人でMorrisにぞっこんだった(Bellow 5)と記されているのである。しかしながら、だからこそ彼女もまた物語を進めるための一要素として表面的にしか扱われていない。たとえ愛する相手であってもMorrisがHalinaを利用して借金をしたことや、そこで盗みを働いたことについて何も感じないはずはないにもかかわらず、ただあまりに従順な女性としてのみ描かれているのである。A Silver DishのエピソードはHalinaとMorrisの関係から始まるが、それ以上には発展せず、やはり父子関係を描くことに注力された。

 Woodyの母と妹たち、Mrs. Skoglund、そしてHalinaという主要な登場人物たちは、家庭にいて信仰心にあつく現実を知らない存在として、あるいは従順な愛人として誰もが記号的に描かれてきたのである。これについては「短編という構造上採らざるを得なかったキリスト教という宗教に生きる者とユダヤ教徒という迫害を逃れるために現実に生きなければならなかった者たちの対比であって、ジェンダー(男/女)ステレオタイプによる対比ではない」とする反論があるかもしれないが、そうであれば「キリスト教という宗教に生きる者にthe Reverend Doctor Kovner以外の男性登場人物を盛り込むべきであった」と再反論する。小説は作者が恣意的に登場人物の設定を定められる以上、たとえ無意識であっても侮蔑的に描かれる登場人物のほとんどを女性にするべきではなかったと考えるのである。


4、 Hjordisという女性

 前章では、A Silver Dishにおいて女性がステレオタイプ的に、あるいはあまりに従順に描かれている例を取り上げ、分析した。しかしA Silver Dishに登場する女性すべてがこのように描かれているわけではない。前章で敢えて指摘しなかった女性登場人物Hjordisの、ステレオタイプからは逸脱した、Woodyの目を通して生き生きと捉えられる存在が父子関係を象徴するA Silver Dishの挿話におかしみと陰翳を与えていることは言うまでもない。Mrs. SkoglundがMorrisの詐欺に気が付いていない場面では、Hjordisに関する一文は次のように対比的なものとなっている。


Hjordis gave Pop a grim look (a dangerous person) and Woody a blaming one (he brought a dangerous stranger and disrupter to injure two kind Christian ladies).

(Bellow 32)


 登場場面でも禁酒運動を引き合いに出し、女性らしい化粧をしていない中世を思わせる従者として説明されたHjordisだが、その後も吹雪であってもすぐには家に上げることを躊躇い、コーヒーを出すことを嫌がり、トイレをMorrisに貸すことも躊躇するいわばWoodyとMorrisのささやかな障害として機能している。彼女がいなければWoodyとMorrisの共犯関係はそれを遮るものがおらず、あまりに簡単に成し遂げられてしまう盗みに対してMorrisが死ぬまで二人を結びつけるほどの思い入れも生じなかったであろう。Woodyの目を通して「Hjordis、Woody remembered, was a woman who wiped the doorknobs with rubbing alcohol after guests had left.」(Bellow 38)とまで言わしめており、随所にHjordisという登場人物の人間らしい魅力が散りばめられているのである。

 他の女性が皆一様に宗教にのめり込んで現実を忘れた愚か者と描写されるのに対し、唯一ではあるもののHjordisという登場人物は等身大の人間味を持った女性として描かれていることが明らかになった。彼女の登場するところがA Silver Dishをめぐる最も重要な場面であることを考えても、Bellowの特に書きたい人物であったと考えることができる。ただHjordisもまた家庭を持たない「潔癖な」あるいは「男嫌いの」「男性に従順でない」女性としてのステレオタイプを再生産する存在と考えることもできるのだが、それについては割愛する。


5、 結論

 本稿ではユダヤ教およびユダヤ文化を背景とした父子関係、女性蔑視を確認したうえでそれがA Silver Dishにどのように反映されているのかを考察した。Woodyの母と妹たち、そしてMrs. Skoglundは現実を知らない愚かな存在として、HalinaはMorrisにあまりに従順な存在として没個性的に描かれているのではないかと考える。

 Raymond Clevie Carver Jr.のCathedralでも、クライマックスのエピファニー(啓示)に近づくにつれ、夫とは対照的に記号化し存在しないもとして扱われてゆく妻が描かれた。人生の一断面を切り取る短編という構造上、分かりやすい対比構造を用いることが必要な側面もあるであろう。しかしCathedralと本作の大きな違いは、前者が冒頭は老人を支えるものとして活写された妻が「(負の感情を抱き停滞していた夫がエピファニーに至るのに対し)変化する余地が残されていなかった」ことによって凡庸な存在として記号化してゆくだけであるのに対し、後者は冒頭から最後の場面まで愚かで現実を知らない存在という記号が割り当てられてしまっていることにある。

 ただBellowはすべての女性をこのようにステレオタイプ的に描いたわけではなかったことも、本稿で確認できた。Hjordisという他の女性たちとは異なる描かれ方をする登場人物が、中盤において生き生きと捉えられることを通してA Silver Dishにまつわる挿話にもおかしみがくわえられているのである。今回はA Silver Dishのみを扱ったが、Bellowが他の作品では女性をどのように描いたのか、Hjordisに着目したことで興味が湧いた。ノーベル文学賞作家Bellowによる女性の描き方について複数の作品を横断して分析することを、今後の課題としたい。


6、 参考文献

Bellow, Saul. A Silver Dish.

共同訳聖書実行委員会. 聖書. 日本聖書協会, 1988.

三重野佳子. “Bernard Malamudの小説における父と息子 : 初期短編からThe Assistantへ.” 別府大学紀要, vol. 48, Feb. 2007, pp. 53–63.

“『アンオーソドックス』が描く、女性の人権と自立。 社会慣習の裏にある「犠牲」について思いを馳せる。.” Fasu, 24 Aug. 2020, https://fasu.jp/series/netflix/vol3/#3.

氏家武. “(10)心気症.” 一般社団法人小児心身医学会, https://www.jisinsin.jp/general/detail/detail_10/.

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