第16話
「……どういう意味?」
アウグスト以外も同様の疑問を抱いたのだろう。神父の話を黙って待つ。
「レチアさまはご自身を守り、お宿りする〝器〟を求めておられた。レチアさまのお気に召す〝器〟を、我々は作ろうと」
「だから、その〝器〟ってそもそもなんなの? 聞いたことないんだけど」
「神さまをその体に降ろして神託を告げる人のことをいうのさ」答えたのはロメリアだ。「レーヴェ教の高位の神官がそう呼ばれているんだよ。レチア教はそれを模倣しようとしたのかな」
「でもこいつらが言う〝器〟ってちょっと違うんじゃない? 守るとか言ってたし。いまいち分からないわね。もっと殴ったら詳しく教えてくれるかしら」
「おいお前ら、こっちはどうなったんだ!」
穴の向こうから聞こえた不満に、アウグストたちはいっせいに目を向けた。エランだ。すっかり忘れていた。文句を言いながら戻ってきたということは、外での戦いに一区切りついたのだろう。
彼はロメリアとマスベルがいることに少し驚いて、次いでミレールにのしかかられている神父を見下ろす。異形頭の登場に、神父は怯えたように首をすくめていた。
「ったく、片付いたなら片付いたって言えよ。一人で全部相手にすんの大変だったんだぞ。
「そういえば外の幻獣ってなにがいたの? ずいぶん大きかったみたいだけど」
「グリフォンだ。バカでかかったし、ありゃ相当な数の材料使ってるな。ミレール、お前あとで〈核〉壊してこいよ。気絶してるだけの奴が何体かいるから」
「了解」
「相当な数の材料、ねえ……」ふむ、とロメリアは神父の額を人差し指でこつこつ叩きながら思案している。「それだけ集めるには相応の金が必要になったはずだ。レチア教の資金源はなんなんだろうね? 信者からのお布施もあるだろうけど、それだけじゃあとても賄えないと思うのだけど」
神父はぐっと口をつぐんで黙秘を貫こうとしたものの、ミレールとエランにそれぞれ痛めつけられている。さすがに見ていられなくなり、アウグストは顔をそらして祭壇に近づいた。
「アーグスト、どうしたの?」
「マスベルたちが出てくる前に、ここで捧げものに埋もれてる人を見かけたんだよ」
アウグストはマスベルの手を借りつつ、うず高く積もった捧げものを取り払っていく。人の頭を見かけたときから嫌な予感はしていたが、果たしてそれは現実となった。
祭壇に寝かされていたのは、うら若い少女だ。痛みと絶望に端正な顔はひきつり、光を失った眼はうつろに宙を見つめている。すり傷や切り傷の目立つ体を隠す衣服はなにもない。頭のかたわらには刃物が置かれているが、少女の胸を切り開くのに使用したのだろう。吐きそうになるのを堪えながら覗きこむと、大きく口を開けた胸から見える心臓はずたずたになっていた。
ひたひたと床を濡らしているのは、彼女から流れ出た血だ。突入する直前に殺されたのだろう。マスベルが痛ましそうにアウグストの手を握ってきたが、握り返すだけの余裕はなかった。
「この子も、痛いことされたんだよ」
「……マスベルが前に言ってたみたいな、引っ張られたり、叩かれたり、千切られたりってことか……」
こくり、とマスベルは声もなくうなずいた。
少女が寝かされている場所から考えて、彼女も捧げものの一つだったのだろう。これから幻獣あるいは魔獣として生まれ変わらせようとしていた可能性も捨てきれない。なんにせよ、残酷であることに変わりなかった。
「う、売りさばいていたのだ!」
