第5話 Fly In May
「はぁ、疲れた」
「軽く触れたくらいで反応しすぎよ」
ファミレスまでの歩き慣れたアスファルト。空は雲だらけで気持ちが良かった。
咲に触れられた所がまだくすぐったい。
「なんか身体が過敏になってるっぽい」
「触り甲斐があるわね」
「……ん…!」
脇腹に人差し指。思わず身体を捻った。
「いや、ほんとに疲れるから」
「可愛い反応するからよ」
「そんな騙される方が悪いみたいに言われても」
「可愛いは悪。ということね」
……よく分かんないです。
涼しい風が通り抜けた。肩に掛からない金髪が鬱陶しく靡く。
視線の先には空高く突き立ったポール看板。駐車場を経由する緩い坂を歩いていく。
平日の昼間、店内はガラガラだった。
日光が鬱陶しくて奥の席に座る。
「好きなものを頼みなさいよ」
「うん。トマトスパゲッティにする」
「私も同じものにするわ」
「りょーかい」
メニュー横のピンポンを押すと、静かな店内に機械音が響く。
まぁまぁ遅れて、髪を二つに結んだ店員がダラダラと歩いてくる。
目が合うと顔を顰めて頭を掻いた。
「げ、二人に増えてやがる……」
何かを呟いて、怠そうに机の側で機械を取り出す。
「注文は」
「……トマトスパゲッティを二つ」
「承りましたァ」
此処って、こんな適当な店員いたか?彼女は、輩みたいな歩き方で戻って行った。
咲は肘をついて目を瞑っている。
「誰か知ってる?」
態度とか、言葉とか、そういう漠然とした違和を感じた。
咲が薄目を開いて欠伸を噛み殺した。
「ヴァンパイアハンター、らしいわ」
視線を俺の背後に送った、店員が消えて行った方へ。
「だから吸血鬼を見分けられるみたい」
「えぇ……そんな物騒な職業あんのか。人で言ったら殺人鬼じゃんか」
「そうよ。物騒で嫌ね」
「戦うのか?」
「さぁ?」
「ソレはとっくに廃業してるっつーの」
店員が戻ってきた。
制服のポケットに手を入れて突っ立っていて影がテーブルの上まで伸びてきている。
「今はヴァンパイアハンターじゃないって?」
「そーだ。あれは曾祖父さんの代まで」
そう言いながら俺の隣に腰を下ろす素振りをした。咲が眉を上げる。
「座るなら私の隣にしなさい」
「殺り合う気ねぇって」
あ、ヴァンパイアハンターって滅茶苦茶強かったりするのか……?
一応、腰を軽く浮かした。咲は頬杖をついて冷めた目を向けている。
「はぁ……別にいーけどさ」
視線に負けたのか、店員は渋々と腰を上げた。そして、ふと目を瞑って眉間に指を押し当てながら唸った。
「それあれだぞ?あれだ……、あー…職業差別だ」
この上なく馬鹿っぽかった。さながらヤンキーって感じだ。
「これで警戒するほど強いのか?」
「オイ、舐めんな!…って言いてぇけど、実際、吸血鬼サマの足元にも及ばねーよ」
咲の隣に投げるように腰を下ろした。咲は鬱陶しそうに奥に詰める。
「ジジイも割に合わないからつて廃業した。それ以来うちはツチノコハンターだぜ」
「ツチノコ」
「シーズンが終わったから、今はバイトしてる」
「ツチノコって居るの?」
「ぁ?そりゃ居るだろ。裏山とかに」
「まじ?」
思わず咲を見た。
「私は見た事ないわよ。興味もないし」
「うそ!?山で遊んでたら見かけるだろ?」
「そんな熊みたいな感覚で言われても」
「というか、私は貴方の自己紹介が聞きたいわけじゃないの」
咲が横目で見据えた。
「本題があったから来たのでしょう?」
「あー、そうだった。……あんたは何のつもりでこの町に?」
俺に顔を向け、そう言う。中々に真剣な表情だった。
「あー…」
そうか、吸血鬼としての俺は突然現れたって事になるのか。つっても理由なんて成り行きくらいしか説明できない。
「何て言うか」
そもそも咲は俺を吸血鬼にしたって言ってたけど、それってどういう意味がある行為なんだろうか。
人を吸血鬼にするなんて、ヴァンパイアハンターなんて仕事がある世界では碌な扱いをされなそうだ。
となると元男ってのも伏せておいた方がいいのか。
「……成り行きかな」
誤魔化すように首を傾げる、肩に髪が触れる感覚は未だに慣れない。
咲は目を瞑って水に口をつけていた。店員は俺を見つめたまま口を開く。
「ふーん……。じゃ、夜葉との関係は?」
「──世界征服仲間」
横からの声。咲が抑揚を付けずに言った。彼女が店員の顔を緩く覗くと髪が身体を流れていった。
「とでも言ってみたらどうするのかしら」
店員は、俺から視線を外して結んだ髪を弄りながら後ろにもたれた。
「……だからドンパチは辞めたって。派手な事すんなら引っ越そうと思ってるだけだっつーの、健気に」
「まぁ、意図はどうでもいいのだけれど」
