④2003年7月

2003年7月


 何度か『有名人狩り』の名前で掲示板に書きそうになった。

『俺、本気でやってるんです。今は全然勝てないけど、いつか勝つから見ててください』

 って。

 本気なんてのは、自分じゃ主張しやすいくせに、他人には一番伝わらないものだ。でも、他人に伝わらない程度のものを本気だなんて認めてしまったら、口からでまかせ言ってるだけの俺を、認めることになる。

 だったら、見せ付けるしかない。

 そんな決意も虚しく、毎週日曜午後七時の【ジョイグラップ】は俺にとって嫌な空間だった。

 通用しない連係、明らかに差のある立ち回り、そして敗北に伴う出費。焦りが失敗を生み、また新たな焦りを生む。自分でもわかっているミスがネット上で茶化される。

 金魚の糞をたくさん引き連れた有名人や、調子に乗ってセオリーや戦術なぞお構いなしに動いてくる暴れ系プレイヤーに、ひたすらボコられた。新連係や新ネタの実験台にされることも珍しくなかった。

 そして何より、そんな奴等にすら殺される俺が、情けなくて悔しかった。

 負けて席を立つ時、浴びせかけられる嘲笑と侮蔑の視線に体が強張る。時には筐体ごしに野次や罵声が飛ぶことすらあった。

 ギャラリーも増えた。噂を聞きつけたのか、二週目に入る頃には筐体を囲むように人垣ができていた。奴等は乱入はしない。黙々と、時には仲間内で解説をしながら、俺の負けっぷりを眺めては汚い笑いを浮かべるだけだ。両替のために席を立った時に、奴等の吸うタバコが腕に触れそうになって、それについて文句言おうと口を開きかけたところで、冷静さを失っている自分に気付いた。

 チクショウ、いつかサクッとブッ殺してやるからな!

 心の中でだけ叫んで、筐体に戻る。

 また、ボロ負けする。

 筐体の向こうから歓声が聞こえる。

 どうやら、有名人連中にとって俺はある種の試金石となっているようだった。俺に勝てるとチームへの入団が、負けると退団が決まるらしい。

 さすがに日曜は、家に帰ってもネットに繋いで和泉と話そうとは思えなかった。

 泣き言を言いそうだからじゃない。

 一日で溜まったありとあらゆる負の感情を、放出させないためだ。

 それが俺を突き動かすと、本気で信じていた。



「ってな感じで俺はモリモリいじめられてるわけですよ。俺、オタク以下!、と。ははは」

 ダンッと音をたてて、俺の五三キログラムの体重を乗せた出刃包丁が半分凍った肉を叩き切った。日曜の昼間。練習もそこそこに佐伯の家にあがり込んだ俺は、ゲーマーについて愚痴りながらマズイ飯を作っていた。

 互いに少しの近況報告と、佐伯の講義、それと俺の適当料理。ザ・男子大学生と言いたければ言いなさい。

 普段は口数の多い俺だが、相手が佐伯の場合、話し手よりも聞き手に回ることのほうが多い。そのほうが面白いからだ。

「イコール・コンディションがもたらすある種の公平感。これを信じすぎると、とんでもないことが起こる。……今回の話は哲学ではなく、社会問題だ」

 今日のテーマが決まったらしい。背中越しに佐伯の講義が聞こえてきた。

「わかりやすい例として、トレンチコートマフィアの事件が挙げられるな。ヒトラー生誕から丁度百周年、一九九九年の四月二十日。場所は自由と平等の国アメリカ。コロラド州、リトルトンのハイスクールでその悲劇は起きた。銃乱射事件って言えば、おまえも憶えているかも知れないな。事件の概要は二人の少年が同級生たちを皆殺しにしようとしたというものだ」

 その事件なら俺も憶えている。アメリカの銃社会の膿みが噴き出ただのと、そんな報道だったように思う。俺には関係なかったから、あまり憶えてもいないが。

「実行犯のエリックとディランは、ゲイでネオナチなどの思想にかぶれていて自らの所属するグループを『トレンチコートマフィア』と呼んでいた、などという報道が当時の新聞やテレビを賑わした。日本の新聞にも軽く載ったぐらいだから、その影響は大きかったと見るべきだろうな」

 当然、そんな連中にも俺は興味がなかった。

 これが今の俺とどう繋がるのかわからないまま、ふうん、と曖昧な返事をして、俺はまな板の上に乗せた人参を適当な大きさに切り始めた。

「少し話は逸れる。アメリカのハイスクールの現状を語る言葉として外せない単語に、ジョックス、という言葉がある。まぁ、スポーツマン、とか、そんな意味だ。フットボールやベースボールの部員などを想像するとわかりやすい」

