翻訳研究 "童話における韻文の翻訳"

童話における韻文の翻訳                           

-「狼と七匹の子山羊」における詩を例に-



1. 序論

 グリム童話(原題 :Kinder- und Hausmärchen)はヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が民族文化遺産の保存を目的として口承民話や古文献を参照し編纂したドイツのメルヒェン(昔話)集である。メルヒェンには童話、笑話、聖徒伝などが含まれており、1812年に156話を収録した初版を出版、その後さらに改訂を重ね210話を収録した第7版を1857年に出版した。グリム童話の作品の多くは日本でも馴染みの深いものだが、特に「狼と七匹の子山羊(Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein)」は明治20年代にすでに2冊の絵本、呉文聡が翻訳した『八ツ山羊』および上田萬年が重訳した『おほかみ』が刊行されており、最も親しまれている童話の一つとして数えられる。

 ところで童話や民話といった、口承文学を元にした、またあるいは親から子へと読み聞かせなどの形で聞かせることが多い文学作品は、その音の響きも重視されることが多い。オノマトペや作中に登場する歌を用いて、耳から入る言葉の響きで子どもたちを楽しませるのである。「狼と七匹の子山羊」後半部にも押韻のある狼の台詞(以降これを便宜的に「狼の詩」と呼ぶ)が登場する。そこで今回はその「狼の詩」に着目し、ドイツ語の詩における決まりを確認しつつ、ドイツ語原典から日本語に翻訳される際にどのように翻訳されるのかを考察したい。



2. ドイツ語詩のしらべ

 ドイツ語詩の「音」に着目するときに重要な事柄を大別すると、韻律=Metrum、すなわち音節の強弱が現れる一定の型と、詩行間や詩行内の音節同士でふむ押韻=Reimとなるであろう。


(ⅰ) 韻律=Metrum

 ドイツ語は他のインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語系と同様に強さアクセントをもつ。詩ではアクセントの置かれた音節を強勢、アクセントのない音節を弱勢と呼ぶことも英語でよく知られている通りである。そして各々は、「―)」等の記号によって分析されることが多いのである。「―)」とは韻律を示す伝統的な記号であり、強勢は「―」で、弱勢は「)」で示される。

 ドイツ語詩の場合、韻律には弱強格、強弱格、強弱弱格という3つの基本形、すなわち詩脚(Fuß, Versfuß)がある。古代ギリシャより扱われてきた多くの詩脚はこの3つに収斂すると言われている。弱強格を取る詩の例が、ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine、1797/12/13 – 1856/2/17)の詩の一部から見て取ることができる。


  Im wunderschönen Monat Mai, ) ―) ―) ―) ―

 als alle Knospen sprangen,   ) ―) ―) ―)

 da ist in meinem Herzen    ) ―) ―) ―)

  die Liebe aufgegangen.     ) ―) ―) ―)

(Heine, Im wunderschönen Monat Mai、弱強印は杉田聡(2020))

 

 このように弱勢と強勢を繰り返すことによって、詩を詩たらしめる独特のリズムが生まれ、心地よい音を作り出していたのである。ドイツ語詩においてはこの3つの詩脚に囚われない自由詩を作る動きも大きいため一概には言うことができないし、言うべきではないが、このような形式を守ることによって成功した詩も少なくないのである。

 それでは「狼と七匹の子山羊(Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein)」後半部に登場する「狼の詩」はこの詩脚に当てはめることが可能か検討したい。この童話は全文のほとんどを散文で記されているが、腹に山羊ではなく石が入っていることに気がついた狼の台詞のみに詩のような改行があり、押韻も行われていることは序論で前述した通りである。

その部分は次のような表現がなされている。


 Was rumpelt und pumpelt      ) ―) ) ―)

 In meinem Bauch herum?      )― )― )―

 Ich meinte, es wären sechs Geißelein, ) ―)) ―)) ―))

 Doch sind's lauter Wackerstein.    ―) ―) ―)

 (Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein、弱強格は筆者)


 「狼の詩」にも強勢と弱勢にいくらかの規則性が見られる。一行目は弱強弱の形を取っているし、二行目は弱強格、三行目は広義の強弱弱格、四行目は強弱格を取っている。しかしハイネの詩のように整っておらず各行で使用している詩脚が異なっていること、また一行目・三行目などは例外的な形(原則的な詩脚ではない)を取っていることから、ここに一つの韻律を見出すことは難しい。また先ほども述べたように、ドイツ語詩においては3つの詩脚に囚われない自由詩を作る動きも大きいため、無理に詩脚に当てはめるべきではないだろう。以上のことから「狼の詩」にはいくらかの規則性は見出せるものの韻律として定型にはなっていない、というべきであろう。


