第15話

 生かして返すわけにはいかない、との宣言通り、動物たちはいっさいの手加減なく攻撃してきた。信者たちも武器を手にし、幻獣のあとに続いている。アウグストだけならただ逃げ回るしかなかったが、〈機関〉の二人はやはり違う。エランはひょいっと軽い身のこなしで壁にあけた穴から外へ逃げ、ミレールは慣れた様子で剣を振るっていた。

「追え!」

 信者の誰かが叫び、動物たちを引き連れてエランを追いかける。

 これで多少は人数が割かれたかと思いきや、どこに潜んでいたのか、新たな信者と幻獣、魔獣がわらわら出てきた。

「ハエみたいにうじゃうじゃと……どこから湧いてくるのかしら」

「最初の人たちも、今のも、祭壇の近くから出てこなかった? 地下室があるみたいって言ってたけど、それってもしかして」

「あのあたりに入り口があるかもしれない、か」

 目指す場所は定まった。問題はそこにたどり着けるか、だが。

 次々に襲いかかってくる動物たちは片っ端からミレールが斬り捨てているが、どれが魔獣か分からないため、致命傷は与えていない。胴が分断されたところでたちまち回復してしまうし、数は一向に減らない。人間相手には同様の手を取るわけにいかず、防御しているうちにアウグストたちはどんどん後退していく。

 ――エランは外に出ていったし、そろそろいいか。

 ミレールからも「早くなんとかしなさいよ」と視線を感じた。アウグストは袖口にしのばせていた小袋のひもをほどき、彼女の脇から腕だけ出して中身を前に向かって思いきりぶちまけた。

 少し赤みがかった粉が大きく広がり、信者たちの上に降りそそぐ。窓から差しこむ光の中をそれが舞う様はどこか幻想的だ。うっかり吸ってしまったために咳きこんで足を止めたり、動物の中には顔についた粉を舌で舐めとる個体もいる。

 その直後、糸が切れた人形のように、動物たちは次々に床に倒れていった。

「なっ……なんだ? おい、動け、おい!」

「くそ、どうして急に……! 魔力マナは足りているはずなのに!」

 どれだけ揺すっても、突き刺してみても、動物たちは微動だにしない。戦力の大半を動物に頼る部分があったのか、信者の多くは動揺して頭を抱えている。また信者たち自身も、粉に含まれていた催涙成分に涙を流し、目をこすっては聞くに堪えない情けない悲鳴を上げていた。

 今のうちに脇を通り過ぎたアウグストたちだったが、それに気づいた信者と、粉を舐めていなかった動物が追いかけてきた。ミレールが即座に剣を薙ぐが、「しまった」と面倒くさそうな舌打ちをしている。

 どうやら魔獣を一体、誤って殺してしまったようだ。床には胴を両断された動物が転がり、断面から闇よりもなお深い色の影がずるずるとあふれだしている。

「レチアさまを侮辱し、我々を異端などと呼んだ罰だ」この場の信者たちを率いていたひげ面の男がくくっと嗤う。「貴様はこれより呪われ、絶望の苦しみの中で息絶えるのだ」

 膨張するように大きくなった影は左右にうねりながら、ミレールに狙いを定めて飛びついてくる。

「……魔術師」

 アウグストはまたしても粉を取り出し、料理に塩でも振るようにぱっと影に投げかけた。途端に影は音もなく消えさる。水が蒸発したかのようだ。

 ミレールとアウグストの断末魔を期待していたのだろう。男たちの表情がまたたく間に硬直した。

「誰が呪われるって?」

「そ、そんな、馬鹿な……」

 ありえない、とうわごとのようにくり返していた男だが、外から聞こえた凄まじい絶叫に余裕を取り戻した。信者たちも「おぉ……」と感嘆の吐息を漏らしている。

 今のはなんだ。ありとあらゆる動物の鳴き声が混ざったかのような声だった。窓越しに見えたのは鳥と思しき巨大な影だ。高さは教会より低い程度かも知れないが、それでも人の目から見れば壁に等しい。

 彼らにとってこの状況を打開するのに最適な幻獣でも引っ張り出してきたのだろう。一体や二体ではなさそうだ。さすがにエラン一人でどうにかならないのでは、とアウグストは危惧したのだが、ミレールは助けに向かう様子もなく、次々に襲ってくる敵を瞬時にはねのけては祭壇を目指して進んでいる。

「助けに行かなくていいの?」

「あたしがあっち行っちゃったら、あんた一人でどうにか出来るの?」

「……無理かなあ」

「でしょ。まあそれに、大丈夫よ」

 勝利を確信していた信者たちの期待を打ち砕くように、影が一体、断末魔を上げてから崩れ去る音がした。歓喜にわいていたはずの表情が一瞬で反転する。

「今までどれだけ幻獣を狩ってきたと思ってるのよ。外にいるやつより大きいのだって相手にしたことあるわ。それにあいつはにおいで〈核〉の位置が分かるから、的確に討てるのよ。魔獣じゃないなら呪いも気にしなくていいし」

「自慢の相棒って顔だね」

「まあね」

 その自信が油断にならないことだけを願っているが、アウグストの懸念は現実になった。

 外に気を向けていたミレールの前に、通常よりはるかに大きなトカゲが現れたのだ。紅色と紫色が混ざり合った鱗が毒々しく、山吹色に染まった瞳はぎょろりとこぼれ落ちそうなほど見開かれている。

 それだけではない。なによりアウグストが悪寒を感じたのは、トカゲの手足が明らかに人間のそれだったことだ。

 ――トカゲと人を組み合わせようとして失敗したみたいな……!

