辻神 二
「出張――ですか?」
豆鉄砲を食らった鳩のフルッフーみたいな声が出た。御手洗さんはデスクのパソコンに向かったまま、
「行先は、和歌山県の広川町ですね。ここからだと、泊りになります」
は、はあ――と、自分でも気が抜けているとはっきり自覚できるつぶやきを返す。御手洗さんは眼鏡を上げ、わたしを睨めるようにして、
「何ですか? 何か問題でもありますか? 心配しなくても、旅費も宿泊費も食費も公費ですよ。あと、部屋はシングルで二人分とってあります」
そういうことじゃありません、と、手をぶんぶん振る。
「そこに何があるのかしらんと思って。出張なんて、社会人になって、初めてのことですから、ちょっと浮足立つというか……」
御手洗さんは物憂げに深く深く嘆息した。そうして、遠足じゃないんだから――と愚痴りながら、
「八百万人事課の仕事をしにいくのですよ。行く先にいるのは神様。それ以外にないでしょう」
「そこにも、お迎えする必要のある神様がいらっしゃるってことですか」
「普通ならば、そうですね。しかしね――」
と、御手洗さんは腕を組んで、椅子に勢いよく背中を預けた。背凭れが軋む。こけるか? こけろ! と頭の中で余計なことを考えてしまうわたし。結局、御手洗さんは絶妙なバランスで椅子にもたれかかり、一定のテンポでぎしぎし言わせながら、
「今回は、今までの仕事とは毛色が違うんです。だから私も、ちょっと気が重くてね」
「へえ――」
わたしは文字通り、目を丸くしていただろう。御手洗さんの気を重くさせる神様関連の仕事って……。まさか、とんでもなく危ないんだろうか。それとも、とんでもなく汚いところとかに行くんだろうか。たとえば、田舎の汲み取り式便所の神様にあうとか――。そこまで考えて、わたしの背中に冷たい汗が流れた。御手洗さん一人が気落ちしているだけなら問題なしだが、仕事内容がヤバいものだったなら、それは同伴するわたしの問題でもある。
「事前に知っておいた方が良いことってありますか。どのような神様なのか、とか」
わたしは内なる動揺を隠して、あくまでもビジネスライクに訊いてみた。こういうとこ、嫌な大人になったなあと、自分でも思う。
御手洗さんは天井を無言で天井を睨めた後、頭に手をやりながら、さも大儀そうに、
「特にありません。というのもね、今回はお迎えしに行くんじゃないんです」
「――へ?」
「神様にね、灸を据えに行くんですよ。これも我々の仕事なんです」
「は、はあ――」
何も理解できなかったので、とりあえずてきとうに相槌を打った。神様に灸? でも、それなら仕事のほとんどは御手洗さんがやってくれるだろう。わたしはいつもの通り、数歩後ろから見ていれば良いんだ。
ホッとすると無性に喋りたくなるのは、わたしの悪い癖だ。わたしは目の前の自分のパソコンに「広川町 観光」と入力しながら、
「ここって、何かありますかね。稲村最中に稲村カレー、あっ、有田みかんってここなんですね。へぇ~滝源温泉ってありますよ。夜は、ここでお風呂入れますか?」
御手洗さんは何も答えなかった。それがかえって怖かった。ぞくりと寒気がして、扇風機のようにオズオズ首を横に振ると、御手洗さんがわたしを、ヘドロでも見るような目で見下していた。
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