第13話

「『レチア』ってのは俺の母親の名前なんだよ」

 アウグストが鉢に放りこんだ薬草をすり潰すかたわらで、エランと名乗った〈機関〉の男は壁にもたれてうんざりした風に言った。

「いっつもそうやって薬とか毒とか作ってんのか?」

「まあね。時間はかかるし大変だけど」

「魔術師のくせに手間暇かかることしてんだな。神力使えばすぐ済むだろうが」

「…………」

 以前までなら「僕に神力はない」と言い返しているところだが、そうとも限らなくなった今、アウグストはどう反論していいのか分からなくなってきた。

 競売オークションでの騒動から一夜明け、アウグストたちは市街地の宿で体を休めていた。

 あのあとロメリアや〈機関〉の二人と分担して〝商品〟にされた人々を保護したり、会場を提供していた伯爵を問いつめたりと忙しかった。外ではどんな騒ぎになっているかと冷や冷やしたが、予想に反して街中は酒や温泉を楽しむ観光客たちのにぎやかな喧騒に満ちていた。恐らく伯爵自身が事前に客たちに口封じでもしていたのだろう、とはロメリアの談である。

 一時休戦を結んだ〈機関〉の二人は、昼前にアウグストたちのもとを訪ねてきた。現在ロメリアは保護された人々を見舞いに診療所へ行っており、昨夜から気を失ったままのマスベルは隣の部屋でミレールと名乗った女性に看病、もとい見張られている。

「それで、レチアがあんたの母親ってどういうこと」

「そのまんまの意味だ。俺を産んですぐに放置して姿をくらませたらしいから、顔は知らねえんだけどな」

「……産んだ? 作ったじゃなくて? 幻獣じゃないの?」

「半幻獣だ。父親は幻獣だが、母親は人間なんだよ。とびっきり頭のおかしい魔術師って言ってもいい」

 エランは手にしている杖をアウグストの眼前に差し出してくる。見てみろということか。じっと目を凝らすと、書物でしか見たことのない紋章が刻まれていた。

「尾をくわえた蛇と木五倍子キブシ……〈壮烈〉のフュンフトの家紋?」

「レチアはフュンフトの血を引く魔術師だ。いつまで経っても子どもみたいな考え方してやがって、興味のあるやつにはなんでも手を出すが、反対に飽きるのも早い。俺を産んだのも『幻獣と人間のあいだに子どもは出来るのか?』を試すためだったみてぇだが、無事に産まれた瞬間にどうでもよくなったらしい」

「顔を知らないわりに、ずいぶん詳しいんだね」

「言ったろ。父親は幻獣だって。それを作ったのはレチアだからな。父親の頭には仕えるべき主人としてレチアの情報がなにもかも詰めこまれてる。その血が流れる俺もあいつの趣味嗜好くらいは把握してんだよ。断片的に、だけどな」

 常に杖を手放さないでいるのも、レチアへの手がかりを失くさないためであると同時に、半幻獣として力を抑えこんでおくためだという。杖が無くなった場合、彼の神力は暴走状態となり自我が薄れてしまうそうだ。

「『悪意の香り』がどうのって言ってたのはなに? 聞いたことない言葉だったけど」

「そいつが持ってる〝神力の気配〟みたいなもんだ。俺の場合はそれをにおいとして嗅ぎとってんだよ。神力ってのはたいがい悪意があって使われるもんだろ? だから俺はそう呼んでる。宿主が神力を使わねえと嗅ぎとれねえってのだけ面倒くせぇが」

「悪意があるって……ずいぶんな偏見だと思うけどな……。にしても、意外と素直に答えてくれるんだね」

「別に弱点ってわけじゃねえし」

 ――神力を使わないと嗅ぎとれない、か。

 アウグストはすりこぎを回す手を止め、少し考えこんだ。

 エランがアウグストたちを的確に追ってこられたのはマスベルとアウグストの『悪意の香り』を辿ってきたからだ、と昨晩に聞いている。そこから判断するに、ロメリアはアウグストの体質について「神力を受け付けない体質をしている」「神力を無効化するという力が常に発動している」と二つの可能性を述べていたが、どうやら後者が正解らしい。アウグストを魔術師だと指摘したのも、カバンの紋章を見たからではなかったのだろう。

 とはいえ分かったところで自分の意思でどうにか出来るとも思えない。神力を垂れ流していてもこれといって不便はなく、むしろ今まで無いものとして生きてきたのだから、身の回りに変化が起こることもない。

 ただ家に帰った時に母や姉にどう説明したものか、とは思う。

「そういやぁ今日はドレス着てねえんだな」

 突然の指摘にアウグストは「ああ、うん」とおざなりな返事をしかけて、はっと顔を上げた。エランはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。

