次のバスに乗るな

ふさふさしっぽ

本文

 あれは、私がまだ大学生だった頃の話です。

 ときは8月のお盆の入り。私は母に「お盆なんだから、先祖のお墓を掃除して来い」と命令され、ひとりバスに揺られながら、菩提寺に向かったのでした。

「ったく、俺はそんな暇じゃないっつーの」

 私はバスの中でそんなふうに思っていましたが、実際はただのヒマな大学生でした。

 もう10年以上前のことなので詳細は忘れましたが、両親にはそのとき何か別の用事があり、ちょうど夏休みに入り暇を持て余していた私に墓参りを頼んだ、ということだったと思います。

 風もなく、日が照り付ける、猛暑の日だったと記憶しています。

 私は手早く墓参りを済ませ、バス停で帰りのバスを待っていました。お昼ごろのことです。

 バス停には私のほかに高校生くらいの女の子が一人。彼女は真っすぐな黒髪をポニーテールにしており、Tシャツにハーフパンツというラフな格好で、ただ静かにバスを待っていました。

 彼女の服装までよく見てるねって? ちょっと、いやかなり美人な女の子だったんで、つい、ちらちらと見ていました。


 時間になってもバスは来ませんでした。

 遅れているのかな、と思い、私は待ちました。高校生の女の子もです。

 まだバスを待って15分ほどでしたが、私は容赦ない日差しにうんざりしていました。バスが来ないことに心の中で悪態をつきました。

 さらに10分。バスは来ません。

 タオルで顔の汗を拭いながら私はだんだんとイライラしてきました。

 スマホを見るのも飽きて、もうすることがなく、何気なく後ろを向いた瞬間、と目が合いました。

 古いラジオです。

 私の背後は更地になっていて、進入禁止の金網が張られていました。その場所に、不法投棄と見られるさまざまなゴミがうず高く積み上げられ、捨てられていたのです。

 そのゴミの中のひとつが、古びたラジオでした。全体はクリーム色で、縁取りのブラウンがアクセントになっているデザインです。

 すると、信じられないことなのですが、突然ラジオがしゃべったのです。


「次のバスに乗るな」


 誰の声なのかは分かりません。聞いたことのない声でした。だけど私にははっきりと聞こえたのです。「次のバスに乗るな」と。

 私はびっくりしました。どう見ても壊れて捨てられているラジオが動いたのですから。

 ――そのとき、バスが到着しました。

 ここまで乗って来たバスは乗車口がバス中央でしたが、このバスは前方が乗車口でした。

 私は慌ててバスに乗ろうとしました。

 この暑い中、ここまで待ったのですから、はやくバスにのって涼みたいという思いもありました。

 ラジオがしゃべったのは聞き間違いに違いないとさえ思いました。そうやって自分を納得させ、バスに近づいたとき、

 あれ? あの女の子はどこに行ったんだろう?

 と思いました。どこにももう女の子の姿はありません。もう先に乗り込んだのかな、と思ってバスを見上げると……。

 顔がありました。

 バスの乗客みんなが、バスの中から私を見つめているのです。

「うわっ」

 思わず私は叫んで、後ずさりしました。それぐらい、乗客みんなの顔がそろいもそろって不気味だったのです。

 バスの中で座っている人も、立っている人も、みんな私を見つめているんですよ? 無表情で。おかしいでしょう。

 私は私の後ろに何かあるんじゃないかと思って、慌てて後ろを振り返りました。

 後ろには、不法投棄のゴミの山があるばかり。さっきしゃべったラジオは見当たりませんでした。

 再び前を向くと、バスはあとかたもなく消えていました。

 走り去る音もしませんでした。

 あれはなんだったんでしょう? 今でも不思議に思います。


 その数分後、何事もなかったかのようにバスが到着し、中央の乗車口が開きました。

 私は少し迷ったあと、このバスに飛び乗りました。

 さっきのバスとは明らかに雰囲気が違う、普通のバスだったからです。

 バスの中で私はぼんやりしていました。汗もいつのまにかすっかり引いて、エアコンのせいか、ちょっと寒気がするくらいでした。そして、ふとあのラジオのことを思い出しました。

「次のバスに乗るな」

 確かに、ラジオはそう言いました。平坦な口調でしたが、はっきりとした声でした。

 私は家に帰ってから母にこの話をしたのですが、霊的な話をいっさい信じない母は、ただバスのダイヤが乱れただけでしょ、と真剣に取り合ってくれませんでした。

 父は(今回墓参りしたのは父方の先祖です)、

「ご先祖さまが、子孫に忠告してくれたのかもな。そのバスはやばいバスだったのかもしれないぞ」

 と言っていました。どこまで本気で言っていたのか分かりませんが……。

 その後、私が墓参りに行くことはありませんでした。

 ラジオがまだあそこにあるか、気にはなっていたのですが、バイトを始めたり、恋人ができたりで、関心が薄れてしまったのです。


 今思い返しても奇妙な体験です。

 あの高校生くらいの女の子はどうなったのか……美人だったな、という記憶のみで、不思議なことに顔は全く思い出せないのでした。あんなにチラチラ見ていたのに……お盆に起こった、私唯一の不思議な体験です。

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