アメリカ演劇 "生を見つめ、望む死をもたらすユーモア”

生を見つめ、望む死をもたらすユーモア

- The Clean Houseにおける「完璧なジョーク」-


1、序論

 The Clean HouseはSarah Ruhlによって手がけられ、2005年にピュリツァー戯曲賞にノミネートされた演劇である。本作ではタイトルからも読み取れる通り「清掃、掃除」という人間のケアにまつわる営みが主題になるとともに、「笑い」が作中では重要視されている。ブラジル人の掃除婦Matildeは掃除について考えるだけで憂鬱になる代わりに、両親から受け継いだユーモア精神から「完璧なジョーク」を考える瞬間は非常に生き生きとして見えるのである。本作はMatildeの独白で幕を開け、同じくMatildeが自らの「笑い」とともにあった生い立ちを語る独白で幕を閉じ、通奏低音のように至る所でユーモア精神やジョークが爆発していることから、「笑い」はもう一つの大きな主題として考えられるであろう。そこで本稿ではこの「清掃、掃除」と「笑い」を接続させ、問題を抱えた登場人物たちが生死の狭間で対面するユーモアについて考えていきたい。


2、Laneが抱える病的なまでの清潔さとユーモアの欠如

 芝居が始まると同時に最初に観客が目にするのは、多くの場合その舞台セットである。The Clean Houseにおいて、この舞台セットは劇作家自らによって指定されており、加えてそれは一般的な「家」像からはかけ離れたものである。白いカウチ、白い花瓶、白いランプ、白いラグのある白い居間であることが指定されているのであり、バルコニーのみが唯一その色を指定されていないというビジュアルに違和感を覚えない観客は少ないであろう。これは登場人物の一人、Laneの家であることが後に明かされ、Laneもまた白衣を着ていることがこの舞台セットと奇妙なリンクを見せる。

白色は世界的に「清潔、純潔、寛容な心」などの良いイメージを持たれており、古代の日本では白は帝のまとう紫と並んで神聖な色とされてきたり、共産主義国では戦勝パレードで兵器を白く塗ることがあるほど白は「勝利」を象徴する色として重宝されてきた。国旗において白色を用いる国家も数多くあり、カナダでは「国土と国の発展」を、イタリアでは「正義と平和」を、スイスでは「キリスト教精神」を、イランでは「平和」を表しているとされているのである。

 しかしながら「清潔、純潔」を象徴するあまり、その色が前面に押し出されると無機質さを覚えざるをえない。生物が暮らしていれば発生するはずの「汚れ」がそこでは隠されており、常に無秩序状態へと拡散してゆこうとする自然界の流れに反する「秩序」が人工的に作り出されているからである。そのような家にあっては、ユーモアの生まれる余地など存在しない。

 生きていれば必ず発生するはずの汚れや混乱から目を背け、その秩序の維持をMatildeという他者に任せること。それはLaneの抱える、人生を直視することができないある種の病なのではないかと考えた。


3、Matildeがもたらす生を見つめるためのユーモア

 前項では舞台セットや衣装、キャラクターの設定やその意義に注目することで、The Clean Houseの物語がどこか病的なまでの清潔感に満ちた、無秩序なものを恐れているLaneの家やLaneの精神性について考えた。以下では、その無機質で病的な“The Clean House”がどのようにして崩れていくのか、それに伴ってどのように芝居は変化していくのかについて考えたい。

 本作は前述の通り白を基調としたセットにMatildeというブラジル人の掃除婦が現れ、ポルトガル語でジョークを言う場面から芝居を始める。無垢な家はMatildeという掃除嫌いの掃除婦を受け入れ、物理的な美しさを湛えたセットにはCharlesという“Dirty Love”に夢中になっている夫が現れる。神経質で清潔好きな姉妹の家は他者に侵され、彼女らの心までをも揺さぶってゆき、どこか無機質で人工的な秩序によって厳格に統治されていたLaneの家は新しい秩序を受け入れ始めるのである。この「笑い」と「秩序」について、上方研究の会代表などを務めて「上方お笑い大賞」創設にも関わり、笑い学を提唱した社会学者の井上宏は、『ユーモアの社会学』(森下伸也・1999年)を評する際にこのように述べている。


