第3話 邂逅

 アルナルド王国は人間が治める多民族国家である。


 すれ違う人々の服装はバラバラで、袈裟を着ている人もいれば着物や頭に巻物をしている者など様々だ。中でもここ王都は交易都市として発展しており、日々様々な行商が集まる。今日は収穫祭の前日のためか大通りは人で溢れていた。


 普段は見れない賑わいを前にルーナは目を輝かせる。普段から抜け出して世間を見て回ることはあっても、祭りの日にしか出さない露店も多い。次へ次へとずかずか進んでいく。


 催し物がある日はトラブルが付き物だ。スリや暴動、人が集まるので宗教勧誘の動きも活発化する。問題を上げれば切りがない。護衛をつけても短時間しか見物が許されないだろう。屋敷に連れ戻してもいいが、そうすれば今度は一人で抜け出すかもしれない。


 そう考えたエボは仕方なくルーナに付き合ったのだが、想像以上の奔放ぶりだった。



「エボ義兄さま! アレ! あの髪飾り欲しい!」


「結構高いな。買ってもいいけど、俺の手持ちは限りがあるんだから。これを買ってから後で欲しいものができて足りなくなっても知らないぞ」


「大丈夫! そのときは私のお小遣いから出すから」



 中身を確認していたエボの財布をひったくり、ルーナはお望みの品を買う。


 家名のある騎士の娘がやることではない。軍人としての稼ぎよりもよっぽど小遣いをもらっているはずなのだが、どうしてこうケチなのだろうか。エボには不思議でならない。



「ねぇねぇ! つけてつけて!」


「はいはい。畏まりました、お嬢様。たいへんお似合いですよー」


「うふふ。そうでしょ? エボ義兄さまからのプレゼント、大事にするね」



 ルーナの中では、財布をひったくって買ったものでもプレゼントらしい。エボは呆れて言葉もだなかった。妹の結婚相手が不憫でならない。


 もう一年もすればルーナは成人だが、そういえば婚約の話をとんと聞いたことがない。英雄テュールの娘なのだから、王族からだって話が合ってもおかしくないのだが。それとも自分がいないところで話が進んでいるのだろうか。


 エボが余計な気をもんでいると、向かいに見知った顔と目が合った。



「キャットテイルさん? おはようございます。こんな往来で、奇遇ですね」



 帽子を被り、丈の長いスカートで隠しているがしっぽと耳の部分に膨らみがある。エボが昨日出会ったエミー・キャットテイルがそこにいた。隣にはフードを被り、お面を付けた子どもを連れている。



「……誰?」


「え?」


「え? ……あ、あー! 昨日のお客さん! たしか、名前は、えっとブル、ブル……」


「……エボ・グリムハートです」


「そうそう! グリムハートさん! 奇遇ですねぇ会えてうれしいですぅ!」



 エボは苦笑いしか出てこない。嬉しいなどとは微塵も感じていないことがまるわかりだった。挨拶したことをエボは今更ながら後悔する。


 エボの背からルーナが顔を覗かせた。



「……エボ。誰ですか? その人」


「昨日飲んだ酒場のウェイトレスさん……ルーナ? なんでいきなり呼び捨てなんだ?」


「会ったばかりの人にわざわざ挨拶? 女の人に? へーそうですか。ふーん……どうも、ルーナです」



 急に不機嫌になった妹に、エボは困惑していた。年頃の女の子はわからない。買い物の邪魔をされるのが嫌だっただろうか。



「ルーナさんですかぁ。グリムハートさん、ルーナさん、はい。覚えましたよぉ」


「あ、いや。同じグリムハート家なんです。俺はエボでいいですよ。キャットテイルさん」


「あー!?」



 いきなり素っ頓狂な声をあげるルーナに、エボは「どうした」と振り返る。


「なんでもない」とルーナは顔を背けるが、どう見ても何でもないことはない。



「そうなんですか? じゃあエボさんで。私もエミーでいいですよぉ。それにしても、若いのにもう奥さんがいるなんてびっくりですぅ」


「え? えへへ。そう? そう見える? 見えちゃうかー」


「いえ。妹です」



 今度はバシバシと背中を叩かれる。エボは妹が何かを考えているのか思考を放棄しつつあった。



「なんなんだ全く……えっと。エミー、さん? そっちの連れてる子は?」


「え、えっと。弟です、けど、その……顔見知りで。お面は取らないであげてくださいね。人と関わるのが怖いみたいなので、他の人に紹介するのも控えてもらえると」


「は、初めまして、お兄ちゃん、お姉ちゃん。ぼ、ぼくはレオンです」



 レオは弟というには高い声、フードと仮面でほとんど容姿がわからないことも相まって声だけなら女の子だ。おどおどしていて小動物のようで、たしかに悪い大人が寄ってきそうだった。なんだかいい匂いまでする。


