第1話 Dead

 後悔しないように生きて。


 死んだ母親がよく言っていた。きっとあの人は後悔が沢山あったからそんな事を言っていたんだと思う。

 クソ親父と結婚した事とか。俺を残してさっさと死んじまった事とか、色々と。

 だから俺はその言葉の通りに生きてきた。それが、今さらできる唯一の親孝行だと思っている。



 下校時刻の通学路は薄暗くなってきた。

 夕焼けに染まるアスファルトを部活動に無気力な生徒が歩いている。学校が終わった解放感と僅かな寂寥感を伴って。

 夏も終わり、半袖の制服では肌寒い。撫でるように風が吹いて思わず腕を擦った。

 ふと視界に夕凪高校の女子制服が映り込む。

 そして、もう何度目か。俺は斜め前を歩く少女に思わず目を向けた。


 少女は濡れ羽色の髪が靡くと鬱陶しそう払う。そういった所作や歩く姿勢が一々綺麗で目を惹きつけている。

 ──夜葉 咲。彼女は、一年生の春なんて時期に転校してきた。

 透ける白い肌、鮮血みたいに紅い唇。夜のように美しい瞳は、長いまつ毛に隠されて冷たい印象を受ける。


 要するに、ぞっとする程容姿が整った少女だった。加えて頭は良いしスポーツもできるし、ピアノを弾いている所だって見た事がある。文句の付けようがなかった。

 人付き合いが希薄な彼女だったが驚くほどモテたし人気者だった。俺だって、その例に漏れない。

 ──そしてある日、同じく学校で一番人気者なサッカー部のキャプテンと付き合った。


 果たして俺は後悔をしたんだろうか?多分していない。

 俺の取り柄は喧嘩が強い事くらいだった。それ以外に人に優るものはない。

 そして、それは将来に何の役にも立たない。どころか中途半端な自尊心と暴力衝動を生み出すだけの欠点だった。勉強だって大して出来ない。


 対して奴はどうだ?

 サッカー部でキャプテンを務めた上で勉強もできるらしい。おまけにイケメンと評されてモテている人気者だ。比べるまでもないし比べられすらしないだろう。

 彼女にはあの野郎くらいがお似合いだし、俺に彼女を幸福にする要素は一つだってない。

 だから後悔はなかった。この形で満足だった。


 また彼女を見る。

 スカートが緩やかにたなびいた。黒色のストッキングがすらっとした脚を覆っている。僅かに見える横顔は、いつものようにつまらなそうだった。

 サッカー部野郎には、笑いかけたりするんだろうなぁ。

 ……生まれ変わったらサッカー部に入ろうか。


 いつの間にか人がまばらになっていた。

 俺と彼女の家は近い。場所までは知らないが俺が家に着く寸前まで彼女は前を歩いている。だから通学路で彼女を見かけると、それだけで良い一日に感じさせられた。


 ふと、早歩きの奴に追い抜かれた。

 そいつになんとなく目を惹かれる。理由はわからない。

 服装は、季節感的にもう少し先に着るような厚着だったが怪しいほどでもない。顔を襟に埋めてポケットに手を突っ込んでいる。

 そこもおかしくはない。

 だが歩く姿を見ると妙に胸がざわつく。あのまま歩けば、夜葉さんの隣を通り過ぎる。

 呼吸が深くなる、嫌な感覚がした。俺はこの感覚を知っている。

 母親が死んだ時も似た感じだったし、彼女が付き合った事を知った時も同じだった。


 取り返しのつかない事が進んでいる感覚。

 俺は小走りで男を追いかける。

 夜葉さんに話しかけよう。それが一番丸いはずだ。

 彼女に近づいていく。


 声が聞こえた。

 奴は何かを呟いていた。

 掠れた男の声だった。「ふざけんな」と繰り返している、らしい。段々と声が大きくなっている。

 男の背後に追いついたが、こちらの様子には全く気づいていないみたいだった。

「夜葉さん」

 

 声をかけたが俺の目は男から離れなかった。

 ──ポケットから手が出てきた。何かを握っている。

 それは夕日で眩しく光った。


 それが何なのか、理解した瞬間。

 俺は彼女の前に身体を晒していた。

 

 ドス、と押されたみたいな衝撃が加えられた。続いて身体を掻き混ぜられてるみたいな不快感。受け入れ難い激痛、吐き気。

 喉に何かが登ってきて生暖かい液体が口元を流れていった。鼻から鉄の臭いが通り抜ける。

 頭の奥がガンガンと痛い。脳みそを握られているみたいな感覚だった。


 目の前が真っ白になる。続いて、再び衝撃。痛みは感じられなかった。

 緩慢に瞼を上げると、目の前に空が広がっている。

 鰯雲が橙色の混じった空に浮かんで、流れている。

 流れる速度がやけに速かった。


 思考だけが独立して動いているみたいだ。思考を巡らせる。俺はなぜ、彼女の身代わりになったのか。

 アイツの、ナイフを持った腕を抑えた方が正しかったはずだ。現に、そうしようと考えていた。だけど身体が勝手に動いた。

 ・・・いや、違う。

 俺は自分で考えてこうした。それは分かった。

 なんでだ・・・。

 なぜ後悔をしていない。俺はこうしたかったのか?なぜ?






 ……。死にたかったのか。俺は。

 母親が死んで、父親はクソ。好きな子は好きな人と付き合って、勉強も出来ない。

 この社会で生きていく自信がなかった。だから死にたかった。

 ……そんな時にちょうど彼女が殺されそうになった。

 命を懸けて助けたら、何かが変わるんじゃないか。いつか死ぬのなら、ここ以外に死に場所はないんじゃないか。


 ここで死んどかなきゃ『後悔』する。

 俺は、そう思ったんだ。




 どうやらそうらしい。謎解きの後みたいな、妙にスッキリとした感覚だった。

 

 はぁ…。彼女に刺殺体を見せつけてスッキリするなんて、やっぱり俺は最低野郎だ。

 そして多分。俺は彼女に覚えられると考えて喜んでる。

 全く、本当に救いようがない。だからお前はダメなんだよ。




 ふと視界が暗くなった。 


 スカート越しに彼女は俺を見下ろした。

 こんな時でも、彼女の表情は整った顔立ちを損ねていない。わずかに目を見開いているだけだった。

 もしかしたらグロいのとか大丈夫なタイプかもしれない。トラウマにならず、記憶には残ってほしい。それが俺の願いだった。

 

 彼女は、膝を折って顔の横にしゃがみ込んだ。顔が近くなって目が合わせられる。

 花みたいに甘い香りがした。なんて事はなく詰まった鼻からは、くどい程の鉄の臭いばかりして頭が痛い。

 ぼーっと見ていると、彼女の赤らんだ唇が開いた。


「大丈夫?」

 いつもと変わらない、冷たくて綺麗な声だった。少し低くてつまらなそうな声。

 蝉の死体を見つけた時の俺がちょうどこんなテンションだろう。

 憐れみと少しの慈しみ。


 頬に何かが触れた。

「大丈夫?」

「……あぁ、まぁ。多分」

 嘘だ。多分もう死ぬ。


 でも言いたくなかった。

 本来は無傷で抑えられました。でも希死念慮と醜い恋心で自殺させて頂きました。なんてダサすぎる。どうせ死ぬんだからそれくらい許してほしい。

 ついでにコレも許してほしい。死ぬって意外と苦しいし怖いから、お願い。

 口を動かそうとする。喉から登ってくる血液が鬱陶しいかった。


「俺は……井上隼人。夜葉さんの事が………好き……なんだ」


 彼女は、遅々とした俺の言葉を最後まで聞いた。

 言い終わっても表情は変わらなかった。

 風が吹く。彼女は前髪を抑える。

 俺を見つめたままだった。


「そう。でも、私は安藤君と付き合っているし、貴方はもうすぐ死んでしまうわね」

「いい……。知って欲しかった、だけ」


 いや。

「……実は……わざと死んだ……」

「わざと?」

「……はは、夜葉さんに……覚えて欲しかっただけ。……ごめん」

「なぜ謝るのかしら」

「………自殺に……巻き込んだ」

「よく分からないわね」

 彼女はそのまま前髪をなぞって、視線を彷徨わせた。


「でも、あ──」


 彼女はまだ口を動かしている。

 だけど聞こえない。

 早々にお迎えが来たらしい。視線が朦朧としていた。

 彼女が俺を見て何かを言っている。


 よく分からないが笑顔を作った。見栄と罪悪感からだった。そのまま体を見下ろす。



 心臓に突き刺さったナイフは月面着陸のアメリカ国旗みたいに、見事に鳩尾に突き刺さっていた。

 夕陽がそれを神々しく照らしている。

 それが、やけに滑稽で可笑しかった。


 反射光の眩しさに目を瞑ると

 耐え難い眠気によって、意識がブラックアウトした。

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