③2003年6月
2003年6月
ゲームを離れた生活について話す。
俺は宗教学部に在学してるんだが、そこには結構変り種の生徒が多い。もとより大学ってのは人種のるつぼみたいなもんなんだろうけど、特にここはうさんくさい奴でいっぱいだ。
俺の数少ない学校の友達に、佐伯俊介って奴がいる。
こいつは坊主の息子だ。大学が終わったら山に修行に行ってそれから実家を継ぐらしい。佐伯は、俺とは違ったタイプのめんどくさい奴だった。
―宗教や道徳などの社会的規範は無根拠な思い込みではなく、高度なレベルでのリスクヘッジとも言えるものだ。だがそれが機能するためには、前提としてそれは疑ってはならない状態として在ることが必要であって、その上でのみ聖域や神秘性には意味や価値があるのだが、そもそも現在の視点で費用対効果について論証をするべきであり、そしてどれほど知識を貯めこもうとも個人の論証に間違いがないと言い切れない、と言うより間違わない可能性がほぼないのだから、勉強したところで無駄なのも理解しているのだが、間違う可能性自体は減ると信じている。―という話を初対面でする奴は、めんどくさいと紹介されても仕方ないと俺は思う。
その佐伯に、俺にとっての格ゲーについて話したことがあった。
他人にゼロから自分を紹介する時に手間取るように、俺の話は断片的なエピソードになり、言葉はあちこちで詰まって選び直すことになり、途中で何度もやめとけばよかったと思い、話し終えた後もまだ語り尽くせてない気分は残ったが、佐伯の分析は意外と明確なものだった。
「要するに、イコール・コンディションでの戦争なんだろう」
俺の知らない言葉で俺を分析する佐伯は、少し興奮しているように見えた。
「オレが政治家を志して立候補したとする。ところが対立候補が総理大臣の子供だった。これはもう、闘わずして大きなハンデがあるのは明白だ。政界には親の地盤を継ぐことで議員になった二世なんぞ山ほどいる。志の高さも政策の質も当てにはならない。政策を掲げることもなく『これから勉強します』などと臆面もなく言うヤツが勝ってしまうケースさえある。呆れて見ていると有権者も『これから育てていきたい』などと発言していたりする。
このように能力や意志以外の要素が大きく作用してしまい、不本意な結果に甘んじざるを得ない例は、政治の世界でなくても、それこそいくらでもある。企業だろうが、学校だろうが、な。
本来なら透明でなければならない社会が不透明なために、様々な苛立ちやフラストレーションが溜まる、とまぁこういうわけだ。
そうした感情の受け皿になってきたのが、近代欧米ではスポーツだ。
スポーツの場ではすべての競技者に同じルールが適用される。チームの資本力や政治的外圧のような、それを阻害する要素は明らかに存在するし、実際、過去にもそうした力による干渉があったことも事実だが。
それでも近代欧米ではスポーツこそが公正にして公平な監視下での争いと信仰され続けてきた。オレは近代欧米の本当の宗教はキリスト教ではなく、スポーツだと思ってるくらいだ。例を出せば一九七八年、パリで開催されたユネスコ総会では『スポーツに関する国際憲章』といったものまで採択されている。その第一条にはこうある。『スポーツの実践は、すべての人にとっての基本的人権である』、とな。日本の文部省の翻訳だから、翻訳自体が間違ってる可能性もあるが、その可能性はここでは検証しないでおくぞ。
ところが、だ。
オレたちの住む日本では、『スポーツ』は『体育』と誤訳されて伝わり、武道や忍耐の精神と結びついて間違った方向へと進んでしまった。国や自治体が普及活動をするより先に企業が金儲けの手段として目をつけてしまったことも、悲劇に拍車をかけた。日本でスポーツと言えば、教育という名目での学校のクラブ活動に代表されるスポ根やしごき。もしくは企業スポーツとなってしまった。
国土が少ないことも影響した。駅前には決まって高額の会費を取るスポーツ施設が林立しているが、そもそもスポーツが金持ち専用の娯楽というわけでもあるまい。公園などは、ほとんどボールの使用や激しいスポーツの禁止だな。これは怪我や事故が発生した時に管理団体が責任を追及されるからなのだそうだが、看板に『怪我は自己責任』と書けば済むことなのだが。と、まぁこんな呆れ果てる事態すべてが、この国のスポーツを取り巻いてきた状況を物語っている。
そういう国の現状を知ってか知らずか、とにかくおまえは無意識に、平等な条件での擬似戦争を格闘ゲームに求めた、とまぁこういったところか」
