第2話 TenSei

 意識が浮上して目を開けた。


 ……いや、まだ眠い。

 俺はブランケットに顔を埋めて再び目を瞑った。……髪が邪魔だな。

 髪を払って体を丸める。すると甘い匂いに包まれた。

 なんの匂いだ?


 シーツからも良い匂いがする。なんでだろうか。俺は目を細めながら体を起こした。

 部屋は薄暗い。間接照明が部屋を僅かに照らしていた。


 ……俺の部屋に間接照明はない。違和感に目が覚めてきて部屋を見回す。

 それは、明らかに俺の部屋ではなかった。見慣れない寝室は殺風景で最低限のものしか置いていない。拉致でもされたのか?


 ……なんか髪が鬱陶しい。手で払うが明らかに長くなっている。

 指で摘んで見ると金髪が目に入った。

 俺のじゃない。だが、引っ張っても自分の頭皮が痛い。

 寝てる間に染められたのか?

「はぁ……」


 ん?


「あ、あ、あー、あいうえお、……え?」

 声が変だ。


「あああああ」

 ……というか高い。思わず喉に手を当てる。

 首がおかしくなってる。すべすべしてるしすらっとしている。

 あと、何か違和感がある。


「首が細い」

 高くなった声を出すと喉が動く。それを感じながら喉を撫でる。

 そうだ。喉仏がないんだ。

 ……というか


 俺は腕に触れた柔らかい感触を意識した。沈むように柔らかい。

 見下ろすと胸の部分が膨らんでいる。着ている服にも見覚えがない。

 首元から身体を覗くと、映像でしか見た事がないおっぱいがあった。

 身体を揺らすと物理の法則に従って揺れた。

 いや、揺れるという程ではなかった、手のひらサイズだ。

 

「……」

 胸を掴むと掴まれた感覚が伝わってくる。つまり、神経が繋がっている。

 ……ってことは。


「……っ」

 股間に、あるべきものがない。

 凄まじい違和感。触れてもなだらかで物足りない。

 心臓が早鐘を打っている。


 ……というか、パンイチじゃねぇか。


「あ、あ、あ。なんでだよ」

 声はまだ高い。

 甘くて綺麗な声だった。まるで生まれた時からこうであるみたいに。


 というか、俺は死んだはずだった。そういえば。

 生まれ変わったのか?それとも今までが夢だった?

「……胡蝶の夢」

 そういう事か?声が可愛い。

「井上君、大好き」

 マジで?ありがとう。

 いや……現実逃避は、やめよう。


 部屋を改めて見回す。私物のような物はほとんどない。部屋の隅にでかい熊のぬいぐるみが一つ置いてあるくらいだ。

 ベットから出て立ち上がる。痺れた足で立ってるみたいに歩きづらい。自分の足じゃないみたいだった。

 数歩歩いて、質が良さそうなカーテンを開ける。眩しい。


 ここはマンションか。一般的な日本の住宅街の風景が見える。

 五階とかそれくらいの高さだと思う。下には広い駐車場があって、人が何人か歩いている。

 視線を遠くに向ける。見覚えがある。

  ……俺の家もここら辺だ。


「夜葉さん?」

 家は近かったはずだ。そして俺が死ぬ寸前に側にいたのも彼女。この部屋も殺風景だがおそらく女性が使用している部屋だろう……いい匂いがするし。


 だとすれば何でだ?死んだ後に何が──


 扉が開く音。

 カーテンを掴んだまま視線をそちらに向けた。

 ゆっくりと開いていく。


「あぁ、起きてたの」

 それは夜葉さんだった。私服姿を初めて見た。

 Tシャツにジーンズを着て、スタスタとこちらへ歩いてくる。

「お、俺の身体はどうなってんだ!?」

 意外にも、切羽詰まった声が出た。

 

「それは私の仕業よ。生まれ変わらせたの」

 いつもと変わらない夜葉さん。彼女はまだ近づいてくる。

「どういう意味だよ……?」

「私は人じゃないの。吸血鬼と言えば分かり易いかしら」


 ……意味がわからない。

 それより、手を伸ばせば届く距離に夜葉さんが立っている。今まで、碌に話した事はないし、こんなに近くに居た事もなかった。


「あるでしょう?ついさっき、貴方が自殺?した時に」

「な……んで…」

 考えてる事が。


「証拠よ。人ではないという、ね。読もうと思えば心を読めたりするの」

 そう言って彼女が微笑んだ。

 ……俺に?

「そう。貴方に向けて微笑んであげたのよ」

 ずっと俺を見ている。


 さらに近づいてきて、顔に手が伸びてくる。

 身体が固まったみたいに動かない。口だけが僅かに動いた。

「……な、んで?」

 俺を──


 頬に手が触れて、ひんやりと冷たい。

 鼻先が触れ合うほどに近づいた。甘い匂いがふわっと漂ってくる。

 吐息がかかった。


「貴方のことが気に入ったの」

 頬から首筋を撫でられた。その間にも俺の顔をじっと見ていて、まるで反応を観察されているみたいだった。

「気に入ったから、吸血鬼にして、女の子にして、部屋に連れ込んだのよ」

「……そ、っか」

「そうよ。どう感じたかしら」

 頭を抱き寄せられる。背が低くなったらしく、肩に顔が埋まった。

 抵抗はしなかった。身体を預けて口を開く。

「……嬉しいよ」


 生まれて初めて幸せを感じた気がした。



 人事が万事塞翁が馬、なんて一番嫌いな言葉だった。不幸しかないクソみたいな人生だと感じていたからだ。

 それは正しくて死ぬ寸前に振られて幕を閉じた筈だった。


 それが、生まれ変わって好きな娘に気に入られた。別に恋人じゃなかろうが嬉しかったし、それくらいが丁度いいと思う。

 

 

「ふふ、そう言ってもらえて良かったわ」

 吐息が耳をくすぐった。そのまま唇が触れた感触がする。

 

「乱暴は嫌いなの」

 彼女は耳元でそう囁いた。

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