第4話
早朝だというのに、いくつも露店が並んだ広場はかなり賑わっていた。港の近くだけあって大半の露店には新鮮な魚介類が並び、野菜や果物もちらほら見受けられる。マスベルは興味深そうにあたりを見回しては笑っているが、布で視界は覆ってあるのにちゃんと見えているのだろうか。
「私が拠点を構えていたあたりは〝旧市街地〟みたいなものでね。最近ようやく活気を取り戻してきたけど、やっぱりまだまだここには及ばないね」
ロメリアは通りすぎざまに屋台から串の刺さった焼き魚を買い、アウグストたちに渡してくる。魚はあまり得意ではないが、買ってもらった以上断るのは失礼だ。どうも、と軽く礼を述べてからありがたく受け取った。ほっくり焼かれた身はかすかに甘く、ぱりぱりに焼かれた皮が香ばしい。
「坊やは船に乗ってこの国に来たんだろう? でもね、数年前までは違う手段もあったんだ」
「違う手段?」
「そう。幻獣に乗って空を飛んでくるのさ」
ちらりとマスベルを見ると、彼女はよほど腹を空かせていたのか、大きく口を開けて魚の腹にかぶりついていた。
一夜明け、アウグストたちはマスベルの拠点だという家から出て、北に向かって歩いていた。昨日の一派が出歩いていないとも限らないため、アウグストは適当な店で手に入れた外套を身につけて昨日までの印象を消した。フードを被れば顔に影が落ちて人相が割れにくくなり、マスベルも角を隠すために同様のものをマスベルが与えていたが、角が引っかかって鬱陶しいと言っては脱いでしまうのであまり意味がなさそうだ。
「幻獣に乗ってくるって、そんなの初耳だけど」
「あっはっは。そりゃあそうだよ。海路に対して幻獣での移動は空路って呼ばれていたけど、空路が廃止されてしまったのは坊やがまだ赤ん坊の頃だから」
「…………一応聞くけど、僕の名前、忘れたわけじゃないよね」
「魔術師ゼクスト家のアウグストだろう?」
覚えているくせに呼んでこないのは新手の嫌がらせなのか。アウグストは仏頂面で魚を食べすすめる。
「けっこう人気な交通手段で、拠点があったあのあたりは旅人だとか、それを相手に商売をする人たちで栄えていたんだけど、海路で稼ごうとしていた奴らにとっては面白くない。で、ある日『幻獣が暴れたようだ』って密告して、商売道具はかわいそうに処分されてしまったってわけだ」
「なるほどね……それを機にあそこから人が引いたってわけ」
「そう。だから坊やとマスベルが必死に逃げていたときも、そのへんの家から誰かが出てくることはなかっただろう?」
「面倒ごとに巻き込まれたくないから引きこもってるのかなって思ってたけど、そもそも誰も住んでなかったってことか。で? あんたはそんなところに拠点を構えてなにをしてたのさ」
拠点を出発してここに来るまでの道すがら、アウグストはここへ来た理由を「新種の薬草探し」と適当に伝えたが、マスベルとロメリアからはこれといって聞いていない。
そもそも二人の関係性はどういうものだろう。親子ではなさそうだ。さらに言うと、ロメリアの顔立ちは異国――シザンサの人々のそれとは違う。彼女もアウグストと同じように違う土地からここへ来たのだろう。
ロメリアは魚をすっかり食べ終えてからアウグストの問いに答えてくれた。
「人探しをしてたんだよ。すぐに済むと思ったら、どうも一筋縄じゃいかなくてね。一時的にあの家を借りてじっくり探そうかと」
「マスベルと会ったのはその途中って感じ?」
「相変わらず鋭いねえ」とロメリアはからから笑う。「昨日みたいに追いかけ回されているときに、あの子が私にぶつかってきたのが最初かな。どうもただごとじゃ無さそうだし、ほら、あの様子だと色々と心配になるだろう? 放っておけなくて」
「自分からわざわざ保護者みたいな面倒ごと引き受けたの? よくやるよ……」
「息子にもよく言われる。仕方ないさ、それが私の性分だから」
話していて分かったが、ロメリアの言葉には時々アウグストに聞き馴染みのある訛りが入る。彼女の出身地はもしかするとアウグストの母国――エストレージャ王国なのかもしれない。
