第6話

 扉を蹴破って突入すると、中はもぬけの殻だった。必要最低限の家具や食器は残されているが、ほかはなにも残っていない。

「一足遅かったかしら」

 ミレールは肩の力を抜き、手にしていた剣を鞘に納めた。異形頭の相棒はしきりに鼻をあちこちに向けている。ぐるる、と喉が鳴っているが威嚇だろうか。恐らく本人は無意識だろう。

 彼の鼻を頼りに幻獣が潜んでいると思しき場所を特定し襲撃してみたものの、目的の獲物は姿を消していた。港からこのあたり一帯に漂っていたのは単なる残り香だったようだ。

「気配もないし……もう移動したみたいね」

「…………」

「エラン?」

「幻獣以外のにおいがする」

 相棒――エランは身の丈以上もある杖で床を何度も叩いた。ざざ、と耳障りな音がしたかと思うと、杖で叩いた場所から間欠泉のように砂があふれ出した。砂は風のないせまい室内で渦を巻きながら立ちのぼる。砂の粒が目に入らないよう、ミレールは腕で顔を覆った。

 再びエランが床を叩くと、砂は内側から弾けるように散逸する。

「もういいぞ」と相棒に促されて腕を下ろすと、二人以外は誰もいなかったはずの部屋に人が増えていた。

 といっても本物ではない。砂が作り出した砂の人形が二人、床に座りこんでいる。砂は絶えずざわざわとうごめいているが、形はしっかりと保ったまま崩れない。触るとまたたく間に崩壊すると聞かされているため、ミレールは触れないように気を付けながら人形に近づいた。

「背格好と髪型から考えて、男女一人ずつって感じかしら。顔かたちはちょっと分かりにくいわね」

「そっちにもいたみてぇだ。壁のとこ」

「あ、本当だ。三人いたってことか」

「ああ。けど、壁の一人はよく分かんねえな。『悪意の香り』が薄い」

 エランの言うように、壁際に佇んでいたであろう何者かの姿だけが限りなく薄い。砂も形をとりにくいらしく、時々不安定に揺れてはまた元の姿を形成している。

「ま、香りがするってことはただの人間じゃねえだろうが、そこまで薄いと幻獣でもなさそうだ」

「じゃあ床のどっちかが幻獣ってことね」

「女の方じゃねえか? 角っぽいの生えてるしな。けど違和感があるんだよな。よくある幻獣のにおいと違う。どうにもまがい物くせぇ」

「まがい物? このまえ派遣された場所で見かけたみたいなやつ? 角生ええて、幻獣によく似てるけどーって言ってたやつ」

 記憶が確かなら、上司は〝魔獣〟と呼んでいたはずだ。

「なんだっけ。黒い影がまとわりついてるんだっけ?」

「おう。俺もちゃんと見たわけじゃねえけど、気持ち悪ぃもやみたいなのをまき散らしてたな」

「とりあえず魔獣ならますますすぐに狩らないと。一般の人たちに危険が及ぶ前に」

「こいつと一緒にいる二人も一応ひっ捕らえるか」

 もう十分と判断したのか、エランが杖の先で人形をつつく。その瞬間、砂は土台を無くしたように崩壊し、そのままどこかへ消え去った。先ほどまでおののくほどの量があったというのに、跡形もない。

「幻獣だか魔獣だか分からないのは女の方だとして、男の方は?」

 誰もいない部屋に用はない。ミレールたちは路地に出て歩き始めた。蹴り飛ばした扉の修復はしていないが、どちらもそれを指摘することはない。

「あれだけしっかり形をとってて、でも幻獣ではないのよね。ってことは」

「決まってんだろ。魔術師以外に考えられねえ」

 部屋に残っていた「悪意の香り」はしっかり覚えたらしい。エランはすん、と鼻を鳴らし、杖を担いでずかずかと大股で進んでいく。ミレールは「ちょっとゆっくり歩いてよ」と不満を垂れつつ、その背中を追った。