「な、別にあれは好きで着てたわけじゃ……!」

「なんだ、てっきり俺は女装がお前の趣味なのかと」

「違う、断じて違う!」

「一瞬だけ『こいつ女だったっけか』って自分の鼻を疑ったっつーの」

「二度とあんなかっこうしないからな……!」

「なぁんだ、それは残念。よく似合っていたのに」

 笑いまじりの声に扉の方を見ると、部屋の入り口にロメリアが立っていた。見舞いを終えて戻ってきたようだ。昨日と同じく両腕いっぱいに食べ物を抱えている。

 似合っていてたまるか、とアウグストは顔を真っ赤にしながらロメリアを睨みつけた。彼女は気にした様子もなさそうに入ってきたが、不思議そうに首を傾げて振り返っている。

「なにしてるんだ、早く入っておいで」

 廊下でなにかがもそもそと動いている。先に顔を覗かせたのはミレールだ。彼女は呆れたような顔で豊満な胸を張っていた。

 やがてのっそりと顔を半分だけ見せたのは、マスベルだった。無事に意識を取り戻したのだろう。目と髪の先の蛇はきっちりと布で覆われ、いつもと同じ雰囲気に見える。錯乱状態が続いていたらどうしようかと一抹の不安を抱いていたのだが、杞憂だったようだ。

「ほら、いつまでもこんなところいないで、中入るわよ」

「で、でも、あぅ……」

「いい加減にしなさいって。これ以上手間取らせないで」

 マスベルはなぜかアウグストの部屋に入るのを躊躇していたが、ミレールに強引さに逆らえなかったのか、腕をひっぱられて引きずられるように入ってきた。アウグストは彼女に体を向け、しょんぼりと俯いている顔に手を伸ばした。

「良かった。起きなかったらどうしようかと思ったよ」

「ご、ごめんなさい、あたし……」

「こっちこそ。暴走を止めることばっかり考えてたからさ、マスベルは神力イラ魔力マナがあるから活動できてるんだし、それを無効化したらどうなるかまで気が回らなかった」

 アウグストの血を舐めたことで暴走の原因となったであろう魔力の吸収と排出は止められたが、同時にマスベルが活動できる源も絶ってしまったのだ。その結果、アウグストの血の効果がなくなるまでマスベルは目覚めなかった。

「顔色も悪くないし、怪我もないね」

「怪我してるのはアーグストの方でしょ! ロメリアに聞いたもん、あたしが怪我させちゃったって!」

 ――余計なことを。

 罪悪感を抱かせたくなくて黙っていたのに。視線だけでロメリアに訴えると、彼女は眉間にしわを寄せて唇を曲げている。

「黙っておいていいことなんてないだろう。マスベルがやったことは事実なんだ。隠したところでいずれ分かるさ。だったら先に明かしておいた方がいい。違う?」

「それは、そう、かもしれないけど……」

「アーグスト、ごめんね、あたし昨日のことあんまり覚えてないの。でもアーグストが助けてくれたんでしょ? なのにあたし、あたし……」

 マスベルはアウグストの前にへなへなと座りこんで洟をすする。

「確かに肩はまだ痛むけど、大丈夫」ふ、とかすかな笑みを浮かべて、アウグストはマスベルの頭を撫でてやった。「だからもう謝るな。僕は気にしてないから」

「アーグスト……」

「さて、仲直りも済んだことだし、とりあえずご飯でも食べようじゃないか」

 空気を切り替えるように、ロメリアが勢いよく手を叩く。

 今日は市場に出ていた屋台であれこれと買いこんだという。数種類の野菜をうすい生地で包んだものもあれば、海鮮の風味を染みこませた米を丸くまとめたものもある。アウグストが適当に選んだパンには紅茶の茶葉が練りこまれていたようで、一口噛むごとに豊かな香りが広がった。

〈機関〉の二人は携帯食料があるからいいと断っていたが、ロメリアに遠慮するなと迫られて串に刺さった魚と、蒸した貝を食べさせられていた。

「そういえばあんたの知り合いの子、様子はどうだったの」

 マスベルが暴れたころに競売に出されていた少女だ。

「衰弱はしてるけど、他は大丈夫そうだったよ。私といっしょに国に帰るまでは診療所で休むように言ってある」

「なに? あなたたち買う目的であそこに行ってたわけじゃないの?」

「俺はてっきり幻獣でも作る材料を見つくろいに行ってんのかと思ってたわ」

「ばれたら処刑されるって分かってるのにわざわざ作らないでしょ。そもそも僕には作れない、と思うし……」

「まあ、あの場にいた客の中には少なからず材料探しに来てた奴もいたって言ってたけどね」

 舞台上で気絶していた仮面の男を縛り上げ、あれこれと尋問したのはロメリアだ。彼は伯爵の次男坊で、競売が開催されるたびに素性を隠して司会を担っていたという。

 はじめはなかなか口を割らずに苦労したらしいが、最終的に大人しく喋ったようだ。間違いなく痛い目に遭わされたのだろうが、人身売買に加担していた奴への同情心など抱くはずもない。

「〝商品〟を提供していた組織はいくつかあったようだよ。坊やを捕まえようとした奴らもその類だろう。良かったねえ、もし追いかけてきた奴らがあの場にいて、坊やもいつものかっこうだったらまた別の問題が起きていたかもしれない」

「…………もう忘れてくれないかな…………」

「気が向いたらね。――話を続けるよ。で、客の中には当然常連もいる。その中で最近やたら羽振りのいいって話題になってる奴がいたんだそうだ」

 似たような情報は〝商品〟側にも伝わっていたという。そのあたりについては知り合いの少女からも聞き出した、とロメリアは続けた。

「二十歳から二十五歳くらいまでの容姿が整っている女性を中心に買う男がいるってね。競い合ってくる奴がいても破格の額を叩きだして連れ帰る。で、ある時、例の次男坊が競売終わりに興味本位でそいつに話を聞きに行ったんだと」

 ――最近よく競売に顔を出しては次々と買っているけれど、そんなに女ばっかり買ってどうするんだ?

