第3話

「港のほうはずいぶん落ち着いていたよ。密入国者も無事に捕まったようだし、昼間に追いかけてきた奴らもひとまず見かけなかった」

 ろうそくの拙い明かりだけが灯る部屋で、ロメリアが紅茶のカップを片手に報告した。壁にもたれて立っているだけなのに、不思議と絵になっている。対になる正面でアウグストは床に直接座りこみ、伏し目がちに「ふうん」とだけ答えて手元のカップに視線を落とした。中身が半分以上残った水面に、陰鬱そうな己の顔が浮かんでいる。

「いてっ」

 わずかに首の後ろが痛んだ。さすりながらうめいていると、「どうした」とロメリアに訊ねられる。

「ここに引っ張りこまれた時に、あんたが掴んできた首が痛んだだけだよ」

「そう恨めしそうな眼をするんじゃないよ。結果的に助かって、一時的な安全まで確保できたんだから良しとしておきなさい」

「……まあ、それはそうなんだけどさ……」

 あの時別の道を選んでいれば、違う結末がもたらされていたかもしれない。首の痛みも、塗り薬でも使えば朝には治っていることだろう。

「そういえば神父だとか名乗った男、あんたには特に反応しなかったよね。ってことはそっちのマスベルとかいう女の子と一緒にいるって知られてないのか」

「今のところは、多分ね」

「ねえねえロメリア!」紅茶を一口飲んだマスベルが情けない声を上げた。うげえ、と言いたげに舌を突き出している。「このお水、なんだか変な味がするよ! お薬みたいに苦いの!」

「それは水じゃなくて紅茶だって何回も教えただろう。味が気に食わないなら自分で好きに変えたらいい。ミルクを買ってきてあるから取りに行っておいで。ご所望なら砂糖もある」

「わあ!」

 ロメリアが厨房を指さすと、マスベスは嬉々としてそちらに向かった。その背中を横目で見送り、アウグストは訝しげに眉を寄せる。

 ――舌がかなり長かったな。僕の倍くらいはあった。先端が二つに分かれてたのも見間違いじゃなさそうだし。

 ――頭の左から角が生えてるってことを踏まえると、あの子はもしかしなくても。

 無言で考えこんでいると、「ところで坊や」とロメリアから声がかかった。

「さっきから全く目を合わせてくれないけれど、どうして」

 純粋な疑問というより、なんとなく面白がるような響きが含まれている。アウグストは視線から逃れるべく体の向きをずらし、「別に」と呟きながら紅茶をすすった。

「なんだっていいだろ。あんたに関係ない」

「つれないことを言わないでちょうだいな。こっちは坊やと仲良くなりたいんだよ」

「……必要性を感じないし……っていうか〝坊や〟って呼ばないでよ、もうそんな歳じゃない」

「それを言うならそっちこそ〝あんた〟なんて呼ばないでほしいね。名前を知らない仲じゃないんだ。マスベルみたいに気安に呼んでくれていいんだよ、ほら」

「気が向いたらね」

 見ず知らずの人間とこんなに話すのはいつぶりだろう。家出をする前はめったに外出もせず、会話の相手といえばもっぱら母だった。その弟子たちとも必要最低限の事務的な会話しかしなかったし、友だちらしい友だちもいない。

 姉のように社交的な性格だったら良かったのかも知れない。同じ日に同じ腹から生まれたのに、どうしてああなれなかったのだろう。

 マスベルはまだ戻ってこない。厨房から「あれー、どこー?」と棚を片っ端から開ける音が聞こえていた。ロメリアは特に手伝いに行くでもなく、空になったカップに二杯目を注いでいる。

「……あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」

 一人で考えていても明確な結論は出ない。ともに行動しているのだからなにか知っているはず、とアウグストは思いきって問いかけた。

「あの子――マスベルってもしかしなくても、幻獣げんじゅう?」

「ふふ、やっぱり鋭いね」

「……なにがやっぱりなのか分からないけど、正解ってことかな」

「まあね。けど完璧な幻獣ではない、と私は思ってるよ」

「? どういう……」

「ロメリアー! 白いお水注いだら本当に味が変わったよー!」

 よほど味の変化に感動したのか、マスベルが心の底から嬉しそうに言いながら戻ってくる。どうやら彼女にとって液体状のものはすべて〝水〟らしい。マスベルは弾んだ足取りでアウグストのそばに来ると、まるでそうするのが自然だとでもいうように隣にちょこんと腰を下ろした。

