第2話 グリムハート

「父ちゃん! 見て見て。こんなに取れたよ!」


「お、凄いなぁ。父ちゃん驚きだ!」



 山の中、野草を両手に抱えた子どもの頭を父親が撫でている。子どもは顔をほころばせ、手のものをかごに入れると父親の背に飛びついた。



「おっと! こらこら。いきなりどうした」


「父ちゃんも取ったー!」



 危ないから注意しようと思っていたのに、突飛な発想をする息子に、父親は思わず笑った。



「あははは! そうきたか。うわー取られたー! 離せ―!」


「やー! ぼくが取ったんだから父ちゃんはぼくの! どっか行っちゃだめー!」


「ははは。そうか。じゃあ一緒にいないとだな」


「うん! 一緒! ずっと一緒!」



 揺れる父親の背を、息子はぎゅっと抱きしめる。揺れて、揺れて、だんだん意識が薄れてきて……。




 * * * * * *




「--ま。起きて、エボ義兄さま」


「んん……?」



 肩を揺すられてエボは目を覚ます。朝日が眩しい。傍らには気品のある少女が金色の長髪を靡かせていた。



「……おはようルーナ」


「おはよ、エボ義兄さま。最近は夜更かしばかりだったから心配してたけど、今朝はぐっすりね」



 はにかむルーナに、エボは頬をかく。


 エボは引き取られたグリムハート家に住んでいるが、自分は軍人になったからとメイドの世話をきっぱりと断っていた。兵舎に入ることも希望したのだが、義父に反対されたので執事の部屋を割り当てられている。


 これまで寝坊などしたことがなかったのだが、今日初めて起こされた。それも年下の妹に。散らかした部屋に、きちっとした服装の妹がいる。その事実が何となく気恥ずかしかった。



「あ、ああ。そうだな。久しぶりに夢を見たよ」


「まあ! どんな夢だったの?」


「後ろからぎゅっとやって、父さんをとる夢。楽しかったなぁ」


「エボ義兄さまはお父様の首が欲しいの……? 首をとるのに快感を覚えちゃったの?」



 ルーナが肩を抱いて震える。何を怯えているのかとエボは首を傾げるが、すぐにとんでもない勘違いをされていることに気がついた。慌てて身振り手振りで必死に訂正に入る。



「ああ、違う違う! 俺の父さんだよ。引き取られる前の」


「その首を?」


「違う違う違う。遊んでただけ! ほんとに! ただそれだけ」


「……そうなの? それならいいんだけど。あ、そうそう。忘れるとこだった。ガンド兄さまが呼んでたから起こしにきたの。庭で待ってるって」



 見るからに嫌そうな顔をするエボに、ルーナはびっと指を指す。



「伝えたからね。無視したら私に文句くるからちゃんと行ってよ」


「……わかった」



 ため息をつき、エボは身支度を整え、庭に向かう。



「遅いぞエボ。今日こそ俺様が兄だと分からせてやる」



 庭には木剣を持った青年が待ち構えていた。もう少し切ったら丸刈りになるであろう金髪の短髪、新緑の瞳は釣り上がり、眉は逆さに八の字。自尊心の高さが顔面にまででている男、それがガンド・グリムハートだった。


 養子のエボと同い年だが、ガンドは自分が兄だと自称している。



「なぁ、いい加減もうやめよう。ガンドが兄だって義父さんも言ってる。勝負する必要はないっていつも言ってるだろ」


「兄が弟に負けるか! こい! 今日こそ一本取ってやる。手は抜くなよ!」


「んなめちゃくちゃな……」



 はぁ、と肩を落とすとエボは真っすぐガンドに突進する。ガンドは待ってましたと言わんばかりに大上段から木剣を振り下ろす。


 エボは足運びで右側へと回り込み、腹部に向かって軽く木剣を横薙ぎにする。当たったかと思ったが、ガンドは後ろへと飛び退いてギリギリで交わしていた。ならばと距離を詰め、今度はエボが大上段から振りかぶる。その一撃を転がることでガンドは回避。ごろごろと転がり転がって、距離を取って立ち上がった。