困っている人を放っておけない性分だと自称するロメリアに、関心とも呆れともつかない曖昧な眼差しを向けて、アウグストは魚を咀嚼した。最後の一口だ。
「じゃあマスベルと契約したのもその時か」
「最低限の体術は心得てるつもりだけど、まだちょっと不安でね。せっかく目の前に幻獣がいるんだし、なにか役に立つ力でも手に入らないかなと思って」
「……え、そんな理由で?」
「悪いかい? マスベルも『助けてくれるならいいよ』って二つ返事だったし」
「頭おかしいんじゃないの……」
「それもよく言われる。私にとってはほめ言葉だね」
ロメリアのように幻獣と契約し、異能を手に入れた人々は〝
ほらここ、とロメリアはアウグストにぐっと顔を近づけた。突然なにかと思うと、よく見ろと言いたげに左目を閉じられる。残った右目をよくよく観察してみると、普通ならばありえない模様らしきものが目に浮かんでいた。契約印なのだろう。
ただ違和感があった。契約印がかなりぼんやりしているのだ。
――本で読んだことしかないし、幻操師と会ったのもこれが初めてだから定かじゃないけど、契約印ってもっとしっかりしたものじゃないのかな。
これもマスベルが〝不完全な幻獣〟であることが関係しているのか。
「ロメリア、あのね、あたしまだお腹空いてるの」
ぐいぐいとマスベルはロメリアの袖を引いてなにかを指さす。その先にある屋台から美味そうなにおいが漂ってきた。どうやら魚の切り身とイモを油で揚げた食べ物らしい。人気商品なのか、長蛇の列ができている。
「そんなに気になるなら買っておいで」
「いいの? やったあ! ロメリアとアーグストも食べる?」
「僕はいい。さっきの魚けっこう大きかったし。っていうか名前……ああもういいや、面倒くさい……」
「私は食べようかな。ここで待ってるよ」
はーい、と元気な返事を残して、マスベルはロメリアから受け取った銅貨を握りしめて列の最後尾に並んだ。アウグストたちは近くに置かれていた椅子に腰を下ろし、彼女が戻ってくるのを待つ。
「マスベルが幻獣なのは分かったけど、本当にゴルゴーンなの?」
昨晩ロメリアが自身を幻操師だと明かした時、彼女はその名を口にしていたはずだ。目を見たものを石化させてしまう魔眼を持つ怪物の名を。
「僕あんまり幻獣に詳しくないけど、不完全ってことは〝名入れ〟されてないの?」
「幻獣に種類としての名前をつけながら〈核〉と
どういうことだ。アウグストが疑問に首を傾げると、ロメリアはため息をついた。
「自分で力の制御ができないんだよ。言っただろ、片っ端から石になって死ぬって。この人には力を使わない、とかの選択ができないんだ。目が合った瞬間、はい終わりだ」
「だから目を隠してるのか……」
昨日マスベルを追っていた者たちが目を隠していたのも、彼女と目を合わさない対策のためか。
目が合った瞬間に死ぬだなんて、危険性でいえばどんな幻獣よりも上だ。今のところマスベルが布を取っている場面は目にしていないが、もしその瞬間が来たら視線をそらすほかに回避方法はない。
「マスベルと契約したんなら、あんたも同じような力を手に入れたってことだよね」
「まあね。私の場合、石化じゃなくて動きを止めるくらいの貧弱なものだけど。しかもいつもちゃんと使えるわけじゃあない。博打みたいなものだ」
「でもあいつみたいに無差別ってわけじゃないんだろ。ちゃんと発動の有無の制御はできてる」
「だから時々力の使い方を教えてるんだよ」
幻獣が幻操師に教えるのではなく、幻操師が幻獣に教えるとは。
「けどマスベルの血を飲んだとはいえ、私にも石化能力は効いちゃうみたいでね。瞬時にってわけじゃないけど、体が固まってしまう」
「は? えっ、でも普通に喋ってるし歩いてたよね、あんた」
「時間が経過したら解けるんだよ。目を見ていた時間によってまちまちだね」
「…………」
ただものではないと思っていたが、アウグストが思っている以上にロメリアはいかれているようだ。今回は無事に石化が解けたとしても、次もそうとは限らないだろうに、なんの迷いもなく脅威を抱えるマスベルと目を合わせられるし、保護者を名乗って一緒に行動している。
