第14話
ミレールたちに幻獣に関する情報をもたらしたのは、一人の少年だったという。
「母親がおかしな宗教にのめりこみはじめて、幻獣を作るって趣旨の話をよくするようになって気になる。もし事実なら家族である自分まで処刑されてしまうから確かめてほしいって〈機関〉を通して依頼があったのよ」
家屋のかげに隠れて声を潜め、彼女は視線を前方から外すことなくアウグストに言った。
「で、いざここに来たら、エランがあなたたちの気配を感じ取ってくれたってわけ。まさかこんなことになるなんて思ってなかったわ」
「なる、ほどね」
「? なに、どうしたのよ」
「……いや、ちょっと目眩がして……」
「ちょっと。しっかりしてよ。これから突入するっていうのに」
目眩はすぐに治まった。ごめん、と謝って、アウグストはミレールと同じ方向に目を向けた。
空には三日月が浮かび、人も家畜も静まりかえる真夜中。のどかな農村には白々とした月光が降り注いでいるが、その中で最も光を受けている大きな建物がある。
レチア教の教会だ。東西に細長く、南北には交差廊もある立派な造りだ。中央部分には幅は広いが低いどっしりとした塔が見える。鐘楼だろうか。漆喰で覆われた外壁は純白で汚れ一つなく、遠目に見ても真新しさが感じられた。信者を迎え入れる正面の入り口には円形のガラス窓が見え、各所に設けられた窓はすべて半円型のアーチを描いている。
そばには神父たちが使っていると思しき家屋いくつか見受けられた。各建物と教会は廊下で直接つながっているようだ。
全体的な印象としては、真新しさはあるが地味だった。レーヴェ教の教会が華美な装飾と荘厳なつくりで目をひくのに対し、レチア教の教会は前時代的で目立った装飾もない。中に入ればまた違った印象を受けるのかもしれないが。
乗りこむことを決めた翌々日の夜、アウグストたちは港から南下した先にあった農村にやってきていた。
アウグストとミレールは教会から少し離れた場所を陣取っている。マスベルとロメリアの姿が見えないが、彼女たちはまた別の場所で身を潜めているはずだ。エランは一人だけ教会の様子をうかがいに行っている。
「村の建物とかもけっこう新しいし、もしかするとこの村自体が最近作られたのかもしれないわね。ここに暮らしてる人みんなまるっと信者だったりして」
エランが戻ってくる気配はない。黙っているのが苦手なのか、ひそひそと話したミレールに、アウグストはあながち間違っていないかもとうなずいた。
「ロメリアも言ってたよ。『昔はこんなところに村なんてあった記憶ないけどな』って」
「ずいぶんこの国に詳しいみたいだけど、あの人いったい何者なの? 話を聞いたら興味本位で幻獣と契約したとか言うし」
「そんなの僕が聞きたいよ……」
信頼できる人物なのは確かだけど、と続ければ、ミレールから胡散臭そうな眼差しを向けられた。
「こっちも聞きたいんだけど、あんたの相棒、半幻獣なんだろ? 〈機関〉にいるのって肩身狭いんじゃないの」
「まあね。今は受け入れられてきたけど、入隊したばかりの頃は大変だったみたい」
「けど抜けたりはしてないんだ」
「ここにいたら母親にたどり着けるかも知れないからでしょ。会いたいとか甘えた理由じゃなくて、あいつの場合『ぶっ殺してやる』って感じでしょうけど」
「その殺意をなんで他の魔術師や幻獣にも向けるかな……」
「知らないの? あたしたち〈機関〉のおおもとはレーヴェ教だもの。隊員のほとんどは幻獣や魔術師のせいで心や体に傷を負ってるし、『魔術師やそれに関わるやつはみんなろくでもない』って思っても仕方なくない?」
「仕方ないことないよ。無害どころか世に貢献してる魔術師や幻獣だっているんだから、ひとまとめにされても困る」
「気が合わないわね」
さらさらと足元から音がする。ふと目を落とすと、二人の靴先で砂の群れがうごめいていた。
エランからの合図だ。砂はかすかな音を立てながら形を変えていく。やがて現れたのは一つの文章だ。
――教会内に複数の人影を確認。地下室があると思われ、幻獣の女から感じた
「……じゃ、行きましょうか」
ミレールが剣を抜く。アウグストも肩から提げたカバンや上着に触れ、準備は出来ている、と強くうなずいた。
「足手まといにならないでね」
「努力はするよ」
最初に駆け出したのはミレールだった。アウグストもそれに続き、二人は教会の正面にある扉に向かう。
『マスベルが魔獣であることを考えると、レチア教には神力か魔力を扱える人間がいると結論付けて問題ないはずだ。人も買ってるし、幻獣や魔獣も作り続けているだろうね』
農村へ向かうまでの道中で、ロメリアは己の予想を述べていた。
『でも僕、魔力で魔獣を作るなんて聞いたことないよ。魔獣って幻獣と違って、もともといる動物に角――幻獣でいうところの〈核〉だね――を強引につけて出来るはずだ』
だから魔獣には心臓があり、そこを貫けば息絶える。ただしその際、死んだ魔獣から行き場を無くした大量の魔力があふれて、とどめを刺した張本人に流れこんでくるのだ。魔獣にとっての最期の抵抗なのだろう。許容量を超えた魔力に侵された者はたいがい死んでしまうため、この現象は〝呪い〟と呼ばれている。
