あの夏の日

郷新平

あの夏の日

お天道様が照り付ける夏の日、遠くから誰かの歌っている声が聞こえる。

密集した民家の間を通る通路を走り抜ける一人の少女。その後から追いかける少年。

少女が振り返り、少年を呼ぶ。

「おーい、仁ちゃん早くー」

少年は息も絶え絶え、屈み込み、顔を上げて、少女を見る。

「ちょっと待ってよ、夏さん」

歩きながら、夏に追いつく仁。

しょうがないなという表情で仁を見る夏。

「もう少しで家に着くからね」

屈みこむ仁

夏は仁を心配そうな目で見つめる。

「辛くない?」

そんな時、空襲を知らせるサイレンが鳴る。

十字路の隅に隠れる仁と夏。

仁は顔を背け、力なく答える。

「辛くないよ」

「嘘よ、そんなに息を切らしてるじゃない」

仁は辛さを見破られた悔しさで顔を歪める。

「嘘じゃないよ」


はっと目を覚ます老人。

目を覚ました老人は汗で体が濡れていた。

豪奢なベッドの横に仁が動かなくていいようにという配慮で樫の木でできたテーブルが置いてあり、その上には水が置いてあった。

あれから何十年も経った、ワシは努力して、地元の名士と言われるまでになったが、別に皆から尊敬されようなんて思ってやったことじゃない。

そんなことを考えながら仁は時計を見る。時計は18時を指していた。

そろそろ時間かの。

仁はラジオのチューニングを合わせた。


 軽快なリズムを刻んだBGMが終わった後、老人の女性の声が聞こえる。

 「皆様、よろしくお願いします。パーソナリティの梢です」

夏の妹の梢は戦後、芸能界に入り、年老いて地元のラジオのパーソナリティを務めるに至っている。


梢は芸能界で活躍していたころから、仁に因縁を吹っかけていた。

仁は金を使って、不利になりそうな人物が現れたら、殺人を依頼しているとか、やくざと深い付き合いがあるとか、その度に、仁は注目されていた。だが、何回もやり続けているうちに、売名行為という声や幼いころ、姉の夏が亡くなったことで当時、仲が良かった仁を責めているんだという見方が強くなり、その内、注目されなくなった。


夏のあの日、

仁は悔し紛れの嘘を吐いた後、自分のプライドを傷つける夏を憎く、思っていた。

「自分の弱さを認めないと、辛い目に遭うわよ」

うな垂れる仁の心に黒い炎が灯る。

「だから、嘘じゃないって」仁は思う。五月蠅いな

近くを機銃が一掃している。夏は会話に夢中になって、気付いていない。

「嘘よ、正直に言いなさい」

「五月蠅い!!」

仁は夏を突き飛ばし、何が起こったか分からない夏の最後の顔を見た。

「え」

バババババ

夏の体は機銃の掃射に巻き込まれ、下手なダンスを踊った後、地面にバタンと倒れた。

瞳から光が消えた夏の顔をじっと見つめる仁。

俺がやったのか?呆然と立ち尽くす仁

その背後から

「きゃあーー」と鋭い悲鳴が聞こえる。

視線を向けるとそこには梢が尻餅をついて、倒れていた。

怖くなった仁は走って、その場から立ち去った。


あれから、梢さんはわしの顔を見たら、逃げ出すようになった。

わしはあの出来事から逃げ出したくて、必死に勉強し、地元の名士と呼ばれるまでになった。

芸能界に入ってから、梢さんはわしの事を攻め立てるようになった。当時のわしは自分のした事をまだ、認めたくなくて否定した。

幸い、人望があったわしは皆に守られ、スキャンダルが起こる度にわしは守られて、あの時してしまった事を後悔してきた。


「今まで言ってきた事なんですけど、実は嘘だったんです」

わしは耳を疑った。何だって、今まで言ったことは全て、嘘、どういうことじゃ?

「仁さんがお姉さんを突き飛ばして、機銃に撃たせたと言ってましたが、お姉ちゃんが撃たれたのが信じられなくて、嘘をついてました」

梢さんは何を言ってるんじゃ?

「でも、私の勘違いかもしれないので、芸能界に居た時に知った私の言うことが正しい時に発動する呪いを掛けたいと思います」

梢は呪いの言葉を口にした。

呆然と待っている仁。

観念して、暫く待っていても何も起こらない。仁は自分のしたことは夢だったんだと思った。

「ははは、今までのはわしの勘違いだったんじゃ」

あのことは全て、勘違いだった。安心したわしは立ち上がり、トイレに行き、戻り、ベットに横になる。

そういえば、水は誰が用意したんじゃ?そんなことを思いながら、仁の意識は暗く、沈んだ。


お天道様が照り付ける夏の日、遠くから誰かの歌っている声が聞こえる。


老婆が歌を止めた。

「仁さん、いい夢、見てるかしら、お姉さまに詰られるあの日の事を貴方が一度でも自分の事だと認めてたら、私は許すつもりだったの、あの日の事は他の人も目撃してたの、そして、貴方の家族を強請った。その上、貴方は大きくなっても、お金を稼いで、皆に貢献してたから、庇ってもらえたの、貴方が自分の弱さを認めていたら、こんな地獄は終わってたの、でも、貴方は変わらなかった、一生、あの日を繰り返す地獄を味わいなさい」

梢はコップに水を注いだ。

ラジオからはノリのいい、BGMが流れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの夏の日 郷新平 @goshimpei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