アメリカ演劇 "インターネット時代のケア"


インターネット時代のケア

-Water by the spoonfulにおけるオンラインとオフラインの交差点-



1、 序論

 Elliot, A Soldier’s Fugueに続く三部作の二作目Water by the Spoonfulはアメリカの劇作家Quiara Alegría Hudesが手掛けた2011年の作品である。イェール大学で音楽を学び元は作曲家として訓練を受けてきたQuiara Alegría Hudesは、社会問題、音楽、物語の相互に交わり合う戯曲作品を書くことで知られており、本作品にも音楽教授であり主人公の従姉であるYazminらが音楽に言及するシーンがある。


“The ugliness bore no promise of happy ending. The ugliness became an end in itself.” (P18)


 このジョン・コルトレーンがA Love Supremeを書き上げた後1965年に見出したとYazminが語る「不協和音のなかの美、混沌のなかの秩序」は、本作品の比喩とも言える。イラク戦争から帰還し幽霊を見るPTSDに悩まされるElliotをめぐるオフラインの世界と、Odessa(Haikumom)と薬物中毒者たちをめぐるオンラインの世界が交わらず進んでいくかと思えば、後半部分からは二つの世界が不協和音のようにぶつかり始めるのである。どちらの世界の人も、必要なときに与えられなかったケアについて語る。

 本稿では、Water by the Spoonfulにおいて、オンラインとオフラインを行き来しながら「癒し」をめぐる会話がつむがれる意味について考察したい。


2、 Water by the spoonfulのチャットルーム内ケア

 Water by the Spoonfulの舞台は、Elliot, A Soldier’s Fugue から6年が経過した2009年である。これはツイッターが日本でもサーヴィスを開始した時期と同じくしており、ソーシャル・ネットワーキング・サービス黎明期と重なるものがある。

 同時に、チャットルームによる自助グループは、パンデミックの時代を思い起こさせる。日本でも中毒患者やその家族たちの自助グループは以前から存在していたが、2020年4月コロナ禍による1回目の緊急事態宣言下を経て、オンラインでの自助グループも誕生している。日本でオンライン(チャットルーム、ZOOMミーティング、例会)での自助活動を提供している非営利活動法人ASKは、緊急事態宣言が解除されたのちもオンラインでの自助活動を続けることを決めた理由について次のように記している。


  1、地域の自助グループは再開されているが、通常に戻ったとは言えない状態。「コロナの時代を共に生きる」ため、オンラインでつながる場をキープしておく必要がある。

  2、オンラインにはどこからでも集えるよさがあり、遠くの仲間にも会え、自助グループがない地域からもスマホさえあれば参加できる。介護や子育て、障害があるなど、外出がむずかしい状況でも参加できる。

  3、オンラインルームに参加したことを契機に、リアルの自助グループにつながる例も多く出ており、橋渡し効果が期待できる。

  4、コロナ禍で入院患者さんが地域の自助グループにつながれない状況があり、医療機関からの紹介が増えている。また、医療機関とオンラインでつながり体験発表を出前するなど、メッセージ活動の機会もある。

  5、Zoomミーティングについては、医療・福祉などからの参加が可能なルームもあり、支援者に自助グループを体験してもらうことができる。

 

 以上からも分かるように、オンラインでの自助活動の利点は明らかにその利便性と簡易性であろう。ASK認定依存症予防教育アドバイザーらは依存症オンラインルームについて、専門医療機関も自助グループもない離島からの参加や、幼い子どもをもつシングルマザー、夜間の外出がむずかしい高齢の参加、当事者家族のルーム配偶者に誘われて依存症当事者が参加するようになる、海外赴任地からの参加などこれまで不可能だったことを可能にしてきた、ということを記録している。

 Water by the Spoonfulにおいて、Haikumom(Odessa)が管理するサイトは個人運営であること、ホストであるOdessaも依存当事者であったことなどASKのオンラインルームとは異なっている。しかし、その利便性については依存症オンラインルームと大きく違う部分はないだろう。多様な人種がHaikumom(Odessa)のサイトに参加することができているのも、特にOrangutanが日本から参加することができているのも、Haikumomのサイトがオンライン、ヴァーチャルであるからだ。

 一方で、オンライン、ヴァーチャルには人と人の関わりが少なく、ぬくもりがないという印象がある。新型コロナウイルスが蔓延した2020年以降、孤立や支援の欠如、構造や生活の変化によってうつ病になる人が増加したことは、多くの機関が発表した通りである。加えて、ソーシャルネットワークサービスやチャットルームの「余所余所しさ」は参加者の多くが匿名であることに由来する。

 ところがHaikumomのチャットルームは匿名でありながら、何もない空間で役者が実際に演じることによって、その匿名性が薄れている。インターネットでの会話は、現実世界ではコンピューターやスマートフォンに向かう人々がただ文字を打ち込んでいるだけに過ぎないが、これをQuiara Alegría Hudesはあたかも仮想世界での会話のように表現した。この演出によって、ヴァーチャル世界での救世主としてのHaikumomがOdessaの虚像ではなく、Odessaのもう一つの姿であるということが表現されているように感じた。