 幻獣に比べて、魔獣の歴史はかなり浅い。発見されてから六年ほどしか経っていない。

 アウグストはロメリアからの答えを待つが、彼女は口を開かない。無言こそ肯定の返事なのだろうか。

「……やっぱり魔獣なんだ、マスベルは」

「いや、どうだろうね」とロメリアは顎に手を当てて思案している。「魔獣かもしれないなと思っているけど、魔獣にしては巷でよく聞く印象とはだいぶ違う気もするんだ。ほら、魔獣の特徴って『角が生えてる』『黒いもやの吸収と排出をくり返している』って言われているだろう」

「あと『凶暴』ね」

 角が生えているのはともかく、残り二つの特徴はマスベルに該当しない。黒いもやなんてまとっていないし、凶暴性も今のところ感じられない。

 魔獣のことを思うと、どうしてもアウグストは胃が痛くなる。魔獣の発見を語るうえでゼクスト家は欠かせない存在となっているからだ。

 いい意味ではなく、悪い意味で。

「魔獣をはじめに作ったのって、坊やの叔父さんだったっけ?」

「……それも知ってるんだ……」

 脳裏に優しい笑みを浮かべる叔父の顔がよぎる。あれは偽りの笑顔だったのだと、今でもどうしても思えない。

 叔父がなぜ幻獣ではなく魔獣を作ったのか、真相はいまだに判然としない。本人に聞こうにも、叔父は捕まって早々に獄中で自死している。のちに手記が見つかったものの、何者かに盗み出されてから所在不明のままだ。

 一時はゼクスト家の存続も危ぶまれたが、エストレージャ王国の王族の計らいによって糾弾されることはなかった。しかし叔父の一件をきっかけに魔獣が見つかるようになり、今でも思い出したように沸いて話題に上ってはアウグストの胃を痛めつけてくる。

「そろそろ行こうか。あまりゆっくりしているわけにもいかないし。マスベル!」

「はあい」

 ロメリアが声をかけると、草むらでごろごろ遊んでいたマスベルが戻ってきた。髪や服に千切れた草が張り付いているし、「見てみて!」と嬉々として差し出してきた指には緑色の細長いイモムシが乗っていた。

 びゃっと喉がつぶれたような悲鳴を上げ、アウグストは思わず飛びしさる。虫は昔から苦手なのだ。出来るだけ視界に入れたくないし、触るなんて考えたくもない。しかしマスベルがそんなことを知るはずもなく、無邪気にイモムシを近づけてきては「可愛いでしょー?」と同意を求めてくる。

「かっ、家族! その虫にも家族がいるかもしれないだろ! だから返してきなよ、かわいそうだろ!」

「家族?」

 適当な理由をつけて虫を戻してもらおうと思ったのだが、マスベルはなぜかぴたりと固まった。かと思うとそれまでの勢いを無くし、全身から憂愁をただよわせて大人しく虫を近くの草に乗せている。

 その後ロメリアに従って移動する最中も、マスベルの口数は限りなく少なくなり、顔もずっと俯きがちのままだった。

 ――僕なにかまずいこと言ったかな。

 特におかしなことを口走った気はしていない。ロメリアに聞いてみようと思ったが、彼女もマスベルの変化に首を傾げている。

「ねえアーグスト」

 マスベルに呼ばれたのは、次に到着した町で宿に入った時だった。ロメリアは受け付けで値段の交渉をしている。しばらく戻ってこないだろう。

「……なに?」

「家族って、そんなに大事?」

「は?」

 突然なんだ、とアウグストは目をしばたたいた。

「あたしの家族はね、みんなあたしのことを怖がったの。殺されるって。化け物だって。毎日まいにち、痛いこともされたよ。叩かれたり、引っ張られたり、千切られたり」

「千切られ……」

 叩かれるだの引っ張られるだのはなんとなく分かるが、千切られると聞くと、急に恐ろしさが漂う。どこを千切られたのかと聞く勇気はない。

「マスベルの家族っていうのは、追いかけてきた奴らのこと?」

「うん。みんな家族だよ。増えたり減ったりするの。あたし、なにも悪いことしてないのに、みんなあたしを『レチアさま』って呼んでいじめてきたの。ねえ、アーグスト。さっきのイモムシさんに家族がいるかもって言ったけど、本当に戻してよかったのかな? イモムシさん、家族にひどいことされちゃわないのかな?」