マスベルはいつの間にか列の先頭に立っている。無邪気に店主と言葉を交わす様子は楽しそうだ。誰かと話をするのがとても好きらしい。
間もなく二人のもとに戻ってくると、その表情には幸せが満ち溢れていた。
アウグストとロメリアの間にある椅子に勢いよく座り、マスベルは次々と口に放り込んでいく。木皿の上にあった魚とイモが見る見るうちに減っていった。
――目を見たら石化、か。
――絶対に見ないようにしないと。
そこまで考えて「ん?」とアウグストは顔を上げた。
「別に僕、あんたたちと一緒に行動する理由ないよね?」
もともとアウグストは一人旅だ。巻きこまれた成り行きで二人とここまで来たが、よく考えてみればひとまず脅威は去ったのだから、もう別れても問題ないはずだ。だいいち危険な幻獣と頭のおかしい女性とこれ以上ともに過ごすのは、アウグストの精神が悲鳴を上げてしまう。
だがロメリアはひょっと眉を上げ、指についた油を舐めとった。些細な仕草なのに、不思議と優雅さを感じる。
「けどねえ坊や。昨日の連中がいつ戻ってくるともしれないし、マスベルを連れて逃げるところを見られているんだよ? そんな状況で一人で出歩いて捕まったらどうするつもり」
「そ、それは、まあ……別に僕も身を守る道具をいっさい持ってないわけじゃないけどさ……」
運動が苦手なうえに、簡単な体術すら知らないのだから、大人数に捕まれば悲惨な結果が待ち受けていること間違いなしだ。
あとは、とロメリアが意地の悪い笑みを浮かべる。思わず椅子ごとのけ反ってしまった。
「坊やが私たちの居場所について口を滑らせない保証もないし、私としては一緒にいたいんだよね」
「見張っておくってこと?」
「そういうことだね。さて、どうする?」
ともに行動するか、ここで別れるか。
選択肢などあってないようなものだ。
アウグストが力なく「分かったよ」と両手を上げると、ロメリアは勝ち誇ったように胸を張り、話を聞いていたマスベルは「わーい!」と抱きついてきた。
「あたしアーグストともっといっぱい話したいって思ってたの! だから嬉しいわ!」
「分かった、分かったから放れてくれ! 暑苦しい!」
必死の訴えも聞き入れられた様子はない。マスベルは犬のようにぐりぐりと頬を押しつけて、初めは抵抗していたアウグストも、やがて体の力を抜いてされるがままになった。
「――――坊やをここで手放すわけにはいかないんだよ」
二人のやり取りを微笑ましく見つめるロメリアが、ぽつりと呟く。
「私の魔眼は間違いなく発動していたはずなのに、効かなかったんだから」
「なに。なにか言った?」
ロメリアがなにごとか呟いているのは唇の動きで分かったが、いまいち聞き取れなかった。アウグストの問いに、彼女は「いいや、なんにも」と白い歯を見せて笑った。
長い旅路を終え、船が港に着岸する。客室で休んでいたミレールは荷物をまとめ、姿の見えない相棒を探して甲板に出た。
探している人物はすぐに見つかった。夕焼けに似た豊かで長い橙色の髪を風におどらせ、ミレールは「なにしてるの」と声をかけながら隣に並ぶ。
「やっと着いたわね」
「そうだな」と答えた相棒は、すんすんと何度も鼻を鳴らしている。それに加え、四角く長い耳も神経質そうに前後に揺れていた。
「なにか感じるの?」
ミレールは手すりにもたれかかり、目の前に広がる港を見下ろしながら問いかけた。半分近く露出した豊満な胸が手すりにたゆんと乗りかかる。
一方の相棒はその後もしばらくなにか辿ろうと周囲の香りをかぎ続けていたが、やがて深くうなずくと好戦的な笑みを浮かべた。
「『悪意の香り』があちこちからしてやがる。幻獣がいるのは間違いなさそうだ」
「よかった。無駄足は回避できたのね」
「俺も安心した。んじゃ、そろそろ降りるるか」
ええ、とミレールは相棒の顔を見上げた。筋骨隆々な身体の上にあるのは人のそれではなく、犬によく似た異形の頭だ。後頭部から生える長い赤毛が風に揺れ、まるで炎のようだ。
「行きましょうか――幻獣を狩りに」
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