そう締めくくって、佐伯は俺を見た。
その目を見ながら、俺は自分の底が割れてしまったような気分になった。
佐伯の意見に同意することに抵抗を感じる気持ちと、その感情を子供っぽいと思う気持ちが頭の中で混ざって、異論でも反論でも批判でもない言葉を口にしていた。
「つまり、スポーツの代替品ってことか?」
「そうなるな。なぜ普通のスポーツを選ばなかったのか、については別の話になる」
佐伯は続けた。
「勘違いするな。こうした分類や分析にはあまり意味がないし、環境も含めておまえ自身だ。違う宇宙が存在しない以上、比較や仮定をする意味がない。分類が済んで気が楽になったか? 他の奴等と比較して嬉しくなったか? 仮定をして満足できたか? ってことだな。まずまず、稀なケースであることはオレも保証するよ。今後も観察を続けていきたいが、どうだろうか」
こういうタイプのバカとも、なぜか俺は相性がいい。
*
ところがこの付き合いには問題が多かった。
俺に語彙が少なく、そして俺が知る世界があまりに体感的だったことに、問題は帰結するだろう。
「唐突だが、哲学の授業は受けているか?」佐伯がそう切り出した。「どうもお前はどう生きるべきかを模索しているようにオレには感じられる。だが、答えを探す作業があまりに主観的、主体的な所に頼り過ぎていると思う。それ自体を批判するつもりはない。だが、せっかく過去の人間が同じ課題について語ったテキストがあるのに、それを使わない手はないだろう。どうだ?」
「あー哲学、苦手なんだけど。高校の頃にキルケゴールの『死に至る病』を読んで…それ以来、哲学自体に偏見が出来ちまって、授業も選んでない」
まぁ今思えば当時は俺も立派なエヴァオタだった。ご想像の通り、キルケゴールはタイトル読み。結局、内容が理解できないままで俺はその本を高校の図書館に返した。
「よりにもよって最低の選択肢を選んだな。内容は理解できたか?」
俺が答えないでいると、佐伯はふふっと軽く笑って話し出した。
「そんな目で見るな。馬鹿にするつもりはない。実はあの本は現代人が単体で理解できるようなものではないからだ。著書について語るより、キルケゴールの生涯についての説明をしたほうが、彼自身の至った哲学を理解しやすい。キルケゴールは幼い頃、彼の父が過去において神を呪ったことがある、という事を聞かされた。これを聞いたキルケゴールは多大なショックを受け、絶望する。自分は呪われた子供なんだと思い込み、絶望を抱えて成長していく。絶望しきったキルケゴールは『キリスト者になることで、人は救われる』、という答えを出した。キリスト者とは何か、救いとは何か、本当に救われるのか、投げかけられた様々な問いに対する彼の答えはこうだ。『客観的真理ではなく、主観的真理こそが重要なのだ』と」
「……なぁ、ひょっとして、その、こういう言い方はあれなのかも知れねぇけど、そいつアホなんじゃないの? 最後のセリフなんか逆ギレにしか思えねぇんだけど」
「ああ、アホだ。ただし、それまで哲学が『人類はどう生きるべきか』や『世界の在り方はどんなものなのか』を問う学問であった。だが、キルケゴールは『今、ここにいる自分がどう生きるべきか』という問いの地点を創出した。その点において彼は評価できる。これが実存主義と呼ばれる流れだ」
「……あー。なるほど、んで?」
「過去における偉人とは言え、哲学というフィールドで使用されるものは言葉だ。言葉である以上、翻訳さえきちんとこなせれば、自分と偉人との差がどれほどあったとしても理解が可能だとオレは思っている。偉人の思想の中から使える思想を選択して使用しろ。過去に解かれた人類の問題に、オレたちが時間を費やす必要はない」
「要するに、偉人をパクれ、と」
「そういうことになる。あくまで、自分のために。オレはお前を思考実験として利用している。オレの目的に適いつつ、お前にギフトできるベストの物を考えた結果、こういうものになった」
こういう言い方は実も蓋もないんだろうけど、こいつは照れ屋なんだろうな、と俺と目を合わせないようにしている佐伯を見て、思った。
*
一秒間に六十回画面を書き換えることで、ゲームは時間を表現する。
技法自体は映画と同じだと思っていい。
一フレーム=六十分の一秒。
フレームという言葉は、物質である絵を示す言葉でありながら、ゲームに存在する時間を表す言葉でもある。年、月、週なども天体の移動周期を示す言葉であると同時に、時間を表す言葉だ。それと似たようなものなのかも知れない。
俺たち人間は、変化によってしか時間を感じることができない。
変化によって時間の流れを認識し、そこになんらかの物語を与えてやることが生きるということなのかも知れない、と、コミュニケーション学の授業を受けながら、ぼんやり思ったことがあった。
少なくとも俺にとって、ゲームをプレイするということは、そういうことだった。
一フレームごとに書き換えられていく拳の静止画に、俺は動きを感じ取る。
拳が伸びきるまで四フレームかかるジャブと、突き上がるまで十三フレームかかるアッパーとの違いに、打撃の重さを感じ取る。
レバーとボタンを使ってその世界に介入することだけが、ゲームをプレイするということじゃない。世界を認識し、感じること。それ自体が、ゲームをプレイするということだ。
もちろん、一人ひとりが感じる世界は、少しづつ違っている。
時間の流れ方だけに限っても、発生二十フレーム以上のステップシュートを早いと見る人もいれば、余裕でカウンターを合わせられると言う人もいる。
自分の感じる世界と、相手が感じる世界。
技の出し方、反応の速度や罠の張り方、ガードの崩し方に、技を食らってヒヨるポイント。それら一つひとつが作り上げた他人の世界に、プレイヤーはゲームを通して触れることができる。その世界は日常生活での態度や言葉を裏付けるものであったり、逆にそれを覆すものであったりする。
互いに自分の勝利を目指す過程で、相手の世界と重なり合う。
こう考えてみると、対戦ゲームってのは、とても優秀なコミュニケーションツールだと思う。他人を通して、自分の成長や時間を感じられるところも気に入ってる。
決定的に違う点は一つ。
どちらの世界が正しいのか、客観的な評価が出ること。
そう。対戦の本質は勝負であってコミュニケーションじゃない。
白黒をつけること。勝敗を決めること。優劣が判明すること。
それが目的。明確な目標がある。一人ひとりが感じる物語には、埋めようもない隔絶があるかも知れないけど、明確な事実が一つだけ手に入る。
勝利か敗北か。
そこにどんな意味や物語を介在させるかは人それぞれだ。それでも自分と他人によって共有される一つの事実があることだけは確かだ。
対して会話というものは、明らかに能力の不足したコミュニケーションツールだ。
自分でも信じていない論理だろうが、展開することができてしまう。
勝ち負けなどの客観的な結論が出ない。単語の意味にすら認識の違いがある。
以上の理由から、俺は会話を対戦以下のコミュニケーションツールだと思っている。話すだけだと、物足りない。
会話の中で共有や成長を感じることもあったが、俺はそれに確証を持つことができなかった。そのことを伝えた上でわざわざ佐伯と会話することに、俺は自分の変化と時間の流れを感じていた。自分の分析以外のことを訊ねたのは、その時が初めてかも知れない。
『おまえはムカつかないのか? もどかしくないのか? わからせたい、と思ったりしないのか?』
コミュニケーションは致命的に非力だと俺は思う。俺がどれだけ佐伯と会話したところで、佐伯本人を理解することにはならない。俺の中にいる佐伯俊介の情報を、どこまでも精密化していくことは可能だろうが、それは佐伯本人とは別物だろう。それは、佐伯がどれだけ努力しようがコミュニケーションの目的を達成できないことを意味すると、その時の俺は思った。
佐伯は珍しく穏やかに笑うと、俺の目をまっすぐ見据えて言った。
『それでも、ここがオレの最前線だから、な』
実はこの時、俺は佐伯の言っている意味がいまいちよくわからなかった。佐伯も明確な説明をしなかった。それがよかったんだとわかったのは、ずっと後になってからのことだ。
*
『再来週の日曜ひま? って言うより、未来永劫に渡って、日曜ひま?』
突然、和泉にこんな無礼な質問をされたのは、横浜のGとの戦いが終わってから一ヶ月ぐらいたった頃のことだ。
『まあ、再来週は空いてる。今後のことはわからんけど、基本的には空いてるな』
『ちょっとこれ見て』
和泉に送られたアドレスをチェックしてみると、なかなか面白い掲示板の書き込みがあった。
タイトル:有名人狩りをやります 投稿者:有名人狩り 2003/06/22
再来週の日曜、七月六日に新宿の【ジョイグラップ】で対戦会やります。
時間は午後七時。
っつーか、一応今後は毎週を予定ね。
使うゲームは『MAX』
筐体の数は対戦筐体三セット。
俺は真ん中の筐体でやってます。キャラは功夫マスター。
有名人とか言ってネームバリューだけなのを証明してみせます。
参加する人に事前に注意。
1、有名、無名を問わずメインキャラを使うこと。
2、本気でぶっ殺しあうこと。
3、なるべく私語厳禁で。(俺は話し掛けられても応えません)
4、相手の戦法にケチつけないこと。
とまぁ注意事項は、こんなトコです。限界まで楽しもうぜ。
掲示板の親記事自体はこんなもんで、閲覧数が異常な数であることを除けば、レスの一つもついていないスレッドだった。
『へえ。こんなバカ世の中にいるんだ。ちょっと俺に似てるな』
『というか、これキミだから。頑張って行ってきてね』
モニタの前で、飲んでいたペットボトルのお茶を少し吹いた。
『おい、ちょっと』
『ちなみに、裏サイトや身内専用掲示板なんかで祭りになってるから。期待するって声が一割で、叩きが九割だけど。見る?』
『おい』
『まぁ、ファイトクラブの団長としては、関東支部にも盛り上がって頂きたいなーと。それに、こうすれば絶対メインキャラ使ってくれるじゃん。すごく幸福な試練だと思うけど?』
『無茶苦茶じゃないっすか』
『ファイトクラブ主催の全国大会があるのが冬。それまでに強くなってもらわなくちゃ僕がつまらないし』
『大体、俺が参加しなきゃいけない理由が見当たらないよな。っつーか、こんな状況でノコノコ出て行くか! バカ野郎』
『すっぽかすの?』
俺は答えなかった。しばらく考えをまとめる。
『すっぽかすの?』
正直、実力差は厳しい。多分ボロ負けするだろう。有名人狩りなんて名乗って(俺は名乗ってないが)期待ハズレなわけだから、ボロクソに言われるのも予想がつく。
そりゃそうだ。期待ハズレっていうより、迷惑に近い。俺が逆の立場なら怒る。
『すっぽかすの?』
いや、くどいです。和泉くん。
『あ、これまでのメッセンジャーのログは全部取ってあるからね。少なくとも、トシが有名人に対して反感持ってることは読み取ると思うよ』
いや、それ脅迫です。和泉くん。
『おまえも、あいつらに文句言ってたじゃん』
『それは大丈夫。僕は常々、全員に文句言ってるからね』
状況は本当にマズイ。俺は冷汗をかきながら必死でメッセージを送った。
『勘弁してくださいよ。俺、目立たず、こっそり、少しずつ、地道に強くなっていくサクセスストーリー期待してたんですよ。なんでこんな嵐の中を突き進まなきゃならんのよ。しかも人災だし』
『猛々しくていいじゃない。男の子だったら夢だ! 冒険だ! ってなもんでしょ』
『おまえ男の子とか言われても、俺、二十歳超えてるっつーの』
『大体、遠慮しながら強くなるつもりなの? それ、馬鹿にし過ぎじゃない?』
そう。そうなんですよ。和泉くん。そこは本当にきみが正しいのだよ。だけど、こういう場合に素直に言えない男の子の気持ちをだねぇ……
『まぁ、それはともかく、今のところ甲田、組長、片桐あたりは来るみたいだね。対策、要る?』
『要る。っつーか、問題はそこじゃなくて……』
『行くんでしょ? 行きたいくせに』
チャンスだ。と全く思わなかったと言えば嘘になる。
佐伯から教わった哲学に、ニーチェって偉人が出てきた。
ニーチェは言った。『この世界に生きる価値なんかはじめからない』と。
俺からすれば、ようやくまともなことを言う奴が出てきたな、って感想だったが、とにかくそのニーチェはこう続けた。『凡人は他人が作り出した生きる価値を信じる。だが、超人は自らの生きる価値や意味を作り続けることができる』と。
俺は、俺の物語を感じていたい。アウェイのゲーセンでバカな格闘ゲームオタクに囲まれてそいつら全員をねじ伏せていく。悪くない物語だと思う。
超人への第一歩だ。
第一、ネットもゲーセン通いも辞めれば、その瞬間に俺は対戦を辞められる。
俺は荒くなっていた呼吸を整えると、メッセンジャーにタイプした。
『ちゃんと対策頼むぜ。センセー』
『大丈夫! Gを倒せたんなら、ネタに気をつけて対策を身に付ければ一ヶ月以内には試合になるくらいまで行くと思うよ』
『つまり一ヶ月近くも、俺は掲示板で「有名人狩り大したことねー」って言われ続けるのね』
『そうなるね。でも、最強目指すんでしょ? なら、がんばんなきゃ』
こんな具合に、俺の戦いは本格化していった。いや、気軽な試練だと、その頃は思ってたよ。
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