第12話 真価入
…――YOUと書いてヨウと読む。これが彼女の名前。
いや、一体、なんの話なんですか、ですよね。
ヨウさん、これは、海猫さんがアシスタントに行っている少女漫画家さんのペンネームなのであります。本名は……、言ってもいいのかな、とも思いますが、許可はもらっていますから、名字は避けて名前だけ。そそ。本名は優さんと言います。
優と書いて、ユウと読みます。
そんな裏事情も含めて、YOU(ヨウ)さん。
小洒落たペンネームだなぁ、なんて、小生は思います。
「ヨウさんって本当に面白くてさ。良い人でさ」
でねッ!
でねッ!
と、アシスタントから帰ってきた海猫さんは、終始、笑顔で言います。
そのヨウさんなんですが、漫画ヘタレな海猫さんを雇ったのには理由があります。
芸人の卵である彼氏さんは虹色ホバーというコンビ名で活動しておりまして、その虹色ホバーの大ファンだったんです、ヨウさん。ただ、彼氏さんは、芸人の卵ですから、劇場での地位は前座も前座。かなり低いものなのです。もちろん出番も……、
ほんの少ししか、ありません。
その、ちょびっとでも跳ねまわるラビットな活躍を……、
よくぞ、といった感じで見つけ、ファンになったのが、ヨウさんだったわけです。
そして、
ファンレターをしたため、お笑いのライブ会場で渡したところ返事をもらい、海猫さんの存在を知ったと。でも、その時はギャンブル漫画のあの方の下でアシスタントをする事が決まっており、残念に思っていたようです。でも、だとすれば、ですね。
ある意味で、ギャンブル漫画のあの方と同じく下心があったわけなのであります。
ただ、漫画ヘタレな海猫さんですから、そういった下心というか、良い言葉に言い換えれば、事情がないとアシスタントの話など来ないわけです。無論、ヨウさんは良い方で、海猫さんを育てようとしているのは間違いなく、安心できます。
でねッ!
「彼氏ちゃんッ、今日さ、ヨウさんが、虹色ホバーの大ファンだって聞いたんだよ」
彼氏ちゃんなんて普段は言わないような呼称で彼氏さんを呼び、甘える海猫さん。
先ほどからの流れが気に入らないのか、あるいは彼氏ちゃんが気に入らないのか、こちらも、終始一貫して、不満げな顔つきの彼氏さん。いや、なんならばアシスタントの現場から彼女が帰ってくる前から、すでに厳しい目つきで待っておりました。
海猫さんがアシスタントに通うようになって、
どうやら、彼氏さんには思う事があるようで。
「でさ。どこがいいんですか、あんなの。とか聞いたのよ。そしたらヨウさんの言葉が止まらなくなって、あそこがいいとか、ここがとかって。ワシも嬉しくなってさ」
「てかよ」
彼氏さんが、落ち着き払って静かに言います。
ある意味で怒りと思える感情を吐き出します。
それで張り詰め始めた空気にも気づかずに、嬉しそうに言葉を続ける、海猫さん。
でねっ!
「ヨウさん、すっごい良い人なんだよ。色々、教えてくれて、あたしが失敗したら描き直しはさせられるけど絶対に怒らないで親身になってコツを伝授してくれるの」
あ、それって、多分、心の中で怒ってるやつです。はい。
でも海猫さんを育てたいから、心を殺してってやつです。
……育てるって、そういう事なのかも、です。
人を使うという事は、そこに甘えは許されないからこその苦労なのだと思います。
そんな他人の苦労を知ってか、知らずか、更にテンションが高くなり、
「本当に良い人なのよ。で、気も合う。そんなヨウさんが虹色ホバーの大ファンだから、ワシも嬉しくなって、だったらって盛り上がてさ。ヨウさんを……」
バンッ!
と乾いた音を立て、いつも海猫さんが漫画を描いている机を平手で叩く彼氏さん。
聞けッ!
「海猫ッ」
「はいッ」
いきなりの事で驚きを隠せず困惑の極みとばかりに真面目な顔で答える海猫さん。
彼氏さんは、厳しい顔で海猫さんを睨みます。
「ヨウさんが優しくて良い人ってのは、……よく分かった」
だがな。
「甘えんなよ。俺は、まだ、お前が漫画家になる事には少しだけ反対だ。ただ覚悟は認めてる。だから、お前が、ヨウさんの優しさに甘えたら、マジで怒るかんな」
ああ、そういう事ですか。よく分かりました。
最近、海猫さんがアシスタントに通う事になって、なんか妙に浮かれてて。まるで友達に会いに行く感覚でヨウさんの所に行っていて。そんな微妙な浮かれカレーな海猫さんに気づいていたわけですね。彼氏さんは。いつも彼女を見ているからこそ。
まあ、これは今更なのですが、
そうですね。小生も彼氏さんと同じ気持ちですよ。はい。
無論、虹色ホバーのツッコミさんと仲良くなれるかもというヨウさんにはヨウさんの思惑があって、それも良い方に作用しているからこそです。言うまでもありませんが、やっぱり、今までの漫画に対しての真剣さを忘れて欲しくはないわけです。
ずぅんといった重苦しい気を纏って彼氏さんは押し黙り、海猫さんを見つめます。
無言の圧力に海猫さんなりに思うところあったのか……。
「そだね」
と一言だけ言ってから目を固く、つむります。
反省ッ!
と……。
「俺は、ずっとお前を見ているぞ。分かったな」
彼氏さんも、また言葉少なく、海猫さんの頭を撫でます。
それに嬉しくなったのか、はたまた思う事があったのか。
「諒解ッ」
と、一切、無駄な事は言わず自分の覚悟を示す海猫さん。
「というか、ずっと、お前だけを見てるぞ、の間違いでは」
と、いきなり、謎の声が我らが居る、ここへと響きます。
ほへっ?
部屋のドアが静かに開きます。
ゆっくり、ただ、しっかりと。
「海猫ちゃんに招待されっちゃって、お言葉に甘えて来ちゃいました。ヨウですッ」
なんと、そこにはヨウさんが立っておりまして、……唖然とする彼氏さんと小生。
いや、小生はヨウさんのお姿を拝見した事は無かったのですが、彼氏さんの反応を見るにヨウさんだなって分かりました。なにせ、ヨウさんは、彼氏さんのお笑いライブには欠かさず足を運んでいますから。ある意味で顔なじみなのであります。
フフフ。
「あたしが虹色ホバーの大ファンだって海猫ちゃんに話したら、是非、今度、家に遊びに来て下さいって。もちろん、海猫ちゃんとも気が合ったし、お家訪問ってね」
早くもヨウさんの下心は達成されたようです。
「さっきから、ずっと招待したって言おうと思ってたんだけどチャンスを逃してて」
と、海猫さんが、微笑みます。
「ほいっ」
と、酒とおつまみが入り、パンパンに膨らんだコンビニ袋を海猫さんに渡します。
「飲もう」
もう驚きの連続で、頭がついていかない小生。
そんな小生を放っておいて、海猫さんとヨウさんは顔を見合わせて笑い合います。
そして、
その日は海猫さんと彼氏さんに小生、そしてヨウさんの4人で朝まで飲みました。
ヨウさんが買ってきてくれた酒と、おつまみを肴にです。我らは気さくなヨウさんとは直ぐに意気投合して、好みのおつまみも小生たちの趣味に似通っていて、とても楽しかったです。でも、漫画家さんって、やっぱり、夜に強いんですね。
最後の最後まで起きて飲んでいたのはヨウさんで、その次が海猫さんでしたから。
まあ、でも徹夜が通常運転な仕事ですからね。漫画家さんって。当たり前ですか。
「というか、これからもビシビシいくからね、海猫ちゃん」
「諒解なのであります、師匠ッ」
などという微笑ましい会話を聞きながらも、小生は夢の中へと落ちていきました。
その夢の中で……、海猫さんは漫画家になっていて、彼氏さんも売れっ子芸人になっていて。更にヨウさんの漫画が映画化されていて。なんて、とても欲張りでモリモモリな夢を見ました。えっ? 小生は、ですか? まあ、それは秘密であります。
というか、小生の将来など、どうでもいいのであります。
それよりも新たに加わったヨウさんを含めた3人の未来こそ、ですね。
では、また、海猫さんに、面白い、なにかあれば報告させて頂きます。
チャオ。
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