第7話

 まるで満天の星空の中心で輝く満月のようだった。

 急に扉を開けられるとは思いもしなかったのだろう。部屋に顔を突っ込んだアウグストを前に、マスベルは目を丸く見開いて固まっていた。

 今まで隠されていた両目は、明らかに人間のそれではない。

 普通の人間であれば白いはずの箇所は深い紺色に染まり、黄金色の虹彩は凄艶な月光に似ているのに、こちらに向けられた真っ赤な瞳孔が背筋を粟立たせる。

 ――あの子と目が合った人は片っ端から石になって死ぬ。

 ロメリアの言葉が耳の奥でよみがえった。今すぐ目をそらせと理性は訴えるのに、本能は美しい瞳をもっと見ろと言わんばかりに体を硬直させている。

 その時間が一秒だったのか、一分だったのか分からない。まばたきも忘れて見入っていたアウグストが我に返ったのは、「坊や!」とロメリアが叫んでからだった。

「あ、しまっ――――」

「わ…………わぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!」

 とっさに目をそらすと同時に、マスベルが勢いよく抱きついてきた。あまりに強い力だったために受け止めきれず、アウグストはその場に背中から倒れこんでしまう。

「いっ……!」

「ごめんなさい、ごめんなさい! アーグストが死んじゃう、ごめんなさい! ごめんなさい、わあああん!」

 マスベルの啼泣ていきゅうが廊下に響きわたる。まずい。このままでは何ごとかと他の宿泊客が覗きに来るだろうし、今のマスベルは目を隠していない。目を合わせれば死人が出て問題になるし、仮に目を見ずに済んだとしても、頭の角はなんなのかとどのみち騒ぎになるだろう。

 アウグストが危惧したところはロメリアも考えていたのか、彼女は真っ先に二人を部屋の中に引っ張りこんで扉を閉めた。その間もマスベルはずっとアウグストを抱きしめたまま泣きじゃくり、ごめんなさい、と謝り続けていた。

「ちょ、ちょっと、落ち着いて」

「ごめんなさい、ごめんなさい、アーグスト死んじゃうの嫌だ、ごめんなさい!」

「落ち着けって言ってるだろ!」

 ずっと耳元で謝罪されるのも鬱陶しい。アウグストは多少乱暴にマスベルの肩をつかんで引きはがし、握りこぶしを脳天に振り下ろした。

「痛いっ! なにするの!」

「こうでもしないと黙らないだろ!」

 方法はともかく、マスベルは今の一撃で少しだけ落ち着きを取り戻したのか、嗚咽を漏らして力なく俯いている。アウグストはひりひりと痛む手を揺らしつつため息をついた。床に叩きつけられた背中にも疼痛を覚えたが、どちらも塗り薬を使うほどでもなさそうだ。

「……坊や……」

 ロメリアはアウグストを見下ろすようにして立っている。その表情からいつもの余裕は消え失せ、悲嘆と困惑が混在していた。

「ああ、うん。マスベルの目、見ちゃったよ」

「……本当に?」

「残念だけど嘘じゃない。片っ端から石になって死ぬんだっけ。それってもうすぐ?」

 完全に自分の不注意だ。ノックをしたくせに、返事より先に扉を開けてしまうなんて。しかも女性の部屋を、だ。「身支度が整っていない時もあるんだから、開けるなら中の人が返事をしてからよ」と姉や母に口酸っぱく言われていたのに。

 は、と自嘲的な笑みをこぼして、アウグストはロメリアを見上げた。マスベルは双眸からこぼれる涙を手の甲でずっと拭っている。

「あー……えっと、僕の死体ってここに放置される?」

「………………」

「家まで送り届けてくれとも言いにくいし、どうしようか……家出してごめんって手紙だけ書くから、それ出しておいてもらえないかな」

「……ありえない」

「なに?」

「坊や、本当に――本当にマスベルの目を見たんだね?」

 ロメリアは先ほどと同じ問いを口にする。アウグストがうなずくと、彼女はもう一度「ありえない」と髪をかき上げた。

「だったらなんでまだ生きてるんだ?」

「え……え? なに、おかしいの? これから石になると思ってるんだけど違うの?」

「目が合った瞬間に死ぬんだよ、猶予なんてないんだ!」

 念のため立ち上がったり、手足を動かしたりしてみたが、これといって問題はない。ぎこちなさも感じなかった。そう報告するとロメリアはますます驚愕して、倒れこむようにベッドに座りこんだ。

