第9話 馬車の中

 自分の見る世界が上下左右にグラングランと動く。視界が安定しないのでだいぶ酔ってきた。今すぐにでも吐きそうだ。


 だが、今この場で吐かないように全力で込み上がってきた胃液を飲み込む。


 苦い。気持ち悪い。だが我慢だ。なぜなら今、俺は屈強そうな人たちと一緒に、狭い空間の中でぎゅうぎゅうに押し込められているからだ。


「おい兄ちゃん、頼むから今ここで吐かないでくれよ!たくさんの人にゲロがかかっちまうぞ。・・・主に俺にな。」


 俺の目の前にいるイカツイおっさんが話しかけてくる。


「しかもこんな酔いやすいところで吐いちまったら、その匂いで他の人たちも釣られてゲロっちまう。そんなの地獄だぜ?」


 おっさんのその言葉から地獄をイメージしてしまい、さらに気分が悪くなってくる。やばい。もっと吐きそうになってきた。なんだよこのおっさん。馴れ馴れしい上に、さらに状況を悪くしないでほしい。


「うおっとぉ!すまんかった!もっと気分悪くさせちまったらしいな。しょうがない。お前さんにはこいつをくれてやろう。」


 そういうとおっさんは何やらゴソゴソし出して、俺に何かを差し出してきた。


 俺は気持ち悪くて声が出せなかったが、それを察したおっさんは差し出したものの説明を始めた。


「そいつはポーションだ。知ってるだろ?怪我した時に使う万能薬だ。あいにく、お前さんの状態を直接治すような薬は持っちゃいないが、そいつで体力が万全になればちょっとは耐えられるだろ。」


 俺は貰ったものが本当にポーションかと怪しみながらも、酔いが少しでもよくなるならという藁に縋る思いでその緑の液体を飲み干した。さっき言われたような地獄はごめんだ。


 すると、みるみるうちに体力が戻ってきた。酔いが覚めたわけではないが、さっきおっさんが言ったように、これならあと少しは吐かずにすみそうだ。


「どうだ?」


 おっさんが聞いてきた。


「す、少し楽になりました・・・。ありがとうございます・・・。」


 実際、かなりありがたかったのでお礼を言う。


「しっかしお前さん、これから『勇者選抜試験』だってのに、ポーションも持っていないのか?今から大丈夫か?」


 おっさんは俺をみながら、相変わらず馴れ馴れしく聞いてくる。


 そう、今俺がいるのは『勇者選抜試験』その会場『グランドフォレスト』に向かう馬車の中だ。馬が引っ張る木でできた荷物入れの中に、たくさんの挑戦者が押し詰められている。南の大陸各地で公布された『勇者選抜試験』は予想以上の人たちが参加申請し、目的地までの足が圧迫されてしまっているのだ。だから、こんなきつい思いをしているのである。


 そしてポーションについてだ。これは一般的に出回ってる薬の中でも特に代表的なものだが、貧乏な俺にはそれを買うお金がない。当然、今回も持ち合わせていない。


 しかしおっさん、「今から大丈夫か?」なんて余計なお世話だ。


 体調が僅かに良くなって少し余裕が生まれた俺は、そのおっさんを改めて見てみた。


 おっさんは顎からボウボウに髭をはやして、全体的にモサモサしている印象を与える。体格はがっちりしており、モンスターとの戦いにも対応できそうな体を持っているようだ。おそらく、このおっさんは一般人である俺とは違って『狩人』なんだろう。


 いや、むしろこれに関しては俺の方が少数派か。『北の悪魔』の対策としての『勇者』ならば、自ずと凶暴な敵と戦う必要がある、とわかる。ならばこの試験に参加しようと望むものは、戦闘に対して自信がある『狩人』がほとんどだろう。俺はざっと周りの様子を見渡してみた。男女様々な性別が同じ空間にいるものの、どいつも目の前のおっさんのように体つきがしっかりとしている。俺みたいに戦闘経験がほとんどなく、どちらかというと線が細い参加者はほとんどいないだろう。というか俺だけだ、と言い切ってもいいかもしれない。


 もちろんそんなことは自分でも十分承知している。だからこそ、これまでの準備期間で、俺はこの不利をなくすための準備を進めてきたんだ。


 そんなことを考えていると、俺が乗っている馬車が大きく揺れた。

 どうやら目的地に着いたようだ。

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