 考えている場合ではない。トカゲは今にも裂けそうなくらいに口を開ける。

 その喉の奥で、ぼっ、と赤い光がひらめいた。

「ッ!」

 まずい、と感じてとっさにミレールを庇いに前に出た直後、アウグストの頬を熱風がかすめていった。

 トカゲの口から放たれたのは火球だった。神力から作られたそれはアウグストから逸れたが、もしミレールの身に受けていれば火傷では済まなかったはずだ。

「……ありがとう、助かったわ」

神力イラか魔力で攻撃されたら盾になるって決まりだったでしょ」

「それもそうね」

 ミレールはすぐに気を取り直し、トカゲの〈核〉を狙って剣を突き刺した。角がないため幻獣だと予想をつけたらしい。長年の勘か、彼女に〈核〉を破壊されたトカゲはあとかたもなく無数の砂となって消えた。

 祭壇は目前だ。エランが壁を壊した後にも信者が出てきたということは、内陣にあるであろう地下室への出入り口はふさがっていないと思われる。アウグストたちがどこを目指しているのか察したのか、男は次々に信者や動物をけしかけて止めようとしてきた。

「あたしが足止めしておくから、あんたは先に行って!」

「分かった!」

 神父の男はこれまで姿を見かけていないし、騒ぎを聞いて地下室にこもっている可能性が高い。そこへの出入り口も一つしかないとは考えにくく、今ごろロメリアたちも別の経路を見つけて潜入し、神父や攫われた人々を探しているだろう。

 アウグストは先ほどと同じ、あるいは効果を変えた粉を追加でばらまき、ミレールに襲い掛かる戦力を減らしてから祭壇に駆けた。

 ――左側から出てくるのが多かったよな。ってことは……。

「このへん、に――――」

 アウグストは内陣の左側を探ろうとして、鼻をかすめた鉄くささに違和感を覚えた。

 教会に入ってすぐにも感じた異臭だ。においは近くから発されている。すぐそばにある祭壇から。

 なんだろう、とうっかり目を向けて、アウグストは衝撃に目を見開いた。

 祭壇にある人の像の手前には、捧げものと思われる果物や野菜が一段高くなった壇の上にずらりと並べられている。積み上げられていたのかもしれないが、エランが壁を吹き飛ばした時に崩れたのだろう。

 それらに埋もれるようにして、人の頭が覗いていた。

「――――な、なん、だ?」

 この騒ぎの中、人影は壇の上で横になったまま動かないでいる。体を押しつぶす捧げものを退ける仕草さえ見せない。

 ひた、とかすかな音が耳に届く。

 引き寄せられるように人影の周囲をよく観察すると、壇から流れ出たなにかが床に垂れているのが見えた。

「魔術師!」

 ミレールの鋭い声に、アウグストははっと我に返った。物音に振り返ると、ミレールの足止めからすり抜けた信者の一人が血走った眼でこちらを襲おうとしているところだった。彼の手には重たそうな斧が握られている。

 まずい。物理的な攻撃は防げない。アウグストは斧が振り下ろされる直前に身をかがめたが、床についた手を滑らせて後ろに転がった。斧はアウグストがいた場所を抉り、傷一つなかった床に消えない傷跡を刻みつける。

 信者はすぐさま斧を引き抜き、再びこちらに狙いを定める。アウグストは立ち上がって逃げようとしたが、転がった時に足を痛めたうえ、またしても目眩に視界がゆがんで尻をついたままずり下がっていくしか出来ない。

 ミレールも他の信者を防ぐのに精いっぱいで、アウグストを助けるのは難しそうだ。

 斧がゆるりと振り上げられる。アウグストは最後の抵抗とばかりに粉を取り出そうとしたが、

「坊や!」

 どこからか聞きなじんだ声が響く。突然の呼びかけにアウグストが目をしばたたかせる前で、信者は声の出どころを探るように振り返り、斧を振り上げた姿勢のままうめき声を上げて固まった。

