第8話 それぞれの愛情
話し声で目が覚めると、心配そうに見つめる誠一がいた。
自然と笑顔が零れると、誠一も泣きたくなるような無理をした笑みを見せた。
「具合はどう?」
「どうして……」
「君を保護してるって伊織からメールが届いた。運転が荒れるところだったよ」
「すみません……お騒がせしました」
「まったくだ。中村君に関しては警察に言おう」
「そこまでする必要はないです。本当に大丈夫ですから」
口を開ききる前に、もう一度念を押した。
なるべくやっかいごとに巻き込みたくはなかった。
「俺も、一人にさせてしまいすまなかった」
「秋子さんには怒らないで下さいね。何も悪いことはしていませんから。むしろ言わないで下さい」
「判った。だが変質者が出ているから気をつけろとは言う。君の友人を悪く言うことは許してくれ。危機感を持たせないといけないからね。秋子は女性だ。どうやっても男相手に力では敵わない」
「はい……。先ほど点滴を打ってもらって、だいぶ元気が出ました」
「最近は食欲も細くなっているし、気にしてはいたんだが……。今日は炊き込みご飯はやめて、冷やした素麺と野菜を食べよう。茄子を添えれば本当に美味しいんだ」
「私も好きです」
左手を強く握られ、顔が近づいていた。
自然に顔を傾け、あと数センチのところでカーテンが開く。
「わあお。邪魔したな」
「まったくだ。一回閉めろ」
「はいはい」
シャーっとすぐに伊織は閉め、足音が遠くなった。
慌てふためく咲をよそに、影が重なる。
急いできたのか外が暑いせいか、唇が熱かった。
「────っ……んん…………」
「ッ……、ん…………」
深いキスは久しぶりだ。咲が怖がるから、誠一はいつも軽いボディタッチに留めている。
意識が唇にいくと頭がぼうっとし、腹部の違和感に気づいた。
右手で脇腹に触れると、包帯が巻かれてある。寝ている間、伊織が手当をしたのだろう。
見れば何の傷か判ると言っていたので、縄で縛られた痕だとばれてしまった。
唯一、誠一が知らないのは救いだった。
「中村君のことだが、本当に付き合っていなかったのか?」
「え? はい……当時、男の私から告白されて、みんなにばらされましたし、むしろ嫌そうな顔をしていました。挨拶すら無視もされましたし、お付き合いは無縁です。そのまま私は卒業と同時にイタリアへ行きましたので、同窓会が久しぶりの再会なんです」
「この前、同窓会の帰りに君を迎えに行ったときがあっただろう? まるで自分のものをかすめ取られた顔をしていた。それを見て、私は嫉妬心が芽生えたのを覚えている」
「それは……私は彼のお顔を見ていませんので何とも言えませんが……」
「美しくなった咲を手に入れたいと思っても不思議じゃない」
「そういえば……寝る前に伊織さんから聞いたのですが、『子供の頃から大事に思ってきた』と言われました」
「伊織がそんなことを?」
誠一は驚き、盛大にため息をついた。
「父は一度だけ葉山先生と私は会ったと言っていましたし、何が本当なのか判りません」
「遠くから君を見守っていたのは本当だ。たまに散歩に行くと、君は公園で大人にガードされながら一人で遊んでいたり、学校へ行く姿も見た。目にしたら忘れられない美しさは存在するんだなと思った。一度会ったというのは、おそらく君の家に招待して頂いたときの話だ。君がまだ小学生低学年で、俺は父親に連れられて白神家へ行った。恥ずかしそうに柱の陰に隠れて、顔を出しては会釈して名を名乗った。私は一瞬で恋に落ちた」
「そんなことが? すみません、覚えていなくて」
「覚えていなくても仕方ない。咲は小さかったしね。蘇芳さんは君を誰にも会わせようとしなかった。まるで所有物のように君を手元に置いて、寵愛していた。俺が思うのもおこがましいが、とても許せなかった」
「もっと腕の良い絵画修復士もいたのに、私を指名したのは……」
「君の腕を信じていたさ。前にも言ったが、下心はあった。かなりね」
誠一は茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「そ、そんなに昔から私を好いていて下さったのですね……」
「そういう赤くなるところも可愛くてたまらない」
五歳差とはいえ、小学生のときも女子に間違えられるほどか細いため、頼りなく見えていただろう。
「君を好いているのも本当だし、力になりたい。だから、中村君のことも、話したいことがあるなら遠慮なく言ってほしい」
両手を握られた。包み込まれる優しさは、恋人というより親が与えてくれる愛情に近かった。
「世の父親は、このような愛を下さるのが普通なのでしょうか?」
「どうだろうね。俺の家もかなり変わり者だったし、多分、よくある愛情とは違ったものを分けてもらったと思う」
「お互いに変わり者同士、うまくいくかもしれませんね」
「そうだとも。さあ、立てるかい?」
まだふらつくが、頼る気持ちがいくらか芽生えた中で、彼の腕を頼りにベッドから降りた。
「君が何に悩んで俺の愛情を受け入れられないかは判らないが、それでも俺の気持ちは何も変わらない」
ふんわり包み込んでくれる愛と、棘にも似た、刺さったら一一生抜けられない愛を持っている。
怖かったが、どっぷり浸かってしまえばもっと愛を感じられる気がした。
温めた日本酒は真夏の身体に染み渡り、いつもより酔いが回るのが早い気がした。
酒に触れながら、仕事に没頭する彼の横顔を思い出す。
時々、身体を捻るようにして痛みをこらえた顔をしていたが、同じ体勢での作業がきついのか身体に何か怪我を負っていたのか判断がつかなかった。
帯の痕だと言い残した彼は、助けを求めるような縋る目を向けた。人に甘えるのが苦手な彼らしいと苦笑いを浮かべるしかない。
「お酒の飲みすぎはよくありませんよ」
「ああ、この一杯で止めよう。私もこう見えて身体には気をつけているんだ」
頂き物の日本酒は珍しくも琥珀色をした液体だ。
水色を見ていると、咲の瞳を思い出す。ここまで濃い色ではないが、ずっと見つめていたくなるような変わった色だ。
「秋子、何度も言うが……」
「ええ、聞きました。咲さんを訪ねる客人が来たら、警察へ通報、でしたよね。顔も把握していますし、誠一様は早く横になって下さい」
「そうさせてもらう。明日も留守にする」
「どちらへお出かけですか?」
「知り合いの探偵事務所だ。嫌な予感がしていろいろと依頼していた。君は家にいて、咲に料理を教えてあげてほしい」
「咲さんはとても覚えが早いです。あっという間に越されてしまいますよ」
「それは楽しみだ」
からっとした声で笑うと、残りの液体を流し込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます