2 いつか月から攻めてくる

「……五十年後の未来から来たって、どういうこと?」


 メルに言われた言葉を、私は繰り返す。


「タイムスリップ、ってこと?」

「そういうことです」

「……なるほど」


 いったん頷いた私に対して、そこでユナが割り込んで来た。


「……リオ、この子のこと信じるの?」

「信じられないけど」


 顔をしかめるユナに、私は話しかける。


「取り敢えず、聞いてみようよ。……警察を呼ぶにしても、病院に連れて行くにしても、ここなら最悪マスターさんに手伝ってもらえるし」


 我ながら酷いこと言うなぁ。あと、勝手に巻き込んだマスターごめん。


「……それでいいよね」

 向き直ると、黙ってメルが頷く。


「月から敵が攻めてくるんです」


 ……温まった空気が再度ひんやりとする。

 そう言えばこの喫茶店ってBGM流してないな。


「……なにそれ?」


 ユナが完全に呆れたような口調で言う。


「やっぱり病院に連れて……」

「続けて」


 早口で言う。……この子、説明下手だよね……。


「と、これじゃ分からないですよね。えっと、この星に人が住むようになった経緯はご存じですか?」


「私、歴史苦手……」


 ユナはあまり文系科目が得意じゃ無い。

 代わりに、私が答える。


「学校で習った程度のことなら。……故郷の星から移民船で旅立った私たちの先祖は、この星系に辿り着いて、最初は今私たちが月と呼んでいる二重惑星のもう一方に到着した」


「ええ」


「だけど、しばらく月に住んでいたご先祖は、燃料のほとんど無くなっていた移民船をもう一度だけ何とか動かして、この星に移住した」


「私もそう聞いてます」


「移民船は壊れてしまい、故郷に帰ることはおろか、月に戻ることすら二度とできなくなってしまった」


「……そうですね」


「何か間違ってる?」

「間違ってはいないんですけど。どう言えばいいのかな……」


 カップを持ったまま、メルはしばらく悩んだ表情を浮かべた。

 しばらくしてからカップを置いて、メルは突然私たちに質問を投げてきた。


「お二人は正しい歴史ってどういうものだと思いますか」

「……正しい?」


 ユナが奇妙な顔をする。


「実際に起こったことを正確に把握しているかとか」

 私は思いついたことを言ってみた。


「五十点です。……そうですね。例えばリオさん、スポーツを見るのは好きですか」

「まぁ、それなりに」


「じゃあ例えば、リオさんがどちらかのチームのファンだったとします。終了間際に奇跡みたいなプレイが起こって、大逆転で勝ったとしますよね。……すごく気持ちいい歓喜の瞬間じゃないですか」

「だね」

 ユナが頷く。


「でも、相手のチームのファンから見れば、ほぼ勝ちを掴んでいたのにそれがすり抜けていった悲劇の瞬間ですよね」

「まぁ、向こうから見ればそう」

 私が首を縦に振る。


「全然違う結論です。どちらかは間違っていますか?」

「……それはそもそもどっちかだけが正しいの?」


「両方とも正しいです」

 メルは短く言い切った。


「だから、たった一つの正しい過去の歴史なんてないんです。……歴史もすごく主観的なんです。誰かにとっての良し悪しで語られるし、嘘や矛盾はなくても敢えて何かに触れないこともある」


「難しいことはよく分からないけど」

 ユナが割り込んでくる。

「それが、この話にどう関係あるの?」


「なんで月からこっちにご先祖は移ってきたんだと思います?」

「さっき言った通り、より良い環境を求めて、と学校で習ったけど」


「……半分は真実だと思います。でも、二重惑星の環境は大きく変わらない、ってのもご存じですよね」

「うん」

「だったら条件は変わらないと思いますよね。何故わざわざ、無理をしてまでこっちの星に移ってきたんですか?」

「向こうに残ってる人がいてもおかしくない、と思いません?」

「だけど月を見ててもそんな形跡は」


「月の裏だってあります」

 そこで一口紅茶を飲んだ。


「そこから先はどう信じてもらえばいいのか分からないんですけど――だけど、未来のこの星は、月に残った人からの攻撃を受けてるんです。どうにかして地球に来る方法を見つけた人たちに」


 ――この星の人々は、過去に持っていたはずの宇宙を渡る技術を持っていない。


 宇宙を渡るためにはそのための科学力、そして資源が必要だ。

 この星にそれを実現するような資源はない。


 そして、高効率でエネルギーを生成するための科学力もまた、失われている――記録としては残されているらしいが、封印されており、そしておそらくは今の私たちにはもう再現はできない。

 封印された理由は簡単だ――遠い先祖が故郷を去った理由というのは、まさにその技術による失敗だったからだ。


 だから今の私たちの文明は今は、ただ「今まで通りを維持する」ことからなかなか抜け出せない、と大人は言っている。

 今残されたものをこれ以上失わないように、そしてまたいつか進歩できるチャンスが得られると信じて。


「……まぁ、そこまでを仮に信じておくとしても。宇宙を渡ることすらできないのに、五十年後にはタイムスリップなんて出来るようになったの?」


 私はメルに訊いた。


「技術は開発出来てません。過去の宇宙船の技術を使ってますけど、それはどう動くか原理の分からないものを使えるだけで、もう一度一から作ることは出来ないし、一度使ったら終わりです」


「その『一度だけ』を使って来たってこと?」


「このままだと終わりですから、何とかするために……。それに、タイムスリップとはちょっと違うんです。こうして別の時間軸に私が存在することは、すごく不安定なんです。いずれ元に戻ってしまう――二十四時間が限界だと聞いてます」


「未来の代表……失礼だけど、メルって多分普通の女の子だよね」


「……です。残念ながら。だけど、私がいちばんこの装置との適合性が高かったんです」


 そこで溜め息をつく。


「簡単に信じてもらえるとは思ってませんけど、もしかしたら、と僅かでも思ってくれればいいです」


 私とユナは顔を見合わせる。


「……分かった」


 取り敢えず私が答えた。


「信じられないしネタだと思ってるけど、面白いから私はそのネタに付き合うよ。それでいい?」


「いいです」


「分かった。ユナもそれでいい?」

「……分かった。リオがそう言うのなら、今はそれでいいよ」


 少し不満そうなユナの声に、心の中でごめんと呟く。


 でも、一つ感じたことがある。少なくともメルは、何かの妄想に取り憑かれているとか、怪しい宗教を信じているとか、そういう様子には見えない。

 取り敢えずは乗っておいてもいいかなと、そう思った。

 面白いから、というのも否定しない。


「で、これから何をすればいいの? ……急いだ方がいいよね」

 私が言うと、メルは少し考えてから言った。


「まず、町の中心の広場まで連れて行ってくれませんか? 今も変わらないですよね、多分。そこからどこにでも行けると思います」


 うん、と私は頷いた。

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