こちらをチラと見た。
「その娘は私の身内で、私と甚だしい関係を持っているの。それだけ覚えたなら、さっさと厨房に帰ってトマトスパゲッティを持ってきなさい」
「……へいへい。分かりましたっての」
そう言うと体を伸ばしてから席を立った。歩き出そうとした足を止めて、こっちに顔を向ける。
「そだ、多目にしてやろうか?」
「いらない。早目にしてほしいわね」
端的な返答。「釣れねーな」と言って厨房に戻って行った。咲はボーッと店内を眺めている。
また役に立てなかったなァ。そんな無力感を誤魔化したかった。
「吸血鬼の戦い方とかあるのか?喧嘩なら多少は出来るけど」
咲は俺を見て、それから視線を巡らせた。
「翼を生やしたり……体を霧にしたり、再生したり洗脳したり、色々とあるわね」
「それは私にも出来る?」
思わず自分の身体を見下ろした。肌が透けるように白くて華奢、そういった不思議パワーが宿ってるようには見えない。
ふと、咲が俺の手に触れた。
冷たくて心地が良かった。そのまま指を絡めてきて手のひらが触れ合う。
「な、なに?」
「感覚を覚えるの、コツはそれくらい」
咲が目を細めた。手がじんわりと熱くなっていく。
「……ん…っ…」
熱さが全身に広がって、身体の内側が混ぜ合わされる感覚と妙な心地よさ。何かが溢れてしまいそうな感じ。
自然と眉が寄って身体が悶えた。手を離そうとしても指は絡められる。
「力を抜いて」
「……ぅん…ゎ…かっ、た」
力んだ体を解した。
「っ……!!」
一瞬、息が詰まった。そのまま皮膚が引きちぎれて体の内側から捲れあがったような気がした。
何かの堰が壊れた感覚。
目の前がギュウと歪んで、得体の知れない何かが体中を這っているような、皮膚の下で炭酸が泡立つような、それが纏わりついた。
遅れて、妙な解放感が脳味噌を蹂躙した。
「背中を見てみなさい」
眩んだ視界を抱えて、肩越しに後ろを振り向く。
──紅。
赤い翼だ。靄みたいなそれが視界に入った。腕より二倍くらい広いそれは、壁に触れた部分から先が途切れている。
ホログラムみたいな、実態がない物のように見える。
「なんか力が……」
纏わりついてる。
「おーい……、こんな場所で能力使わないでくれよ、すげービックリすんだからさァ」
声がやけに大きく聞こえた。店員が両手に皿を持ってコツコツと歩いてくる。
手に持ったスパゲッティが鮮明で明確に感じる。
「考えておくわ」
「ぜってー考えてくれねぇよな。……トマトスパゲッティお待ち」
「どうも」
「……ありがとう」
彼女は、皿を置くとしゃがみ込んで机に腕枕した。
上目で俺を見る。うんざりとした表情だった。
「できれば暴れねーでほしいなー、なんて」
「いや、暴れないから」
「じゃあその立派な羽を閉まってくれねーか。ドキドキすんだよ」
いや、生えた羽のしまい方なんて鳥さんも知らないって……。咲はコッチを無視して丁寧にスパゲッティを巻いていた。自分でやってみろって事だろう。
とりあえず体に力を入れてみた。んー…、なんか収められる気がする。
「大丈夫か」
「え?」
店員が怪訝な顔で俺を見ていた。
「なんか苦しそうだから」
「あー、大丈夫。ちょっと待って」
深呼吸、深呼吸だな。それで仕舞える感覚がする。
あー、治まってきた。
「はぁ……」
思わず息が溢れる。後ろを向いても翼は見えない。
体を押し込めて収められた。今は、そんな感覚が一番近い。
店員は胡散くさそうに眉間を寄せて、指をこちらに向けた。
「あのさー、コイツ何?」
「愛咲 白、17歳、ピーマンが嫌いで私の事が大好き」
ぅえ!?
「──ちょっと!個人情報だから!」
「いや、そんなのは知らねーけど」
「おい」
「なんつーかチグハグっつーか、……変だよな?」
店員は眉間を押さえながら咲に問いかけた。咲はいつもの淡々とした表情をしている。
口元を紙ナプキンで拭いた。
「失礼ね、白のどこが変なのかしら。こんなに可愛いでしょう」
「そーじゃなくってさァ」
「ショートカットが似合う愛らしい顔でしょう?」
作ったような微笑を向けた。店員は口角を下げてうんざりとする。
「あ、もう面倒臭いんで良いでーす」
「だったら速やかに戻ることね」
「コノヤロー、まんまとあしらいやがって……」
勢いをつけて立ち上がると、フラフラ歩いて厨房に帰って行った。
咲が、仕切り直すように口を開く。
「食べましょうか、鳴き声も止んだ事だし」
「オイっ!」
それは、ガラが悪く、そして店内である事を考慮した最大限の声量で返ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます