第3話 How Old Are U?

「……ピーマン」

「食べて?貴方のことを思って腕を振るったのよ」

「あぁ……んー…」

 夜葉さんが、ダイニングテーブルの向かいで頬杖をついて俺を見つめている。

 俺の前には皿があって、野菜炒めが盛られていた。今はピーマンしか残っていない。

 箸は微動だにしない。


「そんなに嫌いなの?」

「……いや、食べる。せっかく作ってくれたんだし」

 ちょっと幸福に突き当たると、人はすぐ幸せに鈍感になる。例え、吐くほど嫌いな食材でも今までの俺なら食ってた筈だ。

 これを食うのは十年ぶりくらいだな……。


「いい子」

 夜葉さんが口を緩めた。手が伸ばされて撫でられる。そんな顔を初めて見た。

 でも……これはどうなんだ?

 ナヨナヨした男って気持ち悪いよなぁ…。

「あのさ、俺、17歳だぜ?」

「わたし」

「え?」

「『私、17歳だよ』でしょう?」

 澄んだ瞳が愉しげに目が細められていた。


「でも、夜葉さんから見たら変なやつにしか見えないだろ」

「そんなことはないけれど。私は、貴方の全てが気に入っているから」

「全て…」

「そ。ただ、単なる嗜好として、貴方が可愛いからそういう言葉遣いをしてほしいだけよ。その方が興奮するもの」

 いや……まぁ、そこまで言われて断る程拘ってはないけど。


「それに、一人称が俺の女子高生とか、痛い青春を送ることになってしまうわ」

「え?……この姿じゃ、高校なんて行けないだろ?」

 身体を見下ろすと健康的に膨らんだ胸が目に入る。髪だってサラサラしている。

 

「そうね、元の貴方は行方不明扱いよ。だから別人として転校する形になるわね」

「今のお……私じゃ、戸籍とかないんじゃ」

 うわ、すげー恥ずかしい。

 思わず視線を逸らして部屋を見回すふりをした。殺風景なリビングをダイニングテーブルの上の灯りだけが薄暗く照らしている。


「……そんなモノはどうにでもなるわ。私だって入学したのよ」

「あぁ、そっか」

 半端な時期に入学してきたのはそういう事だったのか。

 ……というかなぜ学校に?吸血鬼なのに。俺を入れるのもだし。人間社会で生きられるのか?そもそも俺はどうすればいいんだ?人間と付き合っていたのはなぜ。俺の、どこを気に入ったんだ?