(ⅱ)押韻=Reim

 しかし「狼の詩」は非常に耳心地の良い音を持っている。それは押韻、特に脚韻の効果があるからだ。脚韻は厳密には、行末の強母音に始まり続く部分が同音ないし同音的であるもの、である。この定義に基づくならば先に引用したハイネの詩の各行末はMai、sprangen、Herzen、aufgegangen というように、abxb(xはbと母音を共有するが子音が異なっている脚韻とする)の形の脚韻を取っている。「対韻(aabb)」、「交差韻(abab)」、「包囲韻・抱擁韻(abba)」はドイツ語詩において代表的な脚韻の形式だが、ハイネの詩のように変形しているものが少なくない。

同様に、「狼の詩」についても検討する。


 Was rumpelt und pumpelt      

 In meinem Bauch herum?      

 Ich meinte, es wären sechs Geißelein, 

 Doch sind's lauter Wackerstein.  

 (同Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein)


 行末の脚韻のみに注目するのであればabcy(yはcと母音を共有するが子音が異なっている脚韻)の形でハイネの詩より乱れているようにも思えるが、「狼の詩」は各行間だけでなく、一行目内ではrumpelt/pumpeltで押韻が行われている。他にもIn meinemとIch meinteという近しい音どうしで頭韻のような役割を果たしていることもあって、全体としては非常によく纏まった音を感じさせるのである。


 本章では、「狼と七匹の子山羊(Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein)」のドイツ語原典に当たり、ハイネの詩とも比較しながらその韻律と押韻の規則を考察した。口述伝承をグリム兄弟が書き留めたグリム童話という作品の背景もあって、ハイネの詩ほど洗練された韻律や押韻を見出すことはできなかったが、そこには聞く者を楽しませる一定の型があることも分かった。

 次章では、このドイツ語原典における「狼の詩」の型を日本語訳と比較することで、童話における詩や歌の部分の日本語訳の方法と可能性について検討していく。



3. 「狼の詩」の邦訳

 日本語は日琉語族、ドイツ語はインド・ヨーロッパ語族と語系統から見ても類似性の少ない言語であるから、文法・音・言葉の面から意味が付与されている韻文に対して全ての意図を汲んだ翻訳は難しい。それゆえにどこを選び、どこを訳出しないとしたのかを比較するのは興味深い。

 本章で取り上げる邦訳は、中島孤島訳『グリム御伽噺』(1916)より「狼と七匹の小山羊」および野村泫訳『完訳グリム童話集1』(2005)より「狼と七匹の子やぎ」である。以下、前者を中島訳、後者を野村訳と呼ぶ。弱強勢については日本語には強さアクセントが存在せず、代わりに高低アクセントで表現するため割愛するが、代わりにこの詩脚と近い役割を果たしている七五調などの調子について扱うこととした。


(α)中島訳

 中島訳では、「狼の詩」は次のように訳されている。


 ガラ〱ガラ〱何が鳴る、

 俺の骨へ小突くのは何だ?

 小さな山羊ではないやうだ、

 大きな石でもあるやうだ


 中島訳は日本人の口に馴染みやすい七五調を意識しつつも、訳出しない語は非常に少なくなっている。「俺の骨」については原典には表現ないものの、「In meinem Bauch herum(わたしの腹の中で/周りで)」という意味を汲み、「ガラ〱鳴る」ことを考慮して生まれた言葉であろう。Wordsworth EditionsのThe Complete Illustrated Fairy Tales of Brothers Grimm(1997)を始めとして、世界各国のグリム童話を比較するウェブサイト等、他のグリム童話翻訳でもこの骨を訳出する方法を取っているものが多く存在した。底本の違いを検討することができなかったため、そこに原因があると考えることも可能だ。そしてこの語を訳出したことによって調子が乱れているのであるが、前述の通り文法・音・言葉などの様々な面を検討しなければならない韻文の翻訳において、中島は音の調子よりも正確な意味を重視したと考えて良いだろう。

 一方でsechsつまり「六匹」という数字は訳出せず、小さな山羊と大きな石という比較を強調している。またこの訳出がないために、この二行の調子は同じ七五調で整っている。

 押韻の面から見れば、原典を非常によく研究しているとも言える。一行目内でrumpelt/pumpeltとして踏まれていた韻は、「ガラ〱ガラ〱」と同じ語を二度繰り返すことによって解決されている。加えてGeißelein、Wackersteinでcy(yはcと母音を共有するが子音が異なっている脚韻)として踏まれていた脚韻は、これも「やうだ」を繰り返すことで解決されている。

 すなわち中島訳において「狼の詩」は、日本語と全く異なるドイツ語からの翻訳をできる限り正確なものとするために反復の技法を用いて解決を試みた。結果的にドイツ語原典と全く同じ押韻の形を取ることが可能となっているのである。


