ケモノケダモノー猟犬と魔女ー

蒼瀬矢森(あおせやもり)

第1話 王国の猟犬

 暗がりの夜に満月が街を照らしていた。屋台もランプも付けずに、道行く人を迎え入れる。祭りはまだ先だというのに、大通りは賑わいを見せていた。どこかで大捕り物をしているが、それも人々には些末なことらしい。


 白煙の立ち昇るアジトを背に男は走る。息を切らし人混みをかき分け、走る、走る、走る。


 なぜこうなった。


 アジトがバレたのは仕方のないことだった。下っ端が吐いてしまったか、それとも尾行されてしまったか。よくあることだった。


 伯爵に見捨てられたのも仕方ないことだった。いくら大金流していようが、軍が動けばトカゲのしっぽ切りされるだろう。


 だが一つ、男には分からない。自分がなぜ追われ、この追跡を振り払えないのが。



「はぁ……はぁ……くそったれ!」



 アジトには二つの裏口がある。軍のほとんどは団員たちが逃げ出した方へと向かった。


 男が逃げ出したのはもう片方。他の団員には教えていない、自分だけの裏口。そこから出て、人混みに紛れてしまえば絶対に見つからない……はずだった。


 男には自分を追う足音がずっと聞こえていた。足止めれば止まり、走り出せば走る。すぐに捉えようとしないのはこの人々を巻き込まないためなのか。


 このまま人ごみに紛れていれば襲ってはこない。だが、それがいつまで持つというのか。


 男は舌打ちをし、雑木林へと飛び込む。


 民衆に紛れるために身に着けた安物の服に泥が跳ねる。惜しいものではないが、彼には自分が泥をかぶっているという事実が耐えがたかった。それでもプライドよりも命が惜しい。服の下に隠していた宝石のついたペンダントを落としても、走るのをやめなかった。


 枝葉でいくつもの擦り傷を作り逃げるが、自分を追う足音は着実に近づいている。不意に足首に熱を感じ、そのまま体勢を崩して倒れた。



「ひいっ!?」



 目を向ければ、足の健を切られていた。眼前には男を見下ろす影がある。


 ぼさぼさで目元まで伸びた白髪、幼い顔立ちなのに背丈は一般的な成人男性よりも高い。紅い眼光が怪しく光り、握られた白刃からは血を滴らせている。人体を切りつけたというのに顔には何も浮かんでいない、うすら寒ささえ感じる無表情だった。


 男は唾を呑む。命乞いは通じないだろうと分かったからだ。


「白髪に童顔……お前が王国の猟犬か」


 背中に隠した銃を抜こうと瞬間、男の視界がぐわんぐわんと転がった。


「オレを、と呼ぶな」


 剣が振るわれていたと気づいたのは、地面に頭が落ちたとき。薄れゆく意識の最中、猟犬が手が迫ってくる。背後で月が赤く染まっていた。




 * * * * * *





「ぶわはははははははは!」



 兵士たちが鎧も外さずに集まり、酒場は活気で満ちていた。周囲の音がかき消されるほどの賑わいの中にあって、ブルバンは一際大きな笑い声を上げた。



「報告は以上です。ブルバン大隊長」


「いやぁ、お前にはいつも驚かされる。取りこぼした首領の生首を持ち帰るとは。いつの時代だ? 野蛮にもほどがあるだろうが! ぶははははははは」



 ブルバンがバンバンと膝を叩くとテーブルもガタガタと震える。成人男性の二回りはある巨体、腕を覆うほどに毛深い体毛、熊が店内に侵入してきたのかと疑うが、彼こそがブルバン・ボネ。王国軍の大隊長である。体格のせいで大ジョッキがコップほどのサイズにしか見えなかった。



「極東の国では大将首を持ち帰るそうです。それに全身運ぶのは手間でしたので」


「だからって生首ぶら下げるのはなぁ。どっちが悪党か分からんぞ……しかし、惜しいな。捕縛していれば昇進間違いなしだというのに。犬のままでいるつもりか? エボ」



 ブルバンの向かいにいた青年――エボはピタリと酒を飲む手を止める。



「犬と呼ぶのは止めて下さい……相手は麻薬カルテルのボスです。捕まえたところでどうにかして出てくる」


「やっぱりなぁ。捕まえることもできたのに殺したな? エボ」



 エボは沈黙した。図星か、とブルバンは大げさにため息をつく。



「……お前の判断は正しい」



 ブルバンは酒を煽る。一息で全部飲み干し、げっぷする。



「だがな、正しいだけだ。エボ。お前は歯止めが効いちゃいない。正義ってのは振りかざすだけじゃ暴力と何も変わらない。殺せば解決するっていうなら、最後には一人ぼっちだろうさ」