 ピーマンを掬って口に運ぶ。

「……っ!………んん」

 あまり噛まないで飲み込んだ。先伸ばししたって食う気が失せるだけと思ったから。

 それに頭がパンクしそうだった。

 視界には涙が浮かんでいる。口の中に残った苦味が……吐きそ


「どうぞ」

 夜葉さんがグラスに水を入れた。

 受け取って口をつけると口の中が洗い流される。空になったグラスを置くと水が注がれた。

「ぅ……ありがとう」

 また口をつけて、やっと少し冷静になった。手に持ったグラスには可愛いショートカットの少女が映り込んでいて、苦いモノでも食べたみたいな顔をしていた。


 そう、俺の現状には多くの問題点がある。身元不明の家出少女の生き方なんて知らない。吸血鬼なんてなおさらだ。

 この姿では元の家には帰れない。し、帰りたくもない。


 何度か視線を泳がせた。口を開こうとしては閉じる。こんな事を口にするのはハードルが高い。でも、俺から聞くべきだ。

 夜葉さんに目を向ける。彼女は、挙動不審な俺を無言で見つめていた。

「……此処に住ませてくれるのか?」


「そうよ。そうして頂戴」

 夜葉さんはあっさりとそう言った。それで妙に気恥ずかしくなった。

「あー、……その、お世話になります」

「他人行儀ね。『よろしく、咲』とでも言ってみなさい」

「よろしく、咲」

 俺がそう言うと咲は顔を綻ばせた。


「えぇ。よろしくね、白」

「シロ?」

「そ。貴方は今日から愛咲 白という名前」

 まぁ、元の名前なんて使えないか。

 女についてる名前じゃないし行方不明者と同姓同名とか変だし。アイサキシロ……。

「咲、が考えたのか?」

「貴方が目覚めるまで考えていたの」

 それは……意外に考えてるな。

 多分、死んでから三時間は経っている。


「何で白?」

「死んだ飼い猫の名前よ。ちなみに愛咲は私の事が好きだと言っていた所から着想を得たわ」

 飼い猫……。

 いや、名前なんてどうでも良いんだけどさ。死んでる訳だし。

「じゃあ夜葉咲って名前も?」

「えぇ。『夜が好き』からヨルハサキよ」

 え、駄洒落?


「駄洒落じゃないわ。お洒落よ」

 また心を──

「読むまでもないわね。顔でわかるわ」

 やっぱ読んでる!……よな?

「……私、ってそんなにわかりやすいか」

 思わず顔に手が伸びた。自分では表情に乏しいと自覚してるんだけど。

「そんなに分かりやすいわ。自分の事を私って呼ぶ時は顔が真っ赤よ?」

 


 早いな、もう9時か。

「………やっぱ吸血鬼って夜が好きなんだ」

「…視線も話題も、もっと自然に逸らしなさい」

「……」

 自分デモソウ思イマス。

 彼女は呆れた顔をした。

「太陽は鬱陶しくて嫌いよ。かといって月も好きじゃないけれど、太陽光の反射な訳だし。新月の夜が一番好きかしら」

 

「……吸血鬼っていうけど普通に日光を浴びてるよな」

「一般的に言われる特徴にはあまり当てはまらないわね。イメージし易いかと思って例に出しただけだから」

「例えば?」

 彼女はふらっと視線を彷徨わせた。頭を僅かに傾げて流れる髪が揺れる。

「十字架とかは平気ね。にんにくも好みではないけれど食べられるわ。日光も鬱陶しいなと感じるくらいだし」

「でも血は吸うんだろ?」

 多分俺も。なんとなく本能的にそれがわかる。


「えぇ。月に一度くらいは必要かしら」

「どうやってるんだ?」

「襲う、盗む、脅す、買う、色々とあるわね」

 指折数えて、物騒なのばかり羅列されていった。まぁ、血を手に入れる真っ当な手段とかあんま思いつかない。


「……そっか」

「心配しないでもいいわ、私がやるから」

「私もやるよ」

 じゃないと、一緒にいる権利なんてない。

「そう?別に気を使う必要はないのよ」

「やらせてほしい」

 咲はすこし俺を見つめた。瞳には灯りが写り込んでいる。


「まぁ、構わないけれど。一緒の方が楽しいでしょうし」

「ありがとう」

 一緒だと楽しいか。

「でもしばらくは大丈夫よ。それより、どうせ転校するなら引っ越す?」

「え?急だな」

 というか適当だった。咲はなんで学校に通うんだろうか。


「アムステルダムとかどうかしら」

 外国!?聞いた事ないんだけど。

「それどこ?……あと外国語が話せないので」

「オランダの首都よ。というか第二言語すら話せないの?」

 すら?まさか第三、第四の言語をっ……。

 いや、自分が情けなくなるな。

「なら夕凪高校にしておくわね」


「ごめん。これから頑張る」

「そ。期待しないで待っているわ」

 辛辣。いや、それくらいが楽か。

 しかし、こんな優秀な17歳がいるのか?

 肘をついてこちらを見る彼女は、同年代とは思えないくらいに大人びている風に見えた。


 俺の目線に気がつき、形の良い眉が顰められる。

「なによ」

 そんな態度が妙に似合っている。題するならば、亡国のお姫とかそんな感じだ。

「咲って何歳なんだ?」


「何歳が好きなの?」

 すぐ聞き返された。俺を見つめている。

 淡々と言い終えて、薄く笑った。


「それが正解よ」

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