祖なる影のお話
今から数百年前のこと、とある
彼女は孤独だった。周囲に生えている無数の木や獣に擬態してみたり、雨が降った時は雨粒の数を数えてみたりと、悠久の暇を潰す幾百もの方法を考えては実行していたが、それは彼女の心の中にある虚空を埋めるには不十分だった。
いつも通り、山に棲む鹿に化けて気を紛らわせていた時のことだった。彼女の永遠に続くと思われた退屈が、突如として終わりを告げたのは。
彼女の心は瀕死だった。そのため何をしようと感情の起伏など無いし、することにも特に深い意味はなかった。ただ暇を潰すこと以外には。
鹿に化け、無心で並走していた時、突如として草木がざわめき、不穏な風が彼女の頬を撫でた。直後、山中に轟音が鳴り響き、隣を走っていた鹿はその身体を大きく揺らし、力なく倒れた。
彼女は何事かと思い、その鹿に駆け寄った。その鹿は既に事切れており、無残に空けられた頸の穴からは鮮血が止め処なく溢れている。その後、落葉を踏む音を聞いた彼女は木陰に駆け込み、身を隠した。
彼女は鹿の姿のまま木陰から顔を少しだけ現し、鹿の亡骸に歩み寄る者の動向をひっそりと伺うことにした。それは藁蓑を身に纏い猟銃を携え、無精髭をたくわえたがっしりとした体つきの男だった。その男は鹿の亡骸を乱雑に抱え、どこかへ姿を消した。
彼女は初めて見る「人間」という生き物に強く惹かれた。それは物言わず只突っ立っている植物にも、本能のままに動き回るだけの獣にも見出せなかった「好奇心」という感情だった。
「人間」という生き物に興味を持った彼女は、迷うことなく山を出る選択をした。
人語も一晩のうちに習得し、目に留まった人間に次々に変装するという生活を続けているうち、彼女の心には彩りが生まれた。
彼女が山を出てひと月ほど経ったころ、1人の男との出会いを果たした。
彼は無実の罪で囚われ、処刑の日をただ待つだけの境遇にあった。これから死にゆく彼には碌な食べ物が与えられておらず、顔色は極めて悪く、痩せこけた手足は骨が浮き出ていた。彼の虚ろな目つきからは、諦念の情が感じ取られた。
不憫に思った彼女はそれ以来、こっそり握り飯を持参しては孤独な彼の話し相手になってやった。「孤独」の辛さをよくわかっていた彼女にとって、いつしか彼はかけがえのない人となっていたのだ。
彼もまた、彼女に惹かれていた。信じていた者皆に裏切られ、死にゆく運命しかないと思い込んでいた彼にとって、彼女は「希望」そのものだった。したがって「彼女が妖である」と、他でもない彼女の口から明かされたときも、彼は全てをすんなりと受け入れられた。
気づいた頃には既に、妖と無実の罪人は恋に落ちていた。
しかし運命は残酷だった。無情にも月日は流れ、彼の処刑が決行されてしまったのだ。処刑人によって、町衆達の眼前で彼は首を落とされた。だが何故か、妖が悲しむことはなかったという。
さて、話は少し逸れるが、彼が処刑された後、1つ、不思議なことが起こったという。
その地域では罪人の骸は山中に遺棄し、山の獣に食させるしきたりがあった。したがって、彼の遺体には布を被せ、牛車を用いて山奥に運ばれたはずだったのだが...
運搬役の男が布を剥ぐと、男の骸は既に、忽然と消えていた。
🍀「これが、あの一族のルーツ...」
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