「どうして……いや、助かったのならそれに越したことはないけど、なんで坊やは石にならなかった……?」

「マスベルの力が発動してなかったってことはない?」

 言っておいて、マスベルは力の制御が出来ないのだったと思い出す。だから常に目を隠していたのだ。誰とも目を合わさないために。

 ようやく泣き止んだマスベルを呼び、アウグストは椅子に腰を下ろした。マスベルはロメリアの隣に座り、今にも垂れてしまいそうな鼻水を何度もすすっている。

「本当に、体のどこにも異常はないんだね、坊や」

「ないよ。指先まで問題なく動くし」

「……どうしてマスベルの魔眼が利かないんだ?」

「そんなのこっちが聞きたいよ」

 試しにもう一度マスベルと目を合わせて、今度は先ほどよりも長時間見つめてみたが、やはり効果はなかった。ちょっと待ってて、とロメリアはいったん席を外し、十分ほど経って戻ってきたときにはその手に鶏をつかんでいた。

 近くにあった民家から銀貨と引き換えに譲ってもらったという。ロメリアはマスベルに鶏の目を見るよう指示すると、マスベルと目が合った鶏は二秒とかからずに石と化して死んだ。

「魔眼はいつも通り発動しっぱなしだね……」

「あんたがいない間に二、三回試したけど、やっぱり効果なかったよ」

「私が初めて坊やに力を使ったときも意味なかったし……ううん、なんでだろう」

 答えらしい答えは見つからない。

 今までにもこういうことはあったのか聞かれたが、アウグストは首をかしげた。まともに相対して、かつ力を目の当たりにした幻獣はマスベルが初めてだから比較のしようがない。

「……どういう理由かは分からないけど、とりあえず坊やにはマスベルや私の力が効かないってことだけはっきりしたね。魔術師だから耐性でもあるのかな」

「さあ、どうだろ。僕は神力イラ持ってないから相殺とか出来ないし」

「……そういえばそうだった。ううん……」

 どれだけ考えても、結局「分からないことだけ分かる」から進展はなかった。

 ぐう、と誰かの腹が鳴る。マスベルだ。ひとしきり泣いて落ち着いたことで空腹を思い出したのだろう。角が目立つため食堂に連れて行くのは難しく、アウグストとロメリアは適当に食事を見つくろい、部屋に持ちこんで夕食を取ることにした。

「なんでさっきは目を隠してなかったの?」

 アウグストはこの地域の特産物だというキノコのソテーを口に運ぶ。少し辛めの味付けが食欲をそそった。つけ合わせの野菜には軽く塩がふられ、余計な味付けがなく素材そのものの甘みを感じられる。

「力の制御が出来るかどうか試してたの。あと鏡に映った自分を見たらどうなるんだろうって思って、やってる時にアーグストが入ってきたんだよ」

「あれは坊やが悪かったね。こっちが少し待ってくれって言う前に開けちゃったんだから。待っていればマスベルも目を隠せたのに。ねえ?」

「ねー」

「そ、れは、うん……なにも言い返せないよ……」

「もし坊やに力が効いていたら、今ごろ等身大の石像をどうしようかって頭を抱えてるところだよ。まったく。次からは気をつけなさい」

「はい……」

 マスベルとロメリアが食後のケーキを食べ終わったところで、アウグストはこの部屋に来た本来の目的を切り出した。

「あんた結構な人数を捜してるんだろ? その人たちってもしかして攫われたりしたんじゃないの」

「どうしてそう思う?」

「船で見かけたんだよ。女の人を縛ってる奴らを。だから僕も追いかけられてたし、〝商品〟に仕上げるとか言われたし」

「そういえば『僕は僕で追いかけられてる』とか言ってたね」

 今まで特に気にしていなかったようだ。アウグストも追及されて説明するのが面倒くさかったため、これまで船での出来事について話していなかった。

「あいつらの発言から考えて、おおかた人攫いでしょ。〝商品〟になりそうな人を拉致して売り飛ばす、みたいな。あんたはその攫われた人たちを捜してるのかなって思って、聞きに来たんだ」

「やっぱり勘が鋭いねえ、坊やは」

 外はすっかり陽が落ちたのだろう。今夜は曇り空で月も出ていない。ろうそくの灯だけが唯一の明かりだ。ゆらめくそれに照らされたロメリアの眼差しはこれまで以上に真摯で、同時に慈しみが感じられる。

「二か月くらい前から行方不明者が出てるって聞いてね。探らせたら家出でもなさそうだし、庶民だけじゃなくて他の身分の人まで消えていた。これはただごとじゃあない、と思っていたときに、知り合いの娘が消えたって聞かされて、居てもたってもいられなくなって」

「それで捜しに来た、と? 一人で?」

 ああ、ロメリアはうなずいた。

 女性が一人でなんて、間違いなく危ない。誰かに声をかけて来ても良かったはずなのに、どうして単独行動を選んだのだろう。アウグストが疑問を呈すると、彼女は微苦笑をして足を組んだ。

「一度でいいから自由にふるまってみたかったんだよ。私の立場上、今まで周りに常に誰かがいたからね。そんな生活が息苦しくて、退屈で」

「今は?」と問いかけたのはマスベルだ。口の周りにケーキのクリームがべったりとついている。「今も息苦しい? 退屈?」

「いいや、全然。大変だけど前よりもずっと楽しいよ。マスベルと坊やがいるからね」

 ロメリアはマスベルの口を拭ってやっている。マスベルもロメリアに懐いているためされるがままだ。まるで親子のようだ。

 それにしても。

 ――私の立場上って……この人、何者なんだ?

