五十年前の思い出に

雪村悠佳

1 未来から来た女の子

「五十年後の未来から来たんです」

 いきなり彼女がそう言ったことだけは、今でも鮮明に覚えている。


    *


 遥か昔、私たちの遠いご先祖が住んでいた故郷の星では、月というのはもっと慎ましく空に輝くものだったと聞いている。模様をうさぎだとか、かにとかに見立てていたとか。


 ……だけどこの星で私たちが見上げる月は、そういうロマンを掻き立てるにはちょっと大きく、不気味に輝いている。

 夕方になり少し日が傾いた空に、今日も青白い大きな月が昇っていた。


「月がうさぎに見えるってどんなのなんだろ」


 私が呟くと、隣から投げやりな声が返ってくる。


「さぁ」


「うさぎとかにの両方に見えるって想像出来ないよ。……まして、なんだっけ? 本を読むおばあさんってのもあるんでしょ、うさぎと全然違うと思う」

「こじつけなんてそんなものでしょ、そう思って見たら結構そう見えるんじゃない?」


 しかし残念ながら、見上げるこの星の月の模様は、どう頑張ってこじつけてもうさぎには見えそうにない。


 強いて言えば……レーズンパン?


 私にはロマンはないらしい。


 そもそも頭上に見えるのは私たちの星の衛星ではなく、二重惑星に当たるらしい。離れているから小さく見えるけど本当はこの惑星と同じくらいの大きさがあるとか。


 だとしたら本当は昔からの「月」の定義じゃないんだろうけど、だけど夜空に浮かぶ大きな天体を、結局人間はつい「月」と呼んでしまう。


「……リオ、どこまで行くのよ!」


 ずっと後ろの方から声がして、私は我に返った。


「え、ユナ、何してるのよ」


 振り返ると遠くで、茶色っぽい髪を短く切った女の子が手を振っていた……いや、そんなよそよそしい説明は要らない。要するに、私の親友たるユナが、やや荒涼とした野原を抜ける道路のずっと後ろで手を振っていた。


「立ち止まってみたら気付かずどんどん行くんだもん、びっくりした」


 呆れたように言いながら、早足で追いついて来て私の横に戻る。


「いじわる」


 わざとらしく肩をすくめて、ちょっとほっぺたを膨らませる。


「リオ、何か考え事してると周りが見えなくなるでしょ。危ないよ」

「大丈夫、今まで何かにぶつかったことは一度しかないから」

「……一度あれば充分危ないよ。ちなみに何に?」

「信号機の柱」

「……赤信号にはみ出さなくて良かったね」

「被害は眼鏡一つ」

「勿体ない。壊れたメガネがかわいそう」


 私の心配はしてくれないんだろうか。


「まぁ、この辺だとそんなに危ないこともないし」


 学校からの一本道にはそんなに人も車も通っておらず、何かにぶつかることはあまりありそうにない。

 私はわざとらしく後ろに走ってみた。


 ごん。


 何か固いものとぶつかって、私はその場にへたり込む。


 女の子の顔が見えた。


「ごめんなさいごめんなさい」


 壊れたスピーカーみたいに咄嗟に言葉を発しながら、地面が近付く。一瞬遠くなる意識。


「すいませんすいませんすいません」


 私より少し高い声が焦ったように言うのが聞こえる。


 そしてユナが言うのが聞こえた。


「……え、この子どこから来たの? 今誰もいなかった……よね?」


 腰から落ちた私の視界で、大きな月を遮るように、二人が私の顔を覗き込むのが見えた。


「だ、だいじょうぶ」

 苦笑い。


    *


「メル=ティアリスといいます」


 自己紹介を聞きながら、私たちは喫茶店で紅茶を頼んでいた。種類はよく分からない。今日のおすすめだと言われた茶葉だ。


 ユナはストレートで飲んでいたけど、私は少し砂糖を入れる。それを見たメルが、少しほっとしたように自分も砂糖を入れた。


 向かいにはさっき私がぶつかった女の子がいる。さっき年を聞いたら1つ年下だということだったが、見た目は2つか3つぐらい年下に見える、幼い感じの女の子だ。ピンク色のリボンで色の薄い金髪をくくっているのがかわいい。


「えっと……」


 メルが何かを言おうとしたように見えた。

 右手に持った紅茶の水面が少し揺れて、それからカップを下に置く。


「あの……」

「あの、じゃなくてさ……」


 ユナがちょっと睨む。


「まぁ、せっかく喫茶店入ったんだし話聞かせて」

 取り敢えず、私は助け船を出した。


「さっきの台詞、どういうこと?」


    *


 さっき尻餅をついた時に、私はすぐに砂を払って、ユナと歩き出そうとした。

 その時、「えっと……」と女の子が何かを言おうとした。

「だいじょうぶだいじょうぶ」

 さっきの苦笑いとは違って、にこにこと手を振ってみせると。


「……すいません、ちょっと、宜しいでしょうか」


 女の子がさらに話しかけてくる。


「そういうのは結構ですので」


 何かの勧誘を断るような感じで、ユナが後ずさりする。


「あの、そういうわけじゃなくて」


 手をぎゅっと握って、焦ったような、でもすごく一生懸命なような表情を浮かべる。

 私とユナは、顔を見合わせた。


「信じてもらえないかもしれないんですけど」

 女の子は一生懸命に、探るように私たちの顔をじっと見た。


「五十年後の未来から来たんです。……話を聞いてくれませんか」

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