「アーグスト! アーグスト、どこ!」

「……マスベル?」

 アウグストは硬直して動かない信者の前から這いずるように移動し、自分を呼ぶ声がどこから聞こえているのかと視線を巡らせた。

 マスベルとロメリアはすぐに見つかった。

 内陣の左端にある床の一部が押し上げられ、二人はそこから上半身を覗かせていた。

「アーグスト、いた!」そこから飛び出してきたマスベルがアウグストに駆け寄ってくる。「大丈夫だった? すごく心配したんだよ」

「危ないところだったけど、だいたいは計画通りだった。そっちは?」

「民家の一つに地下室への入り口があってね。そこから突入したのさ。で、いろいろ済ませて道を辿ってきたらここに出た」

 マスベルと同じようにロメリアは教会に足を踏み入れ、腰に手を当ててアウグストを見下ろした。

「あと一瞬遅れていたら、坊やの首は飛んでいたかな」

「怖いこと言わないでよ」

「ちょっと! 話してる暇なんてないと思うんだけど!」

 さすがに一人で猛攻を防いで疲れたのか、ミレールがいら立たし気に訴えた。彼らは新たな侵入者を睨みつけ、先ほど以上の勢いを見せ始める。

「ああ、悪いけど、あんたらの神父さまは捕まえたよ」

「なに?」

 ひげ面の男がぴくりと眉を上げると、ロメリアは先ほど自分が出てきた床の一部を開け、マスベルと二人がかりでなにかを引きずり出した。

 港や林で見かけた神父だ。顔だけを出して全身をずた袋に入れられた上に縛られ、なにごとか訴える口には布を何重にも巻かれている。じたばたと暴れ回る姿は死に際のイモムシに似ていた。

 信者たちは神父を助けようと動いたが、ロメリアが力を発揮ししたため適わなかった。今日は調子がいい、と彼女は満足げにうなずき、歯噛みしているひげ面の男に目を向けた。

「私らがまず話を聞きたいのはこっちの神父だ。あなたたちにはあとで順番に話を聞かせてもらうから、逃げるんじゃないよ。ちょっとでも動こうなんて考えたらマスベルと目を合わせてもらう。この子の目にどんな効果があるのかはよく知ってるだろう、意味が分かるね?」

 反論は起こらなかった。アウグストがマスベルの手を借りて立ち上がる前で、ロメリアは神父の顔の横に膝をつき、口をふさいでいた布を取り去った。しばらく荒い息をついていた彼は、恨めし気にロメリアを睨みつける。

「貴様、港でも見た……!」

「なんだ、顔を覚えていてくれたのかい。嬉しいね」

「おかしいとは思ったのだ。『引っ越してきたばかり。家についたのも昨晩』だと言ったくせに、『凶暴な獣なんてこのあたりでは見たことも聞いたこともない』と矛盾したことを言っていたから……!」

「ああ、そんなようなことも言ったね」とロメリアは己の失敗を恥じるように頬をかいた。「あんたの恨み言はどうでもいいんだ。こっちはレチア教の目的を聞きに来てる」

「誰がッ――」

「はいはい、うるさい」

 容赦なく神父の腹に馬乗りになり、顔を殴りつけたのはミレールだ。めきっ、といやな音がした。

「……地下にはなにがあったの?」

 ロメリアとミレールが神父からあれこれ吐かせようと画策している間に、アウグストは肩を支えてくれているマスベルに問いかけた。

「んーとね、人がたくさんいたよ。捕まってる人とか、幻獣とか、あたしの〝家族〟みたいな人とか! まずは〝家族〟をロメリアが捕まえていって、危なそうな幻獣はあたしが見たの」

「捕まってた人たちは?」

「みんな助けたよ。でもまだ危険かもしれないから、あたしたちがまた戻ってくるまではここにいてねってロメリアが言ったの。みんなかわいそうだったんだよ。檻の中に入れられてたの。……あたしも入れられてたみたいなやつ」

「そうか……お前もあの人も、怪我は?」

「ちょっとだけしたけど、もう治った! ロメリアがね、〈機関〉とアーグストが暴れてくれてるおかげで仕事が楽だって褒めてたよ」

「僕はほとんど粉をばらまいてただけだよ。暴れたって程じゃない」

 アウグストがばらまいた粉には、従来の成分のほかに、自身の血を混ぜこんだ。

 マスベルに血を舐めさせた際に、神力や魔力を無効化する作用は血に宿っていると判明している。それを粉に混ぜたことで、襲ってきた幻獣や魔獣が口にすれば動きを止められるし、神力か魔力を使う人間はしばらく力を使えなくなる効果が生まれたのだ。

 ――念のためいっぱい作ったせいで、完全に貧血状態なのは失敗だったけど。

 ごつ、と骨と床が激突する鈍い音がした。神父を見ると、元の顔が分からないほど腫れあがっている。鼻血も出ているし、歯も点々と転がっていた。

「じゃ、そろそろ教えてもらおうか」にこにこと邪悪な笑みを浮かべ、ロメリアが神父の薄い前髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。「攫われた人たちを買い上げて、幻獣や魔獣を作って、あなたたちはなにをしようとしていたんだい」

 あれだけ殴られ、抵抗する気も失せていたのだろう。神父はぱんぱんに膨れた唇の間からくぐもった声で答えた。

「レチアさまをお守りする……〝器〟を作るためだったのだ」

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