 アウグストは二人の様子を見るともなしに眺めながら眉間にしわを寄せた。

 少し様子のおかしい中年女性だと思っていたのだが、先ほどの台詞のおかげでますますロメリアの素性が分からなくなった。行方不明者を探っていたのなら、治安維持だとかの組織に所属していたりするのだろうか。

「でも一人で捜すのってやっぱり危ないよ。この国に連れて来られてるんなら、こっちの誰かに協力を頼むとかすればいいんじゃないの」

「誰がなんの目的で攫ってるのか、まだよく分かってないんだよ。この国の貴族が関わっていない可能性も無いわけじゃないし、仮に関係していた場合、助けてくれと言ったところで『人身売買の事実はない』って返答されるかもしれない。だからまずは自分の目で真実を確かめたかったんだ」

「ふうん……」

「あーあ。坊やを捕まえようとしてた奴らに話を聞けたら良かったのに。今まで黙ってなきゃもっと違う行動も選べただろうに」

「なんでそこで僕を責めるんだよ」

「悪い悪い。冗談だよ」

 くすくすと肩を揺らすロメリアの隣で、マスベルもおかしそうに歯を見せて笑っている。瞳は覆われておらず、いざ素顔を見ると少女らしさはあまりなかった。二十代前半の女性に見える。

 たまに角に手を伸ばしているが、むずがゆさを感じているのだろう。

「そういえばマスベル。さっき下で家族がどうのって話してた時のことなんだけど」

 アウグストが声をかけると、彼女は遠慮がちに、けれどどこか嬉しそうに目を向けてきた。効果がないと分かったからか、真正面から顔を合わせられることに感激しているらしい。

「家族っぽい人たちはマスベルのこと『レチアさま』って呼んでたって言ったよね。それが本当の名前なの?」

「分かんない」とマスベルは首を横に振った。「そうなのかも知れないけど、好きな名前じゃないの。みんなひどいことをする時は絶対あたしのこと『レチアさま』って呼んできたの。だからその名前、嫌いなの」

「マスベルって名前を付けたのは私だよ。初めて会ったときに名前を聞いたら『あるけど嫌だ』って言うから、新しい名前をあげたんだ」

「マスベルって名前、あたし大好きよ! とってもかわいいと思うの! アーグストもそう思うでしょ?」

「可愛いかどうかはさておいて、いい響きだとは思うよ」

「!」

 褒められて嬉しいようで、マスベルはロメリアと手を取って笑いあっている。一方アウグストは顎に手を添えて思考の沼に入りこむ。

 ――『レチアさま』か。

 ――なんとなく聞き覚えのある名前なんだよな……。

 しかしどこで聞いたのかいまいち思い出せない。つい最近耳にしたわけではなく、かなり前、子どもの頃のような気もする。

 ――なんだろう。どこで聞いたんだっけ。誰かと話してるときに聞いたような……。

 ――……叔父さん、か?

 あと少しで分かりそうなのに、手がふれそうなところで答えは霞のごとく実体を失う。なんだっけ、と髪をかき回しながら考えていた時だった。

 どごっ、と凄まじい音がした。何ごとかと音が聞こえた先に目を向けると、部屋の扉から足が突き出していた。

「なっ――――!」

 驚いている間に足は引っこんでいったが、すぐさま二、三度同じように扉が突き破られる。ロメリアとマスベルも立ち上がって身を構えていた。

「見つけたぞ。幻獣もどきと魔術師と、あとよく分かんねえ奴」

 ばりばりと音を立てて扉が破壊されていく。あれだけの音がしたのだ、異変を感じ取ったのだろう。宿にいる人々のざわめきも聞き取れた。

 間もなく扉を破壊したであろう人影の姿があらわになる。純白の衣服をまとった女性と、鮮やかな朱色の衣服を身につけた筋骨隆々な男、と思われる。廊下と部屋に灯っているのはろうそくだけで顔かたちは判然としないし、男の方は顔が明らかに人間のそれではない。

「大人しくしてろよ。痛みも感じさせずに狩ってやる」

 そう高らかに宣言して、男は手にしていた杖を振り下ろし、犬によく似た異形の顔を笑みのかたちに歪めた。

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