「そこまではやりませんよ」


「そうってことだ。生首抱えてる奴見たらお前どう思う?」


「やばい奴ですね」


「わかってるならやるな馬鹿者……おーい、嬢ちゃん! ビールお代わり」


「あ、こっちもお願いします」


「はーい! ただいま!」



 若いウェイトレスが元気よく返事をしてジョッキを回収する。


 それでも二人の間には空のジョッキが積み上げられていた。ウェイトレスがいくら回収してもすぐに山が出来上がる。彼らの席に他のものがいない理由がコレだった。



「あのウェイトレスの嬢ちゃん初めて見たな。スカートの下からちらちら見えるのはしっぽか? こいつは珍しい。獣人族だぞ」


「ああ、三日前に入ったばかりの娘ですね。獣人ってそんなに珍しいですか? 大隊長も同じようなもんじゃないですか」


「俺はどっからどう見ても人間だろうが……あと獣人ではなく獣人族だ」


「獣人と獣人族ってなにか違うんですか?」


「ああ。獣人は頭部が獣だと聞く。俺の爺さんの世代じゃ奴隷だの差別だのいろいろとあったらしい。血の薄れて人寄りになった獣人を獣人族って呼ぶんだ。まあ、耳としっぽがあるだけで、人間と何も変わらんさ。獣人はもういないのかもしれないな。確か特定魔物被災種族で……」



 ブルバンは口元を手で抑える。エボの持つジョッキがミシリと軋んでいた。



「すまんな。失言だった」


「……謝ることじゃないですよ。それよりも、その特定魔物被災種族って――」


「お待たせしましたぁ!」



 会話の途中で先ほどのウェイトレスがビールを持ってきた。


 エボは話を遮られたことに僅かな苛立ちを覚えたが、すぐさまモヤモヤを抑える。そしてウェイトレスを改めて観察する。


 カチューシャのような髪飾りで分かりにくいが、ブロンドのボブカットの上に猫のような耳が確かにある。頭に耳があるなら人間の耳はついていないのかと確認したくなったが、残念ながら隠れて見えない。顔立ちは人間と同じだ。鼻のかたちも変わりないし、猫のようなヒゲもない。それっぽいといえば八重歯くらいだろうか。



「おお! ありがとよ嬢ちゃん。……おいエボ。レディをじろじろ見るもんじゃねぇぞ。ムッツリめ」


「あ、いや。そんなつもりは……」



 エボの視線の先に気づいたのか、あははと笑いウェイトレスは頭をかく。そしてカチューシャを外して耳を露わにした。



「これ、気づいちゃいましたぁ?」


「すまんな、嬢ちゃん。隠してただろうに、うちの馬鹿が……」


「いやジロジロってなら大隊長のほうがじっと尻眺めてたじゃないですか。しっぽが下からちらちらとか言って」


「バラすんじゃねぇ大馬鹿野郎!」



 ブルバンに拳骨を食らい、エボは呻く。ウェイトレスはカチューシャを付け直し、大げさに小さな胸を抑えた。



「やぁーん、えっちぃ! ……て、え? しっぽ見えてた?」



 唐突に素になったウェイトレスに、エボも素で返事をする。



「あ、うん。割とがっつり」


「嘘! 店長がこれならバレないって言ったのに、もう……コホン。教えてくれてありがとぉ。私エミー・キャットテイル。お客さんたちのお名前はぁ?」


「あ、ああ。俺はエボ・グリムハート」


「俺はブルバン・ボネだ。可愛い嬢ちゃん。しかし……ははは! 嬢ちゃんのしっぽ目当ての客たちに悪いことしちまったな!」


「……え?」



 エミーが振り返ると、後ろにいた客たちが一斉に目を逸らす。ぷるぷると羞恥に震えたエミーは「ふしゃー」と唸り、しっぽを逆立てた。ひざ裏ほどの丈のスカートが巻き上がり下着が露わになる。


 白だった。しかも尻側は途中からスケスケだった。


 エボもブルバンも咄嗟のことで静止する。



「見えてるなら言いなさいよアンタらー! 子ども扱いして! 全くもう! ……あれ? どうしたの? グリムハートさん、ボネさん」



 しっぽを下ろして向き直ったエミーが首を傾げる。二人は顔を見合せ苦笑いする。



「いや、何でもない……十分オトナだよエミー」


「お、おう。そうだなエボ」


「もぉー褒めても何も出ないよぉー」



 ルンルンと戻っていくエミーの背で、「しー」と己の口に人差し指を立て二人は固い握手をした。



「なあエボ。何、話してたんだっけか?」


「……何でしたっけ?」



 互いに噴き出して笑う。酒を一気に煽り、空を仰ぐ。欠けていく満月はまだ丸かった

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