「なんのお話ししてたの?」

「いや、別に」

 アウグストがさりげなく距離を取ろうとしていると、せっかく答えをはぐらかしたのに「あなたが幻獣なんじゃないかって話してたんだよ」とロメリアが言ってしまった。

「ちょっ、なんで」

「いいじゃないか、特にやましい話をしていたわけじゃあないし。それに」

「……?」

「幻獣?」とマスベルは首を傾げた。カップの紅茶はすっかり元の色を無くし、ほぼミルクの色に染まっている。「幻獣って、なあに?」

 不思議そうな様子に、アウグストは思わず目をしばたたいた。

「え、知らないの?」

 こくん、とマスベルがうなずく。

 どういうことだ。アウグストが視線をロメリアに向けると、彼女は「ほらね」と言わんばかりに肩をすくめていた。

「ねえねえ、幻獣ってなあに?」

 せっかく距離を取ったのに、マスベルはずいずい肩を寄せてくる。近い、と押しのけながら、アウグストはため息をついた。なんでもないとごまかしたところでマスベルは納得しなさそうだ。

「……幻獣っていうのは、何百年も前に魔術師たちが作った人工生命体だよ。昔はそのへんにごろごろ転がるくらいいたらしいけど、今はすっかり数を減らしてめったに見かけることはないかな」

「んー? まじゅつし、っていうのも、よく分かんない」

「それも知らないのかよ」

 どうやら見た目のわりに中身はかなり幼く、知識もそれほど備わっていないようだ。

「魔術師は〝神力イラ〟を扱う人間のことだよ。ついでだから説明するけど、神力は大昔……それこそ神話に出てくるような時代に、神さまが人間を作った時の名残だって言われてる」

「ふうん。じゃあみんな神力を持ってるの?」

「みんなじゃない。時代が進むごとに一人、二人と力を失っていった。その中で失わなかった人たちのことを〝魔術師〟って呼ぶんだよ。魔術師は神力を使っていろいろやったんだ。干ばつがひどい地域に雨を降らせたり、不治の病で苦しむ人が元気になるように治療したりね」

 アウグストの話に、マスベルは「ふんふん」と小刻みに相づちをはさんでうなずいている。時おりそちらに目を向けて、アウグストも己の中にある知識を整理しながら静かに続けた。

「そのなかで一番偉業だってもてはやされたのが、幻獣づくり。神さまが土から人間を作り上げたみたいに、魔術師たちは植物や動物を組み合わせて、神話や伝説に出てくる生物を基にした人工生命体を完成させたんだ。幻獣には〈核〉っていって、人間でいうところの心臓が埋め込んであるんだよ。ただ普通の心臓と違って〈核〉は神力の塊みたいなものだから、老いて止まってしまうことがない。ずっと活動し続けるんだよ。だから幻獣も〈核〉が壊されたり、取り出されたりしない限りは半永久的に動き続ける」

 そして、とアウグストはマスベルを一瞥した。

「恐らくお前は、その幻獣だろうなって」

「わあ!」といまいち分かっていなさそうな声音でマスベルはのけ反った。「あたしってそんなにすごいのね! 知らなかった!」

「すごいと言えばすごいのかな。〈核〉がある限りはどんな怪我も治るだろうし。走り続けても息が上がらない、とか」

「あれ? でも今は減っちゃったって言ってたね。なんで?」

「魔術師が減ったからだよ」

 ずず、と紅茶を一口すする。冷めてしまって美味しくなかった。

「魔術師の幻獣づくりはもてはやされたって言ったけど、最初だけだったんだ。幻獣の材料に人間が使われてるって判明してから、『ひどい』『人の命をなんだと思ってる』って評価が真逆になった。最終的に魔術師はほとんど捕まって、家族もろとも火あぶりの刑で死んでいった。作る人がいなくなれば当然数も増えないし、幻獣自体も凶暴なやつはどんどん処分されていった。だから減ったんだよ」

「でもまったくいなくなったわけじゃあない。幻獣だけじゃなくて、魔術師だって今も残ってる家はある」と口をはさんだのはロメリアだ。「例えば坊やのゼクスト家とか」

「ああ、まあそうだけ、ど……」

 うなずきかけて、はっとした。

 名乗りはしたが、ゼクストだとは言わなかったはずだ。なのにどうしてロメリアはアウグストがゼクスト家の人間だと知っているのか。

 無言の問いを感じたのだろう。ロメリアは薄くほほ笑みながらなにかを指さした。アウグストのかたわらに置いてあるカバンだ。

「そこに縫われている紋章――尾をくわえた蛇ウロボロスとハマナスの花。〈慈愛〉のゼクストの家紋だろう」

 確かにカバンには家紋が記されている。カバンは数年前の誕生日に母から贈られたもので、その際に母が縫ってくれたのだ。なんとなくカバンを引き寄せて胸に抱え、「でも」とアウグストはロメリアを凝視する。