これ以上殴られたくないと思ったのか、神父は苦痛にゆがんだ声を張り上げた。アウグストが振り返ると、彼の顔は先ほどよりもひどい有様になっている。
「売りさばくって、なにをだい。はっきり言いな」
「幻獣の作り方の資料だ! それが一番手っ取り早く金を稼げた。どれだけ金を積んででも作成の秘儀を知りたいと願う奴はいる」
「なるほどね。資料が出回ったうんぬんもあなたたちの仕業だったわけだ。人身売買に加担したり、幻獣を作ったり。これじゃあ宗教団体っていうよりただの犯罪者集団っていったほうが正しいと思わないかい」
「無礼な! 我々はただレチアさまのために、」
「レチア、レチアってうるせぇな。黙ってろ」
喋れと脅したり、黙れと怒ったり、神父からすれば理不尽極まりない。エランは勢いよく神父の顔を蹴り飛ばしたが、そのせいで彼は意識を飛ばしてしまったようだ。よだれを垂らしながら顔を床に激突させている。
「……ちょっとやりすぎじゃない……?」
「あたし、この人のこと嫌いだったけど、なんかかわいそうって思ったよ」
「甘ぇな魔術師、幻獣。これくらいでちょうどいいんだよ」
「気絶させといてちょうどいいわけないだろう、犬の坊や。幻獣や魔獣を作っていたのは誰かとか、まだ聞きたいことがあったのにどうしてくれるんだい」
「そういえばエラン、こいつから神力とか感じる?」
ミレールに促され、エランがこつこつと杖で床を叩く。どこからともなくあふれ出した砂はぐるぐると渦を巻き、神父を取り囲んでいる。エラン曰く「『悪意のかおり』の残り香をこうやって可視化してんだよ」とのことだ。
しばらくして、砂は特になにをすることもなく消えた。真っ先に首を傾げたのはエランだ。「変だな」と訝りながら何度も同じことを試している。
「……こいつ、神力保持者じゃねえ。
「ってことは、信者の誰かが神力や魔力を持ってて、その人たちが作って――あれ、いない」
アウグストが内陣から身廊を見回すと、動くなと命じられていたはずの信者たちがいなくなっていた。神父に気が逸れている間に逃げ出したのだろう。
いや、ただ一人だけ残っている。信者たちを率いていたひげ面の男だけが、俯きがちに立ち尽くしたまま微動だにしていない。
――なんであの人だけ残ってるんだ……?
神父が心配だったのだろうか。それならもっと早くにロメリアの命令など無視して止めに入っているはずだ。あるいは信者たちの逃亡に気づいたこちらを足止めするために残ったのか。だがミレールやエランの強さは目にしているはずだし、最悪の場合マスベルと目を合わせる羽目になる危険性を考えれば、一人で立ち向かうなど非現実的なことくらい分かっているだろう。
得体のしれない違和感が肌を撫でていく。アウグストがじっと男を見ていた時、急にエランが彼に向かって杖を構えた。ロメリアたちもなにごとかと男とエランを交互に見ている。
「……テメエ、何者だ?」
エランの耳はピンと立ち、歯をむき出しにした口からは威嚇の唸りが漏れている。
「気色の悪い神力……いや違うな、魔力か? 俺が壊した幻獣たちから感じたのより強い『悪意のかおり』がすんだよ」
「久しぶりに会えた母親に向かって気色悪いだなんて、とても悲しいわ」
「!」
男の顔が糸で勢いよく引っ張られたように上げられる。目は焦点が合わず、両手は脱力したまま体の横にたらされている。なにより不気味だったのは、半開きの口からはっきりと聞こえたのは男の声なのに、口調がはじめと全く違うことだ。
――今あの男、エランに『母親に向かって』って言った、よな? まさか……!