 それでなくてもエミーは看板娘。仲良くなるきっかけになろうとしてくる輩もいるに違いないとエボは理解した。



「エミー様! レオンくん! 改めて、ルーナ・グリムハートです。お二人はとってもいい人ね」



 急に愛想がよくなったルーナを、エボは二度見する。しっかりスカートの裾をもってまで挨拶していた。



「その髪飾り……さっきの露店にあったやつ。結構なお値段だったのに。しかも挨拶まで……もしかして貴族だったり?」


「ええ。あそこの屋敷のグリムハート家よ。知らないってことは、ここに来たのは最近なのね」


「……エボさぁん。この後お時間あるぅ? いっぱいサービスしちゃうよぉ?」


「エボ義兄さん駄目! この人は絶対駄目な人! お金しか見てない! 騙されないで!」



 先ほどの後だからというのもあるが媚びを売られても、エボは何も響かない。それよりもルーナの変貌ぶりのほうが気になった。どうしたというのだろう。本で見た多重人格と言うやつではないと疑ってしまう。医者に見せた方がいいのか。



「はぁ……。落ち着いてルーナ。エミーさんも。俺はそういうの興味ないから……エミーさんたちも露店巡りですか?」


「ちっ……コホン。露店巡りとは、違うんだけどぉ……そこの路地の奥にある店にはお世話になってて。でも繁盛してないみたいで。貴族さまもほんのすこぉーしだけお金落としていってあげて」



 エミーが指さした路地はどこか暗い雰囲気が漂っていた。ルーナを連れて入るのには抵抗がある。しかし往来でこんな会話をしてしまった手前、行かないのは家の名に泥を塗る行為だ。普段のルーナならお忍びのときにわざわざ貴族だと名乗ることはしないのだが、どうやら祭り気分に浮かされたらしい。


 面倒だが仕方ないと、エボは精いっぱいの作り笑いを浮かる。



「それはいけないですね。是非、立ち寄らせていただきます。ではこれで」


「はぁい。またお店でねぇー」



 エミーを睨みつけているルーナの手を引き、エボはその場を離れた。このまま話し合って喧嘩にでもなれば更なる厄介事を招きかねないからだ。


 ここで向かわないのも不自然なので、そのまま怪しげな路地へと踏み込む。何が起こるかわからない。都合がいいのでエボは手を離さなかった。念には念を入れて指と指を絡ませて簡単にはとれないようにする。ルーナが何やら「きゃっ」だとか「え、え」と困惑しているようだが、エボは気にも留めない。さっさと店に行って用事を終わらせたかった。



「ここだな」



 路地の奥道は一本道で思ったよりも距離があったが何事もなく到着する。そこにあったのは薬屋だった。棚にずらりと並べられた瓶は壮観で、中には液体だったり粉だったりが詰められている他、トカゲの丸焼きや人の指のようなものまである。


 確かに客足がまるでない。エミーはどうやってこんな店を見つけたのだろうか。手を離そうとすると、ぎゅっとルーナに捕まれる。



「ルーナ。手はもう離していいんだぞ」


「い、今更恥ずかしくなったの? 自分から繋いできたくせに」


「何を言ってるんだよ。どっか連れ去られたりしたら大変だからに決まってるだろ」


「じゃあなんで、こ、恋人つなぎなんて……」


「なんだ恋人つなぎって? こうしたら離れにくいってだけだけど、なんか悪かったのか?」


「ふーん……あっそう。そーですか」



 ルーナに、エボは頭を抱えた。昔からよく懐いていたが、最近はいきなり不機嫌になることが増えている。どうしてなのだろうか。



「離してくれよ。これじゃ品物見づらいだろ」


「エボ義兄さんから繋いできたから、今度は私が離すまで離しませーん」


「はぁ……わかったよ」


「あはは。お二人さーん。店の前でいちゃつかれると困るな―……なんて」



 不意に後ろから声が投げかけられ、エボは慌てて振り返る。ルーナを背に、繋いでいた手も振り払い、右手は木剣に添えられている。


 路地に入ってから誰もいなかったはずだった。見落としたとしても、エボなら気配でわかったはずだ。これまで不意をつかれようが、背後を取られたことなんて一度もない。エボの鋭い知覚をもってしても、今の今までその存在を気づかせなかった。


 そこにいたのはただの華奢な少女。年はエボと同じ十六ほどだろうか。立ち姿からして武術を学んでいる相手ではない。銀色の長い髪、瞳は吸い込まれそうなほど深い藍色をしている。ローブから覗く細い腕、日焼けのない肌は病的に白い。敵意こそない様子だが、その異様な存在感が不気味だった。



「……何者だ?」


「そ、そんな怖い顔しないでよ。何もしないから」



 両手を上げて少女はおどおどとし始める。警戒を緩めるための演技かもしれないと警戒は解かない様子に、少女は眉を八の字に困らせながら言った。



「あたしはミシャ。薬を売ってるだけの善良な魔女だよ」


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