「家紋なんて普通いちいち把握してないでしょ」

「自分の普通に他人をあてはめちゃいけない。世の中にはそういうのに詳しい人間もいるんだよ。私みたいな」

「…………」

「ねえねえ、アーグスト。アーグストは魔術師なの?」

 びみょうに名前の発音がおかしい。ロメリアに対する疑問が残ったまま、律義に「アウグストだよ」と正して、アウグストはマスベルの問いに答えた。

「ゼクスト家は魔術師だけど、残念ながら僕は魔術師じゃない」

「どうして?」

「神力が無いんだよ」

 家出をするきっかけになった会話を思い出して、わずかに頭が痛んだ。書き置きを残してきたとはいえ、多少の騒ぎになっているかも知れない。好機とばかりに、あの少年のような者たちが母を言いくるめている可能性もある。

「神力っていうのがないと、魔術師じゃないの?」

 マスベルの疑問は尽きないようだ。正直に言って、この短時間ですでに一年分喋ったような気分なのだが、放置しておくとしつこく聞かれる予想しかできない。アウグストは脱力感を覚えながら口を開いた。

「そうだよ。逆に言えば、神力があれば誰でも魔術師になれる。今でもたまにあるんだよ、ごく普通の一般家庭から急に神力を持った奴が現れて、ふとしたきっかけで神力に気づいていろいろと騒動を起こすみたいなことが」

「先祖返りってやつだね」

「へえ、面白いね! ねえ、もっと聞かせ……ふあぁ」

 ぐいっと顔を近づけてきた直後、マスベルは大きなあくびをした。布の上から目をこすっている。どうやらかなり眠いようだ。やれやれとロメリアは苦笑し、彼女に近寄ると優しく頭を撫でていた。

「子どもはそろそろ眠る時間だ。もうおやすみ。明日の朝にはここを出ていくから、それまではゆっくり眠るといい」

「えー、でもまだ眠くないもん」

「あれだけ大きなあくびをしておいて? いいから、素直におやすみ。私と坊やはまだもう少しここで話しているから、二階の寝室に行きなさい」

「はぁい」

 名残惜しそうに返事をしてマスベルは立ち上がる。と、なにやら小さくうめいて角を押さえていた。

「どうした?」

「んー……なんだかここがむずむずしたの……ちょっと痛い……」

 その瞬間、かすかにロメリアの目つきが変わった気がした。だがアウグストが首を傾げている間に、ロメリアは先ほどと同じ調子に戻ってしまう。

「きっと眠いからだよ。起きたら治ってるさ」

「そうかなぁ……じゃあ、おやすみ」

 半ば夢の中にいるようなものなのだろう。階段を上がっていく音はゆらゆらと怪しげだ。それでも無事に寝室には到着したのか、間もなく扉の閉まる音が聞こえた。

 本音を言うとアウグストも眠りたいのだが、ロメリアは「私と坊やはもう少しここで話しているから」と言っていたはずだ。しばらく眠れそうにない。

 眠気覚ましの紅茶を一杯注いでから、それで、とアウグストはロメリアを見る。

「さっきマスベルのこと『完璧な幻獣ではないと思ってる』って言ったよね。あれ、どういう意味」

「そのままの意味さ」とロメリアは壁からはなれ、アウグストの正面に腰を下ろす。「契約は出来たから幻獣ではあるんだろうけど、どうにも違和感がある。あの子の基になったであろう伝説上の生物に角はないはずだし、さっきむずむずする、とか言ってただろう。それから察するに――」

「ちょ、ちょっと待って。聞き間違いじゃないよね。契約? 今さっき契約って言った?」

 慌ててロメリアを遮り、アウグストは思わず身を乗り出した。

「マスベルと――幻獣と契約するって、それつまり」

「ああ、そういえば言ってなかったね」

 くすくすと愉快そうに笑って、ロメリアはこめかみを軽く指で叩いている。

 その直後、

 ――まただ。

 ロメリアの瑠璃色の瞳が金色に輝き始めた。見る者を圧倒するような、美しくもありながらまがまがしさも感じさせる。

 しばらく見つめられたあと、彼女は退屈そうに目を閉じた。次にまぶたを上げたとき、瞳は元の瑠璃色を取り戻している。

「手ごたえはあったんだけど、また不発か……おかしいね。だいたい三回に一回は成功するんだけど」

「不発って……なあ、あんたもしかして」

「坊やの言いたいこと、だいたい分かるよ」

 そうしてロメリアが続けた言葉は、アウグストの予想を確信に変える一言だった。

「そう。私は幻操師げんそうしなんだ。幻獣ゴルゴーンのね」

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