 次男坊はその男のことをどこぞの大富豪だと考えていたらしい。大量に女を買っているのも、広い屋敷や身の回りの世話をする女中にするためか、あるいは性欲処理目的の慰み者かと予想していた。

 けれど男の答えは違った。

「『材料にするためですよ』――それが返事だったそうだ」

「材料って……それ、つまり」

「人を買って材料って言葉が出てくるなんざ、幻獣を作る以外にありえねえだろ」

 エランは忌まわし気に鼻周りから伸びたひげをぴくぴくと揺らしている。

「さらにここでカギになってくるのが……」

 ロメリアの視線が自身の隣に向けられる。

 彼女の隣でベッドに座り、夢中で米を咀嚼していたマスベルがきょとんと小首を傾げた。

「マスベルは幻獣だ。それもつい最近作られた」

「確かに、体のどこにも〝刻印〟はなかったわね」

 魔術師たちが処刑される二百年前まで、彼らはおのれの〝作品〟である幻獣たちの体に作成者が分かるように家紋や名前を刻んでいる。マスベルの体にはそれがなかったとミレールは言う。マスベルが眠っている間に探したのかと思ったが「ちゃんと起きてから探したわよ」とアウグストの思考を読んだように彼女は唇を尖らせた。

「その子を作ったのが誰かっていうのは見当ついてるの?」

「とある宗教の神父を名乗っていた男だろうと思っているよ。あんたら……というか、そっちの犬の坊やが林で襲いかかったあいつだ」

「誰が犬の坊やだ」

 というかロメリアはアウグストもエランもまとめて坊や呼ばわりするつもりだろうか。なんとなくアウグストの方が年上な気がしていたため、微妙に納得がいかない。訴えたところで無駄だろうが。

「そういえばあのあとどうなったの?」

「あたしがこいつを止めたのよ。そんなことしてる場合じゃないって。なんとかエランを説得してる間に、いつの間にかあいつら逃げちゃってたけど」

「ちなみに競売で女を買いまくってたのも、例の神父じゃないかと私は考えてるよ。幻獣を作ろうとする奴なんてごろごろ転がってるとも思えないしね。で、知り合いの子の話によると、あの子といっしょに攫われた友だちがすでに神父らしき男に買われていったそうだ」

 少女は涙を流しながらロメリアに頼んだという。

 ――お手を煩わせてしまうと承知の上で申し上げます。どうか……どうか友だちをお助けください。わたし一人の力では、助けることはおろか、あの子がどこにいるのかも分からないのです。

 それに対するロメリアの返事は潔かった。

「任せなって言ってきたよ。ここまで関わって放置したら後悔するからね」

「じゃ、乗りこむか」

 かつん、とエランが血気盛んに杖で床を叩いた。

「俺はあいつらにレチアの居場所を聞きてえし、そっちは買われちまった奴らを助けたい。向かう場所は一致してるだろ?」

「まあね。けど助けるだけじゃない。これ以上マスベルみたいな幻獣を作らないよう徹底的に潰してやるつもりでいるよ。そっちも幻獣を作るような集団を残しておきたくないだろう? 正直なところ戦力不足を感じていてね。私と坊や、マスベルだけじゃ心もとない。手伝ってくれるね?」

 頼んでいるように聞こえるが、ロメリアの口調からは圧力が感じられた。二人は拒むことなくうなずいた。僥倖、と彼女は満足げに唇に笑みを刷く。

「だけど乗りこむって言ったって、どこに? 場所なんて分からないわよ」

「私がただ見舞いに行っていただけだと思う? ちゃんと探ってきたとも」

 ロメリアは港の拠点で、神父に「教会で管理している生贄の獣が逃げた」と声をかけられていたが、似たような言葉でこのあたりの家庭を訪問してまわっていたようだ。

「その時に宗教の名前を聞いた人がいた。レチア教、と彼らは名乗ったそうだ。『困りごとなどありましたら教会へ』ともね」

「……レチア教……」

 アウグストは横目でエランを見た。自分の名前を宗教名にするとはな、と嘲るように口の端を歪めている。

「……そういえばあいつら、言ってたよね? 港から南に進んだところに教会があるって」

「このあたりはレーヴェ教の信仰が厚いし、レチア教なんて新興宗教があちこちに教会を建てるとは考えにくい。奴らの拠点はほぼ間違いなくその教会だ」

 目標は定まった、と誰からともなく目配せをする。

 ただ一人、いまいち状況の分かっていなさそうなマスベルだけが、よく熟れたリンゴにかじりついて満面の笑みを浮かべていた。

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