『だけどマスベルには魔獣にないはずの〈核〉がちゃんとある……だよね?』
『ああ』とひげを揺らして答えたのはエランだ。『そいつの胸あたりに気配がある。ついでに言うと、そいつの「悪意の香り」はごちゃ混ぜになってるな。神力と魔力が混ざり合ってるっつーか』
『……えーっと、どういうこと?』
マスベルの胸には神力を供給する〈核〉があるのは確かなのに、角からは魔力を吸収している。それが体の中で渦を巻いているようだ、とエランは言う。
『レチア教の奴らは幻獣を作ったうえで魔獣にするために角をつけたってこと?』
『可能性として一番高いのはそれだろ。なんでそんな面倒くせぇことしたのかは分からねえけどな』
『はいはい。話がずれてるよ。私が言いたいのはそういうことじゃない』
ロメリアの指摘にアウグストとエランは口をつぐんで黙りこんだ。
『私が危惧してるのは魔力があふれてる状況だよ。私たちが突入したと分かれば魔獣をけしかけてくるだろうし、本人も魔力でなにかしらしてくるだろう。マスベルは自分の意思に関係なく魔力を吸収してしまうみたいだから、限界を超えたらこの間みたいに暴れてしまうはずだ』
『ご、ごめんなさい。気をつけるね』
『ああいや、責めているわけじゃない。今回は対処法もないわけじゃないしね。ただ出来るだけ危険は減らしておきたい。そこでだ。魔力ってのは神力できれいさっぱり浄化できるものなんだろう?』
ロメリアの目がエランを捉える。
『犬の坊やは神力を操れるだろう? それで魔力をどうにか出来ないかい』
『残念ながら無理だな。俺に出来るのは砂を生み出したり、風を起こしたり、それを操ったりだけだ。魔力の浄化は専門外。つーか浄化ならそっちの魔術師がやりゃあいいじゃねえか』
しかしアウグストに出来るのは神力および魔力の無効化だけで浄化は出来ない。使えねえ、と言われたのを聞き逃さず、アウグストはエランの背中を力いっぱい殴ってやった。痛くもかゆくもなさそうだったのが癪だ。
『となると出来るだけ魔力を出させないっていうのが大事になるね』
『魔獣から魔力を排出させなくする方法なら僕が知ってるよ。角を折ればいいって姉さんが言ってた。そうすれば吸収もしないし、暴れ回らなくなるって。その場合でも殺すのはだめらしいから気をつけないと』
『人間相手の場合は遠慮なく殺せばいいかしら。その方が手っ取り早いでしょ』
『いや、殺すのはだめだ。かたが付いたらレチア教の目的を聞くつもりでいるし、手がかりが減るのは困る』
『……それもそうね。じゃあこれは? その子の角を折っちゃうの』
その子、とミレールに指さされたマスベルがびくりと肩を震わせる。
『魔力を吸収したら凶暴化するんでしょ? だったら吸収させなくしちゃえばいいじゃない』
『やっ、やだ!』マスベルは角を守るように両手でおさえ、ミレールから逃げてアウグストの背中に隠れた。『折るって痛いんでしょ? 痛いのやだ、怖い!』
『怖いって言ったって、あんたに暴れ回られる方がよっぽど怖いわよ』
結局マスベルが泣き出すほどに嫌がったため、角を折るのはやめになった。なぜそこまでして折られるのを嫌がるのかは分からないが、恐らく動いたり話したりといった日常活動の源である魔力の供給が絶たれてしまうからだろう、とアウグストはひそかに結論付けた。
『レチア教のなかで誰が魔力を持ってるかってのは、さすがにあんたらもまだ分かってねえか』
『分かってはいないけど、予想はしているよ。魔力保持候補の筆頭はやっぱり神父だね。信者を率いている立場だし、最有力じゃないかな』
『んじゃ、そいつを捕まえりゃ万事解決だな。神父ともなりゃレチアについて知ってることもあるだろ』
こちらの五人に対し、レチア教は最低でも二十人はいるだろう。そこに幻獣や魔獣が加わったとすればあちらの戦力の方が圧倒的に上だ。五人そろって動く、というのは早々に排除し、陽動が一番現実的だとロメリアが提案した案が採用された。
まずはエランが索敵し、ミレールとアウグストが突入して敵をひきつける。エランも同様に別の場所で騒ぎを起こし、人員が割かれたそのすきにロメリアとマスベルが忍びこみ、買われた人々の保護を担い、併せて神父を捜すことになった。
初めアウグストは「僕が陽動とか冗談だろ」と全力で反対した。戦闘においては非力極まりないからだ。だがアウグストが所持している護身用の粉の都合上、エランやロメリア組とは相性が悪いし、一人で行動するわけにもいかないためミレールと組むことになったのだ。
本音を言うとまだ嫌なのだが、いつまでもわがままを言っていられない。大人しく腹をくくるしかなかった。
――……そういえば、まだ分からないことがあるんだよな。
教会の扉に到着し、アウグストはミレールとともに耳を張りつけて中から物音が聞こえないか探りながら考えた。
――神父はマスベルのことを〝器〟って呼んでたけど、それってなんなんだ?
