第2章 アシスタントから

第11話 谷あり山あり

 …――なんと。なんともはや。海猫さんがプロの世界へ。


 と言ってもアシスタントなんですが。


 それでも今までを考えれば大きな前進です。相変わらず、絵は壊滅的で、いや、世界観的にも少女漫画では通用しないものなのですが、ようやくです。言葉は悪いですが、物好きな先生に拾ってもらえたと。持ち込みで、その話を決めたようです。


 ただし。


 そう。ただしなのであります。はい。


 その先生はパチンコや麻雀などのギャンブル漫画を描いていらっしゃる方で、少女漫画とは真逆な作風なのであります。ダンディーな叔父様達が、沢山、登場する漫画を描いていらっしゃって。もちろん選り好みはいけません。分かっていますよ。


 でもね。


 いいのか、海猫さん? 少女漫画家、遠くなってないか?


 なんて小生が思うのも当然の流れなわけです。もちろん人物など描かせてもらえるわけはなく、背景とか、モブとかを描くんでしょうけども、それでも劇画チックな精密で、ちょっと暗めの背景って少女漫画とは相容れないものではないでしょうか。


「まあ、良かったんじゃねぇか、海猫」


 なんて彼氏さんは、軽く言っておりますが、小生は、とても心配なのであります。


 ちょっとだけそわそわしている彼氏さんも、どこかで心配はしているようですが。


「ワシ、頑張るもん。精一杯やるもん」


 ただ、当の海猫さんは、やる気に満ちあふれております。


 まあ、本人がいいのならば部外者な小生は、なにも言えないのでありますが……。


 というかですね。今、ちょっとだけ違和感を感じました。


 そうなのであります。そうなのでありますよッ! はい。


 彼氏さん、海猫さんが漫画家になる事に反対の立場だったんじゃないでしょうか。


 それが、いつの間にか、認めるような発言をしていて、小生、どうしたんだろうと不思議に思いました。てか、彼氏さん、そっぽを向いて、海猫さんは基より、小生にも視線を向けません。もしかしてなのですが、海猫さんに嬉しい知らせがあり……、


 逆に彼氏さんには……。


 前回の宴会の件もありますし、もしかしたらなのですが。


「まあ、小生、それ以上はツッコムな。死ぬぞ。お前がな」


 彼氏さんは小生の疑問を察したのか、


 モリモリな右の二の腕を魅せて、笑顔で威嚇してきます。


 まあ、お前がな、とか、言わないと、我ら海猫さん達の間では誰が死ぬのか分からないのは、ご愛敬なのですが、恐いのであります。彼氏さんが生きる為にこなしているバイトは建築業で道路をカットしている方ですからね。怒るとヤバいのです。


 というか、ちょっと話が横道に逸れましたね。戻します。


 ともかく心配になった小生は、その先生の事を調べました。ギャンブル漫画を描いているとは知っていたのですが、実際に、どんなものを描いているのかは知らなかったので漫画喫茶にて先生の作品を読破しました。正直、うむむ、なのであります。


 なんかエロい、この人の描くものと。


 あり得ない世界を描く少年漫画や少女漫画とは違い、めっちゃリアル。


 心理描写もそうですが、情景描写である絵もリアル。それこそ死ぬほどリアルなのであります。もはやリアルを三回も繰り返してしまうほどにリアルなわけです。しかも、登場人物たる叔父様の一人は女ったらしで性描写までリアルなのであります。


 なので不覚にも、いや、失礼なのは承知で、エロい、この人と、そう思いました。


 そんな世界に浸ってしまったら海猫さんの漫画はどうなってしまうのでしょうか。


 また心配になってきましたぞ。それでも時間は過ぎてゆくわけでして。


 それから数日して、小生は、再び、海猫さん達へと会いにゆきました。


「海猫。分かってるな?」


「うん。負けんもんッ!」


 と、何だか分からない二人だけの合図のようなもので、うなずき合う海猫さん達。


 どうやら海猫さんと彼氏さんの間では、何か別の心配事があるような気がします。


 小生には分かりませんが、……なにかがあるのでしょう。


 兎に角、


 今日が、海猫さんのアシスタント初日のようです。画材道具一式を道具箱に詰めて自分の部屋から出て行きます。その背を成長した娘を見つめる父親のような優しい眼差しで送り出す、彼氏さん。その姿を見て、ああ、小生の出番はないな、と。


 まあ、そんなこんなで、その日は、小生も海猫さんの部屋にあがる事もなく……。


 素直に頑張れって……。


 そう思いました。ごく自然に不安は消えてしまい、です。


 そして、


 次の日、海猫さんがプロの現場で、どんな活躍をしたのか、それを聞きたくて彼女らが住む部屋に行ったのです。と、いきなり怒号が。扉をノックする間もなく、アパートの外にまで聞こえてくる彼氏さんの怒り声。かなり、ご立腹で、ご興奮の模様。