男はゆらゆらと幽鬼のごとき足取りでこちらに近づいてくる。かと思うと、ぐんっと吊り上げられたかのように体が浮き上がり、瞬く間にアウグストたちの中心に降り立った。エランとミレールはそれぞれ男に攻撃しようと武器を構えたが、男が軽く指を振るとその姿勢のまま固まった。
「……犬の坊やと同じことを聞くけれど、あんた何者だい?」
ロメリアは立ち上がり、男の真っ向から見据える。
「私? 私はそこにいる眼鏡の男の子の同類よ。ちょっとお茶目な魔術師。いろんな人から『レチアさま』って呼ばれてるわ」
男――レチアはあっさりと名乗った。
アウグストの全身に鳥肌が立つ。どれだけ腕をさすっても消えない。彼女はロメリア以上に優雅な所作をしているのに、口調から感じられるのは子どものような無邪気さだ。マスベルは本能で恐怖を覚えたのか、アウグストの腕にしがみついて震えている。
「レチア、だと?」嘘つけ、とエランが首を激しく左右に振る。「あいつは女のはずだ、そんなひげ面のおっさんじゃねえ!」
「そりゃあそうよ。だってこの人、私じゃないもの。私は違う場所からこの人の体を借りてお話ししているだけ」
はっとアウグストの頭にひらめくものがあった。神さまをその体に降ろして神託を告げる人――〝器〟。ロメリアもそう感じたのか、口の端を小さくゆがめて腕を組んでいる。この場でレチアに恐れを抱いていないのはロメリアくらいだろう。
「そいつに宿れるんなら、わざわざ幻獣で〝器〟を作る必要はないと思うけど」
「好きでこの人を選んだわけじゃないわ。私の魂を受け入れられる適性があったから一時的に借りているだけよ。いろいろ試したけれど、〝器〟にするなら幻獣がいいわ。そうすれば老いずに美しいままでいられるし、私の望みのままに動くもの。なにかあった時は身代わりにもなってくれるし、傷ついても再生するからとても便利でしょう?」
レチアはだらりと腕を伸ばし、指を広げてなにかを持ち上げる仕草をする。すると倒れていた神父の体が浮き上がり、彼女のそばまで漂っていった。
「この人は回収させてもらうわね。うるさい人だけれど、私を褒めたたえる才能だけはあるから手放すのはもったいないの。口の軽さのお説教もしないといけないしね」
「それは困る。私たちはそいつからレチア教の目的を聞きだすつもりなんだ」
「そんな大した目的なんて無いわ? 私はただ自分が生きやすくて住みやすい世界を作りたいだけ」
ふとレチアがマスベルに目をとめる。びくりと肩を震わせた彼女に、レチアはにたぁ、と慄然とする笑みを向けた。
「あなたが私の〝器〟になるはずだった子ね? 魔力を吸収しすぎてすぐに暴走しちゃった子。力を抑制するのに〈核〉を入れたのは悪くなかったけど、その〈核〉まで不完全だったなんて、お粗末よね。見た目が良ければ手を貸しても良かったけど、私の守護者になるにはちょっと頭が悪そう」
「お粗末って……!」
思わず足を踏み出したアウグストに、レチアは「あら」と興味深そうな眼差しを向けてきた。
「あなたの戦い方、とても面白かったわ。神力を無効化しちゃうんですもの」
「な――――」
レチアは武骨な指を伸ばし、やたらとなまめかしい動きでアウグストの肩を這わせる。体が硬直したまま振り払うことも出来ずにいるうちに、彼女は肩にある傷を的確に爪で抉ってきた。
「やめて!」
マスベルがレチアに掴みかかるが、軽く指を振っただけでマスベルの体は弾き飛ばされた。壁に激突して痛いはずなのに、彼女はすぐに立ち上がって叫ぶ。
「アーグストをいじめないで!」
「いじめてなんかいないわ。どんな力なのかちょっと知りたいだけ」
「な、なに、を…………――――ッ!」
レチアの爪が食いこんだ場所が焼けつくように痛む。ようやっと手を放された時、肩からはどくどくと血が流れて服を濡らし、膝が笑って立っていられなかった。後ろに傾いだ体を受け止めてくれたのはマスベルだ。
