アメリカ演劇 "Elliot, A Soldier’s Fugueに音楽がもたらす効果"


Elliot, A Soldier’s Fugueに音楽がもたらす効果

- PreludeとFugue, Danzón, Jazz, Hip-hopから-



1、 序論

 3世代の従軍体験にまつわる物語、Elliot, A Soldier’s Fugueはアメリカの劇作家Quiara Alegría Hudesが手掛けた2006年の作品である。イェール大学で音楽を学び元は作曲家として訓練を受けてきたQuiara Alegría Hudesは、社会問題、音楽、物語の相互に交わり合う戯曲作品を書くことで知られている。例えばHudesが脚本を担当しトニー賞最優秀ミュージカル賞を受賞しピュリッツァー賞演劇部門最終候補にもなったミュージカルIn the Heightsでは、カリブ海沿岸諸国内の国々すなわちキューバ・ジャマイカ・プエルトリコ・ドミニカ共和国・ハイチからニューヨークに移った民たちへの差別や抑圧を扱うとともに、4拍子の中に5打点あるラテンアメリカ特有のリズム「クラーベ」が作品全体を貫くなど、社会問題と音楽の双方向からテーマを支え、恋や別れも交えたドラマをより深みのあるものにしているのである。

 本稿では、そのような社会問題、音楽、物語が相互に作用する劇作を行うQuiara Alegría Hudesについてその音楽的な原点を探りながら、Elliot, A Soldier’s Fugueに音楽がもたらす効果について考察していきたい。



2、 Quiara Alegría Hudes作品における音楽の重要性

 まず、Quiara Alegría Hudesの幼少期から大学時代までの環境から彼女の音楽の原点を探りたい。

 Quiara Alegría Hudesがフィラデルフィアで育った1980年代、プエルトリカンである彼女の母親は毎朝アフロ=カリビアン音楽を流していたという。週末になるとビッグ・アップル・サーカス作曲家兼キーボーディストを務める叔母のLindaを訪ねており、LindaはHudesに楽譜の読み方を教え譜捲りをさせた。サーカスのバンドリーダーであったLindaの夫は幼いHudesをレコード店に連れてゆき、ブルースやバッハ、ゴスペルなどのテープを聞いて覚えることで、演奏できるように計らった。バッハを聴いていることは母には秘密だった、とQuiara Alegría Hudesは語っている(The NEWYOKER・2018)。他に聴いていたのはドミニカ共和国のシンガーソングライターJuan Luis Guerraのテープ。また、一家で初めて大学に入学しイェール大学で作曲を学び始めるも、ショパンのノクターンとともにCelina GonzálezとReutilio Domínguezによって結成されたキューバ音楽デュオCelina y Reutilioの楽曲を練習しようとすると馬鹿にされたとも語っている(同・2018)。子供のころから戯曲を書いていたHudesは課外授業で演劇を始め、母親から聞いたヨルバの宗教にまつわるミュージカルを制作、これが分岐点となった。

 以上が彼女の音楽的原点であると考えられる。すなわち、①バッハやショパンといった所謂「西洋」の音楽を学びつつも、②自身のルーツでもあるプエルトリコやキューバやドミニカ共和国から生まれたカリビアン音楽、ラテンアメリカ音楽からも深く影響を受けているのである。また③母親がラテンアメリカの音楽にアフリカ系の要素を取り入れたアフロ=カリビアン音楽を好んでいたことや叔母Lindaの夫が米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽であるブルースを聴かせたことからアメリカにおける他のマイノリティ、特にアフロアメリカンの音楽にも影響を受けたと考えられる。


3、 Elliot, A Soldier’s Fugueにおける音楽とその効果

 前章では、Quiara Alegría Hudesの音楽的源泉ともいえる環境について確認した。そこで①バッハを始めとする「西洋」音楽、②カリビアン、ラテンアメリカ音楽、③アフロアメリカン音楽、がHudesにとって非常に重要な音楽であることが分かった。そこで本章では、それぞれの音楽がこの劇中でどのような効果をもたらしていたかを考察していきたい。


① バッハ、Prelude and Fugue

 Prelude and Fugueと題された作品はドミートリイ・ショスタコーヴィチのピアノ独奏曲集などもあるが、Quiara Alegría Hudesは母親から隠れてテープを聴くほど好んでいたヨハン・セバスティアン・バッハの曲だけでも「前奏曲とフーガ ニ長調」「前奏曲とフーガ BWV548」があり、また48の前奏曲とフーガから成る「平均律クラヴィーア曲集」も存在する。Elliot, A Soldier’s FugueにおいてどのPrelude and FugueをHudesが意図したかは不明だが、シーン8には韓国にフルートを持ち込んだGrandpopが音楽の形式を議論に例えてその特徴と性質を説いたことを回想する独白がある。


“The voice is the melody, the single solitary melodic line. The statement. Another voice creeps up on the first one. Voice two responds to voice one. They tangle together. They argue, they become messy.”


