第5話
アウグストが道ばたで草を千切っていると、「なにしてるの?」とマスベルが隣に座りこんだ。
「使えそうな草がいくつか生えてたから採取してただけ」
「ふうん。なんで?」
「なんでって、知らな……いよな。そうだよな。幻獣とか魔術師についても知らなかったし」
ぷつ、と手際よく草を手折り、傷つけないよう丁寧にまとめてからカバンや上着のポケットにしまって、アウグストは手を止めることなく説明を続けた。
「僕の実家のゼクスト家は薬師でもあるんだよ。怪我や傷を治したり、薬を作ったりする医者みたいなものだと思えばいい。いつもなら家で薬草の採取とかしてるけど、飛び出してきた以上そうはいかないから、歩いてるときに使えそうなものを見かけたら取っておこうかと」
「ふうん?」
いまいち分かっていなさそうだ。アウグストはため息をついて立ち上がり、ロメリアを探してあたりを見回した。
二人とともに行動するようになったのは昨日のことである。今日は港からさらに北上し、緑豊かな平原に囲まれた街に訪れていた。街の中心には細長い尖塔が特徴的な教会があり、巡礼に訪れた信者らしき人々をよく見かけたが、アウグストとマスベルは人目を避け、街はずれにある草むらに留まっている。
「お待たせ」と間もなくロメリアが街から戻ってきた。その腕にパンを抱えている。「手紙を出すついでに買ってきたよ。おなか空いてるだろう?」
「うん! ありがとう、いただきまーす!」
パンを差し出されるとマスベルはすぐにかぶりついた。時々ロメリアが「お行儀が悪いよ」と正してやっているのだが、今のところ効果が表れた様子はない。飽きもせずによくやるよ、と独り言ちずにいられなかった。
草を触った手のままパンを食べるわけにはいかない。アウグストは水を求めていったん街に入り、少しだけ様子を見て回ってから二人のもとに戻った。
パンを受け取る際に自分のぶんだけでも払おうと思ったのだが、ロメリアに拒否された。
「私があなたたちに食べさせたくて買ったんだから、お金はいいよ」
「それだとあんたの世話になってるみたいでいやなんだ。僕だってなんの手持ちもなしに出てきたわけじゃないし」
「こういう時は遠慮なく年上に甘えておけばいいんだ。納得いかないって顔をしてるね。ならこうしよう。次になにか食べ物を買う時は坊やが私たちのぶんも買えばいい」
アウグストが言いたいのはそういうことではなかったが、上手い反論を思いつかなかった。分かったよ、と呟くように了承して、渡されたパンを千切って口に運ぶ。もにもにとした食感にわずかに驚いたが、どうやら果物が何種類か練りこまれているらしかった。
「そういえばマスベルを追いかけてきてた奴、『とある宗教の神父』って言ってたけど、街にあった教会となにか関係してたりするのかな」
「無関係だと思うね」
ロメリアは即答し、もぐもぐと音もなくパンを食べ進めている。
「あの協会は光の神と闇の神を祀ってる〝レーヴェ教〟のものだ。だけど街にいた信者はあの男たちみたいに腕章を巻いていなかったし、なにより、そろいの服も着てなかった。だいいちレーヴェ教の普通の神父たちが幻獣を作ると思うかい?」
レーヴェ教は魔術師を「
確かに、と同調して、アウグストは別の言葉に引っかかった。
「……幻獣を作る?」
「マスベルを作ったのはあいつらなんじゃないか、と私は考えてる」
「そんな馬鹿な! だって幻獣作成は禁止されてるのに」
魔術師の家系はゼクスト家ともう一つ残っているが、二家が存続を許されているのは「永久に幻獣作成を行わない」と固く誓ったからだ。破るとどうなるか。
一族もろともかつての魔術師たちのように火刑に処されるのだ。
万が一に備えて幻獣の作り方は代々伝えられているが、実際に行動に起こした者はいない。自分だけならともかく、一族を巻き添えにするわけにはいかないからだ。
「でもね坊や。世の中にはあなたたちみたいにちゃんと誓いを守って生きてる正当な血筋のほかにも魔術師がいるんだよ。自分で言ってただろ? 『神力があれば誰でも魔術師になれる。ごく普通の一般家庭から急に神力を持った奴が現れて、ふとしたきっかけで神力に気づいていろいろと騒動を起こす』って」
「まあ、そうだけど……」
話題の中心であるはずのマスベルはいつの間にかパンを食べ終えていた。待っているのが暇なのだろう。草むらに生えている花に顔を近づけては香りを楽しんでいる。
「少し前に、どこぞの魔術師が残した幻獣作成の資料が出回ったって話もあったしね。それを手に入れさえすれば、今までまったく知識のなかった奴でも、神力さえあれば幻獣は作れるようになってしまった」
「でもあいつらがマスベルを作ったんだとして、その目的はなんなんだろう。〝器〟って言ってたけど、意味がよく分からないし。とある宗教っていうのも、レーヴェ教じゃないなら……あんたはなにか知らないの?」
「そのあたりは調査中。私の主な目的は人探しだし、並行して調べるのはなかなか骨が折れるんだ」
港にいたのも、本当はマスベルだけでもロメリアの地元に逃がして安全を確保してやってから、おいおい彼女の身に起こっていることについて調べる計画だったからだそうだ。だがロメリアが目を離したすきにはぐれ、その先で例の男たちに追われる羽目になり、予定はすべて水泡に帰したという。
彼らは今もマスベルを捜しているはずだ。彼らをどうにかしなければアウグストもロメリアたちと別れられなくて困る。
「……あのさ、他にもいくつか気になることがあるんだけど、聞いていいかな」
「答えられるものなら答えるよ。なんだい」
「あんたが探してる人って、どんな人なの。あんた一人で探すより、僕とマスベルも協力した方がさっさと済むんじゃないかな」
ロメリアは一瞬きょとんと眼を丸くしていたが、すぐにはにかんだかと思うとアウグストの頭をぐりぐりと撫でまわした。ただでさえ癖があって絡まりやすい髪がさらに悲惨なありさまになってしまう。
「嬉しいことを言ってくれるね。助かるよ。でも難しいんじゃないかな」
「?」
「私が探してるのは一人、二人だけじゃないんだよ」
「何人もいるってこと?」
「そんなところ。当然だけど特徴だって一人一人違うし、私も全員の顔と名前を把握しているわけじゃあない」
具体的な数を示されたわけではないが、ロメリアの探し人は十人や二十人ではない可能性がある。それだけの人数をたった一人で探すつもりだったのか。
ひとまず全員がこの国にいることは間違いなさそうだというが、あまりのんびりしていると別の場所に移動してしまう恐れもある。
「きっかけさえ掴めば、あとは簡単だろうと思ってるけど。上手くいくことを願うしかない。それで、他に気になることは?」
「マスベルのことだよ」
アウグストが視線を向けると、彼女は花を摘んで遊んでいた。かと思うと、なにやら唇を曲げてこちらに駆け寄ってくる。
「ロメリア」と呼んだ声は今にも泣きだしそうだ。「お花さわってたら、なんだか手がかゆくなってきちゃったの……」
涙ながらに差し出した手は、褐色肌ゆえに少し分かりにくいが、ところどころ赤くなっている。ちょっと見せて、とアウグストはマスベルの手首をつかみ、しばらく目を凝らした。
――さっきまで花を摘んでたし、そのなかにかぶれる成分のあるものがあったかな。
――幻獣なら放っておいてもすぐに治癒するだろうけど……。
アウグストはカバンをあさり、小さな缶を取り出した。ふたを開けると中にはなにかをくるんだ葉が入っており、そっと葉をめくると白く滑らかな物体が出てきた。ロメリアとマスベルから視線を注がれる中、アウグストは指先にそれをつけ、マスベルの手のひらに塗り広げてやる。
「染みたり、気持ち悪かったら言って」
「ううん、大丈夫。これなに?」
「炎症を抑える軟膏。塗り薬だよ。うっかり毒のある植物を触ったりした時のために持ってきた。しばらくなじむまで花とか触らないでね。はい、もういいよ」
「わあ……!」
マスベルは軟膏を塗られた手のひらを眼前に掲げ、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
人間にとっては薬でも幻獣には毒かもしれない、と思ったのだが、そうでもなさそうだ。次第に彼女は満面の笑みを浮かべ、アウグストの手をぎゅっと握ってきた。
「すごいすごい! すぐにかゆいの消えちゃった!」
「そんなに即効性あったかな、これ。そもそもお前に備わってる治癒能力の影響もあると思うんだけど」
「アーグストの薬のおかげだよ! すごいね! 魔術師だからだね!」
「……いや、だから僕には神力がないから」
魔術師ではない、と言いたかったのに、最後まで聞くことなくマスベルは草むらに戻っていく。近くにいた蝶やらアリやらに手を見せつけては、弾んだような口調で自慢げに話しかけていた。
「すごいじゃないか。すぐに症状を見極めて、速やかに処置を施せるなんて」
ロメリアから感心を向けられて、アウグストはわずかに俯いた。
「すごくなんかない。僕なんてまだまだ父さんの足元にも及ばない……」
ゼクスト家の先代当主であった父は、先々代が事故死したため十二歳という若さでその地位についた。保有する神力は誰より多く扱いにも長けており、薬草の知識も豊富で、ひとたび相談が持ち込まれれば迅速に処方にあたっていたと聞く。
しかしアウグストが一歳の頃に亡くなってしまい、顔も声も覚えていない、というより知らない。それでも父に教えを乞うていた弟子たちから何度も話は聞いているし、そのたびに自分との違いを思い知らされる。
「母さんだって新種の薬草を作ったりしたし、姉さんには父さん以上の神力がある。僕には……僕にだけ神力がない。だから薬師として頑張ろうと思ったのに、どれだけやっても父さんを超えられない」
「そう卑屈になるんじゃないよ」
ロメリアの腕が肩にのせられる。かと思うとそのまま隣に密着するように引き寄せられた。
「故人への思いや記憶っていうのは美化されやすいからね。弟子たちにとって坊やの父親は偉大な人だっただろうし、これからもそうであってほしいと思うだろう。だから必要以上に坊やと比べちゃあ『あの人の方がすごかった』って言っている可能性は捨てられない」
「…………」
「それにね、今までの坊やは超えられなかったかもしれないけど、これからの坊やならどうだろう? せっかく家を飛び出して知らない土地に来てまで新種の薬草を探しに来たんだ。なんの成果もなしに帰れば、そりゃあ坊やへの評価はよろしくないだろうけど、目的を果たせば一変するはずさ」
「……本当にそう思う?」
「思うとも。そうだ。薬草を探すだけじゃなくて、新しい薬を作ってみるっていうのはどう?」
「薬の開発なんてみんな毎日やってるよ、いまさら目新しさなんてない」
「ああ言えばこう言う坊やだね、本当に。いいから、目標を作っておきなさい。『今まで誰も作ったことのない――作ろうとも思わなかったような薬を作ってみる』とかね」
「なんだよそれ」
話しているうちにだんだんと心が鎮まってきた。会話のおかげで気がまぎれたのかもしれない。はっとしてロメリアを横目で見ると、彼女は上手くいったと言わんばかりに相好を崩していた。
「で、さっきはなにを言いかけた?」とロメリアはアウグストを己の腕から解放して表情を引き締めた。「マスベルのこと、気になるって言っただろう」
「マスベルがゴルゴーンなら、頭の横から生えてる角はなんなんだろうと思って」
ロメリア自身も言っていたはずだ。あの子の基になったであろう伝説上の生物に角はないはずだ、と。
幻獣は――作成者である魔術師の趣味によって容姿や大きさといった多少の差はあるが――基本的な外見は基になった伝説通りの見た目であることが多い。アウグストの記憶が間違っていなければ、マスベルの基になったであろうゴルゴーンに角は生えていないはずだ。
「髪だって、別に蛇じゃないし」
「いいや、蛇だよ? ほら、三つ編みの先を包んであるだろう。あれは蛇を収納してるんだよ。さすがにむき出しのまま歩かせると目立つから私が隠した」
「あ、そうなんだ。なるほどね。じゃあますます角がなんなのかって話になる」
幻獣だと思われるが、本来はないはずの角がある。
ただの飾りならいいのだが、なぜかいやな胸騒ぎがするのだ。
――この前の夜にむずむずする、とか痛い、とか言ってたし。
――そういえばあの時……。
「ねえ、あんたさ。マスベルが本当は幻獣じゃないかもしれないって、思ってるんじゃないの?」
ロメリアがマスベルと契約したと明かした直前、彼女は「察するに――」となにか言いかけていたはずだ。
「僕が遮っちゃったから言いそびれただけで、あの時、本当はこう言いかけたんじゃないの」
アウグストは腰の横にたらしたままの拳に力をこめ、こわごわと己の考えを述べた。
「マスベルはただの幻獣じゃなくて、魔獣なんじゃないかって」
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