「……あのさ、そもそも前提がおかしい」

 首を軽く振って、アウグストは近くにあった椅子に腰を下ろした。使い古されたそれはぎしっと音を立てて体重を受け止める。今にも壊れやしないかと一抹の不安を感じさせた。

「家族のかたちは色々あるよ。マスベルにとっての家族みたいな『ひどいことをしてくる人たち』だけじゃないんだ。少なくとも僕にとっての家族はそんなひどい奴らの集まりじゃない。母さんと、その弟子たちが僕の家族だけど、誰も暴力を振るったりはしない」

「? そうなの?」

「そうだよ。お互い違う性格だから意見が食い違ったり喧嘩したりはするけど、でも最後はみんなもとに戻る」

「私の家族はどちらかっていうと坊やのところに似ているかな。お待たせ、部屋は二つ取れたよ。坊やは男だから私たちとは別の一人部屋だ。構わないね?」

 はいこれ、と鍵を一つ受け取り、部屋まで案内するというロメリアを追う。

「私には息子が二人いてね、あの子たちはよく喧嘩しているけど、もうそれが日常みたいなものだ。喧嘩をきっかけに戦ったりすることはないし、マスベルの家族に比べたらはるかに平和だよ」

 宿の一階は受け付けと食堂が大半を占め、客室のほとんどは二階にあるらしい。ロメリアが取った部屋も二階のようだ。階段を上がりながら、彼女は懐かしそうな口調で話を続けている。

「マスベルが見つけたイモムシがどんな家族を築いているかは知らないよ。マスベルの家族みたいなのかも知れないし、アウグストの家族みたいなのかも知れない。どちらの可能性もある」

「ふうん……そっかぁ……」

「ま、そもそもイモムシなんてだいたい一匹で生きてるようなものだし、親はいても家族はいないだろうけど」

 あっはっは、とロメリアが笑い、マスベルは「えっ?」と驚いている。その後ろでアウグストは「言わなくても良かっただろ、それ」と頭を抱えた。うまくいい話にまとめようとしていたのに、たった一言で台無しになった。

 間もなく部屋についた。運よく隣あった部屋を確保できたようだ。

「たくさん歩いて二人とも疲れただろ。今日はゆっくりお休み。ご飯を食べるのを忘れるんじゃないよ」

 アウグストの部屋は簡素そのものだった。扉のすぐ脇には顔くらいしか映らないくすんだ鏡があり、ベッドと机、椅子が一つずつと、燭台といった小物はちらほらとあるものの、余計な装飾は一切ない。アウグストの背よりわずかに高い位置にある窓は横に細長く、幅がたいして広くないため風は通すが光はあまり差しこんでこない。宿というより少し贅沢な牢屋といった雰囲気だ。

 町の中で一番安い宿と聞いているし、仕方ないのかもしれない。アウグストは燭台にあったろうそくを灯し、ベッドの上にカバンの中身をぶちまける。道中で入手した数々の薬草や木の実が無造作に広がった。その一つ一つを手に取っていく。

「葉のかたちとにおいから考えて、ニンニクの仲間かな……暗くてなんとも言えないか。こっちは……ヘレボルスっぽいな。うーん、この前使っちゃった粉を補充したいし、使えそうなやつ……」

 あれでもない、これでもないと仕分けながら、ふと気になったことがあった。

 ――ロメリアは人を探してるって言ってたよな。

 彼女は立ち寄った町や村で情報収集に勤しんでいたが、それによると探し人たちはどうやら国内を北上しているらしい。今はそれを追いかけている最中だ。

 ――全員の顔と名前を把握してるわけじゃないとも言ってたのが気になるんだよな。

 不意に船での出来事を思い出した。縄を持つ男たちと、縛られる女性。アウグストを追い詰めたときに彼らが口走った〝商品〟という単語。

 ――もしかしてロメリアが追ってるのは……。

 隣の部屋から廊下に出た音はしていない。ロメリアはまだ食堂などに行っていないはずだ。

 己の予想を確信に変えるべく、アウグストは部屋を出た。どうにも気持ちが逸っている。ノックをして返事が来るよりも早く扉を開けて、見てしまった。

「え?」

 目の前に立っていたのはマスベルだった。

 瞳を隠しているはずの布がない、と気がついたのは、目が合ってからだった。

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