 すなわちFugueにおいて一声と二声は並行するのではなく、応答して乱雑に絡み合ってしまうものなのである。言うまでもなくElliot, A Soldier’s FugueはバッハのPrelude and Fugueを下敷きに作劇がなされており、この表現はシーン10を始めとしたFugueのシーンの3世代の複雑な絡み合いに合致する。

 しかし、本作品においてバッハは単なる構成の模倣元ではない。Production NotesのMusicで指定されている通り実際に劇中で流れる音楽となっている。では実際に使用される楽曲としての効果はどのようなものかと考えたとき、次のシーン8、Grandpopの独白が表現しているように思う。


“Flute is very soothing after the bombs settle down.”


 つまりバッハは「癒し」の象徴なのである。これはバッハのFugueについてGrandpopが語るシーンを置く場所を、空のスペースではなく庭に設定していることからもわかる。また実際にバッハの楽曲には、規則的なリズムと不規則なリズムが調和した状態であり、リラックス効果を与えると言われている「1/fゆらぎ」が多用されていると言われている。バッハの音楽は兵士として疲弊したGrandpopたちを劇中で励まし慰めると同時に、観客もトラウマとその癒しを追体験できるようになっているのではないだろうか。また、フルートをGeorgeに譲ってしまったGrandpopが言葉を失い同じことを繰り返すようになったのも、この「癒し」を失ったからだと考えることができるだろう。


② Danzón

 Production NotesのMusicで指定されているとともに、シーン8、Grandpopが幼少期の回想を行う場面でこのDanzónは登場する。

 Danzónは19世紀後半キューバに起った優美な旋律が特徴の舞踊、またその音楽である。スペインから伝わったcontra danzaの一種から発展しアフリカ系の要素を取り入れた踊りでアフロ=スパニッシュ・ダンスの一つでもある。1879年キューバの作曲家ミゲル・ファイデルによって考案されて以来多くのDanzónが生まれて 1916年頃まで流行した。Elliot, A Soldier’s Fugueのなかでも「マンボにジャズを合わせたような」と紹介されている。

 ここに Hudesの母親からの影響、そしてHudesのプエルトリカンとしてのルーツを守る姿勢が見られる。Elliot, A Soldier’s Fugueが単なる米軍兵3世代の物語ではなくあくまでもプエルトリカン3世代の物語であることを強調するために、スペイン語やDanzónのようなカリビアン文化を随所に散りばめているのだろう。


③ Jazz, Hip-hop

 叔母Lindaの夫から教わったブルース等から得たアフロアメリカンの音楽の影響がここに現れていると考えた。

 In the Heightsにもチカーノ・ラップ(メキシコ系アメリカ人などによるスペイン語訛りの英語ラップ)とでも言うべきラップが登場するが、奴隷としてアメリカに渡ってきたアフロアメリカンの文化と移民であるカリビアンの文化が出会うことは、問題を抱えながらも多様なアメリカとして必然であると感じた。



4、 結論

 本稿ではQuiara Alegría Hudesの幼少期から大学までの音楽的な原点が、Elliot, A Soldier’s Fugueにどのような効果をもたらすものとして現れているかを考察した。バッハは構成面で下敷きとしてFugueが用いられているほか庭の場面で流れて戦争による傷やトラウマに対する「癒し」として機能していること、Danzónといったカリビアン音楽はこの物語が単なる兵士の物語ではなくプエルトリコ3世代の物語であることの証として機能していること、JazzやHip-hopは現代アメリカで必然的に起こった文化的交わりについて物語に奥行きを与えるために機能していること、などが予想できた。

 またJazzやHip-hopといったアフロアメリカン音楽がHudesに与えた影響は調べ残しており、戯曲から想像した部分も非常に大きいため、実際に劇を鑑賞し、その上で改めてこのQuiara Alegría Hudesという音楽を重視する劇作家の作品において、音楽が演劇に与える影響について考察したい。



参考文献

・Pollack-Pelzner, Daniel. “Quiara Alegría Hudes Rewrites the American Landscape.” The NEWYOKER, 5 Apr. 2018, https://www.newyorker.com/culture/persons-of-interest/quiara-alegria-hudes-gives-the-american-landscape-a-puerto-rican-voice.

・菊地成孔. “菊地成孔の『イン・ザ・ハイツ』評(中編):掛け値無しに素晴らしい音楽について.” Real Sound, 20 Oct. 2021, https://realsound.jp/movie/2021/10/post-883291_2.html.

・Hudes, Quiara Alegría. “Bio.” Quiara Alegría Hudes, http://www.quiara.com/bio.

・MCNULTY, CHARLES. “Review: In ‘Elliot, A Soldier’s Fugue,’ the Silent Pain of War Echoes through Three Generations.” Los Angels Times, 5 Feb. 2018, https://www.latimes.com/entertainment/arts/la-et-cm-elliot-soldiers-fugue-review-20180206-htmlstory.html.


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