 依存者たちを支えてきたHaikumomもまた、Elliotの妹たちをスプーン一杯の水を与え続けることを怠って見殺しにしたOdessaの姿なのである。

 また、この「水」という小道具を始めとして、本作にはケアや居場所にまつわる様々なメタファーが用いられている。本稿ではそのなかから「水」と「椅子」を取り上げたい。

 まず「水」についてであるが、これはタイトルにも用いられていることから、本作品の主要な位置を占めていることは明らかである。前述した通り、Water by the SpoonfulはOdessaがElliotたちに与え続けることができなかったケアを意味している。これ他にも、病気のGinnyに代わって庭の水やりを任されていたElliotが水やりを怠ってしまう場面や、Chutesが恐れる海という「水」について語る場面などから、「水」が人を癒して再生へと導くと同時に、それを与えないことで傷つけたり、命を奪ったりするものであるケアのメタファーとして用いられていることが分かる。

 つぎに「椅子」についてであるが、本作品の、特にチャットルームのセットとして、椅子だけが置かれている、ということが指定されている。一見ミニマルな舞台装置だが、椅子それぞれには個性があり、単に座って演じるために用意されたものではないことが分かる。これは、自分のシートがあるということは自分の居場所があるということや、輪になっておかれていることから中毒者コミュニティの自助活動における「サークル」を意味しているのではないだろうか。

 本章ではパンデミックの時代を生きる我々にも重ねられる、インターネットにおけるケアや、それらを表現するためにQuiara Alegría Hudesが用いている手法を考察した。次章からは、インターネットを飛び出し、ケアは現実にどのような効果をもたらしているのかについて考えたい。


3、 オンラインとオフラインの交差点

 インターネットは、多様な価値観を持つ人と出会う可能性を広げたかに思えたが、実際には「多様な属性にいる同じ価値観や趣味、境遇の人々が出会う可能性を広げた」というのが正しいだろう。それは、Water by the Spoonfulにおいて、様々な人種ながらも依存者という点で同じ境遇の人々が出会う可能性と捉えることができる。

 新しい道を求めていくことでElliotは衰弱した実の母Odessaの介護をすることはなかった代わりに育ての母であるGinnyを看取った。そして依存仲間のFountainhead (John)がOdessaの世話をすることになるのである。オンラインルームでの自助はインターネットを飛び出し、オフライン、実世界での共助へと発展しているのである。オンラインがその可能性を広げ、現実に影響を及ぼしていることを、オンラインとオフラインの交差点が確かに存在することを本作は確認している。

 加えて、「オンラインとオフラインの交差」という点で考えれば、本作の構成そのものが交差点となっていることは明らかであろう。一作目のElliot, A Soldier’s Fugueと同様、三部作二作目である本作品もストーリーが展開するパート(一作目ではPrelude、本作では現実世界)と、フラッシュバックなどを用いて独特な雰囲気を醸し出すパート(一作目ではFugue、本作ではチャットルーム)が繰り返し登場する。前作ではバッハ的な対位法を下敷きにして、このような構成がなされていたが、本作ではScene6で初めてこれらの世界がぶつかり合い、すなわち交差点を通り、冒頭で述べたジョン・コルトレーンのような不協和音を生み出すのである。

 またQuiara Alegría Hudesは、セットの指定においてElliotやYazminを中心に進む現実世界と、Odessaを中心に進むオンライン世界のプレイエリアを明確に区切ることはしなかった。このようなセット指定は、Quiara Alegría Hudesがオンラインとオフラインの世界を別個のものとして捉えてはいないということを暗示していると考える。

 インターネットの普及によって、チャットルームやソーシャルネットワーク、仮想世界(メタバース)は現実世界にますます大きな影響を与えるようになってきている。本作初演の2011年は、東日本大震災においてソーシャルネットワークサービスの活躍が注目を集めた年でもある。一方で、混乱に乗じてデマやヘイトスピーチも行われた。チャットルームは現実世界に悪影響を与えることもあると同時に、「ケア」もまたオンラインを飛び越えることが可能であるという希望とも表裏一体なのである。


4、 結論

 現代社会を描くにあたって、インターネットについては、敢えて描かないということを選択しない限り、避けがたいものである。インターネットは現実世界に大きな影響を持つようになっていることは、デマや陰謀論が注目を集め、MeTooを始めとした社会活動やそれに対するバックラッシュが起き、ついにはアメリカ合衆国議事堂襲撃につながったことからも分かる。

 今回は、パンデミックの時代を超えて我々がインターネットに抱いたメリット及びデメリットをWater by the Spoonfulに当てはめながら、Haikumom(Odessa)たちが行ってきたケアについて考察した。今回の議論ではElliotやYazminの現実世界を扱うことができなかったため、次回以降はこちらに焦点を当てて検討していきたい。


5、 参考文献

Hudes, Quiara Alegría. Water by the Spoonful. 5th ed., Theatre Communications Group, 2022.

“子どもが家族をケアする時代 第1回 ヤングケアラーって何?.” NHK福祉情報サイトハートネット, NHK, 26 Oct. 2018, https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/131/.

依存症オンラインルーム, ASK認定依存症予防教育アドバイザー, https://www.ask.or.jp/adviser/online-room.html.

西田英恵. “コロナ危機 大学生のメンタルヘルスに大きな影響.” Swissinfo.Ch, 17 Sept. 2021, https://www.swissinfo.ch/jpn/コロナ危機-大学生のメンタルヘルスに大きな影響/46955508.

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