「俺も、アメリカに生まれたらそこに分類されるわけだ」

 ここから俺に繋がるのかと思った。

「カースト制という言葉は知っているな?」けれど佐伯は俺の発言を無視して講義を続けた。「古代インドから発生し、今も一定以上の効果を挙げている絶対的な身分制度のことだ。ジョックスを支配階級に置いたカースト制が、アメリカの高校の実態だ。」

 そこまで喋ると、佐伯は一呼吸置いた。重いため息を吐いて、佐伯は口を開いた。

「ヒエラルキーを支える構造は非常に単純だ。ありきたりな答えで申し訳ないが、暴力の一言に尽きる。毎日のトレーニングで体力を手に入れ、チームプレイや共通体験によって妄信的な団結力も身に付く。明らかに偏った見方だが、スポーツにそういった側面があることは事実だ」

 俺の脳裏にゲーセンで俺を囲むギャラリーが浮かんだ。団結力って点だけなら、あいつらもあるのかも知れない。もっとも、こっちはまったく身体を鍛えてない奴等ばかりだろうから、その辺は救いか。

「レスリングやフットボール。それらの競技が半ば公然と決闘と言う名目を持ち、すべてを左右する価値基準となっているところすらある」

 弱肉強食。

 その構造に無駄はない。

「さて、件の『トレンチコートマフィア』だが。設立時のリーダー、ジョー=ステアは事件の後、こう証言している。『トレンチコートマフィアは六年前に結成した。理由? ジョックス野郎たちから身を守るためさ』エリックとディランの発言もついでに挙げておくか。『狂気はヘルシーだ。皆と違うようにしよう。狂ったままであれ』『僕らの事件をスピルバーグかタランティーノに映画化して欲しい』」

 俺もエリックやディランの言葉なら新聞で読んだことがあった。その時は単純にイカれた奴等のたわ言だと思ったんだが……

「誰も助けなかったのか?」俺は素朴な疑問を口にした。

「誰が助けるんだ?」質問を質問で返された。「教師も警官も、元ジョックスなのに」

 言葉を失った俺は、後は煮込むだけになった適当カレーの鍋をコンロにかけると佐伯のそばに座った。

「もちろん、十三人もの人間を殺した彼等の行動は許されるものではない。ただ、イコール・コンディションがもたらす劣等感、そしてそれを裏打ちする暴力。これらが、二人にマシンガンを持たせたのは間違いない」

「コンプレックスから映画を作る奴だっているだろ。マジにマシンガンを選択するやつなんて滅多にいねぇよ」

 そういう奴等の作る映画ってのはわかりやすい。最近なら、『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟、少し前なら『バットマン』の監督ティム=バートンなんかがそうだと俺は思う。

「おまえは? いじめられたおまえは、どうしたい? オレはこういうケースの解答を出来るだけ多く知っておきたい。今、問題はおまえの目の前にある。間違った結論や、時に解決を委ねる諦観でもない解答を望む」

 静かに佐伯が訊ねた。

 ここは日本だ。マシンガンなんて買えない。そんな当たり前のことが思い浮かんでしまい、とりあえず時間稼ぎをして誤魔化した。

「……トレンチコートマフィアの二人は、どうなったんだ?」

「自殺したよ。それで事件は解決だ。そして問題は、当事者がいなくなれば忘れ去られる」

 聞かなければよかった。カラい話だ。

 そう思った後で、法の下による正当な(全く、くそったれな話だが)暴力に屈して、怯えて謝ってしまうよりはマシかも知れないと思い直した。

「この例では、世の中のしがらみから抜け出すためのスポーツが、しがらみの中で生きるための術となっている。日本とは全く違った形で、イコール・コンディションとしての機能を果たしていない。もっとも、高校のような狭い世界が終わればそんなこともなくなるのだが。問答無用でやらねばならない経済活動の忙しさが、スポーツに本来の意味を取り戻してくれる。楽しむべき擬似世界や、逃避の現場となってくれる。悲劇は、一生続くものではない。だが……」

 彼等はそれを待つことができなかった、と。佐伯はそう締めくくった。

 カレーの鍋がコトコトと音を立てている中、俺は黙って考えていた。佐伯はなおも講義を続けていく。

「イコール・コンディションが存在するには、前提としてそれが幻想であるという認識が必要だ。何らかの現実的価値が付加された瞬間に、それはその機能を失う。だからこそどんな競技であっても、勝者は単一のゲームの勝者としてのみ賞賛されるべきだ。金や人間性、言語でさえ、単一の要素や競技に過ぎないことをわかっていない人間が多すぎる。敗者に対し敗者であること以外の理由で、攻撃をする人間は……」

「まぁ」俺は佐伯を遮ってわざと気楽そうな声を出した。「幸い、俺の場合はゲームだからな。何度でもコンティニューしてやるよ。連コインなら、得意だしな」

 なるほど、と頷く佐伯を見ながら、これは他のケースに応用できないけどな、と二人で笑った。

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