「マスベルは『レチアさま』って呼ばれてたって言ってたし……」
「ちょっと、静かにして」
ミレールの肘で脇腹を小突かれ、素直に謝った。今のは自分が悪い。考えごとを振り払い、彼女に倣って教会内部に耳を澄ませた。
しばらく探ってみたが、足音一つしない。では入ろう、と思っても扉には鍵がかけられている。どうしたものか悩んだ直後、
「あ、一応少し伏せて」
「えっ?」
言われるがままに体をかがめた刹那、ごっ、とけたたましい音が鼓膜を叩いた。
なにごとかと顔を上げると、アウグストたちを拒んでいたはずの扉が内側に吹き飛んでいた。エランが風で吹き飛ばしたのだと分かるのにたいして時間はかからなかった。
「す……すごい音したけど、こんなことしたら潜入するの知られるんじゃ……?」
「今から暴れ回ろうっていうのになに言ってるわけ? 入りこんでやったぞって分からせるのにちょうどいい音でしょ」
ミレールの言葉はもっともだ。なにも言い返せない。
教会の中は寂然としていた。鉄に似たにおいが鼻をかすめ、明かりを感じて内陣の祭壇に目をやると、ろうそくが数本灯っている。その奥に人型の像があったが、影になっていてどのような容姿なのかはいまいち分からない。
床は黒と赤の格子模様で、神聖というよりおどろおどろしさを覚える。壁には複数の絵画がかかっているが、なにを描いたものかまで観察する余裕はない。
エランは地下室があると報告していたけれど、入り口はどこにあるのだろう。アウグストがさっと周囲を見回すのと、騒ぎを聞きつけた信者が集まってくるのはほぼ同時だった。
彼らは家屋と繋がっていた廊下や、交差廊から現れた。以前も見たそろいの黒い衣装を着用している。服の模様や身につける装飾品などは違っているが、数が多く豪華なものほど地位が上なのかもしれない。
「何者だ」と前に進み出たのはひげ面の男だった。黒い衣服を彩る銀糸の刺繍が手にした燭台の明かりに照らされる。
ミレールは剣の切っ先を男に向け、「幻獣覆滅機関よ」と堂々と名乗った。存在を知っていたのか、どよっと信者がざわめく。男は片手を上げることでそれを鎮めていた。
「あなたたちに幻獣作成の疑いがかかってるの」
「なにを言っているのか分からないな。我々はそのような非人道的な行為をした覚えはない」
「嘘なんていくらでもつけるわ」
「嘘だなど――」
男がなにか言いかけたのを、雷鳴に似た轟音が遮った。
内陣の一部が崩壊したのだ。外側から吹き飛ばされたらしい。信者たちは悲鳴に近い絶叫を上げている。
「なーにが『非人道的な行為をした覚えはない』だ」
壁に開いた大穴から、声とともにエランが姿を現す。彼はがれきの山の頂上に立ち、窓から差し込む月明かりの下で腕を振り上げた。その手になにかを掴んでいる。ギーギーと耳障りな鳴き声をあげるそれは犬によく似ていた。暗闇でも分かるほど瞳が赤々と燃えている。
「家畜小屋の檻にぶちこまれてた幻獣だ。いや、頭に角が生えてるから魔獣か? どっちでもいい。お前らが異端に手を染めていた証拠としちゃ十分だしな」
「…………異端などではない。レチアさまは『幻獣を作ればより良い世の中になる』と仰った」
男はさっと手を振る。それに呼応したように、信者たちの中から人ではない影がぞろぞろと現れた。大小さまざまな動物だ。犬や猫だけでなく、ネズミや蛇もいる。角があるものとないものといるが、いずれもただの動物ではなさそうだ。
「我々はレチアさまの教えに従い、悩める人々を救済し、幻獣という新たな生を与えているのだ。また幻獣を滅ぼそうなどという愚か者は排除せよと命じられている」
「はっはぁ。なるほど。救済ね。頭のいかれたあいつが言いそうなことだ」
「レチアさまを侮辱するか? 死に値する愚行だ。教会を破壊したことといい、生かして返すわけにはいかない」
男が宣言するや否や、動物たちは唾をまき散らしながら唸り、吠え、牙と爪をむき出してアウグストたちにそれぞれ襲いかかってきた。
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