「はぁ……はぁ……どうだ! いつまでもやられてばかりじゃないぞ」


「うん、驚いたよ。だから、この辺でさ……」


「全力で、こい!」



 袈裟に切りかかってきたガンドに、木剣を横から当てることでエボは軌道を逸らす。そして体勢を崩したガンドの首に木剣を当てた。



「一本。じゃあ、俺はこれで……」


「もう一回、だ!」



 ガンドが吠え、エボの腹を蹴り飛ばす。尻餅をついたエボに再び大上段から振り下ろす。


 次の瞬間、ばきんと鈍い音が鳴る。


 エボが横薙ぎに振った木剣が、ガンドの木剣をへし折っていた。折られた木剣がひゅんひゅんと音を立てて落下する。残った柄を見て、ガンドが呟く。



「……クソが」



 持っていた木剣を投げ捨ててガンドが去っていく。エボはその背を追うことができなかった。


 失敗した、とエボは天を仰ぐ。



「相変わらず凄まじいな」



 背後から突然投げかけられた声に、エボは慌てて振り返った。



「テュール隊ちょ……いや、義父さん。見てたなら止めて下さいよ」


「止めないとも。自分より優れた者を認める度量がガンドには必要だ。それに……」



 テュールがガンドが投げ捨てた木剣の柄を拾い上げる。



「強くなっただろう?」



 エボはうなずいた。エボには常人離れした身体能力がある。ただの軍人相手では打ち合うことすらままならない。そんな馬鹿力で弾かれても、ガンドは木剣から手を離さなかった。


 柄を持つテュールの右手の傷が、エボの目に映る。腕の健のあるべきところがえぐれ、木剣をろくに握れていなかった。



「なんだ。まだコレを気にしているのか?」


「いくら償っても足りません。軍神を俺は殺してしまいました」


「お前を子どもだと侮って、うっかり噛みつかれた私が悪い。気にするな……これは罰さ」


「罰なんて、そんな。俺の父を殺したのは魔物。テュール隊長に罪なんてないですよ」



 気にするな、と言われてもエボはどうしても気が引けてしまう。幼かったエボは自分がそんな力を持っているなんて気づいていなかった。父親の死体を前にして、気が動転してしまった。どうして守ってくれなかったんだと八つ当たりして、テュールの腕を噛みちぎるという取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


 テュールは苦笑する。



「……そうか。話が逸れたな。とにかく、だ。ガンドがかかってくる度、打ちのめしていい。へし折って俺の後継を狙ってもいいんだぞ」


「身の丈に合いません。後継はガルムに」


「そういうところが、ガルムより上に立つ素質があるってことなんだがな。グリムハートの名を背負う気になったら、いつでも相談しなさい」



 やれやれと首を振り、テュールも去っていく。



「自分の息子より養子を優先するのはどうなんだ……」



 エボは頬をかく。それにガンドは面倒な奴だが、悪い奴ではない。努力を欠かさず、折れない姿勢には見習うものがある。


 対してエボは生まれついて持った力を振るったに過ぎない。技術だけを身に着けていればいい自分と、肉体も鍛えているガンドには最初から差がある。これで競えだなんて不平等だ。エボはそう思えてならなかった。



「エボ義兄さま」



 片づけをしていると今度はルーナが話しかけてくる。


 先ほどの衣装から着替えたのか、地味目の服装に変わっていた。ついでに大きめの帽子も被っている。



「どうしたルーナ。手伝いに来てくれたのか? でももう後はしまうだけだから。ああ、そうだ。ちょうどこれから朝食なんだ。一緒に食べようか?」


「ええ! そのつもりで来たの」


「そうなのか? まあ、ちょっと待っててな」



 片づけが終わり、最後に腰の木剣をしまおうとすると、待てないのかルーナがエボの腕を引いて歩きだす。せっかちだな、と思いつつ今朝のこともあるのでエボは引っ張られるままに歩く。木剣は、まあ、後でしまえばいい。



「エボ義兄さま。今日のご予定は?」


「特に何もないかな。仕事は……ちょっと休みもらってるから。図書館で調べものするぐらいだ」


「例の生首で謹慎中でしょ。知ってる」



 知っているのかとエボは驚く。思い返してみれば、今朝も義父さんも生首にするのとか言っていた。ではなぜ知っていて、わざわざ聞くのだろうか。



「だから、ね!」



 気づけば屋敷から出ていた。エボはぽかんと口を開け、愕然とする。ルーナは自分の信頼を利用してエボの思考力を奪っていた。朝に貸しを作っておくことでちょっとした異論も挟ませない準備。さらには会話で意識を引いて、考えさせることを放棄させていたのだ。



「街へ行きましょう。皆には秘密ね!」



 エボはもほや乾いた笑いしか出ない。グリムハートという一族の強引さを、改めて思い知った。

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