私は、ユーモアを「心身のバランスをとる方法」として考えたらどうかと思っている。人間は、固まった、硬直した状況の中では息が詰まるので、それを揺さぶって新しい空気を入れようとする。正気だけでは息が詰まるし、さりとて狂気ばかりでは生きていけない。秩序が余りに固いと、新しい秩序の登場に夢を見る。(129上段)


 これはまさにLaneの家と、そこで進む芝居に当てはまる。一見純粋無垢な白さに見えた家にはMatildeという掃除嫌いの掃除婦が現れ、Charlesという「穢れた恋」の相手やその「赤い」下着が現れ、生きるうえで避けがたい無秩序さや混乱、汚れを明らかなものとするのである。家族劇ではしばしば他者の来訪によって、安寧や緊張から脱することがあるが、本作では特にブラジル人である(異邦人である)他者の来訪によってそれがもたらされているのである。新しい秩序に戸惑いLaneはMatildeを解雇するものの、Laneが白い家のなかで混乱と汚れにまみれた人生を見つめざるを得なくなっていることは確かである。それはLaneが第二幕においてCharlesとAnaの逢瀬を妄想していることから分かるであろう。

 ここまで舞台セットと第一幕を通して、生に向き合えないという病と、それを切り崩してゆくユーモアについて検討したが、本作で「笑い」は単に登場人物を生に向き合わせるに留まらない。印象的な、衝撃的な場面にMatildeの「完璧なジョーク」によって笑い死ぬAnaというものがあるが、以下、人を生かすのみならず殺すユーモアとは何かについて考察したい。


4、Anaを殺したユーモア

 Laneの回想なのか、現実なのかが曖昧な舞台上でCharlesとAnaの恋物語から第二幕は始まり、しかしながらCharlesとAnaによる闘病をめぐる言い争いを経て、話題はMatildeの求める「完璧なジョーク」へと収束していく。この「完璧なジョーク」は最終的に2幕13場においてAnaを殺すことになるが、なぜここでAnaはMatildeのジョークに殺されるのか。

 それは、「笑い」によって「心身のバランスをとる」(井上宏)ためではないだろうか。Laneは「笑い」を通して新しい秩序を手に入れ、目を背けてきた生を見つめ直さざるを得なくなったが、逆にAnaは「笑い」によってさらに新しい秩序を手に入れ、これまで向き合ってきた生から望み通り解放されるのである。白い無垢なセットから始まった物語は、「笑い」の連れてきた混乱と汚れのうちに新しい秩序を獲得し、最後には死という最も避けがたい秩序を全うすることになるのである。


5、結論

 本稿では、The Clean Houseという作品を貫く二つの軸、「清掃、掃除」すなわち秩序だった世界を目指すための労働と「笑い」を接続させ、生死の狭間で揺れるユーモアについて考察した。Laneの抱える人生の混乱や汚れに向き合うことができないという病を、秩序から逸脱する行為そのものである不倫や、新しく訪れたユーモア精神に溢れるMatildeが想像しない形で回復へと導いていったのではないだろうか。またMatildeの登場によって新たに生まれた秩序を壊すためにも、ユーモアはAnaを殺さなくてはならなかったのではないだろうか。

 今回は、大きな拠り所を失いたくないという一心で掃除に励むVirginiaについて議論できなかったため、彼女はどのような問題を抱えていたのか、そしてそれはユーモアによってどのように回復されたのか/あるいはしなかったのかについても検討したい。


5、参考文献

井上宏. “国立研究開発法人 科学技術振興機構.” 『ユーモアの社会学』(世界思想社), 1997, https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/42/1/42_125/_pdf.

Abbott, Katherine. “A Practical Joke Takes on Meaning in ‘The Clean House’ at Williamstown.” The Berkshire Eagle, 21 July 2017, https://www.berkshireeagle.com/arts_and_culture/arts-theater/a-practical-joke-takes-on-meaning-in-the-clean-house-at-williamstown/article_663bb49c-6706-5b1e-b0b7-9832fa0bee77.html.

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