(β)野村訳

 では、野村訳はこの「狼の詩」をどのように翻訳しているのだろうか。


  はらで、ごとごと

  鳴るのは、なんだ。

  子やぎ六つと思ったが、

  どうやらごろたの石ばかり。


 こちらも七/七/七五/七五と七五調を基調とした日本らしい、さらに中島訳よりも洗練された字余りのない調子を保っており、朗読すると楽しい訳になっている。大きな意訳もなくこのような調子を整えることができている面で、意味と調子を重視した訳となっているのである。また中島訳では最終行のDochが訳出されていないようだが、この「はい(否定疑問文への肯定的な返事)」「しかし(接続詞)」「それにもかかわらず、やっぱり(副詞)」「として怒りや感嘆を表す(心態詞)」等様々な意味を持つ語は「しかし(接続詞)」または「やっぱり(副詞)」として「どうやら」と翻訳されている。

 一方、中島訳では反復の技法によって解決されていた押韻は、rumpelt/pumpeltを「ごとごと」と訳出した以外、表現できていないようである。また野村訳は原典の内容と対応する行が変わっていることもあり、脚韻は守られていない。

   

(γ)実践

 押韻は重視されているものの意味は僅かながら改変があり調子が整っていない部分もある中島訳、そして調子は洗練されているものの意味と押韻が中島訳ほど原典通りではない野村訳を確認した。中島訳は作品全体を見ると原文の内容に添おうとしつつも改変が施されている部分もあり、完訳としては野村訳が原典に沿っていることもあり、どちらがより良い訳かということは判断できない。

 しかし両者の良い面を兼ねた「狼の詩」の翻訳ができないか検討してみたいと感じた。以下が筆者の考えた訳である。

    

  何がごとごと鳴っている

  この俺の腹その中で

  子山羊六つじゃないらしい

  しかし大岩あるらしい


 まずは調子についてである。中島訳では文意を拾うことで字余りなどが出て七五調が乱れている部分がいくつかあったが、拙訳では四行とも七五調で統一した。野村訳のような七/七/七五/七五の形を取らなかったのは、中島訳同様に各行がドイツ語原典と対応するよう整えるためである。

 次に押韻についてである。野村訳では表現されなかったが、中島訳では表現されたものに関しては、中島訳を参照して反復の技法を用いた。一方、中島訳でも訳出されなかった二行目・三行目の頭韻に近い部分も表現したいと考え、どちらも「こ」の音から始まるよう統一した。

 最後に文意についてである。中島訳では訳出されなかったsechsとDochを訳出し、二行目に関しては参照したドイツ語原典に合わせて野村訳に近い訳を取った。

  

 統語論や形態論から指摘すると、この「狼の詩」にもまだ多様な翻訳の方法があるだろう。今回は中島訳にも野村訳にも音韻論的、意味論的に特徴があると考えたため、その二つの視点に絞って考察し、また両者のそれぞれの特徴を鑑みて、筆者が最も良いと思った訳を作成した。

 検討し拙訳を作成する中で中島訳も野村訳も、それぞれより原典の意図を上手く伝えられるよう、それでいて読み聞かせる子どもたちに耳心地が良いよう熟考されていることが分かる翻訳と分かった。



4. 結論

 本稿ではドイツ語詩の型を韻律や押韻といった音韻論的側面から確認した上で、それが「狼と七匹の子山羊(Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein)」後半部分における「狼の詩」の日本語訳ではどのように表現されているかを考察した。3章(γ)でも指摘した通り、韻文は語彙や文意に留まらないあらゆる面で作者の意図が反映されているため翻訳が非常に難しく、ある一点を選んで他の一点を見逃したからといって良い翻訳、悪い翻訳と判断することは不可能だということが重要である。

 しかし一方で他言語の押韻を翻訳で表現するという非常に困難なことを、反復の技法を用いて解決している中島孤島の翻訳など、それぞれの美点とも言える特徴が散見され、拙訳を作成する上でも大きな参考とした。

 今回はドイツ語詩の特に音韻論的側面と意味論的側面のみに焦点を当てたが、別の詩作品なども取り上げ、統語論的側面からも詩の翻訳について考察したい。これを今後の課題とする。


《参考文献》

“Der Wolf Und Die Sieben Jungen Geißlein.” Grimms Märchen, https://www.grimmstories.com/de/grimm_maerchen/der_wolf_und_die_sieben_jungen_geisslein.

“第50回 おおかみと七ひきのこやぎ.” 特別コレクション, 東京都立図書館, 19 Apr. 2021, https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/collection/features/digital_showcase/050/.

杉田聡. “ドイツ詩の文法(1).” 帯広畜産大学学術研究報告, vol. 41, Nov. 2020, pp. 107–170.


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る