レチアはアウグストの血に染まった指をぺろりと舐め、満足げに目を細めている。
「ふふ、あなたゼクスト家の子なのね。ナクシャと同じ味がする」
「! な、なんで、お前がその名前を」
「どうしてだと思う?」
アウグストの動揺を面白がるようにレチアはぐっと顔を近づけ、「それじゃあ、またね」とひらひら手を振る。
「他の〝器〟がどうなっているのか見に行かなきゃいけないから、こう見えて私って忙しいのよ」
彼女は優雅にお辞儀をすると、瞬きをした一瞬の間に姿を消した。同時にミレールとエランの拘束も解けたようで、二人は全身から汗を拭きだしながら床に手をついている。ロメリアは頭をかいてため息を漏らし、レチアが立っていた場所を呆然と見つめていた。
「追いかけるっていうのは難しそうだね。ここで待っていても信者ともども戻ってくる可能性は低そうだ」
「あんたよく動じなかったね……」アウグストは傷口をぐっと押さえつけ、青い顔でロメリアを仰いだ。「どう考えても異常な状況なのに、よく冷静でいられるよ」
「冷静に見えたのならなによりだ。これでも結構驚いていたんだよ。まさかレチアが出てくるとは思わないから」
一番驚いたのは犬の坊やだろうけど、と視線を注がれたエランは杖を支えにふらふら立ち上がり、ミレールの腕を引いてなんとか立たせていた。
「なんなんだよ。『生きやすくて住みやすい世界を作りたい』って。意味わかんねーんだよ、くそ」
「あの男の人、レチアの〝器〟にされてた自覚あるのかしら」
「さあ、そこまでは分からない。とりあえず幻獣作成は神父が指示して、ひげの男が主に作っていたって考えた方がよさそうだ」
アウグストは低いうめき声を漏らした。肩の痛みがいっこうに引いていかない。これ以上血を流すのも危険だ。心配そうにしているマスベルに頼んでカバンから包帯と塗り薬を出してもらい、その間に痛みを堪えながら上半身の服を脱いだ。
――聞き間違いじゃなければ、さっきレチアは「ナクシャ」って言ったよな。
ナクシャは数年前に死んだ、叔父の名前だった。
――あいつが叔父さんを知ってるってことは、まさか……。
「いつまでも考えていたって埒が明かない、か」アウグストが思考の沼にはまるそばで、ロメリアは腰に手を当てて疲れたように首を回す。「あいつらがいなくなったことだし、気持ちを切り替えて次の行動に移ろう」
「なにかするつもり?」
「捕まってた人たちは解放したけれど、自力で帰れない子もいてね。送り届けてやらないとかわいそうだ」
「送り届けるって言っても、どうやって?」
マスベルに包帯を巻いてもらいながらアウグストが問いかけると、ロメリアは壁に開いた大穴から外の様子をうかがっていた。
「犬の坊や。外にグリフォンがいるって言ったね? 私の記憶が確かなら鷲と獅子を合体させたみたいな幻獣だったはずだけど、合ってる?」
「ああ。けど、それ聞いてどうするんだよ」
「鷲ってことは翼があるんだろう? 空を飛んで送り届ければ早く済みそうだなと思ったんだ。それにバカでかいならひと息に運べる人数も増える。せっかくレチア教が残していったんだ。有効活用させてもらわない手はない」
「ちょっと待って。あたしたちにもそれ手伝わせようとしてないわよね」
言うが早いか、ロメリアはミレールたちの反対意見も聞かずに地下に通じる床を開けて中に入っていった。ぽかんとしていると「早く来な」とわざわざ呼びに戻ってくる。
仕方がない。考えたいこともあったし、出来ることなら休んでいたいが、確かに地下で待機している人々をいつまでも放置するわけにもいかない。アウグストはマスベルの肩を借りながら、諦めた様子でため息をついている〈機関〉の二人とともに地下に潜っていった。
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