 怒り心頭な彼氏さんなのであります。


 あの筋肉モリモリ魔人な彼が、であります。いきなりの事で、腰を抜かしました。


「殺すッ」


 なんて声も聞こえてきまして、海猫さん、なにをやらかしたのさと、また心配に。


 まあ、考えなしで動く海猫さんですから先生の頭をハリセンで叩いただとか、そういった阿呆な行動に出る事も考えられるわけで。そんな事をすれば、彼氏さんも、彼女が真剣に漫画家を目指しているからこその怒り心頭とも考えられるわけです。


 小生は、ビクビクしながらも海猫さんの部屋の扉を軽くノックします。


 コンコンと軽くもおっかなびっくりな音で、であります。


「おう。小生か。今は、ちょっと忙しい、悪い、帰れッ!」


 と、一切、取り付く島もなく帰宅を促されてしまう小生。


 てかっ、


 彼氏さん、キャラ変わってませんか?


 それだけ頭にきてるって事なのでしょうか。なにをしたん、海猫さん?


 それでも、やっぱり、このままじゃ不味いと心配で心配で、どうしたんですか、と聞いてみました。すると信じられないような答えが返ってきました。小生も頭にきます。殺すとまでは言いませんが、それに近いような事を言いたい気分です。はい。


「あの野郎、海猫を襲いやがった。そうだったのか。だから、こんな漫画ヘタレをアシスタントにな。……てか、夢を追う人間の弱みにつけ込む精神が許せねぇッ!」


 なんて、彼氏さんは冷静に状況分析のようなものをしていますが……、


 その目は、悪魔そのもので恐いです。


 そうです。そうなのです。海猫さん、アシスタントに行って、そのアシスタント先で、雇い主の漫画家に襲われたのです。もちろん性的な意味で襲われたわけです。美少女や美女とは言えないですが、それなりには可愛いのでかは分かりませんが。


 いや、彼氏さんの言うとおりで……、


 始めから襲う予定で雇った、と言った方が、正解なのかもしれません。


 兎に角、


 その実、


 彼氏さんはアシスタントを餌に女漁りをしていたという事実よりも海猫さんが襲われたという一点で殺人鬼へと変貌したのでしょう。もちろん殺人は許されない犯罪なのであります。なので、ある意味で、部外者な小生が落ち着きます。どうどう。


 そして、


 一応、確認しておきます。万が一の可能性を考えてです。


 海猫さんは襲われて、そのあとどうしたのか? をです。


 どうやら完全にヤラれる前に逃げ切ってはいたようで体は無傷との事。


 無論、海猫さんも、一応は女の子ですから言いたくなくて自分が我慢すればという可能性も考えましたが……、まあ、豪傑とも言える精神を持つ海猫さんが、それはないかと考え直します。それでも許せません。はて、どうしてやろうか、と。


「小生の怒りも分かった。でもな。これは俺と海猫の問題で俺の問題だ。だから俺が決着をつける。それ以上は聞くな。聞かない方がいい。お前らは、ここにいろ」


 まあ、でも殺すなんて気持ちを落ち着けてくれたのは、ありがたかったぞ、小生。


 と彼氏さんが一人、ずんずんという怒りの音を足で立てて、どこかに消えました。


 その後、あの先生という卑怯者が、どうなったのかは知りません。ただ筋肉モリモリな彼氏さんが、きっちりと落とし前をつけてきたわけですから無事ではないでしょうけどね。どうなったかを聞くのが恐いので……、なかった事にしましたが。


 もちろん、彼氏さんも、逮捕されるような事はなく、普通に帰ってきましたしね。


 海猫さんに至っては、いつものようにカリカリと漫画を描いています。


「もう忘れた。……いや、無かった。無かったでいいもん」


 はい。そうですね。その方がいいようです。……誰にとっても、です。


 あの忌まわしの事件は、無かった事にするのが、……吉なのでしょう。


 そして、


 この後、悪い事のあとには良い事が在るとばかりに……、


 少女漫画家で女性作家の方からアシスタントの話が海猫さんへと舞い込んだのは、このお話的には蛇足なのかもしれません。それでも、ようやくプロの第一歩を踏み出した海猫さんに乾杯であります。少々のアクシデントはありましたが、なのです。


 ゆけゆけ、海猫さんッ!


 世知辛い世の理不尽と戦い、進めッ!


 負けるな、絶対に。海猫さぁ~んッ!

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